「……」
仙太だってことは、お二人より先にこっちが知っていた。先刻あの悲鳴を聞いた瞬間に、「仙太め、南無阿弥陀仏!」と口の中で誦えた程だ。
「死んでいる。……とうとう殺られたのだ。」
「全くひどい。後頭部から背中にかけて、弾丸を撃ちこんだナ」
「銃声は聞えなかったが……」
「どこから撃ったのだろう」
刑事は踞ったまま、遥か向うの辻を透かしてみた。そこは水底に沈んだ廃都のように、犬一匹走っていなかった。
逃げるなら今のうちだった。しかし私は別に逃げようとはしなかった。
刑事たちは、折角探し求めていた横浜ギャングの一人、赤ブイの仙太が、遂に無惨な死体となって発見されたので、只もう残念でたまらないという風に見えた。二人は諦めかねたものか、なおも屍体をいじくりまわしていた。
「おやア、なんか掌の中に握っているぞ」
と、突然に、折井刑事が叫んだ。
「ナニ、握っているって? よし、開けてみろ」
山城刑事は懐中電灯をパッと差しつけた。屍体の右手は、蕾のように固く、指を折り曲げていた。折井刑事はウンウン云いながら、それを小指の方から、一本一本外していった。
「うん、取れた。……あッ、これは……」
「なんだ、金じゃないか!」
掌の中からは一枚のピカピカ光る貨幣が出てきた。
「金だ。オヤこれは金貨だ! それも外国の金貨だ」
金貨が出てきて、刑事達は俄かに緊張した。銀座の金塊盗難事件以来というものは、黄金を探して歩いた二人だ。その黄金製品である金貨が、屍体となった赤ブイ仙太の掌中から発見されたということは、極めて深い意味があるように思われたのだった。それにしても、それが外国金貨とは何ごとだ。
「旦那方」私は立った儘で云った。「金貨が落ちていますよ。ホラ、そこと、もう一つ、こっちにも……」
「ナニ、金貨が落ちている?」
「本当だ……」
刑事たちは、屍体から眼を放すと、地面を嗅ぐようにして、路面を匍いまわった。同じような、三つの金貨が拾いあげられた。一つは屍体の伸ばした右手から一尺ほど前方に、もう一つは、消えている街灯の根っこに、それから最後の一つは、倉庫のような荒れ果てた建物の直ぐ傍に……。
「沢山の金貨だ。これは一体、どういうのだろうな」
「この金貨と、仙太殺害とはどんな関係があるのだろう。それからあの金塊事件とは……」
刑事たちは、次々に出てくる疑問を、どこから解いたものかと、たいへん当惑している風だった。
「旦那方。金貨はまだまだ出てきますぜ」
と、私は仙太のズボンの右ポケットから、裸のままの貨幣を掴みだした。銅貨や銀貨の中に交って、更にピカピカ光る五枚の金貨が現れた。
「おい、余計なことをするナ」と折井刑事は一寸狼狽の色を見せて呶鳴ったが「もう無いか、金貨は……」と、息せきこんだ。
「どれどれ」と代って山城刑事が、ポケットというポケットに手をつきこんだが、その後は金貨が出てこなかった。全部で丁度十枚の金貨が出てきたわけだった。
「これアすくなくとも四五百円にはなる代物だ」と折井刑事は目を瞠って、「仙太の持ち物としては、たしかに異状有りだネ、山城君」
「もっと持っていたんではないかネ」と山城は眼をギロリと光らせた。「仙太のやつ、ここで強奪に遭ったのじゃないか。だから金貨が道に滾れている……」
「強奪に遭ったのなら、なぜ金貨が滾れ残っているのだ。それにわれわれが駈けつけたときにも、別に金貨を探しているような人影も見えなかった」
「そりゃ君、仙太を殺したからさ。……いいかネ。仙太は数人のギャングに取り囲まれたのだ。前にいた奴が、仙太の握っている金貨を奪おうとした。取られまいと思って格闘するうちに、手から金貨がバラバラと転がったのさ。手強いと見て、背後にいた仲間が、ピストルをぶっ放したというわけだ。前にいた奴は仙太を殺すつもりはなかった。仙太の仆れたのに駭いて、あとの金貨は放棄して、逸早く逃げだしたのだ。見つかっちゃ大変というのでネ」
「これは可笑しい」と折井刑事は叫んだ。「第一、格闘だといっても、その証拠がないよ。入乱れた靴の跡も無しさ。第二に、前から強迫しているのに、背後から撃ったのでは、前にいる同じ仲間のやつに、ピストルが当りゃしないかネ。僕はそんなことじゃないと思うよ」
「じゃ、どう思う?」
「僕のはこうだ。仙太のやつ、ここまで来て金貨を数えていたのだ。ここは人通もない暗いところだけれど、向うの街の灯が微かに射しているので。ピカピカしている金貨なら数えられる。そこを遥か後方から尾けて来たやつが、ピストルをポンポンと放して……」
「ポンポンなんて聞えなかった。……尤も俺は消音ピストルだと思っているが……」
「とにかく、遥か後方から放ったのだ。見給え、この弾痕を。弾丸は撃ちこんだ儘で、外へは抜けていない。背後近くで撃てば、こんな柔かい頸の辺なら、弾丸がつきぬけるだろう」
刑事たちは、その筋へ警報することもしないで、勝手な議論を闘わした。それは所轄警察署へ急報するまでに、事件の性質をハッキリ嚥みこんで、できるならば二人でもって手柄を立てたかったのである。それは刑事たちにとって、無理もない欲望だったし、それに二人が本庁を離れ、はるばるこの横浜くんだりへ入りこんでからこっち、二人で嘗めあった数々の辛酸が彼等を一層野心的にしていた。
私は先程から、二人の眼を避けて、屍体の横たわっている附近を、燐寸の灯を便りに探していた。そして漸く「ああ、これだ」と思うものを見付けたのだった。それは地面に明いた小さい穴だった。これさえあれば、仙太殺害の謎は一部解けるというものだ。
「ねえ、旦那方」と私は論争に夢中になっている刑事たちに呼びかけた。
荒れ倉庫の秘密
「ナ、なんだッ」と刑事は吃驚したらしく、私を振り返った。
「どうですい。一つここらで手柄を立ててみる気はありませんか」
「なんだとオ。……生意気な口を利くない」
「素敵な手柄が厭ならしようが無いが……」
刑事二人は、ちょっと顔を見合わせていたが、やがてガラリと違った調子で、
「なんだか知らないが、聞こうじゃないか」
「聞いてやろうと仰有るのですかい、はッはッはッ。……まア、それはいいとして、旦那方。私は犯人の居処を知っていますよ」
「ナニ、犯人の居処? 犯人は誰だッ」
「犯人は誰だか知らない。だが犯人の居処だけは知っているのですよ……ホラ、ここに真暗な崩れ懸ったような倉庫がありますネ。犯人はこの中に居るのですよ」
「何故だ。どうして此の中へ逃げこんだというのだ」
「喋っていると、犯人が逃げだしますよ」
「しかしわれわれは、意味もないのに動けないよ」
「じゃ簡単に云いましょう。いま仙太のポケットから出た五枚の金貨ですがネ、あの金貨には泥がついていたのをご存知ですか」
「……」
「もう一つは、そこに錆びた五寸釘を立てて置きましたが、路面に垂直に、小さい孔が明いていますよ」
刑事たちは、目をパチクリさせて地面に踞むと、その錆びた釘を退けて、太い箸をつっこんだ程の縦穴を覗きこんだ。
「これは?」
「ピストルの弾丸が入っているのですよ。今掘りだしてみましょう」
私は釘の先で、穴をどんどん掘った。すると案の定下からニッケル色の弾丸がコロリと出て来た。
「ほほう、なるほど」刑事は駭きの声を放った。「これは何故だ」
「いいですか、上を向いちゃ、犯人が気付きますよ。下を向いていて下さい。犯人は倉庫の二階の窓から仙太を撃ったのです」
「そりゃ変だ。仙太は背後から撃たれている」
「いいえ、傷はあれでいいのです。仙太のポケットに入っていた金貨は泥がついていたでしょう。仙太の野郎は、あの金貨を皆、この路面から拾ったのです。だから泥がついているんです。金貨は、同じ倉庫の二階から犯人が投げたのです。仙太がそれを拾おうと思って、地面に匍わんばかりに踞んだのです。いいですか。そこを犯人は待っていたのです。丁度われわれが今こうしている此の恰好のところを、上からトントンと撃ったのですよ」
「ナニ、この恰好のところを……」
上から撃たれたと聞いて、二人の刑事は、身の危険を感じてパッと左右に飛び退いた。
「そんなに騒いじゃ、犯人に気付かれますよ」と私は追縋って云った。
「さア早く、この建物の出口を固めるのです」
「よオし。おれは飛びこむ」
「だが、この屍体をどうする?」
刑事が躊っているところへ、折よく、密行の警官が通りかかった。
二人は物慣れた調子で、巡回の警官を呼ぶと、屍体の警戒やら、警察署への通報などを頼んだ。警官はいく度も肯いていたが、刑事たちが、
「じゃ、願いますよ」
と肩を叩くと、佩剣を握って忍び足に元来た道へひっかえしていった。
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