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疑問の金塊(ぎもんのきんかい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 11:27:33  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第2巻 俘囚
出版社: 三一書房
初版発行日: 1991(平成3)年2月28日
入力に使用: 1991(平成3)年2月28日第1版第1刷

 

  尾行者びこうしゃ


 タバコ屋の前まで来ると、私は色硝子いろガラスの輝く小窓から、チェリーを買った。
 一本を口にくわえて、燐寸マッチの火を近づけながら窓硝子の上に注目すると、向いの洋菓子店の明るい飾窓ウィンドーがうつっていた。その飾窓ショー・ウィンドーそばには、二人連の変な男が、肩と肩とを並べて身動きもせず、こっちをジーッとにらんでいるのが見えた。
何処どこまでも、けてくる気だナ」
 私はムラムラと、背後うしろを振りかえって(莫迦ばか!)と叫びたくなるのを、やっとこらえた。この尾行者のあるのに気がついたのは、横浜はまの銀座といわれるあのにぎやかな伊勢佐木町いせざきちょう夜食やしょくり、フラリと外へ出た直後のことだった。それから橋を渡り、暗い公園を脱け、この山下町やましたちょうりこんで来ても、この執念深しゅうねんぶかい尾行者たちは一向退散の模様がないのである。
 腕の夜光時計やこうどけいを見ると、問題の十一時にもう間もない。十五分前ではないか!
 ぐずぐずしていると、折角せっかくの大事な用事に間に合わなくなってしまう。十一時になるまでに、こいつら二人をけるだろうか。これが銀座なら、どんな抜け道だって知っているが、横浜はまと来ると、子供時代住んでいた時とすっかり勝手が違っていた。大震災だいしんさいで建物の形が変り、妙なところに真暗な広々した空地がポッカリいていたりなどして、全く勝手が違う。この形勢では尾行者たちに勝利が行ってしまいそうだ。残るは、これからすこし行ったところに、さらに暗い海岸通があるが、その辺の闇を利用して、なんとか脱走することである。
 そんなことを考え考え前進してゆくうちに、向うに町角まちかどが見えた。私は大きな息を下腹一ぱいに吸いこむと、脱走は今であるとばかり、クルリと町角を曲った。そして一目散に駈け出そうとする鼻先へ、不意に人があらわれた。
「オイ政、待った!」
 その声には聞きおぼえがあった。これはいかんと引き返そうとすると、後からまた一人が追いすがった。私はとうとうはさみ打ちになってしまった。
(しまった!)
 と思ったが、もう遅い。
「政! 妙なところで逢うなア」
 二人はかね顔馴染かおなじみの警視庁強力犯係ごうりきはんがかりの刑事で、折井おりい氏と山城やましろ氏とだった。いや、顔馴染というよりも、もっと蒼蠅うるさい仲だったと云った方がいい。
「……」
 私はチェリーを一本抜いて、口に銜えた。
「話がある。ちょっと顔を貸して呉れ」
「話? 話ってなんです」
「イヤ、手間は取らさん」
 刑事は猫なで声を出して云った。
「旦那方」私は真面目に云った。「銀座の金塊きんかいは、私がやったのじゃありませんぜ」
「ナニ……君だと云やしないよ」
 刑事はくすぐったそうに苦笑した。恐らくあの有名な「銀座の金塊事件」を知らない人はあるまいが、事件というのは今から十日ほど前、銀座第一の花村貴金属店の飾り窓から、大胆にもそこに陳列してあった九万円の金塊を奪って逃げたという金塊強奪事件きんかいごうだつじけんである。犯人は前から計画していたものらしく、人気ひとけのない早朝を選び、飾窓ショー・ウィンドーに近づくと、イキナリ小脇にかかえていたハトロン紙包しづつみ煉瓦れんがをふりあげ、飾窓ショー・ウィンドー目がけて投げつけた。ガチャーンと大きな音がして、硝子には大孔おおあなが明いたが、すかさず手を入れて九万円の金塊をつかむと、飛鳥ひちょうのように其の場から逃げ去った。それから十日目の今日まで犯人は遂に逮捕されない。なにしろ早朝のことだったから、目撃した市民も意外にすくない。手懸てがかりを探したが、一向に有力なのが集らない。事件は全く迷宮めいきゅうに入ってしまった。警視庁は連日新聞記事の巨弾をくらって不機嫌の度を深めていった。その際に本庁ほんちょうの強力犯の二刑事が、はるばる横浜はままで遠征して来たのは、誰が考えたって、ハハア金魂事件のためだなと気がつく。
「そう信用して下さるのなら、話はまた別の日に願いましょう。今夜はこれで、だいぶけ過ぎていますからネ」
 私は軽く突っぱねた。時計をソッと見ると、既にもう十一時に間がない。私は気が気でない。
「いやに逃げるじゃないか」と執念深い刑事はかえってからみついてきた。「ところで一つたずねるが、赤ブイ仙太を見懸みかけなかったか」
「仙太がどうかしたんですか」
「余計なことをくな。貴様、仙太と何処どこで逢った。何時いつのことだ」
「旦那方。私はハマの仙太の番をするくらいなら、今時いまどきこんな場所を一人で歩いちゃいませんぜ」と私はちょっと嘘をついた。
「ふざけるな。じゃあ訊くが、銀座無宿ぎんざむしゅくの坊ちゃんが河岸かしをかえて、なぜ横浜はまくんだりまで来ているのだ……」
 坊ちゃん政――それは私にいつの間にか付けられたとおだった。もちろんかねて顔馴染かおなじみの二刑事が覚えているのもせんないことだろう。だが云わでもその名前を呼びかけられりゃ、いくら此処ここ横浜はまだって小さくなっていられるものかと、私はムッとした。
 だがそのムッとするのが、私の悪い病気なのだ。現に銀座を出て、単身たんしんこの横浜はまに流れて来たのも、所詮しょせんは大きいムッとするものを感じたせいではなかったか。
(伝統の銀座を、横浜はまの奴等に荒されてたまるものかい)
 若い私には無体むたいにそいつがしゃくにさわった。私はねらう相手から、覘うものを捲きあげてしまわなければ、死んでも銀座には帰らないとはらを決めているのだ。――で、その大事の前に、顔馴染の刑事なんかと喧嘩をしてはつまらないではないか。我慢をしろ!
「オイ何とか云えよ」
「黙っていちゃ、駄目じゃないか」
 二人の刑事はジリジリと左右から肉迫にくはくしてきた。相手の眼はらんらんと輝いた。私を大きな獲物えものと見込んで、どうしても物にしようという真剣さが見える。これは簡単に済まないぞ。おとなしく身をまかして機会を待つか、それともサッと相手の足をはらって出るか、無気味ぶきみな沈黙が三人の息を止めた。
 と、その時だった。――
 キ、キャーッ。
 と、魂消たまぎえる異様な悲鳴が、突然に闇を破って聞えた。どうやら向うのとおりらしい。途端とたんに向うに見える時計台から、ボーン、ボーンと十一時を知らせる寝ぼけたような音が響いて来た。――ああ十一時。あの時刻だ。私はドーンと胸をかれたような激動げきどうを感じた。


   金貨きんかにぎった屍体したい


「うむ、事件だぞ」
「すぐ其処そこだ。行くか……」
 二人の刑事は顔を衝突せんばかりに近づけて、おたがいの腕をつかみ合った。
ぐ行こう」
「だが此奴こいつをどうする?」
「うむ。さあ、どうする?」
 刑事は私の処置しょちをどうしたものかとためらった。
「逃げませんよ、私ア」と言下げんかこたえた。「一緒に行ったげましょう」
「お前も行くか。どうかそうして呉れ!」
 刑事はホッと溜息ためいきをついた。
 私はわざと先頭せんとうになって駈けだした。刑事も横合よこあいから泳ぐように力走した。
 真暗な、広い空地に出た。向うにポツンと二階建らしい倉庫のようなものが立っているが、あかりもない真黒な建物だ。悲鳴はそのあたりから起ったように思われる。私は前面を注視しながら走った。
 沈黙の倉庫の前まで来ると、向うに火の消えた街灯がいとうの柱が何事か云いたげに立っていた。その下に、長々と横たわっている黒い物があった。
「旦那方。あすこに、一件らしいのが見えますぜ」
 刑事は私の方に身体をりよせてきた。
「うん。伸びているようだナ。それッ」
 三人はバラバラと、その方に近づいた。刑事の手から、懐中電灯の光がパッと流れだした。その光はただちに、地上に伏している怪しい男の姿をとらえた。雨あがりの軟泥なんでいの路面に、青白い右腕がニューッと伸びていて、一面に黒い泥がなすりついている――と思ったら、それは真赤な血痕けっこんだった。水色のアルパカの上衣にも、喞筒ポンプそそぎかけたような血の跡が……。全くむごたらしい光景だった。
 刑事は、倒れている若い男の横顔を照してみた。顔は血の気を失って、ただ太い眉毛まゆげと、長い鼻とが残っていた。歯をき出した唇は、泥を噛んでいた。――と、刑事が叫んだ。
ッ。……これア、赤ブイの仙太じゃないか!」
 赤ブイの仙太! 仙太といえば刑事たちが、さっき私にいたところの横浜はまの不良で、カンカン寅の一味なのだ。
「そうだ、仙太だ。すっかり顔形が違っている感じだが、仙太に違いない」
「誰がったんだろう?」
 二人の刑事は、そこで顔を見合わせると、意味ありに、後に立っている私の顔をジロリとにらんだ。

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