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間諜座事件(かんちょうざじけん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 11:23:47  点击:  切换到繁體中文


     9


 公衆電話室には、既に黄色の外套を着た青年が二人、別々に入ってった。サインを送られたのでQZ19[#「QZ19」は底本では「QX19」]は直ぐに「柳ちどり」の名前の入った紙片を手渡した。
「すみませんでしたね。まァこっちへ入り給え」黄色い外套を着た同志は云った。
 其時そのときこの二つの公衆電話の甲乙とも相手のベルがやかましく鳴っていた。
 甲の方の電話は、一町半ほど先の洋食屋の屋根裏へつながっていた。
「オイ、どうだ」と向うから声がした。
「もう直ぐ出て来るから、うまくれよ」と、こっちから黄色い外套の同志がややふるえ声で云った。興奮にふるえているのだった。
「ウン、しっかり演ってみせるぞ。安心せい。相手を確めたら直ぐしらせろ!」
 そういった屋根裏の青年の前には一台の機関銃が壁穴かべあなを通して外をのぞいている。いつでも引金が引ける、この機関銃の銃口は、向いの高い建物の三階に、ポッカリ開いた窓に向けられている。もっと精確に云うと銃口は、向いの窓の内から見える壁掛かべかけ電話機をねらっているのだった。――その電話機は、受話器がひものままダラリと下っていた。思うに、電話で呼出された人を探しに行っているものらしい。
 五秒、十秒、十五秒。
 向うの窓に、一人のレビュー・ガールが現れた。頭が痛いのか、左手でさえている。
「はァ、モシモシ」
 と、その美しいレビュー・ガールは電話口の前で唇を動かした。
「ああ、もしもし」レビュー・ガールの電話に答えたのは、意外にも区裏の公衆電話の乙の方を占領している黄外套の同志だった。
「もしもし。あんたは、柳ちどりさん?」
 同志の声は悠々と落着いている。それもその筈、一方の旗頭UX3鯛地秀夫たいちひでおだったから。
「ええ、そうよ」と女が云った。
 鯛地秀夫は、ツと手をあげて、隣の公衆電話甲の同志QX7左馬三郎さまさぶろうへ合図をした。
(よし、撃て――といえ)
 というサインだ。鯛地は豪胆ごうたんにも尚も柳ちどりを電話機に釘止くぎどめにして置こうと努力した。
「柳ちどりさんに、いいものを進呈――」
 撃て、――という命令は、屋根裏の同志の耳に達して、スワと機関銃の引金を引いた。
 どどどどどどどど、どどどどどどどッ!
 あられのような銃丸じゅうがんが、真白な煙りをあげて、向いの窓へ――
 柳ちどりは、声を立てるいとまもなく全身をはちのように撃ち抜かれ、くずれるように電話機の下にパタリと倒れた。
「命中したぞォ」
 それが同志への最後の報告だった。
 次の瞬間に、屋根裏の機関銃手も公衆電話室甲乙の黄外套きがいとうも、それから又、同志帆立も、飛鳥ひちょうの如く現場から逃げ去った。
 恐ろしい暗殺状況あんさつじょうきょうだった。


     10


 落ち着かぬ心を、客席に強いて落ち着かせようと努力しているQX30の笹枝弦吾だった。
 どどどどどどッ。
 がたーン。
 という異様な物音を余所よそながら聞いた。
(ウッ、やったな)
 第五景「山賊邸展望台」の幕はスルスルとりた。
 舞台裏には異様いような混乱が起っているようだった。
 観客は何事とも知らぬながら、少しずつざわめいてきた。
 緞帳どんちょうが大きく揺れて、座長の丸木花作が、かつらだけはずした舞台姿のままで現れた。
「皆さん。お静かに願い上げます。唯今ただいま女優が一人、急病でくなりました。しかしもう事は済みましたから、御安心の上、お仕舞しまいまでごゆるりと御見物願います。では直ちに第六景、『奈良井遊廓』の幕をあげます」
 うわーッと何も知らない観客は拍手した。
 座長が引込むと、緞帳は別に何事もなかったかのように、スルスルと上へ昇っていった。そしてにぎやかなはやしの音につれて、シャン、シャンと鳴る金棒かなぼうの音、上手かみてから花車だしが押し出してきたかのように、花魁道中おいらんどうちゅうしてきた。
 提灯持ちょうちんもちが二人、金棒引かなぼうひきが二人、続いて可愛らしい禿かむろが……。
ッ」
 と大声で叫んだのは、客席のQX30弦吾げんごだった。
 見よ、確かに死んだ筈の義眼の副司令が、真紅な禿かむろの衣裳を着て、行列の中を歩いているのだ。これが驚かずにいられようか。
「シ、しまった!」
 と気がついたときは、もう既に遅かった。隣席の五十坂を越したと思う男が、年齢としの割には素晴らしい強力ごうりきで、弦吾の利腕ききうでをムズと押えた。
「話は判っているはずだ。さア静かに向うへ来給え」
 その一語で、すべては終った。魚眼ぎょがんレンズをとおした写真を調べてみるまでもなく、大声をあげたりして、もう明瞭めいりょうな失敗をしたQX30だった。もう再度さいど、生きて此のレビュー館は出られなくなった。
 万事ばんじきゅうす!
     *
 義眼の副司令の女を、柳ちどりと思っていたのは笹枝弦吾のしい誤解ごかいだった。柳ちどりは確かに機関銃で殺された踊り子だった。この柳ちどりは、第五景に出る段になって、急に烈しい頭痛に襲われたのだった。出場はせまるし、ついむなく副司令が柳ちどりに代って出たわけだった。そこで彼女は柳ちどりと間違えられるようなことになった。次の第六景、「奈良井遊廓」の場で正しい持役もちやくで出演したわけだった。柳ちどりでなければもう海原真帆子に決っている。皆さんはの名前が、「禿かむろ」という役割の下にあるのを既に御存知ごぞんじはずである。
 海原真帆子かいばらまほここそ幸運なる副司令の芸名だった!





底本:「海野十三全集 第2巻 俘囚」三一書房
   1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
初出:「日曜報知」報知新聞社
   1932(昭和7)年11月12日号
※「茶店娘ちゃみせむすめ」は底本のプログラムでは「薬屋娘」ですが、底本通りとしました。
入力:土屋隆
校正:田中哲郎
2005年5月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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