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間諜座とは、敵の密偵の夜会場なんだから、そういう名で仲間は呼んでいるのだ。本当の座名はディ・ヴァンピエル座!
ディ・ヴァンピエル座第9回公演――と旗が出ている間諜座の前だ。R区は、いつもと、些とも変らぬ雑沓だった。
しばらくウィンドーの裸ダンスの写真を、涎を垂らさんばかりの顔つきで眺めて――
「さア、お前はどこに決めるんだ」
「俺は断然、この丸花一座を観る」
「じゃ俺もそう決めた。……いいよいいよ、今夜は俺が払うから、委しとけ」
「イヤ駄目だい。今夜は俺に払わせろ」
「いいんだよオ」
「いけないよォ」
頗る手際よく、だらしなくグニャグニャと縺れ合いながら弦吾と同志帆立はプログラム片手にひッつかんだ儘、嬉しそうに入っていった――だが一皮下は、棒を呑んでいるような気持だった。
明るい舞台では、コメディ「砂丘の家」が始まっていた。
流石にカブリツキは遠慮して、中央の席に坐る。
舞台は花のように賑かだった。
だが、それに引きかえ、観客席のQX30は、面こそ作り笑いに紛らせているが、胸の裡は鉛を呑んだように憂欝に閉ざされていた。そのわけは彼の手に握られたプログラムにあった。
この複雑きわまるプログラムのうちから、義眼を入れたレビュー・ガールの名前を探し出すなんて、如何に無鉄砲なことだか、そのプログラムのおもてを一と目見ただけで充分に知れることだった。
同志百七十一人の生命を賭ける死のプログラム!
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どうか読者諸君も気を鎮めて、次に示すこのプログラムに共に眼を移して下さい。
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プログラム
第三・コメディ・砂丘の家
●ブルターニュ郊外の家
父親 ジャック 松田待三郎 母親 カテリナ 武中 文子 姉娘 ロジナ 東明 波子 妹娘 マリイ 郡家 月子 紳士 ケリー 田方 青二 青年 フルトン 丸山 彦太 お手伝いさん ロセット 住吉 景子 店員 アプリン 間宮 林八 近所の娘 アン 香川 桃代 マーゲリー 平河みね子 ドロシー 小林 翠子 ルイズ 六条 千春
第四・ダンス・エ・シャンソン
●ダンス(木製の人形)
六条 千春 平河みね子 辰巳 鈴子 歌島 定子 柳 ちどり
小林 翠子 香川 桃代 三条 健子 海原真帆子 紅 黄世子
●シャンソン(朝顔の歌)
咲田さき子
●ダンス(美わしの宵)
(唄)花柳 春子 須永 克子 山村 蘭子 杉原 常子
●シャンソン(遥かなるサンタ・ルチア)
須永 克子
●ダンス(オー・ヤヤ)
間宮 林八 花柳 春子 神田 玉子
●ダンス(カンツリー・ダンス)
歌島 定子 玉川 砂子 大井 町子 御門 秋子 三条 健子 辰巳 鈴子 水町 静子 小牧 弘子 六条 千春
●フィナーレ
平河みね子 辰巳 鈴子 歌島 定子 柳 ちどり 小林 翠子 香川 桃代 三条 健子 海原真帆子 紅 黄世子
第五・ナンセンス・レビュー弥次喜多
●第一景・プロローグ
喜多八 丸木 花作 弥次郎兵衛 鴨川 布助
●第二景・大阪道頓堀
舞妓 紅 黄世子 歌島 定子 三条 健子 辰巳 鈴子 香川桃代 平河みね子
喜多八 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
●第三景・嵐山渡月橋
妙林 鷹司 風子 尼僧甲 玉川 砂子 同乙 大井 町子 同丙 水町 静子 同丁 御門 秋子
●第四景・琵琶湖畔
薬売 武智 太郎 薬屋娘お金 柳 ちどり お銀 海原真帆子 喜多 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
●第五景・山賊邸展望台
首領 松田待三郎 中国人甲 田方 青二 同乙 春山田之助 同丙 丸山 彦太 唐子の娘 松浦 浪子 柳 ちどり 東路 艶子 歌島 定子 川島 武子 花村 京子 三条 健子 辰巳 鈴子 喜多 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
●第六景・奈良井遊廓
花魁初菊 花柳 春子 同赤玉 山村 蘭子 提灯持 奈良木 清 元永 敏夫 金棒引 清洲 蝶子 神田 玉子 禿 海原真帆子 新造 玉川 砂子 大井 町子 水町 静子 御門 秋子 芸者 小牧 弘子 香川 桃代 平河みね子 小林 翠子 喜多 丸木 花作 弥次 鴨川 布助
痺れる脳髄!
もし此処で卒倒したらば、それで万事休すだ!
弦吾は無形の敵と闘った。血を油に代えて火を点じ、肉を千切って砲弾の代りに撃った。何とかして、この中から義眼のレビュー・ガールの、名前を見付け出したい。その張りきった焦躁で、舞台の方に向けている眼は空洞になろうとする。
――いつの間にやら、第三コメディ「砂丘の家」は幕となった。弦吾は同志帆立に脇腹を突つかれて、慌てて舞台へ拍手を送った。途端に、
「おや?」
弦吾は、なにかしらハッとした。霊感の迸り出でようという気配を感じた――子供のときから、不思議な癖で……。
(そうだ。あの消去法という数学、あれを応用して一つやってみよう、よし!)
彼は遂に一つのプランを思いついた。頭脳は俄かに冷静となった。科学者だった彼の真面目が躍如として甦った。消去法とは一体どんな数学であるか。
そのときベルが、喧しく鳴った。ジャズに囃されて重い緞帳が上っていった。いよいよ第四の「ダンス・エ・シャンソン」の幕が開いたのだった。
何よりも先ず第一の問題は、誰が義眼を入れているかを発見することだった。
舞台では、飛び上るようなメロディーにつれて七曲の第一、
ダンス(木製の人形)
が始まった。赤と白とのだんだらの玩具の兵隊の服を着、頬っぺたには大きな日の丸をメイク・アップした可愛いい十人の踊り子が、五人ずつ舞台の両方から現れた。
タッタラッタ、ラッタッタッ。
ラッタラッタ、タッタララ。
踊り子たちは、恰も木製の人形であるかのようにギゴチなく手足を振った。
(おお、このなかに、義眼を入れた女が居るか?)
眼を見張ったが、こう遠くては判らない。と云って今さら舞台の前のカブリツキまで出られないし、たとい出てみたところで何しろ小さい眼のことだ。義眼と判るとまで行くまい。
QX30の笹枝弦吾は、呆然として舞台の上に踊る彼女達を見入った。
そのとき彼の眼底に映った一人の踊り子があった。その踊り子は、他の九人と同じように調子を揃えて踊っているのであるが、何だかすこし様子が変である。
どう変なのかと、尚も仔細に観察をしていると、成程一つのおかしいことがある!
その踊り子は頭を左右に、稍振りすぎる嫌いがあるのだ。
いや、もっと別の言葉で云うことが出来ると思う。――その踊り子は首を左に傾けているうちに、急に驚いたように首を右に傾け直すのだった。首を、その逆に右から左へ傾け直す行動は自然に円滑に行われるのだった。唯左に曲っている首を右に傾け直すときに限り、非常に不自然な行動が入った。
もっと別の言葉で云える。つまりそんな不自然な行動も左の眼が悪いからこそ起るのだ。左の眼が悪いときは、悪い方の眼は見えないから右の一眼で前面を見ることになる。そのためには顔を正面に向けていたのでは、左の方が見えない。それを補うためには右の眼を身体の中心線の方に寄せる必要がある。その時に顔を曲げねばならぬ。このとき人間は首を左へ曲げる!
左眼の悪い人間は、つまり、常に左に首を曲げている。しかし踊り子がいつも左へ傾いた顔をしていたのでは美感上困る。そこで気のつく度に、ヒョイと首を逆にひねる。この場合、右へは、右へ振ったが振りすぎて人目を引くようになる。そして踊っている裡に、つい習慣が出て首が自然に左へ曲る。気がついてハッとすると、不自然にギクリと首を右へ曲げる。――これだ、これだ。
あの、首を振り過ぎる女が、求める副司令なのだッ。しめた!
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