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それから二日後のことだった。
その日は、稀に見る蒸し暑い日だったが、午後四時ごろとなって、比野町はその夏で一番物凄い大雷雨の襲うところとなった。それは御坂山脈のあたりから発生した上昇気流が、折からの高温に育まれた水蒸気を伴って奔騰し、やがて入道雲の多量の水分を持ち切れなくなったときに俄かにドッと崩れはじめると見るや、物凄い電光を発して、山脈の屋根づたいに次第次第に東の方へ押し流れていったものだった。
ゴロゴロピシャン! と鳴るうちはまだよかった。やがて雷雲が全町を暗黒の裡に、ピッタリと閉じ籠めてしまうと、ピチピチピチドーン、ガラガラという奇異な音響に代り、呼吸もつがせぬ頻度をもって、落雷があとからあとへと続いた。
その最中、町では大騒ぎが起った。
「おう、火事だ。ひどい火勢だッ」
「これはたいへんだぞ。勢町の方らしいが、あの真黒な煙はどうだ。これは油に火が入ったな」
篠つく雨の中を、消防組の連中が刺子を頭からスポリと被ってバラバラと駈けだしてゆくのが、真青な電光のうちにアリアリと見えた。手押喞筒の車が、いまにも路の真中に引くりかえりそうに激しく動揺しながら、勢いよく通ってゆく。
……
「おう、火事は何処だア」
「勢町だア。稲田屋に落雷して、油に火がついたからかなわない。ドンドン近所へ拡がってゆく……」
「そうか、油に火が入ったのだと思った。蒸気喞筒はどうした」
「油に水をかけたって、どうなるものかアと騒いでいらあ。……」
それから暫くたって、また別のニュースが町の隅々まで拡がっていった。
「稲田屋のお爺イとお婆アとが、焼け死んだとよオ。……」
「そうかい。やれまあ、気の毒に……。逃げられなかったんだろうか」
「逃げるもなにも、雷に撃たれたんだということだ。たとい生きていても、階下に置いてあった油に火がつけば、まるで生きながらの火葬みたいなものだ。どっちみち助からぬ生命だ」
北鳴四郎が云った言葉が箴をなして、稲田老人夫婦は、悲惨なる運命のもとに頓死をしてしまった。惨劇の二時間がすんで、午後六時ともなれば、人を馬鹿にしたように一天は青く晴れわたり頭上には桃色の夕焼雲が美しく輝きはじめた。
油店からの火災も、附近数百を焼いただけで、それ以上延焼することもなく幸いに鎮火した。調査の結果によると比野町での落雷は意外に少く、僅か七ヶ所を数えるだけで、多くは電柱に落ち、人家に落雷したのは彼の稲田屋一軒だったとは、町の人々の予想に反した。
殊に人々を驚かせたのは、稲田屋の近くの高い櫓の上に、ズブ濡れとなっていた北鳴四郎が何の被害も受けなかったことだった。人々はたしかに幾度となく、櫓の上にピチンピチンと音がして、細いは細いながら閃光がサッと舞い下りるのを目撃した。あのとき櫓の上に人間が居たとしたら当然雷撃を蒙ったろうと思われるのに、町の客人、北鳴四郎が平然としてあの高櫓の上に頑張っていたとは、まるで嘘のような話だった。
夜に入って、北鳴は稲田屋の惨事を見舞いのために、人々の集っているところに訪ねてきた。そして二つの白い棺の前に恭しく礼拝したのち、莫大な香奠を供えた。彼がそのまま帰ってゆこうとするのを、人々はたって引留めた。そして口々に、彼の幸運話を聞かせてくれるようにと無心したのだった。
「私のことなら、別に不思議はありませんよ」と北鳴は云った。「避雷針を持っている者は、誰だって、ああいう風に平気で安全でいられますよ。但し、これだけはハッキリ申して置きますが、避雷装置は完全でなければならないということです。先日、私はこの町で、恰好だけは仰々しく避雷針の形をして居り、その実、一向避雷針になっていない不完全避雷針を見ました。皆さん、本当の避雷装置というのは、あの尖がった長い針を屋根の上に載せて置くだけでは駄目です。あの針は、雷を引き寄せるだけの働きしか持っていないのです。あの針は、太い撚り銅線を結びつけ、その撚り銅線を長く下に垂らし、地面の下に埋め、なおその先に、一尺四方以上の大きな金属板をつけて置かなくちゃあ、避雷装置になりません。なぜって、その銅線は、針のところへ引き寄せた雷をそのまま素早く地中に流してやる通路なのです。つまり雷の正体は、電気なのですからね。その通路が完全に出来ていなければ、折角針に引き寄せた雷は、仕様ことなしに、柱や壁を伝わって地中へ逃げるから、それで柱や壁が燃えだしたり、その傍にいた人畜は電撃をうけて被害を蒙るのです。私の場合は、そういった避雷装置が完全に出来ていたので、櫓の上の四尺四方ほどの板敷の上に、平気の平左で雨に打たれていたというわけなんですよ。これで万事お分りでしょうネ」
聞いていた人々は、聞いている間だけは北鳴の話していることがよく分った。しかし彼の話が一旦終ってしまうと、なんだか模糊としてきて、分ったような分らぬような気持になってきた。本当に分ったのは、小学校の先生と、そして年のゆかぬ中学生ばかりだったといってもよいくらいだった。
そのときだった。外から大きな花束を抱いて入って来た二人の男女があった。
「まあ皆さん、すみませんわネ。亡くなった両親のために、こんなにお集りいただいて……」
と、二十五、六にもなろうという楚々として立ち姿の美しい婦人が挨拶をした。筆で描いたような半月形の眉の下に、赤く泣き腫れた瞼があって、云いは云ったが、その心の切なさをギュッと噛んだ可愛い唇に辛うじて持ち耐えているといった風情だった。この女こそは噂の主、今は亡き稲田老夫婦の遺児お里に外ならなかった。――奥のかた霊前では、既に立ち去ろうとした北鳴四郎が、ばつの悪そうな、というよりも寧ろ恐怖に近い面持をして、落著かぬ眼を四囲にギロギロ移していた。
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