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雷(かみなり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 11:18:58  点击:  切换到繁體中文



     4


 いまは瀬下英三に嫁入った娘お里の、かつての情人北鳴四郎を、稲田老人夫妻は二階へ招じあげて、露骨ながらも、最大級の歓待を始めたのだった。
 そこには、酒の膳が出た。近所で獲れる川魚が、手早く、洗いや塩焼になって、膳の上を賑わしていた。
「折角ですが、酒はいただきませぬ」
「まあ、そう仰有おっしゃらずに、昔の四郎さんになってお一つ如何いかが
 と老婆は執拗にすすめる。
「いや、博士論文が通るまでは、酒盃を手にしないと誓ったので、まあ遠慮しますよ」
「へえ、四郎さんが、博士になりなさるか。……」
 と、老婆は稲田老人と目を見合わせて、深い悔恨の心もちだった。お里の今の婿の英三は、一向にえない田舎医者。老人の腎臓を直したのが、関の山、毎日自転車で真黒になって往診に走りあるいているが、宝の山を掘りあてたという話も聞かなければ、博士はおろか、学士さまになることも出来ないらしい。いずれ親譲りがある筈だった財産というのも、近頃親の年齢甲斐としがいもない道楽で、陽向ひなたに出した氷のようにズンズン融けてゆくという話である。その当て外れした心細さに引きかえ、曾ては仲を裂きまでした北鳴が、こうして全身から後光の出るような出世をして、二千円や三千円の金は袖に入れているという風な豪華さで、さらに博士まで取ろうとしている。老人たちにとって、それは痛くもあり、つはうらやましいことであった。なんとかして機嫌をとって置いて、何とかして貰いたいものをと、彼等の慾心は勘定高いというにはあまりにも無邪気だった。
「……そこで四郎さん。あの高い櫓をこしらえてどんなことにお使いなさるですか」
 と、老夫人は団扇うちわの風を送りながら訊いた。
「ホウ、それそれ。わしもそれを伺おうと思っていたところだ。……」
 と稲田老人も膝をすすめる。
「……あの櫓のことですか」と、二人の顔を見て北鳴はニヤリと笑った。二階の欄干をとおして、雨中に櫓を組む人夫の姿が、彼の眼底にきつくように映った。
「はッはッはッ。あれを見て、貴方がたはどんな風にお考えですか。いやさ、どんな感じがしますかネ」
「どんな感じといって、……別に……」
 と、老人夫妻はその答に窮したが、そのときの気持をいて突き留めてみれば、この二階家から同じ距離を置いて左右に二個所、目障りな櫓を建てられ、なんとなく眩暈めまいのするようないやな気分が湧くというほかになかった。しかしそんな非礼な言葉を、この福の神に告白して、その御機嫌を損ずる気は毛頭もうとうなかったのである。
「あれは、赤外線写真でもって、活動写真を撮るためなんですよ」
「へえ活動ですか。……何の活動を……」
「それはつまり甲州山岳地方に雷が発生して近づいてくる様子を撮るのです。この写真機というのが私の発明でしてネ。従来の赤外線写真では出来ない活動を撮ります」
「ははア、雷さまのことだから、高い櫓が要るのですナ。しかし二本も櫓を建てたのはどういう訳ですか」
「櫓が二つあるというわけは……」と、北鳴四郎はちょっとドギマギした風に見えた。「それはつまり、相手が雷のことですから、櫓には避雷針を建てますが、いつ雷にやられるとも限らない。それで一方が壊されても、他の方が助かって、目的の活動が撮れるようにというわけです」
「なるほど。……して、その活動は誰が撮るのですか」
「それは私です。私只一人が、あの櫓にのぼって撮ります」
「ほほう、それは危い」
「ナニ大丈夫です。……私はネ」
 そんな話の間に、雨は急に小やみになってきた。雲間がすこし明るく透いてきた。雲足は相変らず早く、閃光もときどきチカチカするが、雷鳴はだいぶん遠のいていった。どうやら今日の夕立は、比野の町をドンドンれていったらしい。
 そこへお手伝いが上って来て、下へ松吉が訪ねて来たという知らせだ。幸い雨は上ったことだし、北鳴四郎は辞去じきょを決して、二階を下りていった。老人夫婦は残念そうに、その後について、送ってきた。
 松吉は土間に突立っていた。
「北鳴の旦那。避雷針の荷が今つきました。ちょっと見て頂きとうござんす」
「そうか。荷は皆下ろしたかネ」
 松吉は大きく肯いた。
 北鳴は、土間に下りながら、そこに積まれたおびただしい油の缶に目をつけた。
「ああ、これは危険だねエ。稲田さん、いつこんな油の商売を始めたんです」
「へへへへ。――これはもう二年になりますネ。東京から商人が来ましてネ。しきりにこの商売を薦めていったもんです。資本もとではいらないから始めてみろ、商売がうまく行けば、信用だけでドンドン荷を送るというので、つい始めてみましたが、……たいへんよく気をつけてくれるので、まあそう儲りもしないが、損もしないという状態で……」
「これはサンエスの油ですネ。そして笹川扱いだ」
「ほう、よく御存知ですナ。……博士になる人は豪いものだ、何でも知ってなさる」
 北鳴は、また気味のわるい笑みをニッと浮べて、稲田夫婦をふりかえった。
「こういう油類を扱っているのなら、屋根に避雷針をつけないじゃ危険ですよ。もし落雷すれば階下から猛烈な火事が起って、貴女がたは焼死しますぞ」
「ええ、そうだと申しますネ。娘夫婦も前からそれを云うのですが、そのうちに避雷針を建てることにしましょう」
「それがいいですよ。しかしこの松さんには頼まぬがいい。この人の避雷針は、肝心な避雷針と大地とをつなぐ地線を忘れているから、さっきの火の見梯子の落雷事件のように、避雷針があっても落雷して、何にもならぬのです。私は、こんど建てたあの櫓の上に、理想的に立派な避雷針をたてるつもりですから、是非見にいらっしゃい」
 稲田夫婦は、それをしきりに感謝していた。
「いいですネ。早く避雷針をお建てなさい」
 と、北鳴は重ねて云った。
「北鳴の旦那の櫓の上に避雷針が建てば、この近所の家は、一緒に雷除けの恩をこうむるわけでしょうかネ」
 北鳴には、松吉の質問が聞えたのか聞えなかったのか分らないがそれに応えないで、すっかり雨のあがった往来に出ていった。

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