美しき闖入者
田鍋課長の知っていることを帆村は知らず、帆村の知っていることで田鍋課長の知らぬことがあり、両人肩を並べて窓の中を覗き込んでいるところは奇観だった。
後を向いて、ごそごそやっていた小山嬢が、くるりとこっちへ向き直ったと思うと、彼女の手に一疋の仔猫があった。それをきっかけに美貌の青年も、廻れ右をして、仔猫を見ることを許された。
小山嬢は、頬のあたりにいきいきとして血の色を見せながら、その仔猫を抱いて、博士の首吊り死体の傍へ寄った。そして博士の服の胸を開くと、その中へ仔猫を入れて、しばらくなにかごそごそやっていた。そのうちにそれが終ったと見え、彼女は博士の胸の釦をかけて身を引いた。
するとふしぎなことが起った。博士の死体が椅子からふらふらと立上ると見るや、なおそれはふわふわ上へ上って行く。博士の首にからみついている綱がだらりと下へ下る始末。そのうちに博士の死体は、頭を天井にこつんとぶつけ、天井に吸いついたようになってしまった。両脚――いや両のズボンに重い靴をくっつけたのが、ぶらんぶらんと振子運動をつづけている。
帆村は、たまりかねたように、課長の首へ手をかけて引き寄せた。
「あっ、苦しい。一度下りて下さい」
「こっちもそう願いたい」
叫んだのは帆村ではなく、帆村と課長を肩車に載せている二人の部下だった。それには構わず、帆村は課長の耳に囁いた。
「今見たでしょうね、あの仔猫を……。仔猫を博士の人形の中に入れると、あのとおり博士の人形はふわふわと空中に浮きあがって天井に頭をつかえてしまった」
「ええッ、あれは人形か。人形だったのか」
課長は唖然として、目を天井へやる。
「田鍋さん。あの女はやっぱり猫又を隠していたんですよ。そして博士の人形を作ったり、その他へんな装置をつけたりして、一体何をするのか、このへんで中へ踏込んだら、どうです」
「うん。しかし、もうすこし見ていよう」
「課長。一度下りて下さい、肩の骨が折れそうだから」
「これ大きな声を出すな。家の中へ聞えるじゃないか」
上と下との掛け合いが、だんだん尖鋭化して来た折しも、思いがけないことが、室内に於て起った。
というのは、突然に――全く突然に、どこからとび出したのか、一人の若い女人が、部屋の隅に現われた。彼女の手にはピストルが握られていた。ピストルは小山すみれと美貌の青年とに交互に向けられている。
美貌の青年が両手をあげた。小山嬢もそのあとから、しなびた両手をあげた。小山嬢は額に青筋をたてて憤慨の面持で突然闖入したる背の高い美女を睨みつけている。美貌の青年は、にやりと笑っている。
美女は、しずかに歩を運んで、博士の人形を結えている綱に、空いている方の手をかけた。彼女はその綱をひいて、博士の人形を室外に持出す様子を示した。
そのとき、美女はわずかの隙を作った。
と、実験台の下の腰掛が、風を剪って美女の胸のあたりを襲った。が、それは美女が咄嗟に身をかわしたので、うしろの扉にあたって、扉を開いただけに終った。
ズドン。
銃声が轟く。硝子の壊れる音。悲鳴。途端に又もや腰掛がぶうんと呻りを生じて美女の顔を目懸けて飛ぶ。これは美貌の男の防禦手段だった。――が、このときどこからともなく煙がふきだしたと思ったら、カーテンが一瞬に焔と化した。めらめらぱちぱちと、すごい火勢に、研究室はたちまち火焔地獄となり、煙のなかに逃げまどう人の形があったが、その後のことは、帆村も田鍋課長も見極めることが出来なかった。突然窓から吹きだした紅蓮の炎に、肩車担当の二警官はびっくり仰天、へたへたとその場に尻餅をついたからである。帆村と課長は、弾みをくらって大きく投げだされ、腰骨をいやというほど打って、しばらくは起上ることが出来なかった。
そのうち火勢はずんずん拡がって、赤見沢博士のラボラトリーはすっかり火に包まれてしまい、手のつけようもなくなったが、それは研究室内にあった油と薬品が、このように火勢を急に強めたものに違いなかった。
課長が帆村たちと共に再び立上り、燃える建物をいくたびもぐるぐる廻って警戒につとめると共に、機会があれば、中へとびこんで何か目ぼしい品物を取出そうとあせったけれど、遂に研究室の方には入ることが出来なかった。そしてかの美貌の男か、美女か、小山すみれかに行逢えば、直ちに補えるつもりでいたけれど、結局この重要なる三人の人物を空しく逸してしまった。
駆けつけた消防隊の手で、完全に火が消されると、間もなく暁が来た。
課長は、焼跡を丹念に調べた。
その結果、一箇の無残な焼死体が発見せられた。背骨からしてすぐ判定がついて、犠牲者は気の毒な研究生小山すみれであることが分った。しかし美貌の男も美女も、現場に骨を残していなかった。
また仔猫の骨もなかった。帆村がさっき異常なる興味を覚えた妙な器具の入っている靴も、焼跡の灰の中には見当らなかった。
この博士邸の火が消えた後で、田鍋課長と帆村荘六とは、焼跡に立って、意見の交換をした。互いに知っている事実を語り合った結果、
「田鍋さん。これは面白くなりましたよ。化け鞄事件と、ラジウム盗難事件との間に密接な関係があるということが分って来たじゃありませんか」
と、帆村がいえば、田鍋課長は、
「どうもそういうことらしいね。しかしラジウムとお化け鞄と、どういうつながりになっているか見当がつかんが、君は何か思いあたることがあるかね」
「そのことだが、僕の考えでは、あの盗難に遭ったラジウムは、今どこか知らんが、兎に角ちょっと手の届かない場所にあるんだと思うんですね。それでさ、あの万沢とかいう男が小山すみれ嬢を唆かして、仔猫利用の吊上げ装置を作らせたんだと解釈する」
「どうしてそうなるのかね」
「博士の人形も焼けちまい、すみれさんも焼け死んだので、はっきりしたことは分らないけれど、あの博士の人形は猫又の浮力――というか重力消去装置の力というか、それを利用しで浮き上る力を持たせてある。靴に仕掛けた放射線計数管は、ラジウムの在所を探すための装置だ。無電の機械は、計数管に現われる放射線の強さを放送する。それからもう一つ、あの人形には電波を受けて、靴の下に仕掛けてある浚渫機みたいな、何でもごっそりさらい込む装置――あの装置を動かせるようになっているんだと思う。つまり電波による操縦で浚渫機を動かすんだ。これだけのものを、あの人形は持っていたと思う」
「そんなものを、どうする気かな」
「そこでだ、悪漢一味は、あれを持ち出して人形を歩かせ、計数管の力を借りて、ラジウムの在所を確かめる。
人形がちょうどラジウム二百瓦の容器の上に来たとき、放射線の強さは最大となるから、そのとき悪漢一味は電波を出して、あの靴の下に仕掛けた浚渫機を働かせる。つまりごっそりと、ラジウムの容器を、あの浚渫機の爪の間にさらえ込むのさ」
「ふうん、なるほど」
「それからこんどは、例の猫又の力を借りて、人形ごとずっと上へ浮き上らせるわけなんだが、僕にも分らないのは、重力消去装置の力を借りる必要のあるラジウムの隠し場所とは一体どこなんだか、見当がつかないんだ」
「はてな、一体どこなんだかね。そういうへんな人形の力を借りなければ取出せない場所というと……」
田鍋課長にも、全く見当がつかなかった。
椿の咲く島
椿の花咲く大島の岡田村の灯台のわきにある一本の大きな松の木の梢に、赤革のトランクがひっかかっていた。
それを発見したのは、早起きをして崖っぷちで遊んでいた官舎の子供たちだった。それからみんなに知れわたって、騒ぎは絶頂に達した。
「誰があんな高いところまで登って、鞄をくくりつけでいったろう。不審なことだ」
まことに不審の至りであった。それを探究すべく、灯台の職員で、身の軽い瀬戸さんという中年の人と、その配下の平木君という青年とが、身を挺してその松の木をよじ登って行った。
両人は松の枝にひっかかっている鞄を、枝から取外すと、把柄に縄をしばりつけて、鞄を下へぶら下げて下ろした。下に集っていた連中はその鞄が下りてくるのを興味ぶかく見守っていた。その鞄の中から、赤い紐が二本ぶらぶらと垂れているのが、甚だ奇妙であったのと、その鞄が地面へつくと同時に、あたりが急にへんに臭くなったことが特記せらるべきだった。
松の木をよじ登った両人も下りて来て、その鞄が半分は自分たちのもののような顔で鞄のそばへ近づいたが、その臭気には顔をしかめずにはいられなかった。
「瀬戸さん。えらいものを下ろして来たな」
「なんじゃろうかなあ、この臭いのは……」
「その鞄の中が怪しいなあ。へんなものが入っているんじゃよ。女の生首かなんかがよ」
「嚇かしっこなしよ」
「鞄から出ている赤い紐な。それは若い女の腰紐じゃぞ。その腰紐が、先が裂けて切れているわ。それにさ、紐の先んところが赤黒く染っているが、血がこびりついているんじゃないのかい」
書記の青木が、とがった口吻から、気味のわるい言葉を次々に吐いた。立合いの衆は、いいあわせたように二三歩後へ下った。
「よおし、何が入っているか、一つ鞄をあけてくれよう」
「よしなよ、気味が悪い。海へ捨てちまいな」
瀬戸の妻君がいった。
「鞄をあけてから捨てても遅くはないだろう。もし紙幣が百万円も入っていてみな、わしらの大損だよ」
「ははは、慾が深いよ、工長さんは……」
その鞄が簡単にあかなかった。鞄の金具がどうかしているらしかった。そのうちにも臭気はいよいよぷんぷんとたまらなく人々の鼻を刺戟したので、立合いの衆は気が短かくなり、とうとう斧を持ち出して、鞄の金具を叩き斬った。
鞄はぱくりと開いた。みんなはわれ勝ちに中をのぞきこんだ。顔をしかめる者、ぺっぺっと唾を吐く者。中には仔猫の死骸が入っていた。それと赤い紐が一本……。
靴の先と棍棒とで、鞄は崖を越して海へ。
その鞄は、執念深いというのか、海上を漂ううちに海岸へ漂着した。元村の桟橋のすぐそばであった。
警官が聞きこんで、その鞄を検分に来た。彼は東京からの指令を憶えていたので、早速「それらしきもの漂着す」と無電を打った。
折返し、新しい指令が来た。警官たちは忙しくなった。旅館は一軒のこらず臨検をうけた。
その結果、目賀野が見つかって、飛行機で到着したばかりの田鍋課長の前へ呼び出された。
目賀野は、その鞄と無関係であることを主張した。いわんや殺人事件などは思いもよらないと抗弁した。
三日間、のべつに取調がつづけられ、目賀野が陳述した重要事項は、次のようなことであった。
「別に悪いことをした覚えはありません。君も知っているとおり、昔からわしは曲ったことは大嫌いだ。……しかし、ちょっと慾の気は出した。例のラジウム二百瓦の入った鉄の箱が、この三原山の噴火口の中に投げこんであると耳にしたもんだから、なんとかそれを取出そうと思ってね。いや、取出せばその筋へ届けるつもりだった、本当です。しかし世間を呀っといわせたかった。そこで思いついたのが、赤見沢博士の研究だ。重力消去の実験に成功していることをわしは知っていたので、博士にそれを使った一種の起重機の製作を依頼したのです。そのトランクは、すなわちその品物だったかもしれない。いや、その種の試作品だったかもしれない。要するにその装置を噴火口の中へ投げ入れておくと、火口底において巧みにラジウムの入った鉄函を吸いつけ、あとは重力消去によって噴火口をのぼり、上へ現われ、わが手に入るという計画だった。生の人間じゃ、とても火口底へは下りられないんでね。……が、その博士がわしのところへ来てくれる約束の日に、途中であの事件に遭って、あんなことになるわ、そばにあったトランクは、早いところ何者かによって掏りかえられていたので、わしはすっかり失敗してしまった。たったこれだけのことです。すこしも怪しい点はない。元村へ来て泊っていたのも、別な手段でラジウムを取出す方法を研究に来たわけで、あのトランクには関係がないです。これはよく分ってもらわにゃ大迷惑だ。……臼井はどこへ行ったか知らん。船に乗っていたが、その後脱走したそうで、わしは知らん」
この陳述によって、あらまし筋は分って来たようである。
つまるところ、目賀野は本事件の主役ではなく、その傍系のドンキホーテ染みたところのある人物に過ぎないのだ。
「例のラジウム二百瓦が三原山の噴火口に投げこんであることは、いつ誰から訊いたか」
課長は、最も重大なるところを突込んだ。
「そのことかね。それはあの臼井が、いつだったか、密書を拾ったんだ。その密書に簡単ながら、そういう意味のことが書いてあった。その密書は臼井が持っている。わしではない」
「その密書の差出人は誰か。また受取人は誰なのか」
「名前ははっきり書いてなかった。ただ、差出人の名前に相当するところには、矢を二つぶっちがえた印が捺してあった」
「矢を二本ぶっちがえた印が、ふうん。そして受取人の方には……」
「受取人の名前に相当する場所には、三本足の黒い烏の絵が書いてあった」
「何という、三本足の黒い烏の絵が?」
と、課長は驚愕の色を隠しもせずに叫んだ。
「どうした課長。烏の絵になぜそんなに愕くのか。一体[#「一体」は底本では「体」]それは誰のことなんだ」
目賀野はいい気になって反問した。
「それは恐るべき賊のしるしだ。烏啼天駆という怪賊があるが知っているかね」
「ああ、怪賊烏啼か。烏啼のことなら聞いたことがあるが、若いくせに神出鬼没の悪漢だってね。一体どんな顔をしているのかな、その烏啼というやつは……」
「それがよく分らない。烏啼と名乗る彼に会った者は誰もない。しかし脅迫状などで、烏啼天駆の名は誰にも知れ亙っている」
「捜査課長ともあろう者が、そんなぼやぼやしたことで、御用が勤まると思うのか」
「何をいう。いい気になって……」
課長は目賀野を元の留置場へ戻した。
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