火星人たちは、どっと笑ったようである。櫓の上に乗っている火星人たちは、さかんに棒をぐるぐる頭の上でふりまわした。風は烈しさを増し、宇宙艇は荒天の中の小星のようにゆさゆさ揺れはじめた。
「これはえらいことになったぞ」
乗組員たちは、転がるまいとして、一所けんめい傍にあるものに取付いた。
「重力装置を働かせよ」
デニー博士が号令をかけた。
ぷうんと呻って、重力装置は働きだした。宇宙艇はぴったりと大地に吸いついた。だからもう微動もしなくなった。
火星人たちの送って来る風が一段と烈しさを加えた。
だが、宇宙艇はびくともしなかった。しかしエフ瓦斯は噴出孔を出るなり吹きとばされて役に立たない。
と、風がぴたりと停った。火星人たちは一せいに棍棒を下ろしたのだ。
やれ助かったかと思う折しも、こんどは大きい青い岩のようなものが、彼らの中からとび出して、宇宙艇の方へどんどん投げつけられ始めた。
「やっ、手榴弾か、爆弾か」
こっちの乗組員は、顔色をかえたが、それはそういう爆発物ではないらしく、炸裂音は聞えず、ただどすんどすんというにぶい小震動が感じられたばかりであった。しかしそれは次第に数を増し、何百何千と艇の上に落ちて来た。
「瓦斯の噴気孔がふさがれました」
困った報告が来た。
「なに、すると瓦斯は出なくなったのか」
「そうです。孔をふさがれちゃ、もうどうもなりません」
その頃、火星人たちは、また上機嫌になって笑っているように見受けられた。
「仕方がない。あとは出来るだけ永く、彼らを艇内に入れないようにするしかない。全員、空気服をつけろ。いつ艇が破れて、空気が稀薄になるか分らないからね」
遂に最悪の事態を迎えて、デニー博士の顔は深刻さを増した。
乗組員たちは、大急ぎで空気服を着はじめた。大きな靴、ぶかぶかの鎧の様な脚や胴や腕、蛸の頭の様な丸い兜、空気タンク、原子エンジン発電機。みんなの姿が変ってしまった。
「割合に軽いね。へんじゃないか」
「火星の上では、重力が地球のそれの約半分なんだから、地球で着たときよりはずっと軽く感じるのさ」
「そうかね。これでどうやらすこし火星人に似て来たぞ。彼奴らも空気服を着ているのかしらん」
「まさかね」
そのとき乗組員たちは、デニー博士の前に四人の少年が並んだのを見た。どうしたわけだろうか。四人の少年は、揃いも揃って、お尻に大きな尻尾を垂らしていた。
四人の少年は、デニー博士にしきりに何かいう。博士は、分った分ったと、手をあげて合図をする。やがて博士は、四人の少年の手を一人一人握って振った。すると彼らは、博士の前から動きだして、部屋を出ていった。いったいどうしたことであろうか。
「諸君におしらせすることがある」
デニー博士は、空気兜についている高声器を通じて乗組員たちに呼びかけた。
「ただ今、ごらんになったろうが、河合、山木、張、ネッドの四少年が来ていうには、彼ら四名は、われわれの使者として、火星人たちのところへ出掛けたいと申し出た」
「それは危険だ。停めなければいけない」
と、誰かが叫んだ。
「もちろん余も再三停めたのだ。しかし少年たちの決心は岩のように硬かった。少年たちは平和手段によって、火星人との間になごやかな交渉を開いてみるから許してくれというのだ。余は遂に四少年の冒険――四少年の好意を受諾するしかないことを悟った。実際、われわれはこの調子で進めば、火星人と一騎打を演ずるしかないのだから……」
博士は言葉を停めた。こんどは誰も口出しする者がなかった。
「われわれはこの艇内に停り、四少年の成功を神に祈りたいと思う。もしこのことが不成功に終ったとすると、われわれは次の運命を覚悟しなければならぬ。……さあテレビ見張器の前に集るがよい。そこの窓から外を見るがよい。……ああ、あの音は、マートン技師が四少年のために、艇の腹門を開いているのだ。今に彼らは艇を出て、姿を見せるだろう」
博士の言葉が終ると間もなく、乗組員一同は、わっと歓声をあげた。
「おお、行くぞ。われらの少年団が!」
「ふうん、考えたよ。あんなものに乗って行くとは」
艇から転がるように姿を現したのはあのぐらぐらする大きな牛乳配達車だった。横腹に、大きな牝牛を描いてあるあのおんぼろ箱自動車であった。その上には、空気服を着て太い尻尾を生やした三少年が立っていた。もう一人は運転台にいるに違いない。これを見た乗組員たちが、一せいに歓呼の声をあげたのも無理ではない。が、彼らは次にぽろぽろ涙を流し始めた。大きい感激の涙を! 四少年は、これから何をするのだろう。彼らの運命はどうなるのだろうか。
高い跳躍
箱自動車は、沙漠の砂をけって進む。四少年は、瞳をじっと火星人の群に定めて、顔を緊張に硬くしている。
火星人の大群は、手に手に棍棒のようなものを頭上に高くふりあげて、怒濤のようにこっちへ向って押し寄せてくる。
箱自動車は、そのまん中をめがけて矢のように走って行く。
「おい、もっとスピードをゆるめた方がいいよ。でないと、火星人をひき殺してしまうかもしれないからね」
山木が、運転台に注意した。
「だめなんだ、これが一番低いスピードなんだ」
「そんなことはないだろう」
「いや、そうなんだ。火星の上では、重力が地球の場合の約三分の一しかないんだ。だから摩擦も三分の一しかないから、えらくスピードが出てしまうんだ」
「そうかね。そんなことがあるかね」
山木には、ふしぎに思えた。
そのとき河合が、あっと声をあげた。と、自動車は大きくゆれ、かたんとはげしい音をたてて停ってしまった。
「うわッ」
箱自動車の上に乗っていた張とネッドは、いきなり空中へ放り出され、あっと思う間もなくばさりと砂の中へ叩きこまれた。砂だったからよかった。もし岩であったら、頭をめちゃくちゃにくだくところだった。
火星人の群から、きゃんきゃんと、奇妙な笑声がまきおこった。
沙漠に、たくみな落し穴がこしらえてあったのだ。そうとは知らず、河合は箱自動車をすっとばして、穴の中へ落ちこんだのだ。
形勢は急に不利となった。ただ幸いなことに河合も山木も、おでこに瘤をこしらえたぐらいのことで、生命に別条はなく、一方、張もネッドも、すぐ砂の中からはい出した。
だが、皆の顔色はすっかり変っていた。頼みに思う箱自動車が穴ぼこの中に落ちてしまったのでは、これからてくてく歩くしかないのだ。それはずいぶん心細いことであった。
「どうしたらいいだろうか」
「困ったねえ」
と、張とネッドが顔を見合わせて、今にも泣き出しそうだ。
「おい河合、どうしたらいい」
山木に呼ばれた河合は、落とし穴へもぐりこんで車体をしらべていた。
「おーい、皆安心しろ。車は大丈夫だぞ」
「だって河合。車がいくら大丈夫でも、穴ぼこの中にえんこしていたんじゃ仕様がないじゃないか。役に立ちゃしないもの」
「ううん、大丈夫。皆、手を貸せよ。車をこの穴ぼこから上へひっぱりあげればいいんだよ」
「なんだって。穴ぼこから、車をひっぱりあげるって。そんなことが出来るものか。ぼくたちは子供ばかりだし、自動車は重いし、とてもだめだよ」
ネッドがそういって肩をすくめた。
「大丈夫、もちあがるよ。ぐずぐずしていないで、皆穴の中へ下りて来て、手を貸した。さあ早く、早く」
張とネッドと山木は、河合のことばを信じかねたが、しかし河合がしきりに急がせるのでしぶしぶ穴の中へ下りた。
「さあ、こっちから押すんだぞ。一チ、二イ、三ン。そら、よいしょ」
「よいしょ、おやァ……」
「よいしょ、よいしょ」
意外にも、箱自動車は動き出して、穴の斜面をゆらゆらとゆれながら上へ押しあげられて行った。やがて、ちゃんと元の沙漠へ自動車はあがった。
「変だね。この自動車はなんて軽くなったんだろう」
「それはそのわけさ。さっきもいったろう。火星の上では、地球の場合にくらべて重力は約三分の一なんだ。だからなんでも重さが三分の一に感じられるんだよ」
「へえ、そうかね」
あとの三人は目を丸くした。
「まだ信じられないんなら、ためしに大地をけって、ぴょんぴょんととびあがってごらん。びっくりするほど高くとべるから」
河合がそういったので、一番茶目助のネッドが、早速ぴょんととびあがった。
と、あらふしぎ、ネッドのからだはボール紙を空へなげたようにすうっと軽くもちあがり、三人の少年の頭の上よりもはるかに上までとびあがった。
「やあ、あんなに上までとびあがったぞ。まるで天狗みたいだよ」
「やあ、これはおもしろい。もっととんでやれ」
ネッドはいい気になって、ぴょんととび、またぴょん、ふわふわととび、それをくりかえした。そのたびに、お尻につけている太い狸の尻尾が宙にゆれて、じつにおかしかったので、皆は火星人の大群を前にひかえている危険をさえ忘れて、腹をかかえて笑った。ネッドはますますいい気になって、ぴょんととびあがりざま、ふざけた恰好をしてみせるのであった。
「おい、ネッド。もうよせ。そして皆早く自動車に乗れよ」
河合がそういって、運転台の上から叫んだ。それでようやく他の三人も吾にかえって、自動車によじのぼった。
自動車は、再び沙漠の上を走り出した。
音楽の魅力
それ以来、少年たちは急に元気になったようである。どうしてそうなったのか、多分今まで一番しょげていたネッドがばかにきげんがよくなってしまったからであろう。彼は跳躍をやって、あまり身軽にとびあがれるのでうれしくなってしまったらしい。ネッドは、この自動車に積んであった電気蓄音器をかけてみようといい出した。河合もそれにさんせいしたが、電蓄がこわれていないかと心配した。ところが、やってみると器械はちゃんと廻り出して、あの愉快な「證城寺の狸ばやし」が高声器から高らかに流れ出した。
「あっ、これはいいや。皆で、自動車の上で狸踊をおどろうや」
「よし、ぼくもやるぞ」
黙りやの張も、ネッドにつられてうかれ出した。それに山木を加えて三人が、箱自動車のうえであの愉快な狸踊をはじめたのだった。そして自動車はずんずん火星人の群に近づいていった。いきり立っていた火星人の群。棒を高くふりあげながら、じわじわとつめよせて来たその大群。――それがこのとき急に足を停めた。それからふりあげられていた棍棒みたいなものが、だんだんとおろされ始めた。
そればかりではない。やがて火星人たちはからだを左右へふりはじめた。
「證城寺の狸ばやし」のリズムに調子をあわせて……。
「しめた、火星人は音楽が分るんだな」
運転台の上の河合は、とびあがりたいほどのうれしさに包まれた。彼は自動車のスピードをできるだけゆるめた。そして電蓄の増幅器のつまみをひねって、音を一段と大きくした。
自動車は遂に火星人の群の中に突入した。奇妙な顔かたちをした気味のわるい火星人たちは、もはやこっちへ襲いかかる気配は示さず、自動車の通り道をあけた。
河合は、そこで思い切って、自動車を彼らのまん中にぴったりと停めた。
火星人たちは自動車のまわりに大きい円陣を作った。彼らはますますからだを大きく左右へふって、リズムを楽しむ風であった。
そのうちに彼らは、大きな頭をふり、蛸のような手をふりかざして踊りだし、はては、くるくるとまわりだした。どうやら箱自動車の上で一所けんめい踊っている三少年の狸踊をまねているものと見える。
「これはいい。音盤を二三枚廻しているうちに、火星人はぼくたちと仲よしになるにちがいない。おーい、皆、せいを出して踊れよ」
河合は下から自動車の屋根へ、そういって声をかけた。が、これはどうも上へ聞えたらしくなかった。でも三少年は夢中で踊っている。踊っていてくれれば結構だと河合は思った。
とつぜんに音盤が停った。河合は、火星人の踊りに見とれて、音盤が終ったのも知らなかったのだ。すると火星人は踊りをぴたりとやめ、またざわざわとざわめき出し、危険なしるしが見えた。
「これはいけない」
河合はあわてて新しい音盤を掛けた。
それはベートーベンの「月光の曲」であった。この静かな曲が響きはじめると、ざわついていた火星人は、ぴたりと鳴りをしずめた。
「ふむ、やっぱり火星人は音楽好きだな」
と、河合は呟いた。
しかし火星人たちはもう踊らなかった。そして石のようにからだを硬くして、大きな目玉をこっちへじっと向け、それから奇妙な声をあげはじめた。それは名曲に魅せられてすすり泣いているように思われた。
「おーい河合。そんな音盤はやめちまえ。ベートーベンじゃ踊りようがないじゃないか」
箱自動車の上から、山木がどなった。
「もっと踊れるにぎやかな曲をやってくれ。あれ見ろ、火星人が吠えているよ。今にこっちへとびかかってくるぜ」
ネッドが下へ抗議の声を送ってきた。
「ああ、そうだったな、君たちは踊っていたんだ。今、曲をかえるよ」
河合は、また、あわてて音盤をかけかえた。手にあたったのが「越後獅子」であった。これならにぎやかなこと、まちがいなしだ。
和洋合奏のにぎやかな曲がはじまった。
すると、そのききめは、すぐ現れた。墓石のように硬くなっていた火星人群は、たちまち陽気に動きだした。手をふり足をあげ、重そうな頭を動かして、釜の中へ蝗を放りこんだように、ものすごく活発な踊りを始めた。
「おーい、その曲はだめだい」
上から山木がどなった。
「だってにぎやかでいいじゃないか」
「いや、だめだい。にぎやかすぎて、踊の方がついて行けないよ。かわいそうに、ネッドなんかまじめに踊っているもんだから、足がふらふらしているよ」
「困ったねえ。『證城寺』をやるか」
「うん、それよりは軽快なワルツでもやるんだね。そして火星人が少しおちついたところを見計って、外交交渉を始めるんだね。もういい頃合だと思うよ」
「なるほど、それでは何がいいかな。そうだ、『ドナウ河の漣』を掛けよう」
高声器から「ドナウ河の漣」の軽快なリズムが響きはじめると、火星人たちは一せいにしずかになった。そして次第にからだを左右にゆすって、波の寄せるような運動をくりかえすのだった。
山木が下りて来た。そのあとから張とネッドが下りて来た。
「じゃあ三人で行ってみるかね。君はここにいて、音楽をつづけてくれたまえ」
山木は河合にそういった。
「大丈夫かい。まだ早いんじゃないか」
「いや、今が頃合いだ」
自信があるらしく山木はそういって、張とネッドをさしまねくと、大胆にも砂の上をぱたぱたと踏んで、火星人の群へ近づいていった。三人とも、例の大きな円い兜をかぶり、空気服のお尻には太い尻尾をぶらさげて……。
さあどうなるであろうか。
果して火星人の群は、山木たちを素直に迎えてくれるであろうか。それとも一撃のもとに、頭を叩き割られてしまうだろうか。河合は音盤の番をしながら、友の後姿と火星人の様子とを見くらべるのに忙しかった。
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