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柿色の紙風船(かきいろのかみふうせん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 11:10:08  点击:  切换到繁體中文


「はア、困っていますんで……」
「困っている? それは何か」
でござんす。痛みますんで、夜もオチオチ睡れません」
「睡れないのは、誰でも入りたてはちと睡れぬものさ。痔だなんて、つまらん芝居をするなよ」
「芝居じゃありませんです。じゃそこで看守さんは見て居て下さい。いま此処で股引ももひきを脱いで、御覧に入れますから」
 そういって私は柿色の股引に手をかけた。
「ば、ば、馬鹿」と看守はあわてて呶鳴どなった。「おれが見ても判らん。上申じょうしんしてやるから一両日待っとれッ」
 ガチャンと窓にふたをして、看守は向うへ行ってしまった。
 私は顔をしかめながら、茣蓙ござだけが敷いてある寝台の上にゴロリと横になった。
 ――思いかえしてみると、痔の悪くなるのも無理がなかった。あの病院へ行っていたころ、本当に悪かったのである。あれからこっち、汗をかくほどの活動を、それからそれへとした上に、ラジウムの隠しどころとして、あの肉ポケットを利用した時間が実に相当の量にのぼったのだった。その結果、患部かんぶ悪化あっかした。いじりまわしたのが悪かったのか、それともラジウムを長い時間、患部に接して置いたのが悪かったのか。
 そういえば、ハッキリ刑務所の人間となるときに、私は千番に一番のかねいという冒険をしたのだった。あのとき、私のあらゆる持ちものは没収ぼっしゅうされ、ぱだかにしてほうり出されたのだ。それまではラジウムを、あっちのポケットからこっちのポケットへと、頻繁ひんぱんに出し入れしていた。同じところに永く入れて置くと、たとい洋服だの襯衣シャツだのをとおしてでも、ラジウムの近くにある皮膚にラジウムけをしょうずるからだ。ところが、この素ッ裸にされ、そしてやがてえりに番号の入った柿色かきいろの制服を与えられる場合になっては、最早もはやラジウムはそのままにして置けなかった。洋服の一部分に入れて置けばよいようなものであるが、五年も同じところに入れて置くと、洋服の生地がボロボロになり、その隙間すきまからラジウムは自然に下に転がり落ちるだろうと考えられたからだ。ボタンに穴を明けて置いて、その中にラジウムをめこむ方法も考えたが、ラジウムの偉力いりょくは、洋服の生地きじ馬蹄ばていで作った釦も、これをボロボロにすることは、まったく同じことだった。――結局、柿色の制服を着る際には、どうしてもラジウムを、あの肉ポケットに入れて、うまく独房どくぼうの中へ持ち込むより外に、いい手はなかった。
 こんな風で、私の肉ポケットの疾患しっかんは、更に悪化したのだった。ラジウムも適当なる時間を限って患部に当てれば、吃驚びっくりするほど治癒ちゆが早いが、度を過ごすと飛んだことになるのだった。
「おい一九九四号、出てこい」
「はア。――」
「医務室へ連れてゆくから出て来い」
「はア。――」
 私はラジウムを、清掃用せいそうようほうきのモジャモジャした中に隠してそれから看守に連れられて外に出た。
(おオ、おオ)
 と向いの一二二二号が小窓から顔を出して、私にサインを送った。彼はこの刑務所へ入って出来た最初の友達であり先輩だった。本名ほんみょう五十嵐庄吉いがらししょうきちといい、罪状ざいじょう掏摸すりだとのことだった。
 さて私は、その日から、の治療をうけることになった。何かにつけ、娑婆しゃばとは段違だんちがいにみじめな所内しょないではあるが、医務室だけは浮世並うきよなみだった。
「少し痛いが、辛抱しんぼうしろよ」
 と医務長は云った。なるほど手術は痛くて、蚕豆そらまめのようななみだがポロポロと出た。
 独房へ帰って来ても、痛くて起上れなかった。このままでは、腰が抜けてしまうのではないかと思った。私はそのとき、ほうきの中に隠してあるラジウムを思い出した。私は朝と夜との二回、ラジウムを取り出して患部にあてた。そして毎日それを繰返した。
「どうだ、吃驚びっくりするほど、早くよくなったじゃないか」
 と医務長は得意の鼻をうごめかせて云った。
「へーい」
 私は感謝をしてみせたが、はらの中ではフフンと笑った。医務長の腕がいいのではない。私のやっているラジウム療法がいいのだ。――こんなわけで、痔の方は間もなくなおってしまった。
 それからは、まことに単調な日が続いた。
 初めのうちは、刑務所ほど平和な、そして気楽な棲家すみかはないと思ってよろこんでいた。しかし何から何まで単調な所内の生活に、つい愛想あいそうをつかしてしまった。
 もっとも、私達は手をつかねて遊んでいるわけではない。私達の一団は、紙風船かみふうせんっているのである。広い土間どまの上に、薄い板が張ってあって、その一隅いちぐうに、この風船作業が四組固まって毎日のように、風船を貼っているのだった。それは刑務所の中での一番はなやかな手仕事だった。赤と青と黄、それから紫に桃色に水色に緑というような強烈な色彩の蝋紙ろうがみが、あたりに散ばっていた。何のことはない、陽春ようしゅん四月頃の花壇かだんの中に坐ったような光景だった。向うの隅で、あさの糸つなぎをやっている囚人たちは、絶えず視線をチラリチラリと紙風船の作業場へ送って、こころよ昂奮こうふんむさぼるのであった。
 風船をつくるには、色とりどりの蝋紙の全紙ぜんしを、まずそれぞれの大きさにしたがって、長い花びらのように切り、それを積み重ねておく。それから小さいオブラートのような円形えんけいを切り抜いて積み重ねる。これは風船の、呼吸いきを吹きこむところと、その反対のお尻のところとの両方に貼る尻あて紙である。呼吸を吹きこむ方のには、小さい穴を明けて置く、これだけが風船の材料であるが、それを豊富にとりそろえて置く。
 紙風船の作業は、一番初めに、あの花びらのような材料の組み合わせを作る。たとえば赤と黄との二色を、一つ置きに張った風船をつくるのであると、そのような二種の花びらを揃える。それから一枚一枚、すこしずつはずして並べ、ゴムのりを塗る。それが一役。
 次へ廻ると、ゴム糊のかわかぬほどの速度で、その花びらを一つ置きに張ってゆく。すると台のない提灯ちょうちんのようなものが出来る。これが一役で、四五人でやる。
 今度はそれの乾いた分から取って、半分に折り、丁度ちょうどわんのような形にする。これも一役。
 次は私と五十嵐庄吉とのやっている作業であるが、二人の間に、張型はりがたのフットボールの球に足をつけたようなものが置いてある。まず五十嵐の方が、二つに折られて来た紙風船をとって、いきなりこのフットボールの上にパッと被せる。すると私は、オブラートにのりをつけたものを持っていて、その風船の肛門こうもんのようなところへ円い色紙をペタリと貼りつける。すると間髪かんぱつを入れず、五十嵐の方が風船をフットボールからはずすと、素早くお椀みたいなのを裏返しにして、もう一度フットボールの上に載せる、すると反対の側の風船の肛門が出てくるから、私は小さい穴のあいている方のオブラートをペタリと貼るのである。それで紙風船の作業は終った。
 あとは五十嵐が、出来上った紙風船を、おわんを積むように、ドンドン積み重ねてゆく。すると、ときどき検査係が廻って来て、その風船の山を向うへはこんでいってしまう。
 私と五十嵐とは、うまく呼吸いきわせて、
「はッ、――」ポン。
「いやア。――」ポン。
 と、まるでつづみを打っているように、紙風船の肛門を貼ってゆくのであった。――だがこんな仕事は、せいぜい一と月もやれば、いやになるものだった。

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