乾いた海溝底
「ふしぎだなあ、これだけの大仕掛な工事が行われているのに、さっぱりそれらしい鉄のぶつかる音がしない」
僕がそういうと、タクマ少年がびっくりしたような顔で、僕をみつめていたが、しばらくしてやっと分ったという顔付になり、
「ああ、お客さん、昔はニューマチック・ハンマーとか、さく岩機だとか、起重機だとかいう機械が土木工事に使われていて、たいへんにぎやかな音をたてていたそうですよ。しかし今は、雑音制限令があって、そういう不愉快な音は出せないことになっています。それに、穴を掘ったり、鉄の棒をおしこんだりする器機も、原子力エンジンから力を出すので、まるで巨人が棒をおしたり、巨人が土を手で掘ったりするように、楽に仕事が出来て、音もしないのです。……さあ、あっちへ行ってみましょう。海溝工事場で、海水をかいだしてもう人間が歩けるようになっている所がありますから、そこを見物しましょう、どんな鉱物が掘りだされるか、おもしろいですよ」
タクマ少年は、ずんずん歩きだす。僕はそのあとからおくれまいとついていく、そこには既に、丹那トンネルのようなりっぱなトンネルが出来ていて、あかるい電灯が足許を照らしているので、すこしも危険なおもいをしなくてすんだ。
おどろいたことは、いつの間に据えつけたか、エレベーターが十台ばかり並んで、しきりに上り下りしている。ずいぶん早い仕事ぶりだ、とても何から何まで、僕には意外なことばかり、昔おとぎばなしで読んだ「魔法の国」に来ているような気がする。
そのエレベーターの一つに乗りこんだ。タクマ少年と二人きり、運転手は居ない。中へ入って、タクマ少年が数字のついているボタンのうえを押すと、エレベーターは自動式に扉がしまって、下へさがり始める。
こんなエレベーターなら、僕だって知っていると思った。しかししばらくすると、これがあたりまえのエレベーターではないことが解った。扉は透明であったし、また箱の奥の板もまた透明であった。だから前方もよく見えるし、後側もよく見えた。そしてどういう仕掛か分らないが、まっすぐに下におりるだけではなく、横に走っていることもあった。つまり上下だけでなく、横にも走れるエレベーターなのだ。
「こっち側が海になっています。海水がある側です」
と、タクマ少年は、箱の後側を指した、なるほど、いつの間にかそちらの側には、美しい深海の光景がひろがっている。妙な形をした色のきたない魚が、ゆっくり泳いでいる。みんな深海魚だそうである。
そのうちにエレベーターは、速力をゆるめて、ぴったりと停る、扉があく。
「下りましょう、海溝の棚工事場の底のところへ来たのです」
エレベーターの外へ出てみると断崖の下へ出たような気がした、正しく断崖にちがいない。目の前にそびえ立つのは、海溝をつくっている海中の断崖であったから。
断崖の下は、かなりひろく平らにならされていて、芸術的ではないが、実用向きの幅のひろいセメント道路が出来ていた。仕事の早いのには全くおどろかされる。僕が今立っているところは、昨日の夜までは、海水が満々とたたえられていたところで、深海魚どもの寝床であったんだ。
海溝の断崖の色は、わりあい明るい色をしていた。黄いろいような、赤味のついているような岩質で、黒ずんだ醜い深海魚とは、およそ反対の感じのものだった。
道を行くこと五十メートルばかりで、断崖の中へ向かって掘りすすめられている坑道の入口へ出た。これは今、試験的に、穴を掘ってみているので、土はどんな地質かどんな岩があるか、鉱石であるかそれを調べているのだという。
坑道の中から、長い帯のようなものが出ていて、それが川の流れのようにこっちへ押しだしてくる。それはいわずと知れたベルト・コンベーヤーで、掘った土をその上に乗せて穴の外へはこび出す器械だった。
技師と見える人が四五名、流れ出てくる土をしきりに調べている。
すると、タクマ少年が叫んだ。
「あ、金だ。黄金だ。ふうん、やっぱりそうだったんだよ、海溝には黄金があるという噂があったんだが、本当だった」
「えッ、これが金か? すごいなあ」
僕は、土の流れの中からぴかぴか光るやつを、手に拾いあげて思わず大きな声を出した。
悲願の黄金
僕はタクマ少年の案内で、海溝の排水地区から、またもや動く道路に乗って下町へ向かった。
僕は、動く道路の上にうずくまり、複雑な思いに渋い顔をしていた。
金だった。黄金が海溝の底から掘り出されていたのだ。あんなにたくさんの量の黄金を見たのは始めてだ。すばらしい富だ。あれを使えば、いろいろなものが買えるだろう。僕は非常に興奮して来た。
なんとかして、あの金を持って帰りたいものである。二十年前の世界――すなわち、現に僕が一人の生徒として住んでいる焼跡だらけの世界へ?
それはむずかしいことだ。
考えれば考えるほど、むずかしいことだ。二十年も前へ物を移すということは、二十粁後へ物をはこぶこととは違って、甚だ困難なことだ。いや、絶対に出来ないことのように思われる。
(しかし、何とか出来ないものかなあ。あれだけの黄金が、いま日本にあれば、復興のためや、食料輸入のために、ずいぶん役に立つんだがなあ)
いくらはげしい希望であっても出来ないことは出来ないんだ。あきらめるより外ないのか。
(いや、待てよ。時間器械というものが、すでに発明されていて百年昔へ行くことも出来るし、僕がいまやっているように二十年先の未来へ行くことも出来るんだ。そういう器械が出来ている以上、何か工夫をすれば、あの黄金を二十年前の焼跡だらけの東京へ持って帰ることが出来るのではないか。――そうだ、僕はこのことを、これから真剣になって研究しよう)
僕がこんな無謀に近いことを思いたったのを、諸君はあざ笑わないことと思う。ぺこぺこのお腹を抱え、あの焼跡に立ってみれば、誰だって僕と同感になるだろう。
この悲願を、僕は二十年後の世界の、動く道路の上で思いたったのである。これから僕は、この実現に、あらゆる知恵をしぼり、あらゆる努力を払い、一日も早く目的を達したいと思う。
「あっ、待てよ。一日なんて、そんな永い時間を待っていられないんだ。僕を時間器械へ入れてくれたあの友達辻ヶ谷君は、二時間か三時間したら、僕を元の世の中へ戻してくれると約束した。そんなら、今より僕は元の世の中へ呼び戻されるだろう。それではたいへん困る。どうしたらいいだろうか、黄金を持って帰るよりも、この方のことが重大であり、大至急よい手をうたねばならない!)
どうしたらいいだろうか。
「来ましたよ。下町で一番にぎやかなニコニコ街です。さあ、下りる支度をして下さい」
タクマ少年が僕に話しかけたので、僕はびっくりして吾れにかえった。
「ああ危ない。もっとゆっくり道路を乗り移ればいいんです。おちついて下さい」
僕は、あやうく身体の平衡を失ってすってんころりんとするところを、タクマ少年が敏捷に腕をつかんで引揚げてくれたので、醜態をさらさないですんだ。
無事に、動く道路から下りた。
すてきなにぎやかさだ。音楽が交錯して、聞こえて来る。五彩の照明の美しさ、それは建物を照らしているだけではなく、大空にも照りはえて虹の国へいったようだ。
いや、大空はこの海底都市からは見えない筈。しかしここから空を仰ぐと、高い夜空が頭上にひろがっているとしか思われないのであった。たくみな照明法を用いているのであろうか、じつにすばらしい。
タクマ少年は、僕が人ごみの中にはぐれないようにと、手をひいて歩いてくれる。
映画館もある。劇場もある。美術館があるかと思うと、サーカスがある。奇術魔術団大興行などと幟のたっているところもある。
「どこへ入りましょうか」
タクマ少年に聞いた。
僕は正直なところ、例の問題をはやく解決したいことに、呑気に見物などしていられないとおもった。それよりは、さきほどから方々へ行ったので、かなりお腹がすいた。何かたべたい。このことを少年に話すと、
「あ、そんなら、きっとお客さんの口にあうおいしい料理を作る家へご案内しましょう。それはヒマワリ軒といって、僕の姉の家なんです」といった。
「それはいいね。ぜひそこへ連れていってくれたまえ。そして僕は君の姉さんという人に会いたいと思う」
「はい、ヒマワリ軒はすぐこの先です」
僕は、早足のタクマ少年に手を引張られて、人波の中をぐんぐん歩いていった。これが大きなおどろきの序幕だとは露知らずに……。
長い廊下
「ここが、そうなんです。姉の経営しているヒマワリ軒という料理店です」
タクマ少年が、僕の袖をひいて立ち停らせたのは、上品な店舗の前だった。白と緑の人造大理石を貼りめぐらし、黄金色まばゆきパイプを窓わくや手すりに使ってあった。
「ほう、なかなか感じのいい店だ、さぞ料理もおいしいであろう」
僕はタクマ少年について、店内へ入った。この店内の構造が、僕を面くらわせた。
これまでの僕の知識によると、料理店の構造は、まず玄関を入ると、お帽子外套預かり所があり、それから中へはいると広間があって、ここで待合わせたり、茶をのんだりする。その奥に大食堂があって、卓子の準備が出来るとボーイさんが広間まで迎えに来る。まず、そういう構造の料理店が普通で、その外に酒場がついているところもあった。
ところが、このヒマワリ軒と来たら、だいぶん勝手がちがう。まず入口を入ったすぐのところが円形の広間になっていて、天井は半球で、壁画が秋草と遠山の風景である。急に富士山麓へ来たような気持ちになる。あまり高くない奏楽が聞こえていて、気持はいよいよしずかになる。そこで二分間ばかり待たされていると、「どうぞ、こちらへ」という声がして奥へ通ずる扉を自動的に開かれる。そこで私たちは奥へぞろぞろ入って行く。
「タクマ君。僕たちはなぜ待たされたんだい。やっぱり食卓の用意をととのえるためかい」と、僕は少年にきいた。
すると少年は、頭を横にふってそれから僕の耳へそっと囁いた。
「違いますよ。あそこで僕たちは消毒をされたんです。外から入って来た者は、どんなばい菌を身体につけているか分りませんから、それでガスで消毒したんです。もうきれいになりました。服も手も足も口の中も、十分に殺菌されましたから、ご安心なさい」
「ははん、そうかね」
僕は、感心してしまった。
ところが、今僕がタクマ少年と歩いている廊下なんだが、それがいやに長い。その廊下はどこまでもぐるぐる廻って長く続いている。廊下の壁紙の模様は、蔦の葉や紅葉や松などに変っていくが、しかし至極単調である。照明も、あまり明るくない間接照明だ。ゆるやかな音が聞えてくることは、前の円形の部屋と同じだ。
「ずいぶん歩かせるじゃないか」
僕はたまらなくなって、タクマ少年に耳うちをした。
「食前には正常な歩調で姿勢を正しく歩くとたいへん消化力が強くなるから、こうして歩くのです。この廊下は、迷路に似たもので、家の中をぐるぐる廻るようになっていますが、しかし一本道ですから、決して迷うようなことはありません。それにこの廊下を通る間に、私たちに対して或る重要な測定が行われているのです」
「重要な測定!」
「そうです。それがどんな重要な測定であるかは、やがて食卓につけば分ります。それまでこの話はお預りにしておきましょう」
僕は異常な興味をかきたてられたが、しばらく辛抱することにした。そしてまた歩き続けた。
そのうちに僕は、当然気がかりなことを思い出した。
それは外でもない。僕がこの料理店に支払うだけの金を持っているかどうか、蟇口の中味のことが心配になったのだ。
「君、君。ちょっと聞くがね、この店の料理の値段はいくらだろうか。一人前が何円かね」
「料理の値段ですか。それは一人前五点にきまっています」
「五テン? 五テンて何だね。まさか五円の間違いではなかろうが……」
「五点です、間違いなしです」
僕はタクマ少年の言葉を解しかねたが、ポケットに手を入れて財布をさがした。財布らしいものはどこにもなかった。これはいけない、金がなくては料理どころではない。
「あのうタクマ君。はなはだ僕がうっかりしていたが、僕はお金を持って来るのを忘れたんだがねえ。だから食事は、やめにしよう」
「ああ、支払いのことなら心配いらないです。あとで政府から支配命令書が来たとき払えばいいのですから」
「ああ、そうかね。それで安心……」
僕は、腹をさすった。
さて僕たちは二百メートルも長廊下を歩いた末に、やっと大食堂に出た。そして案内されるままに一つの食卓についたが、その食の豪華さに目を奪われた。
「お客さん、料理が来ましたよ」
タクマ少年の声に、僕は食卓へ目を移したが、そのときは僕は意外さに目をみはらねばならなかった。
見えざる診察者
「おや、タクマ君。君の料理はいやに量がすくないじゃないか。それに、僕の皿に盛ってある料理に較べると見劣りがするじゃあないか。ははあ、君は料理を注文するときに、わざと遠慮したんだね」
僕はそういって、食卓越しにタクマ少年の顔を見た。
タクマはそれを聞くと、にやにや笑い出した。
「お客さん。僕は遠慮なんかしませんよ。だってそうでしょう、ここは僕の姉の経営している料理店ヒマワリ軒なんですものねえ」
「でも、君。僕ばかりがこんなすばらしいごちそうをたべるんじゃ、気がひけるよ。君は遠慮しているのに違いない」
「そうじゃないんですよ、お客さん。そんな大きな声を出して、他の人に聞かれると笑われますよ。だって、食事にどんなものをたべるかということは、自分が勝手にきめることが出来ないんですものねえ」
「なんだって。料理店で食事をするのに、自分で好みの料理をあつらえることが出来ないと、君はいうのかね」
そんなばかなことがあってたまるものか。僕はタクマ少年の言葉を信じかねた。
「そうですとも」タクマ少年は自信にみちた声でいった。
「私たちの現在の健康状態に最も適した料理が選ばれるのです。それは保健省の仕事なんです」
「なにを君はいってるのか、さっぱり君の話はわからないね」
「わからないですかねえ。いいですか。私たちの健康状態は、めいめいに違っています。脳の疲れが他人よりもひどい人もあれば、また心臓が弱っている人もあります。ですから脳の疲れている人には、脳の疲労を急速になおすような料理をたべさせることが必要ですし、また心臓が弱っていて脈がよくない時には、心臓を強くしてやる力のある食物をすぐたべさせなくてはならないのです」
「ふん。それはわかるが、そんな薬をのめばいいじゃないか」
僕はそうだと思うから、またいつもそうしているから、そのようにいった。
「いや、薬をのんで健康の失調をなおすなどということは昔流行した不自然な、そして損なやり方です。あの妙ちきりんないやな味のする薬をのむ不愉快を考えてみただけでも、あれは人間のすることじゃありませんね。だから近世においては、食物でもって健康の失調をなおすのです。つまり、健康の水準に戻すために、一番適した料理をたべる。その人の健康がなおる料理だから、身体によく合います。だからそれをたべると、いかなる他の料理をたべるよりもずっとおいしく感ずるのです。一挙両得とは正にこのことです。健康の失調はなおるし、口にもすてきにおいしいし、両得ではありませんか」
タクマ少年のいうことは、なるほど道理にかなっている。誰だって、薬をのむよりは、おいしい料理をたべることを好むだろう。魚がたべたくて仕様がないときには魚肉が持っている蛋白質やビタミンのAやDが身体に必要な状態にあるわけだし、昆布がたべたくて仕様がないときには、身体に沃度分が必要な場合なのであろう。
「しかしねえ、タクマ君。僕らが今どのような健康状態にあるかを知らないくせに、このとおり特別料理を僕らにあてがうのは、でたら目すぎるではないか」
「いや、そんなことはありません。私たちはこの食堂に入る前に、ちゃんと健康状態を調べられたんだから、まちがった料理をたべさせられることはありませんです」
「あんなことをいってら、いつ、僕らの健康状態が調べられるかね。そんな診察なんかちっとも受けやしなかったじゃないか」
僕はタクマ少年のでたら目をやっつけた。
「いいえ、ちゃんと診察されましたよ」
タクマ少年のこの返事は、僕にとって意外だった。
「君はどうかしているよ。少なくとも僕はどこに於ても診察されたおぼえがない」
「たしかに診察は行われました。さっき待合室で消毒されてから、この大食堂へ入るまでに、かなり長い廊下を一人ずつ歩かされましたねえ。あのとき私たちは一人ずつ診察をうけたのです」
「おや、そうかね。だが、誰も医師らしい人は見えなかったし、僕の胸に聴診器があてられたおぼえもないが……」
「あれは廊下の両側の壁の中に、電気診察器があって、それで診察するんです。ですから見えもしないし、また非常にくわしい診察も出来るわけです。あんまりしゃべって[#「しゃべって」は底本では「しゃべて」]いると、料理がまずくなりますから、たべましょう。どうもごちそうさま」
「そうだ。とにかくたべなくてはね。大いに腹が減った」
「私に出された料理が、お客さんのよりもみすぼらしいということは、お客さんの方が私よりも健康の失調がひどいのです。おわかりでしょう」
なるほど、たしかにそうだ。
カスミ女史
食事が終ったあとで、かねて会いたいと思っていたカスミ女史と初対面のあいさつをとりかわした。
カスミ女史は、タクマ少年の姉さんであり、そしてこの料理店ヒマワリ軒の経営者であった。僕は、この海底都市において、はじめて婦人と話をする機会にぶつかったわけだ。
女史は、年のころ二十歳と思われる。まだうら若い婦人であった。ひじょうに美しい人で、目鼻だちがよくととのって居り、口許は最も魅力に富んでいたが、そのつぶらな両眼は、どんな相手の心も見ぬきそうな知的なかがやきを持っていた。
いや、事実カスミ女史は、なみなみならぬすぐれた頭脳の持主であり、その後、僕は女史からさまざまな指導をうけ、あやうい瀬戸ぎわをいくたびも女史に助けられた。それはいずれ綴っていくつもり。とにかく女史と二人きりで語り合った初対面は、非常に印象的なものであった。
「ああ、本間さんでいらっしゃるの。弟をたいへん愉快に働かせて下さるそうで、お礼を申します」
「いや、どうも。僕の方こそ、タクマ君にたいへん厄介をかけていまして、恐縮です」
「そうなんですってね、あなたからすこしも目が放せないといって、弟が心配して居ましたわよ。当地ははじめてなんですってねえ」
僕は、カスミ女史からずけずけいわれて、顔があつくなるのをおぼえた。
「はい、はじめてですから、万事まごついてばかりいます」
「一体あなたはどこからいらしたんですの」
痛い質問が、女史の紅唇からとび出した。僕はどきんとした。
「ちょっと遠方なんです」
「遠方というと、どこでしょう。金星ですか。まさか火星人ではないでしょう」
「ま、ま、まさか……」
女史の質問に僕はどんなに面くらったことか。これでも僕は人並の顔をしているつもりである。それを女史はまちがえるにも事によりけりで、僕を火星人ではないだろうか、金星から来た人かと思っているのである。事のおこりは、僕がいった「遠方」という言葉をとりちがえたにしても、あまりにひどいとりちがえかたである。
「では、どこからいらしったの。ねえ本間さん」
困った。全く困った。僕は困り切った。嘘をつくのはいやだし、それかといって本当のことをいえば、怪しき曲者めというので、ひどい目にあうにちがいない。
「ほほほほ。ほほほほ……」
とつぜんカスミ女史は、声高く笑いだした。
「よく分りました。やっと今、分ったんです。まあ、そうでしたか、ほほほほ」
僕は目をぱちくり。気持ちが悪いったらない。女史は何をひとり合点しているのであろうか。
「ねえ本間さん。あなたのいらしたところは……」
と、女史は僕の耳に口をつけて、
「あなたは、うそつきの人間ですね。本当の人間じゃないんですね。あなたは二十年前か十五年前の人間で、こっそりこの世界に忍びこんで来たんでしょう。どうです、ちゃんと当ったでしょう。白状なさい」
僕は全身に汗をかいて、今にも顔から火が出そうであった。
「はッ。それは……それはご想像にまかせます。しかし一体それは、なぜお分りになったんですか」
これまでに僕の正体を見破った者はひとりもないのだ。しかるにカスミ女史は、何を証拠に、断定したのであろう。
「いってあげましょうか」
女史はくすくす笑った。
「あなたの影法師を、よく見てごらんなさい」
「えっ、影法師ですって」
「そうです。うしろをふりかえってごらんなさい。壁にうつっていますね。ほほほほ」
僕は、ぎょっとしてうしろをふりかえった。
「ああッ、これは……」
壁にうつっている僕の影法師! なんとそれは大人の影法師ではなく、坊主頭の子供の影法師だった。つまり僕は今大人の姿をしているが、壁にうつっている影法師は子供の姿をしているのだった。僕が時間器械に乗って、二十年後の世界にもぐりこんでいることを影法師ははっきりと語っているのである。僕は身体がすくんでしまう思いで、頭をかかえた。
「たいへんよ。気をつけなくては……。もし検察官に知れると、あなたは密航者として、たいへんな目にあわなくちゃならないわよ。一体どうなさるおつもり?」
女史の言葉に、僕は塩をふりかけられたなめくじのように、いよいよ縮まった。
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