和解の日
とつぜんこの海底に起った大地震!
それはこの十世紀間にわたってまだ一度も記録されたことのないほどの烈しい海底大地震だった。そしてその震源地が、トロ族の棲んでいる地帯のすぐ下、深さの距離でいって、わずか千メートルばかりのところに起ったものであった。
そのために、海底都市は天井が落ちたり、壁が倒れたり、また一部には海水がどっと侵入したところもあった。しかしいろいろとそういう場合の安全装置がしてあったので、災害はある程度でくいとめられた。
海底都市の方は、まずその程度であったけれど、トロ族の居住地帯の方は、非常にひどい災害をうけた。そして大混乱はいつまでもつづき、それはだんだんと大きな不安のかげをひろげていった。
海底都市へ来ていたオンドリを始め五人のトロ族代表は、次々におくられてくる災害の急報を読むたびに、色を失っていた。もう会議どころではなかったし、この弱味につけこんで海底都市のヤマ族に攻めこまれたら、どうしたって自分たちトロ族の大敗であろうし、悪くすると一族はほとんど全滅することは明らかであった。
そこへカビ博士が興奮の色で、オンドリのところへやって来た。
「おお、オンドリどの。われわれは直ちに大ぜいの者を、君の国へ出発させることになりました」
いよいよ来るものが来たなと、オンドリたちは無念の歯がみをした。
しかし、それはオンドリたちの思いちがいであった。つづいてカビ博士が語ったところによると、この大震災の救済のために、わが海底都市は全力をあげてトロ族の国へ急行するというのであった。食糧や飲料や薬品や居住資材、それからいろいろの交通機関や工作機械に土木用具などをあつめて、それを地底へ持っていって、トロ族を救い、出来るだけ早く、生き残ったトロ族のために居住の場所をこしらえ、彼等が元気づくまでは、食糧をどんどん送って生活の面倒を見ようというのであった。全く人類愛というか、同胞愛というか、それとも生物愛というか、その深い愛に従って行動するわけで、そこには侵略の意志が全然ないことが、くりかえしカビ博士によって説明された。
「それみたまえ、オンドリ君。僕がかねがねいったとおりだ。君らこそむしろ頭を切りかえなくてはならない。われわれヤマ族は、もう野蛮な侵略なんてことは、すこしも考えていないんだ。これだけの楽しい社会を持ち、これだけの豊かな資源と科学技術を持っているわれわれが、不正の手段でもって、これ以上の幸福を得ようとは思わないのだ。今こそ分ったろう。え、どうだい、オンドリ君」
僕は、前のようなざっくばらんの態度にかえって、オンドリにいった。
オンドリは、大きな頭を、すこし上下にふって、ようやく話が分ったらしい様子だった。
「そのとおりです、オンドリどの」
とカビ博士は力をこめていった。
「さあ、笑ってください。これまでの不快なことはすべて忘れて下さい。一時でもいいから忘れてください。そして一刻も早く救援作業を始めようではありませんか。あなたがたは、ぜひその先頭に立ってください。そして、あなたがたのことばで、あなたのお国の方々を、まず安心させてください」
「ありがとう。どうか、そうしてください」
頑固だったオンドリも、ついに礼をいって、万事を相手にまかせた。
「オンドリ君。君は今の一言で、たくさんのトロ族を救った。君は、トロ族の大恩人になった。世界平和の鍵のような役目をしたのだ。君たちはあとで、トロ族全体から、うんと感謝されるだろう。よく分ってくれたねえ」
僕はオンドリの身体をだいて、よろこびのことばを送った。
「いや。われわれの力ではない。これは君の力で、こうなったのだ。君の辛抱づよいこと、君の深い愛、君の正しい信念――君が使者になって地底へ来てくれたんでなかったら、こう平和にはいかなかったろうと思う。ありがとう、ありがとう」
オンドリは、僕にすがりついて、感謝のことばをのべてくれた。
さあ、これで平和のうちに、惨禍のトロ族たちを救い出しに行ける。
カビ博士は、救済団長になって、すぐ出発することになった。もちろんオンドリたちといっしょに、先頭に立って地底へのりこむのだ。
海底都市の人々は、この救済団の出発を見送るために、広場をさして集まって来た。すごい人出だった。こんなに人が集まったことは、海底都市が始まって以来今までに一度もなかったことだ。
人々の声は、カビ博士の名をよんで、その殊勲をほめたたえる。博士は上気して、顔をまっ赤にしている。
意外なる待人
「おめでとう、カビ君。この手柄によって、君はこの次の市長に選挙せられるだろう。しっかりやって来たまえ」
僕は博士の肩をうしろから叩いて、そういった。
博士は、くるりとうしろをふりかえって、片目をふさいで頭を振った。
(そうじゃない。みんな君の手柄なんだ)
という意味をこめているのだ。
「これから君もいっしょに来て、わしを例のとおり助けてくれるだろうな」
「もちろんだ。僕はこの機会に、徹底的にトロ族を研究し、そして彼らのために幸福な安住のできる国を建設してやりたいと思っているんだ」
「おお、万歳。それだ、君はこんどこそ表面に立って仕事をするのだ。わしは君のことについて、いずれ市民にすっかり本当のことを話をするつもりだ」
「不正入国の影の人間だということもか」
「しいッ。……大きな声を出してはいけない。わしも同罪になるおそれがある。それは隠しておいた方がいい。それを隠しても、君の勲功は隠し切れないのだ」
「好きなようにしたまえ」
僕もこのとき、前途の大計画を思って、大興奮を禁ずることが出来なかった。事実上、僕が海底にトロ族の新興都市を作るその指導者になるんだ。そしてヤマ族の海底都市と連絡をつけて、ここに海底連合大居住区を建設するんだ。それから双方の文化を交流し――。
「そうそう、出発の前に、ぜひとも君に会わさねばならない人があったのを忘れていた」
とカビ博士が、いいだした。
「僕にぜひ合わせるんだって。それは一体誰だい」
「ふふふふ」
とカビ博士はひとり笑いをしてから、
「おどろいてはいけない、君の妻君だよ。君の夫人だよ」
「ええッ、僕の妻?」
僕はおどろいた。全くおどろいた。じょうだんではない。本当は僕はまだ生徒なんだ。妻君なんかがあってたまるものか。そのことをカビ博士にいうと、彼はせせら笑った。
「なんという頭の悪いことだ。君は本当は生徒かもしらんが、この海底都市では、君、年齢をとっているんだから、君に妻君があってもなんにもふしぎじゃない」
「だって僕は、影の人物だぜ」
「しかし君は、現在の生徒の時代よりも何十年先まで生きる運命を持っているんだから、君の未来というものがあるわけだ。今は妻君がなくとも、やがて結婚する年齢になるだろうじゃないか。だから二十年先の世の中であるこの海底都市において、君の妻君が町をうろうろしていたって、べつにふしぎでもなんでもない。そうだろう」
「ふーン」
僕は呻った。そういえば、そうにちがいない。しかし正直なところ、僕は自分の妻君に会うのが、はずかしくてしょうがないのだ。――でも、どんな顔をしているであろうか。ちょっと会って見たい気も起こらないではない。
「大分前から、君の妻君は別室で待っているんだ。タクマ少年が、ずっとそのそばについて、わしが連絡するのを待っているのじゃ。さあ、これからいって、すぐ会いたまえ。なに、もじもじしているのか」
カビ博士は、えんりょなく僕をやっつける。
「あ、ちっょと待った」
と僕は手をあげ、
「どうも訳が分らないことがある……」
「訳が分らないって、何が……」
「これは会わない方がいいと思うね。なぜといって、いいかね、その妻君だがね、その妻君には夫があるんだろう」
「知れたことさ。君という夫がある」
「ちょっと待った。そこなんだが――」
と僕は一息ついて、
「かの妻君には僕という本当の夫がある。そこへ持って来て、これから本当の僕ではない僕の影が出ていって会う。これはへんなもんじゃないか」
「なんだって」
「そうだろう。影の僕が出ていって、妻君に会う。二人で話をしているそのそばへ、二十年後の世界の本当の僕がのこのこ現れて妻君のそばへ行く。すると僕の姿をした同じ人間が二人も出来て、妻君の前に立つ。妻君はそれを見てどうするだろう。おどろいて目をまわしてしまうぜ。だから会わない方がいいんだ」
「わははは」
とカビ博士は笑いだした。
「気がつかないで通りすぎるかと思ったが、とうとうそこに気がついてしまったか」
「なんだ、君は始めからその矛盾を知っていたのか。人のわるい男だ」
「いや、これには実は深い事情があるんだ。それを今ここで説明しているひまはないが、とにかくわしは君に保証する。いいかねその深い事情が実にうまく今一つの機会を作っていて、君と妻君が会うに、今が絶好の機会なんだ。君の妻君は君を決して怪しみはしないだろう。またほんものの君が横から出て来てびっくりさせるようなことは決してない。だからぜひ会いたまえ」
カビ博士はしきりにすすめる。
大団円
カビ博士は、僕を僕の二十年後の妻君と会わせたがっている。熱心にいろいろと僕を説きつける。ほんものの僕と、この影の僕とが鉢あわせをするようなことはないと、博士は保証する。
しかも博士は遂に妙なことをいいだした。これには「深い事情がある」と。僕は気になってしょうがない。そこで博士に向い、その「深い事情」とは何かとたずねた。
「ま、そのことは後でゆっくりと君自身が考えたがいい。わしは説明しているひまがない。それよりは早く、君の妻君に会ってくれ。――ほら、タクマ少年がやって来たぜ。あまりおそいから、さいそくに来たんだろう」
なるほど、タクマ少年がいつものように顔を赤くして、こっちへ笑いかけた。
「お客さん。さっきから奥様がお待ちかねですが。お隣の部屋まで来ていらっしゃいます。その扉の向こうです」
少年の指す方を、僕はおそるおそる見た。
「タクマちゃん。まだなの」
美しい女の声が、扉の向こうで、そういった。僕ははっとした。心臓が大きく動悸をうって今にも破裂しそうになった。――聞いたような声だ。あれは誰かの声に似ている。
「もうちょっとお待ちになっていて下さい」
タクマ少年が返事をした。
「いやよ。もうこれ以上待っていられないわ。あたし、そっちのお部屋へ、自分ではいっていきますわ」
女の声と共に、その扉がしずかに、こっちへ向って開きだした。
「さあ、今こそ君の妻君に会ってやるんだ」
カビ博士が、僕の背中をどんとついた。
「ま、まあ待ってくれ――」
僕は困った。全身が火に包まれたようになった。心臓は機関車のボイラーのように圧力をたかめた――扉はしずかに開かれる。あ、見えた、若い女の頭髪が! 若い女の腕が!
「うーむ」
その瞬間、僕は呻り声と共に昏倒した。意識は濁ってしまった。一切の色彩も光も形も消えた……。
暗黒の空間に、流星のようなものがしきりにとぶ。
「おい、本間君。こっちへ出て来いよ」
「……」
「おい。こっちへ出て来いといったら。そこに腰をかけていても、もう何にも見えやしないよ。この器械は、もうこわれてしまったんだから……」
「えっ、こわれた?」
僕は、やっと正気にもどつた。あたりを見まわすと、そこには鉄のような壁があるばかり。けんらんたる海底都市の市庁ホールもなければ、タクマ少年の姿も、僕の妻君だという女も、カビ博士も――いや、小さいひねくれたカビ博士である辻ヶ谷少年が、入口からこちらをのぞきこんで、しきりにさいそくのことばをつらねている。
「今日はもう遅いから、早く帰らないと、途中があぶないんだ。さかんに強盗が出るというからねえ」
「強盗? 強盗てえ何かねえ」
「なにをいっているんだ、おい本間君。早くこっちへ出ろよ。このタイム・マシーンは故障になったといっているじゃないか」
「えっ、このタイム・マシーンが故障に。なぜ故障なんかにしたのか」
「えらそうな口をきくね。なぜ故障になったか、僕は知らないよ」
「お願いだ、辻ヶ谷君。どうかもう一度、海底都市へ送ってくれたまえ。頼む。頼む」
僕は辻ヶ谷君に合掌した。
「だめだよ、僕を拝んでも……。停電になると厄介だ。さあさあ、早くこの地下室から出よう」
辻ヶ谷は、中へはいって来て、僕の手をとって引立てた。
「どうしてもだめか。もう一度だけでいいから海底都市へ行かせてくれ。あと、一ヶ月向うで生活させてくれれば、君にうんと御礼をするが――」
「よせよ。そんな気が変になるみたいな話は。それよりも、どこかで、一本十円の闇屋の飴をおごってくれよ。その方がありがたい」
「だめだなあ、君は。もう一ヶ月僕を海底都市に居らしめば、僕は偉大な事業を完成し、そして君を市長に選挙して!」
「よせ、よせ。いつまで夢の中の寝言みたいなことを喋りつづけているんだ。ほら、足許に大きな石っころがあるよ」
僕は、辻ヶ谷君に引立てられてタイム・マシーンの地下室から出て焼野原に立った。
もうすっかり夜になっていた。西空にうっすらと三日月が、はりついていた。こわれた瓦の山を踏みしめながら、僕たちは、焼け残りの町の方へ歩いていった。
僕は、だんだんと興奮からさめそれにかわって疲労がやって来た。それでとうとう辻ヶ谷君におぶさって寮へはいった。
すっかり疲れてしまって、今は何を考える余裕もない。カビ博士が最後に僕にいった「深い事情」の謎も、気にはなるが、まだ解いてはいない。
しかしふと気がついたのは、僕の寿命は、あの婦人が僕に会いに来るすこし以前に終ったのではなかろうか。しかもそれはあの海底都市ではなく、他の場所で終焉を迎えたのではなかろうか。それをカビ博士は知っているが、僕の妻君は、まだそれに気がついていないという場合ではないのだろうか。
いずれ疲労がなおったら、このことを筋道だてて考えてみるつもりである。ともかく今は休養のひと眠りが僕に必要なのだ。
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