平和使節
トロ族の暴漢どもは、今や鳴りをしずめた。その指導者のオンドリ先生と来たら、鳴りをしずめる以上にへたばってしまって、僕の足許に長く伸びて、気息えんえんである。
「さあ、僕の提案を君たちは採用するか、採用しないか。すぐ決めたまえ」
僕は彼らに、平和的解決をはかるために、トロ族代表者を決めて海底都市へ派遣するように、そしてその手引は僕がしてあげると申し入れたのだ。こうなっては、彼らは僕の提案を受けとるしかないのだ。
彼らはオンドリのそばへ集まって低音の早口で、しきりに相談しているようだった。が、遂に事は決まったと見え、オンドリは大ぜいに身体を抱えあげられて僕の前に来た。
「あなたのおっしゃるとおりにします。われわれは五名の代表者を出します。そしてあなたについて海底都市へ行かせます。どうかよろしくお願いしたい。……なお、今までのかずかずの失礼の段、ふかく遺憾の意を表します。すみません」
オンドリは別人のようにおとなしくなって、大恐縮のていで、僕に嘆願し、且つわびた。僕は、あとは責任をもって引受けるといってやった。そしてすぐ海底都市へ出発するから、代表者は用意をするようにといった。
代表者五名が、やがて僕の前に並んだ。
そのうちの一人はオンドリであった。あと四人は、男二人、女が二人。半数は若く、半数は老人だということであった。
彼らは服装をととのえた。裸身の上へ、西陣織のようなもので作った、衣服をつけた。そして頭部を頭巾のようなもので包み、目ばかりを見せていた。
それから彼らは、身のたけよりも長い筒を背中にくくりつけた。
「これは何が入っているんですか」
と、僕がたずねると、彼らは答えて、行って帰るまでの生活用具が入っていること、決してあやしげなるものははいっていないことを説明した。そして中をひらいて、内容物をぞろぞろと取り出して見せた。しかし僕にはそれらがどういう役をするものであるか、一つとして見当がつかなかったので、そのまま収ってもらうことにした。
僕と五人のトロ人は、大ぜいに見送られて出発した。
それから僕は五人の者に案内せられて、例の不愉快な旅行をつづけた。
「ヤマ族には、影というものがないのですかねえ」
ビロという若者は、途中でえらい発見をして、僕にたずねた。
僕はぎくりとした。
「それはね、影のある者もあるし、ない者もあるんだ」
「ふしぎですね。われらトロ族はみんな一つずつ影を持っていますよ」
「そうだろうね」
「なぜ、ヤマ族には、あなたのように影のない人があるのでしょうか」
僕は返答に困った。
「ま、その訳を話すと長くなるから、しないでおくが、要するにわれわれヤマ族では、影なんかどうにでもなるんだ。一人で五つも六つも影を持っている者もある」
「ほう。それは、ますますふしぎだ」
ビロはびっくり[#「びっくり」は底本では「びっく」]したようだ。
僕は、決してでたらめをいったわけではない。物の影などというものは光線の数によって決まるものだ。
つぼのうしろに、一本の蝋燭をたてると、つぼの影は一つできる。もしこのとき蝋燭を二本にするとつぼの影は二つになる。だから光源をもっとふやせば、影はそれに応じてふえる。影を五つも六つも持つことは、らくにやれることだ。しかし僕のように、この世に影をなげかけることの出来ないものは、影のふやしようがない。
もっとも、このことも理学的に研究を進めるなら、あるいは出来るようになるかもしれないが……。
僕たちは、ついに最後の砂をつきやぶって海底に出た。
例のなつかしい海底風景であった。
僕はカビ博士のことを念頭に思いうかべた。そこで博士の貸してくれた通信機のことをも思い出して胸のあたりをさぐってみると、ちゃんとそれがあった。これ幸いと僕はその送話器を通じて、放送をこころみた。
すると、応答があった。
「了解した。すぐそこへ迎えに行く」
という。
そういってから、五分間とかからないうちに、カビ博士は高速潜水艇メバル号に乗ってやって来た。しかもそのうしろには、メバル号よりずっと大きなりっぱな潜水艇が三隻したがっていた。
「ご苦労だったね。大いに心配していた」
と博士は潜水服姿であらわれていった。
「ひどい目にあったよ」
「そうだろう。あとから話を聞くことにしよう。……あんまり君が戻って来ないものだから、とうとう、わしは政府を動かして、この潜水艇三隻の協力を得ることになったのだ」
博士はそういいながら、五人のトロ族の方をじろりと見た。
新龍宮ホテル
五人の魚人たちをむかえた海底都市は、その歓迎に、町々がひっくりかえるほどのにぎやかさであった。
そういう魚人が、海底のさらにその下に住んでいたとは知らない人の方が多かったので、「先住トロ族の発見とその来訪」というカビ博士の解説文は、報道網を通って海底都市の人々に大きなおどろきと、深い感銘とをあたえた。そして代表オンドリ氏・ビロ氏などの五名の宿舎にあてられた新龍宮ホテルの前の広場には、朝早くから夜ふけまで、たくさんの群衆があつまって、わいわいさわぎたてていた。一目でもいいから、魚人を見たいという望みなのだ。
彼らは、魚人を見たいために、いろいろなはなやかな飾りものをこしらえ、それをホテルの前へ引いて来て、歓迎の音楽を演奏したり合唱をしたりした。
カビ博士のことは、一躍有名となった。
世界的考古学者また生物学者として称えられ、また海底のそのまた底までさぐって魚人代表を連れてかえったその勇気と辛抱づよさとその人徳をも賞めあげられた。
カビ博士は、時に僕と目をあわせると、くすぐったそうに笑った。
(どうも具合がわるいよ。ほんとは、みんな君の手柄なんだからねえ)
僕は、博士のちぢれた髭がくすぐったい笑いのために、ふるえるのを見るのは愉快であった。あの気むずかしい博士は、今や学界といわず市民たちからといわず、尊敬のまとになってしまって、二十四時いつも彼らの前へひっぱり出されているので、むずかしい顔なんか五分間もしていられないのだ。それは彼にとって、むずがゆい苦しさにちがいない。
僕は、このお祭さわぎの中に、すこしも表面に立っていない。そのわけは、僕は日かげの身で、表面には立てないのだ。僕は、表向きに名のりをあげると、ただちに逮捕せられて、例の海底牢獄へぶちこまれるにきまっている。僕はカビ博士の努力によって、ようやく考古学の標本または実験動物として、この世界に逗留を黙認されている次第だ。
だから、この間から僕の演じた冒険も外交交渉も、何もかもすべてカビ博士自らが行ったことになっているのだ。
影の人だ。僕は影にいて、賞讃でもみくちゃになるカビ博士をくすぐったく隙見しているわけだった。
僕は、ほんとなら、このお祭さわぎの席には顔を出したくない。しかし、そうしないわけに行かないのだ。なぜならオンドリをはじめ五人の代表魚人たちは、もともと僕との交渉により、僕を信用して、はるばるここまで足をはこんだのである。だから、僕の姿が、彼らのそばから少時間消えても、彼らは非常な不安な色をうかべて僕を探しまわるのであった。そういうことは、ことに始めの一週間ばかりにおいて甚だしかった。
僕は、ひやひやしながら、魚人たちの身のまわりの世話や、連絡にあたった。僕は、影のない身であることを海底都市の人に知られまいとして、どんなに毎日苦労をしたか知れない。僕は安全な間接照明の室をよって走りまわった。さもなければ雑とうの巷が安全だった。そこでは影法師のことなんか誰も注意していないから。
五名の代表たちは、海底都市の市長や委員たちにほんとうの会談をとげるまでに四五日かかった。それは彼らが、海底都市における生活になれないためと、そしていろいろな気づかれが重なったせいであった。
「いかがですか、オンドリ氏。もうすこしは空気の中の生活になれましたか」
僕は、五日目にそのことをたずねた。それは市長たちが一日も早く会談を始めたくて、カビ博士に毎日のようにさいそくをしているからだった。
「ああ。ようやくなれて来たが、あまりながくここに逗留していると、病気になるね」
オンドリ氏は、気密兜の中から、そういった。
彼ら五名は、いつでもこの気密兜を被り、気密服をすっぽりと着ていなければならなかった。この兜と服の中には、海水と、そして特別な気体とがはいっていた。それは彼らの呼吸になくてはならないものだった。彼らが身体をうごかしたとき、兜の透明板の中で、海水がしぶきをたてるのが、よく見られた。
またこの兜や服は、彼らの裸身にかかる圧力を、ちょうど適当に保っていた。これがないと、いつも圧力の高いところで生活していた彼らは圧力の低い空中ではとても生きていられないし、身体がたちまち気球のようにふくれてパンクするおそれがあった。
それに、もう一つ、彼らの異様な形をした裸身が、海底都市の人たちの目にとまって、不快な感じを持たれたり、きらわれたりするのを防ぐためにも必要だった。
破局来る
オンドリ氏をはじめトロ族の代表者たちが、いよいよ会談を始めることを承知した。
会議場は、市会議事堂であった。
海底都市側では、市長をはじめ七名の最高委員たちが出席した。
カビ博士が急造した言語の翻訳器械は、各人の胸にとりつけられた。それは写真器ほどの小型のものだったが、なかなか成績は優秀で、相手の言葉はこの中ですぐ翻訳されて生理波となり、自分の脳を刺戟する。すると相手の言葉が自分たちの言葉となって感ずる仕掛だった。
つまり、じっさいに相手の言葉は音響とならず、直接に聴覚を刺戟して、音を聞いたと同じに感ずるのだった。
会談は、すらすらとは行かなかった。
オンドリ氏を始めトロ族の委員たちは、会談が始まると、急にはげしい気性を表に出して、これまでのかずかずの惨害事件をならべあげて、海底都市側の責任をただした。
これに対して、海底都市側では全然知らなかったために起った惨害事件であると釈明し、そして今後は大いに気をつけること、またこれまでの被害については、ある程度の見舞品を贈ることを答えた。
魚人たちの側では、それだけではあきたらないと述べ、海底都市の発展をこれ以上ひろげないこと、今始めている一切の、それらの工事を中止せよと申し入れた。
だが、海底都市側では、そういうことには従うことが出来ないこと、人口の多いことと生活のために、海底都市はますますひろげられねばならないことを主張して、ゆずらなかった。
そこでこの会談は、暗礁にのりあげた形となった。
僕もたいへん残念であったし、カビ博士もすっかりしおれてしまった。
会談は、対立のまま、すこしの解決の光も見えず、二日三日と過ぎていった。
その間、オンドリ氏はじめ五名の魚人代表は、しきりに彼らの郷里と連絡をとっていたが、日ましに彼らの態度は硬化してきて、これでは間もなく会談は決裂して、両方は武力をもって解決するという道をえらぶほかなくなるのではないかと心配された。
もしそんなことが起ったら、それこそたいへんである。
海底において、人類ヤマ族と、その下層にすむ魚人トロ族が、双方の全滅をかけた大戦闘を始めなくてはならないのだ。そのふしぎなすさまじい海底戦闘は、どんな風にひろがるか、考えてみただけでぞっとする。そしてそれによって生ずる惨禍は、とても見るにしのびないほどのいたましいものであろう。
しかも、どっちかが勝ち、他方が負けたとしても、勝った方はもう今までのように気持よくそこに住むことが出来ないだろう。
いや、ほんとうは、この海底戦闘では、その特殊な場所がらと体力から考えて、双方ともひどいぎせいを払うことになりそうだ。つまり、共にひどく死に、そして傷ついて、この海底は死屍るいるいとなるであろう。
「カビ君。なんとか妥協の道はないのか」
僕はカビ博士にきいた。
「ないね。絶望だ。それ以上譲歩すると、わが海底都市は生存のための海底開拓ができなくなる。水深五百メートルのところまでは、絶対に自由行動をみとめてもらわねば困る」
博士は、かたい決意を眉のあたりに見せて、譲歩のできないことを主張した。
僕はオンドリのところへいって同じようなことをきいた。
「だめですね。これ以上、譲歩できません」
とオンドリは冷やかにいった。
「もっとも、わしは始めからこの協定は不成功に終ると思っていました。ヤマ族は全く無反省です。われわれトロ族がこれまでに蒙った惨禍に目を向けようとしない。そしてわれわれを無視して、無制限に侵入して来る。はなはだ遺憾だが、こうなれば一戦を交える外ないです」
オンドリは、トロ族の好戦的態度を自らの言動の上に反映して、いよいよ強いことをいうのだった。
僕は全くいやになった。悲鳴をあげた。こんなに和平のために努力しているのに、力およばず、両者はだんだん離れて行き、そしてますます態度は硬化し、前よりもずっと正面衝突の危険が感じられてくるのだ。
僕にいわせると、どっちも病気にかかって、熱にうかされているようなものだ。なんとかして解熱させたうえでないと、どつちも冷静になれないのであろう。僕は、ついに道に行きづまって、神に恵みを乞うた。
はたしてそれは神の御心に通じたかどうか僕には分らないが、とにかくすばらしい機会がやって来た。予想だにしなかった絶好のチャンスがやって来た。ヤマ族とトロ族のにらみ合いも、そのとたんに解消の外なくなった。この機会というのは何だったろう?
とつぜん、この海底に起った大地震だ!
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