海底を行く
へんなことになった。
カビ博士と名のる辻ヶ谷君の切なる頼みにより、僕は海底ふかく分け入って、凶暴なる未知の怪生物族を探し、それと重大なる談判をしなくてはならない行きがかりとはなった。
カビ博士は、僕にきせた潜航服をもう一度めんみつに点検して、異常のないのをたしかめた後、僕に門出の祝福をのべてくれた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「しっかり頼んだよ」
「なんか異変があったら、すぐ救い出してくれるんだよ。いくら僕がこの海底都市では幻の人間だといっても、やっぱり自分が殺されるなんて、気持がよくないからねえ」
「それはよく分っている。こっちも十分に君を監視しているんだから、もしまちがいが起こったと分れば、全力をあげて救出するから、安心して行きたまえ」
カビ博士は、そういってうけあってくれた。
僕はついに海底に下りた。軟泥の中に、鉛の靴がずぶずぶとめりこんで、あたりは煙がたちこめたように濁ってしまった。
「かぶとにつけてある電灯のスイッチを入れるんだ」
博士の声が、超音波を使った水中電話器にのって、聞こえてくる。
僕はいわれたとおりにした。ぱっと前方が明るくなった。僕がかぶっている潜水兜のひたいのところについている強力なヘッド・ライトが点いたのである。なかなか明るくて、前方百メートルぐらいまでのものは、昼間と同じようにはっきり見えた。
「百十五度の方向だよ。まちがえないようにね。……そのうちに、くりッくりッという怪音が聞こえだすだろう。その音の方向へ進んでいくんだ。多分七八百メートル先に、例のトロ族の哨戒員か何かがいると思うよ」
カビ博士はよほど心配になると見えて、またぎゃあぎゃあと、水中電話器を通じて僕に話しかける。
僕は羅針盤をにらみながら、百十五度の方向へ、よたよたと歩いていった。
あたりは軟泥ばかりで、外に海草も何にもない。魚群さえみえない。――いや、魚はいないわけではない。ぐっと踏んだ鉛の靴の下がぐらぐらと崩壊するように感じたときは、かならず足もとから、まっくろなものがとび出す。それは深海魚であった。僕はそのいくつかの姿を、ヘッド・ライトの中にみとめたが、どれもこれもどす黒く、そして醜怪な形をしていて魚らしくなかった。魚と両棲類の合の子としか見えなかった。
ふだんは何一つ光の見えないこの深海にも、ちゃんと楽しく棲み暮している動物の世界があるのだ。いや、動物だけではなかろう。僕には見えないが、おそらく原始的な微生植物も、ここをわが世とばかりに活動して繁茂しているのであろう。
行けども行けども、どこまで行っても単調な同じ地形ばかりであった。僕は少々ばかばかしくなった。ひょっとしたら、カビ博士にうまく一ぱいはめられたのかもしれない、などと考え出した。
その博士は、さっきからもう黙りつづけているのだ。ただ水中電話器から発する連続性の搬送音だけが、かすかに受話器に入って来ている。
そのときだった。全く不意打だった。
僕が歩いている前方五メートルばかりの海底が、急にむくむくともちあがった。それは恰も大きなもぐらがいて、大地の下から土をもちあげたらこうもなるだろう、と思われるような光景だった。とにかく僕の目の前に、とつぜん高さ二メートルあまりの小山みたいなものが出現したのである。そしてよく見ると、それは生き物のようにしきりに動いていた。
「な、なんだ。おどかすなよ、海もぐらの親方さん」
僕は水中電話器を通して、何者とも正体の知れない土塊に声をかけた。
僕が声をかけたとき、例の土塊ははげしく上下左右へ震動したようであった。しかし相手は返事一つしなかった。
「おい、おい、通り路をじゃましないでもらいたいもんだね」
僕はふてぶてしくいいはなった。そしてたちまち土塊に近づいて、その横を通りすぎようとした。
と、僕の行手にあたって、また別の土塊がむくむくと頭をもちあげた。一つではなかった。五つ六つ――いや、その数はぐんぐんふえて、十四五にもなったであろうその土塊は、まるでダンスでもしているように上下左右にゆれながら、僕の行手を完全にふさいでしまったのである。
このとき僕は、それまでに聞いたことのないあやしい音響を耳にした。
トロ族
僕は当惑の絶頂にあった。
むくむくと、土饅頭のような怪物が、僕のまわりを這いまわる。
へんに耳の底をつきさすような怪音が、だんだんはげしくなる。始めはそれが何の音だか見当もつかなかったが、そのうちにあれは怪物どもがさかんに喋り合っている声ではないかと思った。どうせ僕のことをやかましく喋り合っているのだろう。
僕は立往生をしていた。そして怪物どものさわぎを、見まもっているしかなかった。
が、そのうちに気持ちが少し落着いて来た。あとはどうにでもなれと、はらを決めたせいであろう。
「もしもし、トロ族君たち。いつまでも僕のまわりを走りまわらないで、話があるのならさっさと話しかけてくれたらどうだね」
相手に通ずるという自信はなかったが、かねてカビ博士から教わっていたところもあるので、思いきって普通のことばで話しかけてみた。
或る程度のききめはあったようだ。僕が話しかけると同時に、怪物群は一せいに動きまわるのを中止して、僕の方へ頭部をつきだすようにしたからだ。
「もしもし、トロ族君たち。話は早いところきまりをつけようじゃないか」
「それはこっちも望むところだ」
奇妙な声が、僕に答えた。それはすりきれた音盤にするどい金属針をつっこんで無理にまわしたときに出るゆがんだきいきい声だった。
「よろしい。君たちはいったい何を希望するのかね、われわれ人類に対して……」
「へんなことをいっては困る。われわれも人類だよ。君たちだけが人類じゃない」
返事とともに怪物群は、一せいに頭部をゆすぶって奇声を放った。それはあざけりの笑い声のようにひびいた。
「僕には信じられない。ほんとうに君たちも人類であるなら、ちゃんと姿をあらわしたがいいではないか。そんな揚げない前の天ぷらみたいな恰好で僕の前に立っていて、おかしいではないか」
鋸の目たて大会のように、きいきい声がはげしくおこった。が、そのうち別の声がすると、きいきい声はぴたりとしずまった。
「ではヤマ族君」と相手の声がいった。
「われわれは姿を見せるであろう。今まで姿を見せなかったのは、一つには防衛のためであり、また一つには君たち劣等な人類がわれわれを見て、気が変になるような事があっては困ると思ったからだ」
劣等な人類――とは、何事であるかと、僕は少々むかむかしたが、それはおさえた。誰が気が変になんかなるものか。
「御念の入ったごあいさつです。気が変になんかなりませんから、早く素顔と素顔とをつきあわせましょう」
そういってしまってから、僕はしまったと思った。なぜなれば、こっちは潜水兜なんかをからだにつけているのだ。これをとって素顔を見せたりすると、たちまちあっぷあっぷで土左衛門と変名しなくてはならない。
そのときであった。僕はおどろきのあまり息がとまった。
見よ、一せいにトロ族が姿をあらわした。例の背の高い土饅頭みたいなものが、とろとろと下にとけおちると、そのあとに残ったのは僕の二倍ほどの背丈の、ふしぎな顔をした人間に似た動物であった。
彼等の全身はまっ白で、肉付のわるい方ではなかった。
その顔は、頸のところがなくて肩の上にすぐついていた。いや頸がなくなって、肩とあまりちがわない幅をもっていたという方がいいかもしれない。頭部に全然毛はなく、丸い兜のような形をしていた。額はせまく、目はすこぶる大きくて、顔からとび出していた。そして両眼の間はかなりはなれ、別なことばでいうと、目は顔の側面の方へ大分移動していた。
鼻はあるかなしかで低かった。そのかわり口吻はふくらんで大きく前に伸び、唇はとがっていた。あごは逞しくふくれていた。
腕は短く、手はひろがって鰭のようであった。脚は太くて長かったが、足首のあたりから先は、やはり尾鰭のような形をしていた。鰭らしいものが、背中と、胸と腹の境目とにもつづいていた。乳房のある者と、それのない者と両方がいた。
大ざっぱに彼等の身体つきについて感じを述べると、たしかに人間らしくはあるが、多分に魚の特徴を備えていた。しかし人魚というほどではなく、それよりもずっと人間に近い。とにかく、こんな奇妙な相手の身体と知っていたら、もうすこし正体をあらわすのを待ってもらった方がよかったとも思う。
「どうだね、君、気はたしかかね」
僕の前にいた一きわ大きい魚人が、そういって、口からあぶくをふいた。
海底の下
「大丈夫ですよ。君たちの姿を見て気が変になるなんて、そんな気の弱い者じゃない」
僕はトロ族たちに、そういった。
「ふうん、どうかなあ。君たちヤマ族は、よく嘘をつくからね」
魚人がいった。
「さあ、そんなことより、話をつけよう。一体君たちトロ族は、われわれに対して何を希望するのかね。僕は出来るだけ、君たちの希望がとげられるように努力するつもりだ」
僕は早く交渉を切上げてしまいたいと思ったので、その話を始めた。
「よろしい。われわれの不満を君に聞いてもらう――近来、君たちヤマ族の海中侵入はひどいではないか。われわれトロ族としては甚だ不安である。前以ってあいさつもなしに、どんどん海底まで侵入してくるとは、よろしくないではないか」
トロ族の委員長らしい魚人は、はっきりと要旨をのべた。他の魚人たちは、頭を僕の方へつきだして、今にもとびつきそうな恰好である。
「君の申し出は分った。われわれは侵入を正しいとするものではない。われわれは君たちがこんなところに住んでいることを全然知らなかったのだ。やむを得ず地上の生活を放棄して、この海中海底に下って来たのであるが、まさかこんなところに君たちが住んでいるとは思わないものだから、どんどん工事をすすめて海底都市を建設したのである。これだけいえば、われわれに不正な侵入の意図のないことを知ってもらえるだろう」
僕は、秘密のうちに、後方のカビ博士からの指示をうけながら、雄弁に述べたてた。
「われわれが住んでいるとは知らなかったというが、それは本当だとは思われない。われわれのことについては、地上にもその文献が残っているはずだし、またわれわれの一部は地上にも残留していて、われわれの移動についても物語ったはずだ」
「そんなことは知られていない。地上ではたびたび人類を始め生物が死に絶えたことがある。少なくも三回の氷河期や、回数のわからないほどの大洪水、おそろしい陥没地震などのために、地上の生物はいくたびか死に絶え、口碑伝承もとぎれ、記録も流失紛失して、ほとんど何にも残っていないのだ。ねえ、分るだろう」
「しかし、どうだろうか。あれほどの巨大無数のものが完全に失われたとは思わないが、まあそれはそれとして――その外にもわれわれは、侵入の君たちに対して、たびたび警告を発している。しかるに何の誠意も示さないのはけしからん」
「いや、それも君たちが一方的に警告を発しているだけであって、われわれにはそれが通じなかったのだよ。通じなければ何にもならない」
「ふふん、ヤマ族は昔ながらに劣等なんだ。われわれとの知恵の差はその後ますますひどくなったものと見える」
魚人は嘲笑の意をはっきり示した。
「それを知っているんなら――つまり君たちトロ族が、われわれよりずっと文化的に進歩していることを知っているんなら、君たちはわれわれを親切に指導してくれなくてはならない。それをだ、むやみにあざ笑ったり、またわれわれをおそろしがらせたり、不意打のひどい攻撃を加えたりするのはまちがっていないかと思うが、どうだ」
僕は、ここぞと熱弁をふるった。
「それこそ君たちの一方的な考え方だ。とにかくわれわれの現に蒙っている損害を見てくれれば、どっちの主張が正しいか分るのだ。われわれは今までに、がまん出来るだけのがまんをして来た。しかしもうこの上はがまんが出来ないのだ。君はこれから海底の下へおりて、われわれの蒙っている実害を視察するのだ。その上で改めて君の釈明を聞こう」
海底の下へ――とは、海底の下に、まだ国があるのだろうか。彼等トロ族の住んでいる国がそこにあるのだろうか。魚人は、僕を海底のまたその下へ引きずりこもうとするのだ。どうしよう。行こうか、それとも断ろうか。
「よろしい。僕は視察する。万事は視察した上でのことだ」
「来たまえ。そして見たまえ」
魚人は僕の手をとると、どんどん足許を掘り始めた。彼の足はプロペラのように動いて、みるみる穴が大きくなっていった。僕のからだはその穴へ引きずりこまれた。穴のふちは、僕の目の高さよりはるかに上にあった。
「来たまえ。こっちだ」
魚人が手をはげしく引っぱった。僕は魚人に引きずられるようにして歩いた、始めはたいへん歩きにくかったが、そのうちに楽になった。しかしかなり抵抗がからだの正面に感じられた。それはまだいいとして、憂鬱なことには、あたりがまっくらで、墨つぼの中を歩いているような感じのすることであった。
地底居住者
僕は途中のことをよくおぼえていない。あの気持のわるい海底の、そのまた下の泥の中へひきずりこまれていったとき、途中で気を失ってしまったらしかった。
「あ、痛ッ!」
高圧電気にふれたときのようなはげしい衝動を感じると共に、全身にするどい痛みをおぼえた。それで僕は気がついた。
すると、奇妙なたくさんの声が笑うのが聞こえた。僕をあざ笑ったのにちがいない。
僕は空気兜の中から目をみはった。意外な光景が、前にあった。そこにはあの黒ずんだ海水がなかった。水のない空間が、あかるく光っていた。うす桃色の大きな波が、その空間をうずめて、左右上下にさかんに動いていた。
僕の目がだんだん落ちついてくるにつれ、空間のうす桃色の大きな波と見えたのは例の魚人トロ族がおびただしくこの洞窟みたいな中に充満し、そして彼らは僕をもっとよく見たがって、たがいにひしめきあっているのだと分った。
その醜怪なる魚人のかたち! 僕は嘔吐しそうになって、やっとそれをこらえた。
ひしめきあう魚人たちは、急にしずかになった。誰かが号令をかけたようでもある。
そのとき僕の耳もとで、僕に分かる言葉がささやかれた。
「君の兜をぬぎたまえ。君の服もぬぎたまえ。そうしても君は、楽に呼吸ができるよ。ここには十分の空気があるからね」
僕は横をふりむいた。するとそこには見おぼえのある魚人がいた。はじめ海底で会見したときに、僕にものをいいかけた彼だった。彼は乳の上に、黒いあざをこしらえていた。そのあざは、彼のからだが或る方向になったときにかぎり、雄鶏[#「雄鶏」は底本では「鶏鶏」]のシルエットに見えた。僕は彼のことを、これからオンドリと呼ぼう。
「いや、僕はぬぐつもりはない。このままがいいのだ」
僕は断固として、ことわった。うっかりぬいでしまった後で、どこからか海水がどっと侵入して来たときには、僕はたちまち土左衛門にならなくてはならない。
「じゃあ、勝手にしたまえ」とオンドリは、いった。
「とにかくこんなにたくさんのわれわれの同胞が、海底の下わずか百メートルのところに住居をもっているんだ。分ってくれたろうね」
「これが住居か。ほら穴みたいだが……」
「第一哨戒線についている同胞なのだ」
「ははあ、ここが第一哨戒線か」
「こんな余計なところへ住居をあけなければならなくなったのも、元はといえば、君たちヤマ族のあくなき侵略に対抗するためだ。……こんどは別のところを見せる。こっちへ来たまえ」
オンドリが僕の腕をかかえて立上った。すると魚人たちは奇声を発して左右にとびのいた。そのまん中の道を、オンドリと僕とが歩いていった。
正面の壁に、とつぜん明るい光がさした。と思ったらそこは狭いトンネルの入口であることが分った。
僕たちはその中へはいっていった。
僕はふしぎなものを見た。いやふしぎな出来ごとにあった。というのは、そのトンネルの穴が、すぐ向こうで行き停りになっているように見えるのに、僕たちがそっちへ歩みよるに従って、その穴がしずかに後退していくことだった。つまり、前方において行き停りになっている浅い穴が、僕らがそっちへ一歩進めば、穴の底は一歩奥深くなり、三歩進めば三歩奥深くなり、どこまで行っても穴の奥に突き当たらないのであった。
「へんだなあ。自然に穴があいて、通り穴が出来るなんて……」
僕は思わず感嘆の声をもらした。
すると僕の前にいたオンドリが僕の方へふりかえった。
「はははは。自然に穴があくわけではない。この器械で穴をあけていくんだよ。君たち人類は、こんな道具を持っていないと見えるね」
オンドリはそういって、手に持っていた大きな探検電灯のようなものを見せた。それはもちろん電灯ではなかった。彼がそれをすぐ横の壁にさしつけると、壁はとろとろととろけるようになくなって、奥行十メートルばかりの、われわれが立って歩けるぐらいのトンネルがあいたではないか。僕は、トロ族のおそるべき技術力について知り、背中がぞっとした。
僕たちは前進した。
約二十分ばかり歩いたとき、オンドリは僕の方をふりかえった。
「いよいよ君に見せたい場所へ来た。われわれの善良なる同胞の住居が、君たちの海底都市工場のために、いかにひどく破壊せられているか、さあ、こっちを見たまえ」
オンドリは、僕をひっぱって、急ぎ足になった。――僕はいかなる光景を見たろうか。
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