第二話 星宮理学士の話
「さて僕には、川波大尉殿のような、猟奇譚の持ち合わせが一向にないのだ。といって引下るのも甚だ相済まんと思うので、僕自身に相応した恋愛戦術でも公開することにしよう。
さっき、大尉どのは、『戯れに恋はすまじ、戯れならずとも恋はすまじ』と、禅坊主か修道院生徒のような聖句を吐かれたが、僕は、どうかと思うね。それなら、ちょいと伺ってみたい一条がある、とでもねじ込みたい。大尉どのの、あの麗しい奥様のことなんだ。あんな見事な麗人をお持ちでいて、『恋はすまじ』は、すさまじいと思うネ。僕は詳しいことは一向知らないけれど、余程のロマンスでもないかぎり、大尉どのに、あの麗人がかしずく筈がないと思うんだ、いや、大尉どのは憤慨せられるかも知れないけれどね――。で僕に忌憚なく云わせると、大尉どのの結論は、本心の暴露ではなく、何かこう為めにせんとするところの仮面結論だと思うのだ。大尉どのの真意は何処にある? こいつは面白い問題だ――と、イヤにむきになって喰ってかかるような口を利くのも、実はこうしないと、これからの僕の下手な話が、睡魔を誘うことになりはしないかと、心配になるのでね。
そこで、僕に云わせると、失恋の極、命をなげだして、恋敵と無理心中をやった熊内中尉は、大馬鹿者だと思う。鰻の香を嗅いだに終った竹花中尉も、小馬鹿ぐらいのところさ。何故って云えば、熊内中尉の場合に於て、Aとか云う女を手に入れることは、ちょっとしたトリックと手腕さえあれば、なんの苦もなく手に入るのだった。Aは竹花中尉と結婚することにはなっているが、熊内中尉を別に毛虫のように芯から嫌っているわけではないのだから、いくらでも、竹花中尉との縁組をAに自らすすんで破らせる位のことは、なんなくできるんだ。何しろ相手は、東西も判らない未婚の娘なんじゃないか。
人の細君は誘惑できないというが僕は二日で手に入れた記録がある。その細君を仮りに――そうだネB子夫人と名付けて置こう。色が牛乳のように白く、可愛いい桜桃のように弾力のある下唇をもっていて、すこし近視らしいが円らな眼には湿ったように光沢のある長い睫毛が、美しい双曲線をなして、並んでいた――というと、なんだか、川波大尉どののお話のAさんという少女に似ているところもあるようだね。とにかく其のB子夫人は、僕の食慾を激しくあおりあげたのだった。食慾を感ずるのは、胃袋が悪いんだろうか、その唆かすような甘い香を持った紅い果実が悪いのだろうか、どっちだろうかと考えたほどだった。だが、僕は日頃の信念に随って、飽くまで科学的に冷静だった。筋書どおりにチャンスが向うからやって来るまで、なんの積極的な行動もとらなかった。
軈てチャンスは思いがけなく急速にやって来た。というのは、B子がその夫君と四五日間気拙い日を送った。その動機は、僅かの金が無いことから起ったのだった。その次の日は、彼女の夫君が出張に出かけることまで僕のところには解っていた。B子夫人はその日、某デパートへ買いもののため、彼女の郊外の家を出掛けたが、その道すがら突然アパッシュの一団に襲われたのだった。小暗い森蔭に連れ込まれて、あわや狼藉というところへ飛び出したのが僕だった。諸君はそのような馬鹿なことがと嗤うかもしれないが、B子夫人も普通の婦女とおなじく、この昔風な狂言暴行を疑いもせで、泪を流して僕に感謝したばかりか、記念のためというので、奇妙な彫の指環まで贈物として僕によこしたじゃないか。そのとき僕は、『御主人には黙っていられた方がいいですよ』と云うことを忘れなかった。心に空虚のあったB子夫人が、その胸に如何なる夢を描いたことやら、また其の夫君が出張にでかけた翌日、偶然のように訪ねていった僕をどんなに歓待したか。女なんか、新しがっても、本当は古い古いものなのさ」
こう云って星宮学士が、胸の底まで気持よく吸いこんだ煙草の烟を、フーッと静かに吐きだしたが、この話を傍できいていた川波大尉の顔面が、急にひきつるように硬ばってきたのに、まるで気がつかないような顔をしていたのだった。
「それから、こんな話もある」と学士は第二話のつづきを又語りはじめるのだった。「こいつは、僕の一番骨を折った女だったが、カッキリ半年も懸った。無論その半年の間、僕はこの女ばかりを覘っていたのでは無く、沢山の若い女を猟りあるいている其の片手間に、一つの長篇小説でも書くつもりで、じっくり襲いかかって行ったのだ。その女は、しっかりした家庭に育った九條武子のようなノーブルなお嬢さんだった。彼女の名前を、仮りにC子(とそう云って、星宮学士は何故かハッと呼吸を止めた)――そう、C子と呼ぼう。この少女は、はちきれるような素晴らしい肉体を持っているのに、精神的には不感性に等しく、無類の潔癖だった。すべて彼女の背後にある厳格な教育が、彼女をそうさせたのだった。二三度誘ったが、こりゃ駄目だと思った。そのままで賞味してしまう手段はあったが、それでは充分美味しく戴けない。そう悟ったので、僕は一夜脳髄をしぼって、最も科学的な方法を案出した。幸い僕は家庭教師として、彼女に数学を教える役目を得たので、それで時々会っては、音楽会に誘った。次は映画の会へ連れてった。その映画も、教育映画から次第にロマンティックなものへ、それから辛うじて上演禁止を免れたカットだらけの映画へ、更にすすんではカットのない試写ものへと移って行った。彼女は別に眉を顰めはしなかった。というのは、この速力が如何にも緩漫だったからだ。映画を見あきると、レヴィウを見た。宝塚の可愛いいレヴィウから、カジノ・フォリー、プペ・ダンサントと進み、北村富子一座などというエロ・ダンスへ移り、アパッシュ・ダンスを観た。C子が僕と踊りたいといい出したのは恰度その頃だった。僕は一応それを押しとどめたが、それは無論、手だった。興奮しきった彼女は、僕の忠告に、倍以上の反発をもって舞踊を強いた。僕達は、あの淫猥なアクロバティック・ダンスを見て帰ると、其の次の日には、僕の室をすっかり閉めきって、二人で昨夜のダンスを真似てみるのだった。勿論何の経験ももたない僕達に、あんなに激しいダンスが踊れるわけはなかった。僕達は不意に手を離してしまって床の上に
と抛げだされて瘤を拵えたり、ドッと衄血[#底本では「はなじ」]を出したり、筋をちがえた片腕を肩に釣って疼痛にボロボロ泪を流しながらも、奇怪なる舞踊をつづけたのだった。だが僕達の身体は清浄で、C子はまだ処女だった。時分はよしと、僕は彼女を、秘密室のあるダンス場めぐりに連れ出したのだった。それから四五日経って、C子は逆に僕を挑んだのだ。だが僕は素気なく拒絶した。拒絶されると反って嵐のような興奮がC子の全身に植えつけられたのだった。すべて僕の注文どおりだった。其の翌日、僕は、六ケ月かかって発酵させたC子という豊潤な美酒を、しみじみと味わったことだった。
こうして僕が味わった女の数は、百を越えている。こんなことを、貞操蹂躙とか色魔とか云って大騒ぎする奴の気が知れない。『洗滌すれば、なにごともなかったと同じように清浄になるのだ』とロシアの若い女たちは云っているじゃないか。それに違いない。誰もが、徹底して考えて実行すればいいのだ。そりゃ中には捨てた女からピストルをつきつけられることもあるが、何でもない。万一射ちころされたとしても散々甘味な酒に酔い痴れたあとの僕にとって『死』はなんの苦痛でもなければ、制裁とも感じない。僕の家の机の上にはふくよかな肘突があるが、その肘突の赤と黒との縮緬の下に入っているものは、実は僕が関係した女たちから、コッソリ引き抜いてきた……」
「オイ星宮君、十一時がきた!」と、此の時横合いから口を入れた大蘆原軍医の声は、調子外れに皺枯れていた。
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