7
リバプールからロンドンまでは、四百数十キロの道程があった。特別急行列車は、この間を十時間で走ることになっていた。だから、午後七時ごろには、ロンドン着の筈であるが、今は、ドイツ機の空襲が頻繁なので、いつどこで停車するかわからず、ひょっとすると、ロンドン入りは、翌朝になるかもしれないという車掌の談であった。
アンと仏とは、十三号車の中の、一つのコンパートメントを仲良く占領することが出来た。
この十三号車は、わりあいすいていたようである。誰も、この空襲下に、わざと縁起のよくない座席を選ぶ者もなかったからであった。
「あなたは、黙っていらしてよ。女が出る方がすらすらといきますからね」
アンが、そういったのは、車内に於ける乗客取調べのことであろう。もちろん、仏にとっては、そんな煩わしいことに、頭を使いたくなかったので、万事アンに委せることに同意した。
列車憲兵が、廻ってきた。
「ロンドンへは、どういう用件でいかれますかね」
憲兵は、記名の切符を、アンへ戻しながら、油断のない目で、アンを見つめた。
「夫が、このとおり、空襲で頭部に負傷いたしまして、なかなか快くならないんですの。早く名医の手にかけないと、悪くなるという話ですから、これからロンドンへ急行するんです」
「ほう、それは、お気の毒ですね。負傷は、どのあたりですか」
「ちょうど、このあたりです」
と、アンは、前額のすこし左へよったところを指し、
「見たところ、傷は殆どなおっているんですけれど、爆弾の小さい破片が、まだ脳の附近に残っているらしいのです。レントゲン――いえ、エックス線の硬いのをかけて、拡大写真を撮らないと、その小破片の在所がわからないのですって。ですけれど、こうしていつも傍についているあたしの感じでは、その小破片は、もうすこしで、脳に傷をつけようとしているんだと思います」
「ああ、よくわかりました。奥さんも、御心配でしょう。御主人の御本復を祈ります。じゃあ、ロンドンの中国大使館へは、私の方から取調べ票を送って置きますから」
「はい、どうもありがとうございました」
「じゃあ御大事に。蒋将軍にお会いになったら、どうぞよろしく」
憲兵は、最後に、仏天青に挨拶すると、次のコンパートメントへ移っていった。
アンと憲兵との会話を、傍で聞いている間に、仏は、異常な興奮を覚えた。
(まだ、アンを疑っていたが、とんでもないことだった。アンは、たしかに、自分の妻にちがいないんだ。なぜって、自分さえ知らない頭部の負傷のことを、その始めっから、現状まで、くわしく心得ているのだ。妻を疑ってすまなかった。もう妻を疑うのは、この辺で、はっきりお仕舞にしよう)
彼は、アンに対し、それを口に出して、謝りたくて仕方がなかった。しかし、そんなことをすれば、アンの軽蔑をうけるばかりで、何の益にもならないと思ったので、それはやめることにして、只心の中で、アンに詫びた。
アンと憲兵との話によって、仏は、かねて知りたいと思っていた頭部の負傷の謎が解けたことを、たいへんうれしく思った。
これは、空爆で、爆弾の破片によってうけた傷であったのか。前額の左のところに、その気味のわるい前途を持った傷口があったのか。そんなことを考えると、その傷口のことが、俄に心配になった。そこで、そっと手をあげて、包帯のうえから、傷口を抑えようとした。
「およしなさい、あなた。触っちゃ、いけません。脳の傷は恐しいのです。刺戟を与えることは、大禁物ですわ」
そういって、アンは、仏の手をおさえて、彼の膝へ戻した。
「おい、アン」
「なあに、あなた」
「お願いだ、おれが、この頭部に負傷したときのことを、もっと詳しく話してくれないか」
「ああ、そのことなの」アンは、仏の顔を見上げ、「いつでも、話をしてあげますわ。でも、今はよしましょう。あなた、昂奮していらっしゃるようね。すこしおやすみになったらどうです。あたしも、なんだか、列車にのって安心したせいか、急に睡くなって、ほらこのとおり眼がしょぼしょぼなのよ。ほほほほ」
なるほど、アンの眼は睡そうであった。仏は、見れば見るほど、子供のように可愛いところのあるアンを、これ以上、彼の我儘のため疲らせることは気がすすまなかったので、
「アンよ、おやすみ。そのうち、おれも睡くなるだろうよ」
そういって、仏は、アンの額に、軽く唇をつけた。アンは、早やもう目をとじていた。
あと、十時間だ。
仏は、アンに睡られてしまって、俄に退屈になった。窓外を見ると、空は相変らず、どんよりと曇っている。畠には、小麦の芽が、ようやく三、四吋伸びている。ようやく春になったのである。
仏天青は、またアンの方を見た。アンは、本当に寝込んでしまったらしい。すうすうと、安らかな鼾をかいている。そして、弾力のある小さい唇の間から、白い歯が、ちらりと覗いていた。
仏は、立ち上ると、アンのオーバーの前をあわせ、そしてその襟を立ててやり、席に戻った。
色のぬけるように白い、鳶色の髪をもった彼の妻!
(おれは中国人だが、アンは中国人じゃなくて、白人だ。白人にもいろいろある。伊国人だろうか、イギリス人だろうか。いや、イギリス人には、こんな美人はいない。躯の小さいところといい、相当肉づきのいいところといい、ひょっとしたらフランス人じゃないかなあ)
彼は、そんなことを考えながら、妻君の寝顔を、飽かず眺めていた。
8
列車の窓から、マンチェスター市の空を蔽う煤煙が、そろそろ見えてきた。
アンは、まだ眠っている。
仏天青は、まだ眠る気になれなかった。そのとき彼は、ポケットの中に、新聞紙があったのを思い出した。それは彼が今着ている中国服を包んであったものだった。彼は、いそいで、それを出して展げた。
新聞は、ロンドン・タイムスだった。日附を見ると、八月十日とある。かなり古い日附の新聞だった。七八ヶ月も前の新聞だ。
わがイギリス軍と独伊枢軸側との戦闘は、フランス戦線をめぐって猛烈を極めているとの記事で充満していた。フランス遠征のわがイギリス軍は、ついに総引揚を決行した。ドイツ機必死の猛爆にも拘らず実に巧妙に、そして整然と、わがイギリス兵は本国へ帰還したと、写真入りで報道してあった。
(なあんだ、イギリス軍は負けているじゃないか。そして、フランスは、ドイツ軍の靴の下に、踏み躙られようとしているではないか。これは重大なる戦局だ――現在はどうなっているのだろうか)
他の記事によると、イギリス軍のフランス撤退について、多数のフランス人が、汽船や飛行機にのって、イギリス本土へ避難して来たことをも報じていた。
“今やイギリス本土は国際避難所の如き感がある!”
などという記事も見える。
“必要ならば、フランス政府も、一時ロンドンに移転するかもしれない”
そういう記事もあった。また、
“ドイツ軍の長距離砲敢えて恐るるに足らず、われまた、更に一歩進んだ新長距離砲をもって酬いん!”
という記事もあって、いよいよ近く英独は、ドーヴァ海峡を距てて対戦するであろうことを示唆しているものもあった。
「そうすると、中国は、この欧州の戦局に対して、どういう役割をしているのかな」
仏天青は、そういう疑問にぶつかった。
そこで彼は、新聞紙をいくたびか畳かえして、そういう記事のある欄を探した。
“東洋”という欄が、ようやくにして、見つかった。わが中国は、安心なことに、まず、イギリス側に立っているようであった。イギリスからは、また新借款を許したそうであり、兵器弾薬は、更に活発に、中国へ向けて積み出されていることが分った。
「このようなイギリス側の援助をうけて、わが中国は、東洋で、ドイツ軍を迎えるのであろうか」
彼は、また奇妙な疑問にぶつかった。
だがむさぼるように、その先の記事を拾っていくと、終りの方に、彼を愕かせるに足る記事があった。
“首都重慶は、昨夜、また日本空軍のため、猛爆をうけた。損害は重大である。火災は、まだ已まない。これまでの日本空軍の爆撃により市街の三分の二は壊滅し、完全なる焦土と化した。しかも、蒋委員長は、あくまで重慶に踏み留まって抗戦する決意を披瀝した”
日本が中国を攻撃している! あの小さい日本が、大きな中国を攻撃しているのだ。なんというおかしなことであろう。一体、中国の空軍は、なにをしているのであろう。中国の空軍の活躍については、生憎ニュースがなかったのか、なにも記載がなかった。
「日本軍は、敵ながら、なかなか天晴なものだ」
仏天青は、ひどく日本軍の勇敢さに、ひき入れられた。敵国が好きになるとは、困ったことであった。
彼は、新聞紙を、また折りかえして、次なる頁に目をやった。
「おや、こんなところに、アンダーラインしてあるぞ」
今まで気がつかなかったが、下欄の小さい活字のところが、数行に亙って、黒い鉛筆でアンダーラインしてあった。そこを読むと、こんなことが書いてあった。
“パリ発――日本大使館附フクシ大尉は、ダンケルク方面に於いて、行方不明となりたり。氏は英仏連合軍の中に在りて、自ら偵察機を操縦して参戦中なりしが、ダンケルクの陥落二日前、フランス軍の負傷者等を搭載しパリに向け離陸後消息を絶ちしものなり。勇敢なる大尉及び同乗者等の安否は、極めて憂慮さる”
それを読んだ仏は、舌を捲いた。
「ふーん、日本軍人は、ここでも勇敢なことをやっている。勇敢なる中国軍人のニュースは、一体どこに出ているのだろうか」
生憎と、その日は、中国軍人が活躍しなかったものと見え、他をしらべても、中国軍人の勇敢さについては一行半句も出て居らず、ただ、列強の対中援助のことだけが、くどくどと書いてあるばかりだった。
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