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海野十三敗戦日記(うんのじゅうざはいせんにっき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 10:51:05  点击:  切换到繁體中文


 一月九日
◯「読売報知」へ投稿の「軍情報と数字」がきょう掲載された。
◯敵機は昨夜も来なかった。どうしたのだろうか。こっちはよく寝られてよかったが、敵の様子が気にかかる。
◯午後一時四十分、警戒警報発令。久し振りに昼間の空襲となる。
 四編隊のほかに一又は二機の別動隊がある。そのうちに後続の数機は中部軍管区へ入る。情報が出て間もなくプーと鳴って、空襲警報解除となる。「あれ、もう解除か。あっさりした空襲だな」と壕を出る。ようやくこんな気持のところまで来た。空襲始まりのあの頃とはたいした変りようだ。
◯東北東の空中に、敵機群から白いものが落ちはじめた。敵機の燃料タンクか、味方の戦闘機かとひやひやする。わからず、そのうちに見ている双眼鏡の中に一機もえて真紅になっておちるのがある。前見た戦闘機かとひやっとしたが、かなり形が大きいので、敵機とも見えた。どうぞ敵機であるようにと祈る。
◯後刻、陽子(※次女)が学校(山脇高女)より帰って来て、真赤になって敵機が落ちた事、それが途中で空中分解してばらばらになった事を話す。私が「本当にあれは敵機か」と真剣に訊けば、陽子「だってずいぶん大きい飛行機だったんですもの」「そうか、よし、よし」と、私は大機嫌であった。
◯眼疾あるために、空を見れば一面に水玉があらわれ、また視力も落ちていて(おまけにややミストあり)今日ははっきり味方機の活動を見る事が出来なくて残念だった。
◯昌彦(※三男、病臥中)に初めて敵機(二機)を見せる。よろこんでおった。
◯この日敵機が関東北部へ向かったというので、さては小泉、太田の中島飛行機工場へ行ったかと舌打ちしたが、そのうちに敵機隊は南下を開始した。爆弾は関東北部で落として来たのか、それとも帝都へ落としたのか、詳(つまびら)かならず。
◯防空に立つと小便がちかい。冷えてぼうこうカタルを起こしつつあるのか、それとも……。

 一月十一日
◯昨夜と今晩の二回の敵空襲では、ちょうど我家上空を飛んだ。今までにないことである。しかも両回とも同じコースを通った。
 この日高射砲を盛んに射ったが、多くは後過ぎて駄目。たいへん冷える夜だった。敵機が照空灯につきさされながらも、わが砲弾と六百万都民を尻目に悠々と帰って行くので、さらに寒さを感ずる。夜間戦闘機の武勲もほとんど新聞に出ない。

 一月十二日
◯昨夜モ敵三回来襲ス、薄雪アリ冷雨時ニ落チ冷エ込ムコト甚シ、遠方ニ男女ノ警防団員ノ声ス、皇土ヲ護ル当代ノ人々ナリ、感涙ヲ禁ジ得ズ。
◯今日慶大病院眼科ノ桑原博士ノ診察ヲ受ケタリ Augiospasmus retinae なる由。当分手当ヲ受ケルコトトナリタリ。ナオルヤナオラヌヤ今後ノ観測ニ俟ツ外ナキラシイ。「頭ヲ使ウナ、精神ノ安静ハ薬以上ニ効果アリ」ト言ワル、頭脳稼業ノ吾等ニハ痛イコトナリ。

 一月十四日
◯敵機、一昨夜も昨夜も来ず。どうしやがったろう。

 一月十九日
◯敵機昨夜も帝都に来らず、どうしたかと思っていたところ、放送によると昨日来阪神へ三回も来、今暁も来たし、朝九時頃も来た由。続いて午後になってB29、八十機が阪神初空襲を行なう。その前に関東と名古屋方面へ少数機で牽制して、それから入る。いくら牽制しても阪神へ入ることは見え透いている。
 帝都、名古屋の前例に鑑み、阪神の重要工場は疎開を完了していたかどうか。川西航空機は如何? 神戸製鋼は如何?
◯一昨日、永田(※長女、朝子の婿の永田徹郎海軍大尉)の新世帯のある八日市場へ行き泊った。十八日帰った。
◯祖母、伊予より十八日突然帰る。

 一月二十六日
◯眼が悪くなってから、書くことがかなりの大仕事となり、書けなくなった。
◯空襲は名古屋、阪神方面に移行し、このところ東京は昼も夜も警報から遠のいている。おかげで夜も温く寝られるわけで、今のうちに過日来の疲労をとりかえして置かねばならぬ。

 二月三日
◯今夜、節分なり。晴彦と暢彦(※次男)に年男をやらせる。元気で二人声を揃えて、「敵撃滅、鬼は外」とやり、ぱらぱらと大豆をまく。
◯敵機、この頃東京襲撃がとかくとぎれ勝ちなり。昼間の大空襲も停頓しているらしい。何か変化を見せるな。何でも出してこい。
◯目下敵アメリカの発表せる損害は七十何万。これは動員兵員の六分四厘。前大戦でアメリカは八分の損害を出している。今次の戦域は前のそれに比べて東西両域にわたり、激闘の程度も比較にならぬ程ひどい。故に前記の数字は出鱈目(でたらめ)で、多分百二十万か百三十万はいかれているのだろう。来れ来れ。いくらでもやっつけてやるぞ。そうすれば、こっちが紐育(ニューヨーク)へ進軍するときは非常に楽になる。


 二月五日
◯空襲ハ昨四日、九十機ヲ以テ神戸ニ、十五機ヲ以テ三重県ニ行ナイシト。埠頭ヲ狙イ、南西部市街等ニ火災起リシ由ナリ。


 二月十日
◯本日は朝から敵機がちょろちょろ入って来ると思ったら、二時頃から九十機来襲、ただし帝都をぬけて関東北部へ行って投弾した。
「我方地上施設ニ若干ノ損害アリ」との大本営発表である。たぶん太田、小泉等の中島飛行機製作所がやられたのであろう。
 あそこがやられるであろうことは、前々から分っていた。また数日前も敵機がきょうと同じコースで二度も入って来ている。熊谷の陸軍特攻隊も手ぐすねひいていた筈。むざむざやられるようなことはあるまいと思うが、「若干ノ損害」とは気になる。
 また一方に於いて疎開もやっていたはずだから、うまく行けば案外建物をこわしたに止まるやも知れず、いくら神経ののろくさい軍官民の指導者たちも、今度はちゃんとやっておいてくれたろうと思うが、さあ信用はまだまだ致しかねるをいかにせんや。
◯戦果発表「十五機撃墜す」――十一日午後三時。


 二月十一日
◯荻窪や京浜街道附近の友人たちが移転を希望し、世田谷に望みを持って、家を探してくれと頼んで来るのが多い。まことに尤(もっとも)もなことである。しかし世田谷はなかなか家が手に入らない。誰しも安全地帯と思っているせいであろう。
 が、昨日今日、二軒ばかり明きそう。一軒はもう敷金と家賃を払込んで置いた。二十五円という安い家だ。しかし「早く見に来なさい」と知らせて置いた友人はいっこう来らず、今度は入り手ありやと心配する立場となっている。

 二月十二日
◯慶応病院へ行く途中、省線(※JRとなった国電の旧称)千駄ケ谷駅へ電車がついたとき警報が出る。一機来たらしい。この敵機、わが制空機部隊によって撃墜され、銚子の向こうの海へ落ちたと発表あり、みんなうれしがる。一機来て、こうはっきり墜としたのは、これが最初である。
 午後七時頃、敵一機来襲。西からきて帝都を東にぬけ、関東を旋廻して東方へ去る。朝方の味方機の消息を調べに来たのであろう。
◯徹ちゃん(※娘婿の永田徹郎海軍大尉)転勤の由。今の香取航空基地より、鹿児島県下の辺ピなところへ行くことになったという。

 二月十三日
◯徹ちゃん、香取航空基地より親子を連れて、寸暇に顔を出してくれる。十五日はいよいよ九州へ飛行機で出発とのこと。十一時頃来て、二時半頃戻って行く。多分国分か鹿児島らしいという。

 二月十五日
◯敵B29、六十機名古屋地区へ主力を、また三重県の宇治山田、浜松、静岡へも分力を以て来襲す。
 東京へは七十三機ばかり来た。横浜方面と思われる方向で、えらい音がして地面がふるえた。(戸塚区へ投弾した事が、あとで分った)
◯戦果、十七機に損害を与う。わが方一機未帰還。

 二月十六日
◯艦載機延べ一千機で関東、東海地区へ来襲。
戦闘機 F4Fワイルドキャット


1500P

最大SP
500km
1500―
1800km
13mm機銃


戦闘機 F6Fヘルキャット


2000H

600km
1850km
13×3


戦闘機 F4Vコルセア


2000K

500km
13×2
 逆カモメ型W


軽爆機 SBD3ダイドントレス

 複


1500
7×2
13×2
450kg


軽爆機 SB24カーチスヘルダイバー


450km
1450


軽爆機 PBFグラマン・アベンジャー


2名
or
4名

440km
13×3
600kg
1ton
 胴太



◯朝七時、まだ寝床にいたとき、警報鳴りひびく。この早さに、さてはと思う間もなく、東部軍管区情報が出て「敵小型機約五十機、南方より本土へ近接中」と伝えた。いよいよ敵機動部隊来ると、はね起きて万端を指図す。敵機はすぐには帝都へ来らず、主として房総方面の飛行部隊や軍事施設を攻撃し始めた。子供たちは敵機を見たというが、私は遂に見ずじまい。
 午後五時迄に四度空襲警報が出て、四度とけた。しかし警戒警報は夜に入るもとけず。
 帝都に入ったのは三、四編隊にすぎなかったが、わが地上火器は盛んに射った。あんなに射って弾丸がなくなりはしまいかと思う位に。
◯情報で伝えられた編隊の数は約三十であった。それで五百機位とにらんだが、発表は一千機内外ということであった。
◯房総、ヨコスカ、茨城の飛行場や軍事施設に対しては相当長時間攻撃した。本土上陸の企図か? 小笠原のどこかへ上陸の前提か?
◯発表によると敵機動部隊は十数隻の空母によるものといわれる。なお戦艦、空母を含む三十数隻の敵艦隊は硫黄島を攻撃中。
◯敵はビラをまいた。(茨城地区に)大東亜戦争に於いて最初。
◯放送は「明日も敵襲あるべし。敵機はふえるであろう」とのべる。
◯防空総本部、宮地直邦放送。


・米は、欧州戦の当初焼夷弾を5%使ったが、今は60%位使っている。ドイツの工業都市の破壊は、爆弾によるに非ずして、焼夷弾による火災のためである。(テルミット)
・火焔噴射弾。
・時限爆弾。(数時間乃至数分後に爆発)
・大型焼夷弾。(炸薬も相当入っている)


◯徹ちゃんはどうしているか? まだ健在ならば、今夜は勇躍、敵機動部隊へ突込むだろう。飛行機が焼かれていれば口惜しいだろう。武運長久を祈ってやまぬ。朝子(※長女、永田徹郎海軍大尉夫人)も気が気であるまい。
◯運通省通告。しばらく東京及ヨコハマ着の切符発売停止(軍の者をのぞく)また京浜通過者の切符も同様なり。省線電車も売らぬ。今夜は省線電車は十時半にて終業し、約一時間半くりあげる。
高粱(コーリャン)の入りし米ながら、漸く今日配給となる。(十二日のものが十六日におくれた)
◯明日も一千機来るか、今度は都市攻撃をやりはせぬか――と予想する気持は、あまりいいものでない。さりながら実際に会うと、「なんだこれ位か」と期待外れがするもの、そして慣れて行くものである。東京は広い。なかなか命中とか、焼尽しとはならない。命中して一家散華すれば、これ仏の慈悲だと思うのである。生命あるかぎりは、敵と戦い、敵の攻撃を無効にし、そして敵を倒さん。

  敵千機大西風に吹かれけり
  敵千機大西風を喫しけり
  敵千機大西風の味如何

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