驚愕
正六面体の部屋の中に幽閉された僕は、それから二時間あまりを、地獄の生活とはこんなものかと思う程のなさけない気持でもって送った。
その間に、僕は戸口のところへいって、把手を廻して押してみた。扉は錠が下りているらしく、押せども蹴れども、開きはしなかった。
もう無体に癪にさわってきて、そこらにある什器家具を手あたり次第にぶち壊してやろうかと思い、まず卓子に手をかけたのであるが、やっぱり駄目だった。卓子は、すこぶる簡単なもので、一枚板に足がついているだけのものだったが、ぶつかってみると仲々頑丈で、こっちの腕が痛くなった。超ジュラルミンか何かで出来ているらしい。
抵抗すればするほど、こっちが損をすることが分ったので、僕はもう諦めて、どうでもなれと長椅子の上にふんぞりかえって寝ていた。そのうちに亢奮の疲れが出てきたのか、睡くなった。そのままとろとろと眠る。
なにか物音がしたので、目がさめた。
はっとして、目を明けて部屋を見廻すと、白い上衣を着たドイツ人の給仕が、卓子の上に食事の盆を置くところだった。
「やあ、ご苦労。もう食事の時間かね」
僕は、坊主憎ければ袈裟までもの譬のとおり、この美青年の給仕を呶鳴りつけたい衝動に駆られたのを、ようやくにしてぐっと怺え、誘導訊問風に呼びかけた。
「はい、さようでございます。ご馳走はございませんが、どうぞ召上ってください」
給仕は慇懃に言葉をかえす。
僕は卓子の上を見た。
「おや、二人分の食事じゃないか。誰か、ここへ喰べに来るのか」
僕は意外な発見に愕いて、訊ねた。
「はあ、もうひとかた、ここへ来られまして食事をなさいます」
「誰だい、それは……」
「はい。そのかたは――ああ、もうお出でになりました」
戸口が開いて入って来た者がある。その人物の顔を見て、僕は思わず呀っと声をあげた。
「魚戸じゃないか。なあんだ、きさまだったか。ひどい奴だ、僕を散々手玉にとりやがって……」
僕は魚戸をぐっと睨みつけてやった。ところが、魚戸は、意気悄沈、今にも泣き出しそうな顔をしていた。四十男のべそをかいたところは、見ちゃいられない。
「おれは一杯はめられた」
魚戸は吐きだすように、これだけいって、僕の傍に、崩れるように腰を下ろした。魚戸の顔色はよくない。
「君は一杯はめられたというが、その君は僕を一杯はめたのじゃないかね、リーマン博士と共謀して……」
「それは君の誤解だ。だからといって、君の疑惑がすぐ融けるとは思わない。それはいずれゆっくり釈明するとして、おい岸、われわれはこれからたいへんな旅行を始めるのだぞ。知っているか」
料理の冷えるのも気がつかない様子で、魚戸は僕の方に身体をすりよせる。
魚戸は、よほど衝撃をうけているらしい。そうなると僕は却って気が落付いてくるのを覚えた。
「たいへんな旅行だということは、初めから分っていたのじゃないかね。リーマン博士曰くさ、『非常な超冒険旅行』でござんすよと、初めに僕に断ったが、君にはそれをいわなかったのか」
「それは聞いたとも。しかし『非常な超冒険旅行』といっても、程度というものが有るよ。そうだろう。君は知っているかどうか、僕たちが今乗っているこの乗り物を一体何だと承知しているかね」
僕は、魚戸の真剣な顔付を気味悪く眺めながら、
「これは潜水艦だろう」
「ちがう」
てっきり潜水艦だと思っていたのに、魚戸は言下に否定した。今度は僕が周章てる番だった。
「じゃあ、飛行機の中か。それとも飛行艇か」
飛行機にしても飛行艇にしても、こんな大きな部屋を持っている筈はないと思うが、そうとでも訊くより外ない。
「ちがうよ」
「汽船か。いや、分った、地下戦車か」
「ばかをいえ」
「じゃあ、なんだ、この乗物は……」
僕は、咽喉に引懸ったような声を出した。そのとき魚戸は、大きく両眼をむいて僕の方へ顔をよせながら、声をおさえていった。
「ロケットだ。総トン数は一万トンを越える大ロケットだ」
「えっ、ロケット?」僕の心臓は大きく鼓動をうって停った。「本当かい、それは……。で、ロケットでどこへ飛ぶのか」
「分らない。どこへ行くのか。おれは知らない。しかし一万トン級のロケットを飛ばすところから考えて、地球の上の他の地点へ行くのでないことだけは確かだと思う」
「冗談じゃないぞ」
と、僕は叫んだが、それは魚戸のいうことを否定した意味ではなかった。
二人は、急に黙ってしまった。「非常な超冒険旅行」が何であるか、その神秘な実体がようやくヴェールを透してうっすりと見え始めたのだ。ひしひしと迫り来る真実なるものの重圧下、僕たちは頭を抱えて低く呻吟するばかりだった。
おおロケット! どうしたかリーマン博士! 彼はわれわれをこの艇内に押籠めて、地球を後に決然大宇宙へ飛ぼうとするのだ!
記者倶楽部
正六面体の例の部屋に、「記者倶楽部」という標札が掲げられた。給仕がやってきて、戸棚と向き合った壁の上に、その札を釘づけにしたのであった。
それがきっかけのように、この部屋へぞろぞろと記者たちが集ってきた。ドイツ人の若い記者が二人、フランケにワグナーだ。フランス人の記者が二人、ベランという中年の男と、ミミというおそろしく派手な衣裳をつけた若い女。この二人は夫婦だそうである。そのほかに僕たちが二人で総勢六人であるが、この六名の記者の面倒を焼くリーマン博士の部下が一人、これが例のイレネだったことが分ったので僕は苦笑を禁じ得なかった。
イレネは、過日魚戸と一緒に歩いていたときとは別人の如き取澄した表情で僕たちの前に立ち、六人の記者を一人一人紹介すると、そのまま部屋を出ていこうとした。
「もし、宣伝長。ちょっと待った」
と、僕は声をかけたのであるが、イレネは冷然と僕の方にふりかえり、
「艇長リーマン博士から命ぜられたこと以外に、お喋りが出来ません。あなたがたの紹介と、ここを記者倶楽部にすることと、宣伝長のわたくしが艇長と皆さんとの連絡係であること、以上三点をお話する以外、なんにも喋れないのですから、あしからず」
と、突放して部屋から出ていった。
「あれは一体なんだい」
僕は呆れかえって思わずそう叫んだ。するとベラン夫妻がくすくすと笑った。あとの三人は笑わなかった。
「早速ですが、われわれ六名の記者団に団長と副団長とを選んで、本艇の幹部との交渉その他に当らせることにしたいと思いますから、ご賛成を願います」
フランケが、軍人らしい態度と口調とで、僕たちに図った。
「たった六名の記者じゃないですか。そんな面倒なものは不要じゃないですか」
と僕は早速反対した。ところが、こんどは僕ひとりが孤立となって他の連中は交渉委員の必要について賛成した。
「どうぞ御勝手に……」
「では選挙しましょう。これに御投票を」
フランケが紙を配った。
皆が書いてしまうと早速開票した。団長はフランケに決定、副団長は魚戸に決定した。われわれは拍手を以て、その成立を承認した。フランケと魚戸は、真中まで出て、軽く頭を下げた。まことに几帳面なことである。
「では早速ですが、私は団長として、皆さんにお伺いしますが、本艇に於ける生活について希望がありましたら、お申出下さい」
フランケが丁寧な口調でいった。
「リーマン博士に一刻も早く会見する機会を作ってもらいたいですなあ」
私は早速申入れた。
「はあ、そうですか。今私がお訊ねしたのは生活のことについてでしたが、リーマン博士に一刻も早く逢う件も交渉して置きましょう」
フランケは好意に充ちた顔付で、そういった。
「われわれのための私室はあるのでしょうか」
ベランが訊いた。
「それは大丈夫です。狭いながら、ちゃんと有ります。あなたがたの場合は、間の扉を開いて二室お使いになればよろしい」
「美粧院みたいなものがありまして」
「ああ美粧院ですか。たしかにございます。その外病院もありますし、産室もございます」
産室! 僕はくすくすと笑った。するとフランケが、青い目玉をこっちへ向けてぐるぐる廻し、
「いやそれは本当です。本艇には現在二十五組の夫婦が乗っていますから、そういうものも当然用意してあります」
と、大真面目でいった。僕はそれを聞くと、ちょっと揶揄ってみたくなり、
「ほほう。すると本艇にはお産日の近い御婦人も乗っているのですね」
「そうです。目下判明しているのは二人だけです。一人は縫工員のベルガア夫人で、これは妊娠九ヶ月、もう一人は宣伝長イレネ女史で同じく四ヶ月です」
「おやおや。それはどうも……」
僕は後を振返って魚戸の顔を探した。魚戸の奴、周章てくさって、ポケットから莨を出して口に啣える。
フランケは言葉を続けて、
「なお、本艇が予定の航程を終了するまでには、相当の出産があることでしょう。三四十人、いや四五十人はあるかもしれん」
「赤ん坊が四五十人もここで生まれるって……」
僕は笑おうとして、ふと気がつき、笑うのを中止した。その代りフランケの前に進みより、
「フランケ君。君は本艇の全航程が何ヶ年ぐらいかかるか、それを知っているのかね」
「正式には知らんです。だが常識として、十五年はかかるでしょうな」
「十五年だって! じょ、冗談じゃない」
僕は思わず大きな声を出した。十五ヶ年も、こんな狭い艇内に閉じ籠められ、ただ宇宙を飛び続けるのだったら、僕はその単調のために病気になってしまうだろう。恐らくフランケの外の誰もが僕と同じくさわぎたてるだろうと思い、まわりを見廻したのであるが、その予想は外れて、誰もさわがない。それには面喰わずにいられなかった。
「おどろいたねえ。諸君は、これから十五ヶ年も本艇に乗っていて、それで我慢が出来るのかね」
僕はつまらんことを訊いたものだと、云った後で気がついた。もちろん誰も僕に賛成しないのであった。それに、もっと面白くないことは、ベラン氏夫妻が、互いに手を取り合って、意味深長な目付をしたことであった。
「僕の惨敗だ。本艇に乗組んでいる者の中で、今度の宇宙旅行について一等何も知らない者は僕だということが今初めて分った」
僕は長椅子の上に、どしんと腰を下ろした。
「おい岸、つまらんことで歎くなよ。それは最も恐ろしい神経衰弱症の入口を作るからねえ」
魚戸が傍へ来て、僕の肩を軽く叩く。
「僕のことなんか打棄っておいて呉れ。無鉄砲を嗤われる資格は充分に有るのだから……」
本年二十五歳の僕は、十五年後には四十歳になってしまう。おお四十歳。今僕の機嫌をとってくれている魚戸が今年四十歳の筈であった。
(おお、あたらわが青春を本艇の中で鋳潰してしまうのか。ああ、われはあわれな宇宙囚! 残念な……)
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