村道の奇現象
帆村荘六がいったことは、あまりにも突飛すぎるという評判だった。あんなことをいい出したので、それまでこの鉱山でかなり信用されていた彼も、俄かに評判がおちた。しかし、帆村は別にそれを気にする風にも見えず、皆に別れると、ただひとりで、例の坑道の底へはいりこんでしまった。
ところが、帆村の予言したことが、間もなく事実となってあらわれた。これには、鉱山の人々も、びっくりしてしまった。その事実とは、一体何事であったろうか。それは隣村で起ったことであった。
隣村を白根村という。この白根村は、雑穀のできる農村であった。
事件が鉱山事務所に伝わったのは、その夜のことであった。が、その事件が起ったのは、もっと早い時刻だった。正しくいうと、その日の午前十一時ごろのことだった。
白根駅から一本の村道が、山の麓へ向かってのびていた。両側は、ひろびろとした芋畠であった。この村道は畠よりもすこしばかり高くなっていた。
喜作というお百姓さんの一家五人が、そのとき山の麓の方から、この村道を下りてきた。農家の人たちは、いつも午前十一時ごろには、昼飯をたべることになっている。そしてそれは、畠で弁当を開くのが例であった。ところがこの喜作一家は、その日のお昼すぎに、娘の縁談について客が来ることになっていたので、その時刻に畠の用事をすまして、家の方へ戻ってきたのであった。
すると、ちょうど村長さんの畠の井戸があるところまで来たとき、五人の先頭に立って歩いていた喜作が、へんな声を出して、道の上に立ちどまった。
「あれえ、これはどうしたんだろう」
喜作の家内のお浜は、二三歩うしろにいたが、喜作の声におどろいて駆けつけた。喜作は、顔をまっ赤にして、よたよた足踏みをしている。お浜は、喜作が中風になって、これから前にたおれるところだと思った。
「どうしたんだね、お前さん。しっかりおしよ」と、お浜は胸がわくわく、目がくらみそうなのをこらえて、亭主の前にまわった。いや、前にまわろうとしたのだ。
「あ、いたいっ」
お浜は急に体を引いた。誰かに前からつきとばされたように感じたからだ。だが、お浜の前には、誰もいなかった。喜作が自分をつきとばしたのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。喜作はあいかわらず、すこし前のめりになって、よたよたと足踏みをつづけている。お浜は狐に化かされたような気がした。そこでお浜は、もう一度喜作の前へまわろうとした。
「あれっ、まただよ」
お浜は、前からつきとばされたように感じた。しかしいくら目をこすってみても、自分をつきとばした者の姿は見えない。お浜は、自分で気が変になったのだと思った。そのうちに、三人の娘が追いついた。お父さんとお母さんは、なにをしているのだろうと、ふしぎに思いながら近づいて行くと、急に足が前に進まなくなった。
「あれえ、どうしたことじゃろ」
「前へ体が進まんがのう」
「わしもそうだよ。狐が化かしとるんじゃろか。早う眉毛につばをつけてみよ」
こんどは三人の娘がさわぎだした。
こうして五人の者は、道の真中に一列に並んだまま、一歩も前へ進まず、うろたえていた。それは奇妙な光景だった。知らない人が見れば、たしかにこの五人の家族は、狐に化かされているとしか見えなかった。しかし狐が化かすなどという、ばかばかしいことがあるものではない。
ちょうどこの時、列車を下りて、駅から出て来た人たちが五六人、喜作の一家とは反対の方向から、なにも知らず、この村道を歩いて行った。
一番前を歩いていた農業会の田中さんという中年の人が、喜作たちのふしぎな挙動に気がついた。一町ほど向こうであるが、道はまっ直であるので、よく見える。
「あれ。喜作どんたちは何をしとるのかい。教練をば、しとるのじゃろか」
一列横隊で五人が足踏みをしている有様は、なるほど教練をしているように見られないこともなかった。
が、その田中さんも、それから十歩と歩かないうちに、喜作たちと同じように、道の真中で足をばたばた始めてしまった。
「ああれ。なんちゅうことじゃ、体が前へ進まんが……」
田中さんはがんばり屋であったから、一生けんめいがんばって前へ進もうと努力した。しかしそれはだめであった。何者ともしれず、前から自分を押しかえしている者があった。もちろんその者の姿は見えない。前へ進もうと力を入れれば入れるほど、強く押しかえされる。顔がおしつぶされて、呼吸をするのが苦しくなるし、胸板が今にも折れそうだ。脚は膝から下がよく動くが、それから上は塀につきあたっているようだ。
この田中さんのあとに続いて来たのは、三人の工業学校の生徒、それからすこしおくれて、海軍の若い士官が一人と、兵曹長が一人。この二人もやがて、目に見えない力のために、前進することができなくなった。この六人も一列横隊でうんうんいっているし、それから半町ほど向こうには喜作の一家五人がこっちを向いてうんうんいっている。まことにふしぎな光景であった。
皆初めはさわぎ、あとは恐怖のために口がきけなくなってしまうのだった。
ただ二人の海軍さんだけは、さすがにしっかりしていて、そうあわてもせず、互の顔を見合わせている。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页