海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊 |
三一書房 |
1991(平成3)年5月31日 |
1991(平成3)年5月31日第1版第1刷 |
1991(平成3)年5月31日第1版第1刷 |
作者より読者の皆さんへ
この小説に出てくる物語は、今からだいぶん先のことだと思ってください。つまり未来小説であります。今から何年後のことであるか、それは皆さんの御想像にまかせます。しかしそれは百年も二百年も先のことではなく、あんがい近い未来に、このような事件がおこるのではないかと、私は考えています。
それはそれとして、私たちは油断をしてはなりません。科学と技術とは、国防のために、また人類の幸福のために、新しい方面にむかって、どんどんきりひらいていかねばなりません。深い科学研究と、奇想天外な発明を一刻も早くつみあげていかないと、私たちも私たちの国も、とつぜんおそろしい危機をむかえなければならないでしょう。
今日の航空戦隊は、やがて「宇宙戦隊」の時代にかわっていくことでしょう。数千メートルの高空を飛んで、敵機動部隊のま上にとびかかる航空戦隊、さらに成層圏を征服して、数時間で太平洋、大西洋を横ぎり、敵の首都に達し、大爆撃を行うことになるはずの、明日の航空戦隊――それをもっともっと強くりっぱなものにして、やがて「宇宙艦」をもって、大宇宙を制圧するまでに進めなければなりません。
それはいったい誰がするのでしょうか。もちろんそれは、皆さんがた今日の日本少国民たちが、大人になったときにするのです。よわい民族ではできないことです。すぐれた科学技術を、つよい民族が使うのでなくては、とてもこのむずかしい仕事、この苦しい仕事をやりとげることはできません。
しかしその仕事がむずかしく、また苦しいだけに、それに成功したときのうれしさは、今ちょっと考えただけでも愉快なことではありませんか。日本少国民の皆さん、どうぞしっかりやってください。
奇妙な死骸
ここに一つの奇妙な死骸が、地底七百メートルの坑道の中で発見された。坑道というのは、鉱石をほりだすため、地の底へむけてほった穴の中のことだ。
その奇妙な死骸は、たしかに金属と思われるもので作られたかたい鎧で、全身を包んでいたのだ。
しかしその姿は、じつにふしぎな、そしてめずらしいものであった。それを見つけた人々は、なんとかしてその死骸の姿に似たようなものを、これまでに見た雑誌の写真や、映画などから思い出そうとしたが、だめであった。まったく今までに、それに似かよったものが見あたらないのだ。
だが、それが一つの死骸であることだけはわかった。首もあるし、胴も手足もあったから……。眼もちゃんと二つあるし、鼻もあった。口もあり、耳もあった。たしかに人間の持っている顔の道具はそろっていた。
こういう風にのべると、あたりまえの人間と、あまりかわらないように聞えるが、さてもっとくわしく全身を見て行くと、これもふしぎ、あれもへんだと、次々に奇妙なことが発見されるのであった。
まずその死骸の色であるが、前にものべたとおり、たしかに金属で作ったと思われるかたい鎧で全身を包んでいたが、その色は、目のさめるような緑色であった。毎年五月になると、木々のこずえには若葉がしげり、それが太陽の光をうけてあざやかな緑色にかがやくが、あの若葉のような緑色であった。
緑色の金属――そんなものは、あまり見かけたことがない。私たちの知っている金属といえば、たいてい銀色に光っているとか、さびて黒くなっているとか、朱色になっているのがふつうであった。この緑色の金属は、いったい何という金属であろうか。
死骸のこの緑色にひきつけられて、じっと見つめていた人々は、やがてなんとなく嘔き気をもよおしてきた。熱帯にすむ青いとかげのことを思い出したからであろう。
しかし何よりも人々にふしぎな思いをいだかせたのは、その死骸の顔であった。顔というよりも、ふしぎな首といった方がよいかもしれない。
三本の角が、頭の上に生えていた。二本なら牛や鬼と同じであるが、それよりももう一本多い。そしてその角は前の方に二本生えていて、もう一本はすこし後にあった。後の角は半分ばかり土の中にめりこんでいた。
その角が、牛の角や鬼の角とはちがい、奇妙な形をしていた。太鼓をうつ撥という棒がある。その撥には、いろいろな種類があるが、棒のさきに丸い玉のついた撥があるのをごぞんじであろう。死骸の角は、じつにその撥のような形をしていて、角の先に丸い玉がついていた。太さは鉛筆をすこし太くしたくらいであった。
その角は、糸をまいたように、横にしわがあった。そこに集っていた一人がおそるおそる、その角をつかんでひっぱってみた。すると、まるで鎖でもひっぱり出すように、角がずるずると長くのびてきて、一メートルほどになったので、その人は、きゃっと悲鳴をあげて手をはなした。
すると毒蛇のようにのびた角は、ゴムがちぢまるように、するするぴちんとちぢんで、もとのように短くなった。
目は、大きな懐中時計くらい大きく、そして厚いレンズをはめこんだように、ぎらぎら光っていた。目は二つあったが、あとになって、目は三つあることがわかった。二つの目は私たちと同じように、ならんで前についていたが、もう一つの目は、頭の後についていたのである。それはあとでこの死骸をひっくりかえしたときにわかったことだ。
耳は大きく、二つあって、その形は、どことなくラッパに似ていた。
鼻はひくくて長かった。
口はたいへん大きく、耳の下までさけているように見え、厚ぼったい唇があった。その唇へ、一人の男が棒をさしこんであけてみたところ、たしかに中には口腔があったが、ふしぎなことに歯が一本もなかった。
まったく、ふしぎな死骸であった。
この死骸の身長は、はかってみると、一メートル八〇あった。ふつうの日本人より、よほど背が高いわけだ。
この死骸のふしぎなことについては、まだまだのべることがあるが、それはだんだん後で書いていくことにするが、以上のべたところだけによっても、この死骸がじつに奇妙なものであることがおわかりになったであろう。
では、この奇妙な死骸が、どうしてこんな地底ふかいところで発見されたか、そのころの話をこれからすこし書かねばならない。
三人の鉱員
この奇妙な死骸の発見者は、金田という鉱員と、川上と山岸という二人の少年鉱員であった。
この三人は、梅雨ばれの空をあおぎながら、早朝この山へのぼってきた。
この山は、この間までりっぱな坑道をもった鉱山であったが、とつぜん五百機に近い敵機の大編隊によって集中爆撃をうけ、そのためにこの鉱山はめちゃめちゃになった。
坑道の入口はたたきつぶされ、変電所も動力室も事務所も、あとかたなく粉砕されてしまった。坑道を通って外へ鉱石をはこび出すためのケーブル吊下げ式の運搬器も、その鉄塔も、爆風のため吹きとんでしまい、今は切れ切れになった鋼索が、赤い土のあいだから、枯草のように顔を出しているだけであった。
それよりも、すごい光景は、この鉱山の上に爆弾が集中されたため、山の形がすっかりかわってしまって、地獄谷のようなありさまになっていることだ。その間から、ほりかえされた坑道が、あっちにもこっちにも、ぽかんと口をあけ、あるところは噴火口のように見えていた。
金田と、川上、山岸の三人は、この日このように破壊された坑道のどこからか地中にはいりこみ、この間まで働いていた第八十八鉱区が今どんなになっているか、それをよく見てしらべてくるのが仕事だった。それはかなり危険な仕事であったが、戦争の最中のことで、鉱区はできるだけ早くもとのようになおして、鉱石をほりだすようにしなければならないので、三人はえらばれて、この山へやってきたのである。それは敵機の大爆撃があってから、七日めのことだった。
山へついた三人は、いつもはいりなれた坑道の入口がわからないので、まごついた。やむなくそれから山の頂上へのぼって、上からようすを見ることにしたが、三人は前にのべたように、地嶽谷のようなものすごい破壊の光景にぶつかって、たいへんおどろいた。しばらくはぼんやりとそこにたたずんで、口がきけなかったほどであった。
が、金田はもう老人といわれる年齢になった老鉱員であるが、十四歳の時からずっとこの山で働いていたしっかり者だけに、二人の少年をはげまして、ついに地中へもぐりこんだのである。
頭には、上から落ちてくる岩をふせぐための弾力のある帽子をしっかりかぶり、手にはするどい鉤のついた小さい手斧と、強い燭光の手提灯をもち、腰には長い綱をさげていた。そのほかに、携帯用の強力な穴ほり道具を、三人が分解して肩にかついでいた。
せっかくはいりこんだ坑道が、盲管のように行きどまりになっていたので、三人はいくども、もとへもどらなければならなかった。
でも、そんなことをくりかえしているうちに、ようやくわりあい崩れ落ちているところのすくない坑道にもぐりこむことができて、三人はすこし明かるい心になった。
それでもやっぱり、落磐の個所がつぎつぎに出てきた。三人は、酸水素爆発を応用した穴ほり道具を、なるべく使わないようにしながら進んだ。こうして進むうちにも、不安定な状態にある坑道は、いつ新しい落磐をおこすかもしれないので、そのときは強力な穴掘り道具を使う方針であった。
およそ四時間もかかって、ようよう三人は第八十八鉱区の入口にたどりついた。
たいへんうれしかった。
しかしこれから先が問題である。働きなれたなつかしい鉱区の中は、いったいどんなになっているのであろうか。
三人は、そこで持ってきた握飯をたべ、水筒から水をのんで元気をつけた。
それからいよいよ中へ入っていったのである。
ところが坑内は、意外にもきちんとしていた。もっともここはそうとう深いところでもあるし、地質もしっかりしているので、きちんとしていることがむしろあたりまえだった。だが地上のあのすごい光景にびっくりさせられた三人は、第八十八鉱区のこの無事なありさまが意外に感ぜられた。
が、三人が、この鉱区の中央をつらぬく竪坑のところへ、横合から出たときには、思わずあっとさけんだ。
いつもこの竪坑は暗かった。今は電灯もついておらず、さぞまっくらであろうと思っていたところ、その竪坑へ出ようとするところが、ぼうっと明かるかった。日の光が、どこからかさしこんでいる様子だ。それから三人はいそいで竪坑へ出た。そして上を見たのである。竪坑は明かるかった。上を見ると、盆くらいのひろさの空が見え、そこからつよく日がさしこんでいた。
「これはどういうわけだろう」
と、金田はつぶやいた。
「竪坑はまっくらなはずですね。これは場所がちがうのではないでしょうか」
と、川上少年鉱員がいった。
「いや、うちの竪坑にちがいない」
金田はつよくいった。
「ああ、わかった。竪坑の上から爆弾が落ちて、天井がぬけてしまったんだよ」
と、山岸少年鉱員がさけんだ。
「そうだ。それにちがいない」と、金田がうなずいて、「それにしても、あんなに厚い山がふきとんで、竪坑の天井がなくなるなんて、すごい爆発だなあ」
まったくものすごい爆撃をくらったものである。
それから三人は、竪坑をおりることにした。前にはあった昇降機も見えなければ、それを吊っていた鋼索もないので、三人は持っていた綱をつなぎあわせ、それにすがって下へおりることにした。
竪坑の底まで、そこからなお五十メートルばかりあった。
先へ金田がおり、つづいて川上、山岸の順でおりた。
竪坑の底も、やっぱり明かるかった。しかしそこには上から落ちてきた岩のかけらが、小さい山をなしていた。
この小山は、一方がひっかいたように、岩のかけらがくずれて凹んでいた。
見ると、そこからくずれて、下へ向けてゆるやかな傾斜をもった坑道の中へ流れこんでいた。その下には最近ほりかけた一つの坑道があるのだ。そこは三人が働いていたところなので、どんなふうになっているだろうかと気にかかった。そこで三人はほかのしらべは後まわしにして、ざらざらすべる斜面を下へおりていったのである。
奇妙な例の死骸は、その底において発見されたのである。大の字なりに上をむき、足を入口に近い方にし、頭は奥のほうに半分うずもれていたのである。
三人がどんなにおどろいたかということは、三人とも気がついたときは地上を走っていたことによっても知られる。三人はいつどこをどうして地上にとび出したか、さっぱりおぼえがないといっている。
謎をとく人
息せききって、三人は本部へかけこんだ。そのとき本部につめあわしていた人々は、三人が気が変になったのではないかと思ったそうだ。
顔色は死人のように青ざめて血の気がなく、両眼はかっとむいたままで、まばたきもしない。そしてしきりに口をぱくぱくするのであるが、さっぱり言葉が出ない。出るのは、動物のなき声に似たかすれた叫びだけであったという。
それでも三人は、水をのませられたり、はげまされたりしてそれからしばらくして、気をとりなおしたのであった。そしてようやく三人が見た「地底の怪物」のことが、本部の人々に通じたのであった。
その物がたりは、こんどは本部の人々の顔をまっ青にかえた。なかには、それはこわいこわいと思うあまり、見ちがえたのであろうという者もあったが、三人がくりかえしのべる話を聞いているうちに、その者もやっぱり顔色をかえる組へはいっていった。
決死視察隊が編成された。
ふだんから強いことをいっている連中が二十名、それに警官が二名くわわり、金田と二少年を案内にさせて、第八十八鉱区の底へおりていったのである。
決死視察隊の一同が、そこで何を見たか、どんなにおどろいたかは、ここにあらためてのべるまでもあるまい。とにかく、その結果「地底の怪物」は「奇妙な緑色の死骸」とよばれ、本部へ報告され、さわぎはだんだんに大きくなっていった。
さらに大勢の社員や、警官などが、第八十八鉱区の中におりていった。
奇妙な死骸のまわりには、勇気のある人たちが、入れかわりたちかわり集ったり、散ったりした。
「何者ですかなあ、これは……」
「何者というよりも、これは人間だろうか」
「さあ、人間にはちがいないと思いますなあ、手足も首も胴もちゃんとそろっているのですからねえ」
「しかし角が生えていますよ。角の生えている人間がすんでいるなんて、私は聞いたことがない」
「そうだ、角が生えている。これは私たちが昔話で聞いた青鬼というものじゃないでしょうか」
「なにをいうんだ、ばかばかしい。今の世の中に青鬼なんかがすんでいるものですか。君は気がどうかしているよ」
「でも、そうとしか考えられないではないですか。それとも君は、なにかしっかりした考えがあるのですか」
「そういわれるとこまるが、とにかく私はね、この人間が着ている鎧をぬいでみれば、早いところその正体がわかると思うんだがね」
「鎧ですって。鎧ですか、これは。しかし、きちんと体にあっていますよ」
「きちんと身体に合っている鎧は、今までにもないことはありませんよ。中世紀のヨーロッパの騎士は、これに似た鎧を着ていましたからねえ」
「中世紀のヨーロッパの騎士の話なんかしても、仕方がありませんよ。ここはアジアの日本なんだからねえ。それに今は中世紀ではありませんよ。それから何百年もたっている皇紀二千六百十年ですからねえ」
集った人々の話は、いつまでたっても尽きなかった。しかしだれひとりとして、この奇妙なる死骸の正体をいいあてた者はなかった。
本部でもこまった。警察のほうでも、同じようにこまった。こまったあげく、ようやくきまったことは、東京へむけてこのことを急報し、だれかえらい学者に来てもらうことと、警視庁の捜査課の腕利きの捜査官にも来てもらうことであった。
さっそくこのことは、電話で東京へ通ぜられた。いきなりこの変な報告をうけた東京がわでは、やっぱり変な人が、電話口に出ていると思ったそうである。くどくどといくども説明をくりかえして、やっとわかってもらうことができた。
とにかくそれぞれのむきへも連絡して、できるだけ早く、東京から調査官をおくるから安心するように。それから奇妙な死骸のある現場はなるべくそのままにして、手をふれないようにせよと、東京がわから注意があった。
このような手配がすんで、鉱山の人々も、土地の警察も、ほっとひと安心した。
そこで人々の気持も、前よりはいくぶんゆっくりして来た。そのとき、ある人がきゅうに大きな声を出したので、まわりにいた人たちは、また何ごとが起ったかとおどろいた。
「そうだ。本社の研究所へ来ている理学士の帆村荘六氏にこれを見せるのがいい。あの人なら僕たちよりずっと物知りだから、きっと、もっとはっきりしたことが、わかるかもしれない」
「ああ、そうか。帆村理学士という名探偵が、うちの会社へ来ていたね。あの人は前に科学探偵をやっていたというから、これはいいかもしれない。もっと早く気がつけば、こんなにあわてるのではなかったのに……」
といっているとき、人々の中へぬっとはいって来た長身の人物があった。眼鏡をかけ、顔色のあさぐろい、そして大きい唇をもった人物であった。
「ああ、みなさん。あの奇妙な死骸が、どうしてこんな深い地底にあるかということが、はっきりわかりましたよ」
彼は太い音楽的な声で、そういった。
あつまっている人々は、声のするほうをふりむいた。
「おお、帆村さんだ。帆村さん、いつのまにここへ来られたのですか」
と、一同はおどろいて、帆村の顔をうちながめた。
さてこの帆村理学士は、奇妙な死骸の謎について、いったいどんな科学的解決をあたえたのであろうか。かれはもういつのまにやら、しらべを始めていたのだ。
奇抜な推理
「いやあ、どうも少し早すぎましたが、あんまりふしぎな話を聞いたものですからね……」
と理学士帆村荘六は、ちょっときまりが悪いか、あとの言葉を笑いにまぎらせた。
「一向かまいませんよ。誰でもいいから、こんな気味のわるい事件は早く解決してもらいたいと思いますよ。帆村君は、どういう風に考えているのですか」
そういったのは、この鉱山事務所の次長で、若月さんという技師だった。この人は、年齢は若いが、技術にも明かるく、そして、ものわかりもよく、鉱員たちの信望をあつめている人で、この鉱山にはなくてはならない人物だった。
「僕の考えですか……」
帆村と若月次長のまわりに、皆が集ってきた。これからどんな話を二人が始めるのか、それを聞き落すまいというのだった。
「まだたいした発見をしているわけではありませんがね、この怪物がどうしてこんな地底にころがっているかということだけは、わかったように思うのです」
そういって帆村は、次長の顔を見た。
「ほう、それはぜひ聞かせて下さい。私にはまったく見当がつかない」
次長は帆村の返事が待遠しくてたまらないという風に見えた。すると帆村は右手をあげて、頭の上を指さした。
「空から落ちて来たのです」
「えっ、空から……」
まわりに集っていた人々は、すぐには帆村の言葉を信じかねた。七百メートルの地底にころがっている死骸が、空から落ちてきたと考えるのは、あまりに奇抜すぎる。
「そうです。空から落ちてきたのです。さっき見ましたが、竪坑の天井が落ちていますね。この怪物は、竪坑の中をまっさかさまに落ちてきて、まずこの第八十八鉱区の地底にぶつかり、その勢で斜面を滑ってこの掘りかけの坑道の奥にぶつかって、ようやく停ったのです」
「そういうことがあるでしょうか」と、次長はにわかに信じられない顔つきであった。
「では証拠を見てもらいましょう。誰にもよくわかることなんです。ほら、この斜面に幾本も筋がついているでしょう。これは怪物が滑ったときについたものです。この筋を、斜面について下の方へたどって行きましょう」
帆村は、懐中電灯で斜面を照らしながら先へ立った。
「ほら、こういう具合につづいていますよ。そしてここまでつづいて停っている。ここは第八十八鉱区の竪坑の底です。ほらほら、ここに土をけずったようなところがある。初めこの怪物はここへぶつかったのです。それから今たどってきた筋をつけて、あそこへ滑りこんで停ったのです。これなら誰にもよくわかるでしょう」
「なるほどなあ」と、次長も、まわりにいた人も、声を合わせて叫んだのである。たしかに、帆村のいうことに理窟があった。今まで自分たちは幾度となくそれと同じ場所を見ていながら、帆村が探りだした事実には気がつかなかったのである。なんという頭の悪いことだろうかと、顔が赤くなったが、よく考えてみると、それは帆村なればこそ、こうした謎をとく力があるので、誰にでもできることではないのである。
「すると上から落ちてきたことはわかったとして、なぜこんな怪物が落ちてきたのですかね」
次長は、背の高い帆村の顔を下から見上げるようにして聞いた。
「はははは、それがわかれば、このふしぎな事件の謎は立ちどころに解けてしまうのですよ。だが、それを解くことは容易なことではない。もっと深く調べてみなければなりません」
帆村は、むずかしい顔になっていった。
「わかった。この間敵機が五百何機も来て、大爆撃をやりましたね。あのとき竪坑の天井もうちぬかれたのです。あの爆撃のとき、敵機に乗っていた搭乗員が、機上からふり落されて、ここへ落ちこんだのではないでしょうか」
そういったのは少年鉱員の山岸だった。
「それはいい説明だ。帆村君、どうですか」と、次長は山岸に賛成していった。
「ちがいますよ。あの爆撃のあった翌々日に、大雨が降ったでしょう。この怪物が落ちてきたのは、あの大雨のあとのことです」
「それはなぜですか」
「やはり、よくこのあたりの土を見ればわかります。大雨のあと、このあたりに水がたまり、それから後に水は地中へ吸いこまれたのです。そのあとでこの怪物は上から落ちてきたのです。その証拠には、怪物の身体は、雨後の軟い土を上から押しています。よく見てごらんなさい」
帆村のいうとおりだった。皆は今さら帆村の推理の力の鋭いのに驚いて、彼を見直した。帆村は、べつに得意のようではなかった。彼はそこで吐息をつくと、
「とにかくこれは世界始ってこのかた、一番むずかしい事件ですぞ。そして非常に恐しい事件の前触のような気がします。悪くいけば、地球人類の上に、いまだ考えたことのないほどの、禍が落ちてくるかもしれない。皆急いで力を合わせ、一生懸命にやらねば、取返しのつかないことになるように思う。皆さんも重大なる覚悟をしていてくださいよ」
といって、帆村はすたすたそこを立ち去ろうとするのであった。次長が驚いて、帆村をよびとめた。しかし帆村はいった。
「東京からえらい係官がみえて、その怪物を調べるようになったら、私を呼んでください。しかし今いっておきますが、どんなことがあっても、この怪物をここから出してはいけません。地上へ運んではなりませんよ」
謎の言葉を残して、帆村は出ていった。
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