「え、なんですって」
と僕は思わず博士の言葉を聞きかえした。なんという怪奇、僕にはちょっと了解に苦しむことだ。
「おうほ、理解ができないのも無理ではない。つまり、もっと前から話をしなければ分らないだろう。なぜそういう怪物を、この実験室内に生ぜしめるようになったかということを。――」
そういって博士は、戸棚の上から、一束の青写真をおろし、テーブルの上にひろげてみせた。
「これを見たまえ。これがこの室にある立体分解電子機と、もう一つ立体組成電子機の縮図だ。わしは十五年かかって、この器械を発明し、そして実物をつくりあげたのだ」
「なんです、この立体分解とか立体組成とかいうのは」
「うん、そのことだ。この説明はなかなかむつかしい。君はテレビジョンというものを知っているかね。あれは一つの写真面を、小さな素子に走査して、電流に直して送りだすのだ。それを受影する方では、まず受信した電流を増幅して、ブラウン管のフィラメントに加える。すると強い電流がきたときは、フィラメントは明るく輝き、たくさんの熱電子を出すし、弱い電流がきたときはフィラメントは暗く光って、熱電子は少ししか出てこない。この熱電子の進路を、ブラウン管の制御電極でもって、はじめと同じように走査してやると、電光板の上に、最初と同じような写真が現われる。これがテレビジョンの原理だ」
僕はなんのことだと思った。テレビジョンの原理などは、博士にきくまでもないことである。
「テレビジョンと、博士のご発明の立体分解電子機とは、どういう関係があるのですか」
「つまりそれは、一口にいうと、テレビジョンとか電送写真とかは、いまもいったとおり平面である写真を遠方に送るのであるが、わしの発明した電子機では、立体を送ったりまた受けたりするのさ」
「立体を送ったり受けたりといいますと――」
僕にはなんのことだか分らないので、問いかえした。
「つまり物体をだね、たとえばここに鉄の灰皿がある。これを電気的方法によって遠方へおくったり、また遠方にあるアルミニュームの金だらいを電気的方法によってここへ持ってきたりするのさ。あっはっはっ、いっこう解せぬという顔つきだね。考えだけならなんでもないではないか。平面がテレビジョンや電送写真として送れるものなら、立体もまた送ったり受けたりできるわけではないか」
僕には、博士のいうことがすこしずつわかってきた。
「しかし博士、写真などはいと簡単ですが、鉄の灰皿などとなると、これは物質ではありませんか。電気になおすたって、なおせますか」
「なあに訳のないことさ。鉄にしろアルミニュームにしろ、これをだんだん小さくしてゆくと分子になり、原子になりそれをさらに小さくわってゆくと電子とプロトンとになる。ところがプロトンとは、電子のぬけ穀のことであって、結局、この世の中には電子のほかになにものもないのさ。すべての物質は空間をいかに電子が構成しているかによって、鉄ともなりアルミニュームともなるんだ。だからすべての物質は、最後においては電荷に帰することができる。そうではないか。平面であろうと立体であろうと、走査の原理には変りはない。平面走査ができれば立体走査もできるわけだ。鉄の灰皿を立体走査すれば、これはすなわち一連の電信符号とかわりないものとなる。どうだ、わかったろうが」
「ふーむ、そういう理屈ですか。いや、おそろしいことになったものだ」
僕は長大息とともにそういった。
平面走査をする電送写真やテレビジョンがあれば、灰皿や金だらいを立体走査することも案外似かよった立体走査の原理でもって達成しえられるように思う。
灰皿ができれば、なにも金属にかぎらない。すべての物質物体は、電子に変じて送ったり受けとったりできるわけだ。すると、隣室の床にころがっている怪奇きわまるあの生物は――?
「あれも、博士の器械で吸いよせたのですか」
と、僕は気もちのよくないことを、博士にきいてみた。
「うむ、やっと気がついたようだね」と博士は頤髯をごそりとうごかし、「君の察したとおり、あの怪物は、実は、今月はじめて立体組成電子機をうごかしてみたところ、いきなり器械のはたらきでもって、台の上に現われてきたんだ。いや、実に愕いた。どのくらい愕いたといって、形容ができないほどだ。はじめはね、あのぬらぬらした触手というか触足というか、つまり人間でいえば足の方から現われてきたんだ。それまでにはなにもない空間にだよ、怪物の足が現われてきたんだ。器械がまわり、時間がたつにつれ、足の先に腰が現われ、それからその先に胴中やら、胸やら肩やら、そしてあの醜い首やらがむくむくと、まるで畳んであったゴム風船をふくらますように現われてきたではないか。自分の発明した器械であるとはいえ、またそういうことが起ることも予想していたけれど、いよいよそういうふうに実物が現われたときには、いかに気丈夫なわしでも、ぞーっと身ぶるいした」
ものがたる博士の顔は、さすがに青ざめていた。
「博士、いったいあの怪物は、どこにいたものが、こうしてここへやってきたのでしょうか」
「多分、火星の生物だろうと思うよ。火星の生物も、いまわしがこしらえたと似たような器械をもっていて、それを使っているらしい。だから、火星において、たまたま走査をして電気になった女体を、わしの器械が吸いとってしまったわけらしい」
「おどろくべきことですね。そんなことができるとは、想像もおよばない」
と、僕は心の底から感嘆の詞をはなった。
博士は、それほど得意そうに見えなかった。博士の眉毛の間にはふかい溝がきざまれていた。
「博士はこんな大発明をしながら、あまりよろこんでいらっしゃらないのは、どういうわけですか」
と、僕はつい気になって、たずねてみた。
「ああ、君の目にも、わしの苦痛がわかるかね。そうだ、君の見るとおり、わしはまだ喜んでいないのだ。というのは、まだ分らないことがたくさんあるのだ。たとえば、いま君がみた宇宙女囚――と、かりに名づけておこう――あの宇宙女囚は、三つの眼をぴくりぴくりとうごかしている。つまりあの生物は、たしかに生きているのだ。しかし残念なことに、意識を失っている。宇宙を電気になってとんでいるところをわしの器械に吸いよせ、そしてあのように立体化してみたところが、肉体は現われたが、意識がないというのでは、研究者としてこれが悲しまずにいられるだろうか」
博士はしんみりと述懐した。
なるほど、あの怪物は生きてはいるが、意識がないようである。僕から見れば、博士は千古不朽の大発明をしたように思うが、当の博士としては、これではまだ研究を完成していないわけで、それでははずかしいといっているのであろう。
僕は博士に、宇宙女囚をもっとそばぢかくでみたいといったところ、博士はそれを承諾し、ついに小さい扉をひらき、宇宙女囚ののたうちまわるそばに、僕をつれていった。
反射鏡から見たときとはちがって、そばぢかくでみた宇宙女囚の肢体といい容貌といいあまりながく見ていると脳髄がきゅーっと縮まり発狂するのではないかといったような恐怖にさえ襲われるのであった。
そのとき僕は、ゆくりもなく、女囚の白い膚の上に、例の空電斑点をはっきりとみとめたのであった。この女体が一連の電気と化して空間をはしりゆくとき、宇宙の雲助ともいうべき空電に禍いされても不思議ではない。そして生れもつかぬ黒い斑点を身体中に印せられた結果、もとの立体にかえっても、この斑点はなにか意識の恢復を邪魔するようにはたらいているのではなかろうか。
僕がそのことを博士に話すと、博士は手をうってよろこんだ。
「そうだ。君の考えは実にすばらしい。わしはそこまで考えつかなかったよ。うむ、分るぞ分るぞ。たとえば、脳髄の中にその黒い異物である斑点が交っていれば、脳髄の働きを害するにちがいない。――うむ、それはすばらしい発見だ。そういうことなら、なにも冒険をやって、絵里子を宇宙に飛ばさないでもよかったのだ。ああもう時すでにおそしだ」
絵里子?
僕は博士の言葉を聞きとがめた。
「博士、くわしくいってください。絵里子をどうしたというのですか。――博士、さあいってください。なぜあなたは黙っていられる――」
博士は僕の顔をしばし無言のままみつめていた。やがて博士は慄えをおびた声で、
「絵里子は、いまごろ火星へついているだろう。わしは絵里子に命じ、自分の研究力の足りないところを、火星へ調査にやったのだ。絵里子は一連の電波となって宇宙をとんでいったよ。わしはあまりに成功を急ぎすぎた。それがよくなかったのだ。君にも絵里子にもすまないことをした」
といって僕の前に頭を垂れた。
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