謎は解けた
ぱっと目がさめたとき、彼は急に気分のよくなっていることに気がついた。
彼は再びノートをとりあげた。
暫くノートの表を凝視していた彼は、思わず、
「うむ」
と、呻って目をみはった。
彼は畳の上をとんとんと激しく叩いた。
隣室に待っていた栗山刑事が、とぶようにして入ってきた。
「帆村さん、どうしました」
「おお、栗山さん。今日東京へ飛ぶ旅客機に間にあいませんか」
「えっ、旅客機ですか、こうっと、あれは午後一時四十分ですから、あと四十分のちです。それをどうするんです」
「僕は大至急東京へ帰らねばなりません」
「そんな身体で、大丈夫ですか」
「いや、大丈夫。謎が解けそうです。すぐ帰らねばなりません。どうか飛行場へ連れていって下さい」
親切な栗山刑事は、帆村の身体を抱えるようにして旅客機の中へおくりこんだ。
午後一時四十分、ユニバーサル機は東京へ向けて出発した。
帆村は青い顔を窓から出して、見送りの栗山刑事へ手をふった。そしてほっと溜息をついた。
とうとう四日間というものを欺されとおしてきたのだ。
帆村の心は穏かでない。
割り算の鍵は一体どうなったのか。
鍵は解けないともいえるし、解けたともいえた。なぜなら予期した六桁の数は遂に分らないのだ。分らないように出来ているのだ。なぜなら答が二つも出るのである。
問題は答の二桁目のXだ。これは5か9かのどっちかというところまで進んでいたが、今となっては、5でもよければ9でも差支えないことが分った。つまり答は二つだ。
Xが5であれば、求める六桁の被除数は 638897 となる。またXが9であれば、668857 となる。暗号の鍵の数字に、二つの答があってよいものか。ぜひとも一つでなければならない。そこにおいて帆村は万事を悟ったのだ。
「うぬ、一杯喰わされた」
彼ははじめて夢から覚めたように思った。なぜ彼は欺されたのか。彼の敵は、帆村をどうしようと思っていたのか。すべては謎であった。それを解くには、一刻も早く東京へかえるより外ないと気がついたのである。
どうやら東京には、彼の想像を超越した一大変事が待ちかまえているようである。一体それは何であろうか。
帆村の羽田空港に下りたのは午後四時だった。彼は早速電話をもって、木村事務官を呼び出した。
ところが意外にも、内務省では、木村事務官なぞという者は居ないと答えた。いくど押し問答をしても、居ない者は居ないということであった。
遉の帆村も顔色をかえた。今の今まで、内務省の情報部を預るお役人だと思っていた木村なる人物が夢のように消えてしまったのである。
さてはと思って、こんどは自分の事務所を呼び出した。
すると、電話が一向に懸らないのであった。留守番をしているはずの大辻は何をしているのであろうか。胸さわぎはますますはげしくなっていった。
もうこれまでと思った帆村は、空港の外に出ると、円タクを呼んで一散に東京へ急がせた。
木村事務官は消えさり、事務所は留守で、大辻は不在だ。そして自分は変な謎の数字にひきずられて四日間というものを方々へ引張りまわされた。一体これはなんということだ。
「ははあ、そうか。こいつはこっちに油断があって、うまく欺されたんだ。うむ、すこしずつ見当がついてきたぞ。相手は例の秘密団体の奴ばらなんだ!」
帆村の顔は、次第に紅潮してきた。
自宅にかえった帆村は、早速各所に連絡をとって情報を集めた。そして遺憾ながら彼が欺されたことを認めないわけにゆかなくなった。
すぐさま駈けつけてくれた専門家の説明によって、一切は明らかになった。帆村を欺したのは、たしかに例の秘密団体の諜者たちであったのだ。木村といい山下といい、それは皆、その要員であることが分った。
最後に残る謎は、なぜ帆村をこうして四日間も引張りまわしたかということだ。
「それは分っているじゃないか。君の事務所に持っている短波通信機だよ」とその専門家はずばりと星を指した。
「えっ――」
「なあに、例の通信機の押収で、彼奴等は東京と上海との無電連絡が出来なくなったというわけさ。そこで目をつけたのは、君のところの通信機だ。そこで君を四日間、事務所から追払ったというわけだ。その間彼奴らは、君の機械をつかって、重大なる通信連絡をやったのに間違いない。そういえば、僕等の方にも思いあたることがある」
さすがの帆村も、これを聞いて、呀っと愕いた。それではあの諜者連は彼の持っている短波通信機に用があったのか。
「すると留守番の大辻はどうしたんだろう」
大辻はそれから一週間目に、冷い死骸となって帆村のところへかえってきた。
なぜそんなことになったか。
その間の消息はのちに、帆村が帳簿の間から発見した大辻の手記によって明らかになった。それには鉛筆の走り書でこうかいてあった。
「先生が大怪我をされたからすぐ来てくれという知らせで、私は出かけます。八月二十六日、午後十一時三十七分」
これで一切は明白となった。諜者連の方では、大辻が事務所に残っていては短波通信機がつかえないから、帆村が大怪我をしたなどといって、大辻を誘いだし、片づけられてしまったに相違ない。大辻と来たら、おとなしく監禁されているような男ではないから、このような最期を招いたのであろう。
「こんなわけで、僕はすっかりふりまわされて、恥をかくやら、大失態を演ずるやら、今思い出しても腋の下から冷汗が出てくるよ」
前代未聞の暗号数字事件を述べ終えて、帆村は大きな吐息を一つついた。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] 尾页