日本の名随筆85 貧 |
作品社 |
1989(平成元)年11月25日 |
1991(平成3)年9月1日第3刷 |
社会・百面相 |
岩波文庫、岩波書店 |
1953(昭和28)年2月 |
「やい亀井、何しおる? 何ぢや、懸賞小説ぢや――ふッふッ、」と宛も馬鹿にしたやうに冷笑つたはズングリと肥つた二十四五の鬚々の書生で、垢染みて膩光りのする綿の喰出した褞袍に纏まつてゴロリと肱枕をしつゝ、板のやうな掛蒲団を袷の上に被つて禿筆を噛みつゝ原稿紙に対ふ日に焼けて銅色をしたる頬の痩れて顴骨の高く現れた神経質らしい仝じ年輩の男を冷やかに見て、「汝も懸賞小説なんぞと吝な所為をするない。三文小説家になつて奈何する気ぢや。」
「先ア黙つてろよ。」と亀井と呼ばれた男は顧盻つて較や得意らしき微笑を浮べつ、「之でも懸賞小説の方ぢやア亀之屋万年と云つて鑑定証の付いた新進作家だ。今度当選つたら君が一夜の愉快費位は寄附する。」
「はッはッ、減らず口を叩きくさる。汝の懸賞小説も久しいもんぢや。一度当選つたといふ事ぢやが、俺と交際つてからは猶だ当選らんぞ。第一小説が上手になつたら奈何するのぢや。文士ぢやの詩人ぢやの大家ぢやの云ふが女の生れ損ひぢや、幇間の成り損ひぢや、芸人の出来損ひぢや。苟くも気骨のある丈夫の風上に置くもんぢやないぞ。汝も尚だ隠居して腐つて了ふ齢ぢやなし。王侯将相何ぞ種あらんや。平民から一躍して大臣の印綬を握む事の出来る今日ぢやぞ。なア亀井、筆なんぞは折つぺしッて焼いて了へ。恋ぢやの人情ぢやのと腐つた女郎の言草は止めて了つて、平凡小説を捻くる間に少と政治運動をやつて見い。」
「はッはッ、僕は大に君と説が異う。君は小説を能く知らんから一と口に戯作と言消して了うが、小説は科学と共に併行して人生の運命を……」
「措いて呉れ、措いて呉れ、小説の講釈は聞飽きた、」と肱枕の書生は大欠伸をしつゝ上目で眤と瞻めつ、「第一、汝、美が如何ぢやの人生が如何ぢやのと堕落坊主の説教染みた事を言ひくさるが一向銭にならんぢやないか?」
「今度は当選る、」と懸賞小説家は得意な微笑を口辺に湛へつ断乎たる語気で、「三月以来思想を錬上げたのだから確に当選る。之が当選らぬといふ理由は無い……」
「汝は自慢ばかりしおるが一度も当選つた事は無いぞ。併し当選つた処で奈何する、一年に二度や三度、十円や十五円の懸賞小説が取れたッて飯は食へんぞ。」
「勿論僕は筆で飯を喰ふ考は無い。」
「筆で飯を喰ふ考は無い? ふゥむ、夫ぢやア汝は一生涯新聞配達をする気か。跣足で号外を飛んで売つた処で一夜の豪遊の足にならぬヮ。」
「僕は豪遊なんぞしたくない。斯うして新聞配達をしながら傍ら文学を研究してゐるが、志す所は一生に一度不朽の大作を残したいのだ。飯喰の種は新聞配達でも人力車夫でも立ちん坊でも何でも厭はないのだ。」
「吝な野郎ぢやナ。一生に一度の大作を残して書籍館に御厄介を掛けて奈何する気ぢや。五体満足な男一匹が女や腰抜の所為をして筆屋の御奉公をして腐れ死をして了つては国家に対する義務が済むまい。なッ亀井。俺の忠告に従つて文学三昧も好い加減に止めにして政治運動をやつて見い。奈何ぢや、牛飼君の許から大に我々有為の青年の士を養うと云ふて遣したが、汝、行つて見る気は無いか。牛飼君は士を待するの道を知りおる。殊に今度の次の内閣には国務大臣にならるゝ筈ぢやから牛飼君の客となるは将に大いに驥足を伸ぶべき道ぢや。」
「僕は政治家は嫌ひぢや。」
「なにッ、政治家は嫌ひぢや、」と呆れたやうに眼をつて、「汝は能く/\な腰抜けぢやナ。天下の権を握つて四海に号令するは男子の大愉快ぢやないか……」
「それはナ天下の権を握つたら愉快だらうが、」と懸賞小説家は流盻に冷笑しつ。「君等のやうな壮士の仲間入りは感服しないナ。」
「何ぢや、失敬な事吐かす、」と肱枕君は勃と起直りて故とらしく拳を固め、「伊勢武熊は壮士の腐つたのぢやないぞ。青年団体の牛耳を握りおる当今の国士ぢや、」と言掛けたが俄に張合抜けしたやうに拳を緩めて、「そぢやが汝のやうな腰抜には我々燕趙悲歌の士の心事が解りおるまい。斯うして汝等と同じ安泊に煤ぶりおるが、伊勢武熊は牛飼君の股肱ぢやぞ。牛飼君が内閣を組織した暁は伊勢武熊も一足飛に青雲に攀ぢて駟馬に鞭つ事が出来る身ぢや。白竜魚服すれば予且に苦めらる。暫らく、志を得ないで汝のやうな小説家志願の新聞配達と膝組で交際ひおるが……」
「ふッふッふッ。」
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