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為文学者経(いぶんがくしゃきょう)
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日本の名随筆60 愚 |
作品社 |
1987(昭和62)年10月25日 |
1990(平成2)年6月30日第5刷 |
文学者となる法 |
右文社 |
1894(明治27)年4月 |
棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊らんとする白痴漢よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓の輩よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎よ、鏡と睨め競をして頤をなでる唐琴屋よ、惣て世間一切の善男子、若し遊んで暮すが御執心ならば、直ちにお宗旨を変へて文学者となれ。 我が所謂文学者とはフィヒテが“Ueber das Wesen des Gelehrten”に述べたてし、七むづかしきものにあらず。内新好が『一目土堤』に穿りし通仕込の御作者様方一連を云ふなれば、其職分の更に重くして且つ尊きは豈に夫の扇子で前額を鍛へる野幇間の比ならんや。 夫れ文学者を目して預言者なりといふは生野暮一点張の釈義にして到底咄の出来るやつにあらず。我が通仕込の御作者様方を尊崇し其利益のいやちこなるを欽仰し、其職分をもて重く且つ大なりとなすは能く俗物を教え能く俗物に渇仰せらるゝが故なり、(渠等が通の原則を守りて俗物を斥罵するにも関らず。)然しながら縦令俗物に渇仰せらる といへども路傍の道祖神の如く渇仰せらる にあらす、又賞で喜ばるゝと雖[#ルビの「いへ」は底本では「いへど」]ども親の因果が子に報ふ片輪娘の見世物の如く賞で喜ばるゝの謂にあらねば、決して/\心配すべきにあらす。否な、俗物の信心は文学者即ち御作者様方の生命なれば、否な、俗物の鑑賞を辱ふするは御作者様方即ち文学者が一期の栄誉なれば、之を非難するは畢竟当世の文学を知らざる者といふべし。 此故に当世の文学者は口に俗物を斥罵する事頗る甚だしけれど、人気の前に枉屈して其奴隷となるは少しも珍らしからず。大入だ評判だ四版だ五版だ傑作ぢや大作ぢや豊年ぢや万作ぢやと口上に咽喉を枯らし木戸銭を半減にして見せる縁日の見世物同様、薩摩蝋 てら/\と光る色摺表紙に誤魔化して手拭紙にもならぬ厄介者を売附けるが斯道の極意、当世文学者の心意気ぞかし。さりながら人気の奴隷となるも畢竟は俗物済度といふ殊勝らしき奥の手があれば強ち無用と呼ばゝるにあらず、却て之れ中々の大事決して等閑にしがたし。俗人を教ふる功徳の甚深広大にしてしかも其勢力の強盛宏偉なるは熊肝宝丹の販路広きをもて知らる。洞簫の声は嚠喨として蘇子の膓を断りたれど終にトテンチンツトンの上調子仇つぽきに如かず。カントの超絶哲学や余姚の良知説や大は即ち大なりと雖ども臍栗銭を牽摺り出すの術は遥かに生臭坊主が南無阿弥陀仏に及ばず。されば大恩教主は先づ阿含を説法し志道軒は隆々と木陰を揮回す、皆之れこ の呼吸を呑込んでの上の咄なり。流石に明治の御作者様方は通の通だけありて俗物済度を早くも無二の本願となし俗物の調子を合点して能く幇間を叩きてお髯の塵を払ふの工風を大悟し、向ふ三軒両隣りのお蝶丹次郎お染久松よりやけにひねつた「ダンス」の Miss B. A. Bae. [#「Miss B. A. Bae.」は斜体字]瓦斯糸織に綺羅を張る印刷局の貴婦人に到るまで随喜渇仰せしむる手際開闢以来の大出来なり。聞けば聖書を糧にする道徳家が二十五銭の指環を奮発しての「ヱンゲージメント」、綾羅錦繍の姫様が玄関番の筆助君にやいの/\を極め込んだ果の「ヱロープメント」、皆之れ小説の功徳なりといふ。よしや一斗の「モルヒ子」に死なぬ例ありとも月夜に釜を抜かれぬ工風を廻らし得べしとも、当世小説の功徳を授かり少しも其利益を蒙らぬ事曾て有るべしや。 冒険譚の行はれし十八世紀には航海の好奇心を焔し、京伝の洒落本流行せし時は勘当帳の紙数増加せしとかや。抑も辻行灯廃れて電気灯の光明赫灼として闇夜なき明治の小説が社会に於ける影響は如何。『戯作』と云へる襤褸を脱ぎ『文学』といふ冠着けしだけにても其効果の著るしく大なるは知らる。 英吉利は野暮堅き真面目一方の国なれば、人間の元来醜悪なるにお気が附かれずして、ゾオラが偶々醜悪のまゝを写せば青筋出して不道徳文書なりと罵り叫く事さりとは野暮の行き過ぎ余りに業々しき振舞なり。さりながら論語に唾を吐きて梅暦を六韜三略とする当世の若檀那気質は其れとは反対にて愈々頼もしからず。東京の或る固執派教会に属する女学校の教師が曾我物語の挿画に男女の図あるを見て猥褻文書なりと飛んだ感違ひして炉中に投込みしといふ一ツ咄も近頃笑止の限りなれど、如何考へても聖書よりは小説の方が面白いには違ひなく、教師の眼を窃んでは「よくッてよ」派小説に現を抜かすは此頃の女生徒気質なり。例へば地を打つ槌は外る とも青年男女にして小説読まぬ者なしといふ鑑定は恐らく外れツこななるべし。 俗界に於ける小説の勢力斯くの如く大なれば随て小説家即ち今の所謂文学者のチヤホヤせらるゝは人気役者も物の数ならず。此故に腥き血の臭失せて白粉の香鼻を突く太平の御代にては小説家即ち文学者の数次第々々に増加し、鯛は[#「鯛は」はママ]花は見ぬ里もあれど、鯡寄る北海の浜辺、薯蕷掘る九州の山奥に到るまで石版画と赤本は見ざるの地なしと鼻うごめかして文学の功徳無量広大なるを説く当世男殆んど門並なり。寄れば触れば高慢の舌爛してヤレ沙翁は造化の一人子であると胴羅魔声を振染り西鶴は九皐に鳶トロヽを舞ふと飛ンだ通を抜かし、何かにつけては美学の受売をして田舎者の緋メレンスは鮮かだから美で江戸ツ子の盲縞はジミだから美でないといふ滅法の大議論に近所合壁を騒がす事少しも珍らしからず。好奇な統計家が概算に依れば小遣帳に元禄を拈る通人迄算入して凡そ一町内に百「ダース」を下る事あるまじといふ。 夫れ台所に於ける鼠の勢力の法外なる飯焚男が升落しの計略も更に討滅しがたきを思へば、社会問題に耳傾くる人いかで此一町内百「ダース」の文学者を等閑にするを得べき。若し惣ての文学者を駆て兵役に従事せしめば常備軍は頓に三倍して強兵の実忽ち挙がるべく、惣ての文学者に支払ふ原稿料を算れば一万噸の甲鉄艦何艘かを造るに当るべく、惣ての文学者が消費する筆墨料を徴収すれば慈善病院三ツ四ツを設る事決して難きにあらず、惣ての文学者が喰潰す米と肉を蓄積すれば百度饑饉来るとも更に恐るゝに足らざるべく、若し又惣ての文学者を一時に殺戮すれば其死屍は以て日本海を埋むべく其血は以て太平洋を変色せしむべし。
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