一番繁く出入して当人慥に聟君登第の栄を得る意で己惚れてゐるのが、大学の学士で某省の高等官とかを勤める華尾高楠、仝じく留学生候補の学士ださうで今は或る私立学校の哲学と歴史の講師をしてゐる御園草四郎、自称青年政事家で某新聞のパリ/\[「パリ/\」に傍点]記者とかいふ大洞福弥、批評も小説も新躰詩も何でも巧者で某新聞に文芸欄を担任する荒尾角也、耶蘇教の坊さんだとかいふアーメン臭い神野霜兵衛、京都の公卿伯爵の公達鍋小路行平――斯ういふ人達だよ、各/\自惚れて嬢様へは勿論、旦那や夫人の御機嫌を伺つて十分及第する気でゐるのが笑止しいよ。嬢様は御発明で在らツしやるから子、這般なワイ/\がお気に召す筈が無いサ。
旦那も仰しやつた。自由結婚は好いには違ひないが、日本のやうな国では社会の習慣が許さんから謹慎な人は婦人と交際するのを遠慮する。又武士道徳の名残で気骨のある男子は婦人に親まんのを主義とする。斯ういふ国柄では婦人に近づくのは極優柔な意気地無し歟、でなくば世間を憚らない突飛な無分別者である。畢竟自由結婚をさせたくても婦人の交際する範囲には立派な理想の男子が入つて来ないから困ると、常/\仰せられた。
其通りだよ。嬢様の撰択に預からうといふ野心満々たる面々は何れも愚劣極まつた鼻持ならぬ連中だ子。君達も及ばぬ恋の滝登りに首尾よく及第しやうといふ僥倖党だから断念の為め話して聞かせやう。
一番高慢ちきで忌味なのは法学士華尾高楠だ子。講義筆記をメカに暗誦して漸と卒業証書を握つたのを鬼の首でも取つたやうに喜んで、得意が鼻頭に揺下つてる。何ぞといふと赤門の学士会のと同類の力を頼りにして威張たがる。田舎漢に限ツて国自慢をすると同じやうなもんだ。俺達の方では大学の学士を雑種犬と名づけてる。西洋臭い高慢な顔をしておるが、実は神経が鈍くて力が弱くて体質が下等で毛並が揃はないでキヤン/\吠えるより外能が無いからだ。近頃君達の仲間で法科大学の落第生問題が喧しいさうだ子。今のやうなメカに暗誦させる流義では云はゞ鸚鵡石を覚えるやうなもんで何の役にも立たない。試験法の不完全は解り切つておるが、落第生の多いのは此為ぢやアあるまい。俺には解らないが、旦那のお咄では大学の学士で一番信用の出来ないのは法学士と文学士ださうだ。天下の学問の府と云はれる処の卒業生でありながら一番学問に不忠実なのが法学士ださうだ。華尾高楠先生なんかも法律万能を鼻に掛けて法律智識の有無を人物の標準と心得ておるが、高が五六十頁か其辺の筆記物の二十冊や三十冊や呑込んだ処で大人物とは恐入つたもんだ子。斯ういふ先生方だから外国語さへ碌に出来ず、肝心専門の法律学さへ大抵はお忘れ遊ばしたやうだ。此頃は何をしてゐるかといふと役所で局長様の鼻毛を数へ奉つた帰途は俺の邸へ来て夫人から嬢様の御機嫌伺ひだ。此奴まだ卑怯な事は、俺の旦那が薩長の大頭と御懇意なのを承知して、首尾よく嬢様を掌中に丸め込んで旦那のお引立に預からうといふ野心があるのだ。一度門閥の味を試めた奴は電信でないと世の中が渡れないと見えて、学校のお庇で不相当の位置を作つたものは再び女房のお庇に縋つて位置を高めやうとする。華尾先生も此お仲間で身分のある家から女房を娶つて其縁に頼つて敢果ない出世をしやうといふのが生涯の大望だ。斯ういふ奴は女房大明神と崇め奉つて奴隷となるを甘んじてゐるのだから、邸の嬢様のやうな温和しい美しいのでは勿躰ない、剛情で我儘で浮気で嫉妬で其上に少々抜けてる醜面を当てがつて懲らしてやるが好いのさ。嬢様は御発明だからチヤンと見抜いて在らツしやる。何時ぞやも俺が傍で聞いてゐたら、奴め得意になつて同僚の評判から局長の噂、来年は海外視察に行く運動も首尾よく成効さうだと自慢たら/\。所が嬢様は抜からぬ顔をして、先あ爾んな事は好い加減にして少と学問でもなさい、今の中役所を辞して責めて博士論文でも書いて見たら如何です、と斯う仰しやつた。先生頗るギヤフンと参つた子。なに、博士ぐらゐなら何時でもなれます、拙者は海外を実地踏査して行政上の意見を当路者に呈出しやうと思つたですが、嬢様のお思召なら明日にも官を辞して博士論文を書きませうと。先生之からは鉄面にノコ/\やつて来ても、博士論文は如何ですと聞かれると、ハイ大に研究する考で目下材料を集め中ですとコソ/\と帰る。イヤハヤ豪い学士君だよ。
此咄を洩聞いて雀躍したは御園草四郎君だ。此男も大学出身の学士で今は大学院で研究してゐる。当人の咄では官費留学生の候補者ださうだ。生涯を学問に貢献しやうといふ先生が嬢様のお気に入らうと頭髪を仏蘭西風とかに刈つて香水を塗りつけコスメチツクで髯を堅め金縁目鏡に金指環で妙ウ容子振つた態は堪らない子。当世の学者気質で真理よりは金と女が大切だと見えて美くしい嬢様と嫁入支度に持参金を一度に握らうといふ下心なんだ。処で左も右くも学士は二人切だから他の候補者を下目に見て暗に華尾君と競争してゐた。で、窃に自分の己惚了簡で学問好きの嬢様は華尾のやうな俗吏がお気に召す筈が無いと定めてゐた処へ華尾が博士論文の催促で責められると聞いたから、先生大恐悦で大願成就した気になつて、或る日嬢様に向つて私も愈/\来春は博士論文を呈出しますと仕たり顔に云ふと、オヤ先あ貴君も御用学者になるの、博士と云ふと大層らしいが三年経つと三歳といふ比喩もありますから子、独乙では犬も博士の肩書がありますと嬢様は手厳しく仰しやつた。(オイ君、独乙では犬も博士になつてるとサ、余り馬鹿にして貰ふまいぜ)。同じ事なら外国文で書いて欧羅巴の学者社会と議論を闘はせたら如何です、高が日本の博士になつたゞけでは折角図書館から書抜いたお骨折が無駄になりませう、オヽ笑止、博士論文よりは恋の千話文、妾のやうな拗者をコロリと云はせるやうに出来たら余程お手柄やと散三に冷かされて有繋の大哲学者も頭を抱へて閉口したやうだよ。それから一ト月余になるが羅甸語と希臘語とを陳べた難かしい手紙が来たゞけで顔を見せないから、嬢様漸と安心して先ず是で十九の厄を免れてノウ/\した。
自惚れると妙な理窟がつくもんで、新聞記者の大洞福弥君、二学士の落第を聞いて鼻を揺めかした子。有繋に妙子様頗る見識がある。学士の虚名を見破つた処は素晴らしいもんだ。何にしても権力推移の時代で徐/\我々の天下となる。目腐れ高等官が何だ。大学の腐れ学士が何だ。と先生意気揚々として早速凱旋将軍のやうな気でゐた。で、例の調子で現今政海の模様を滔々と説いて今にも内閣が代れば自分達が大臣になるやうな洞喝を盛んに吹立てた。なにしろ大洞福弥の洞喝と来たら名代のものだから子。毎週「タイムス」と「評論之評論」とで世界を呑込むといふ悪口があるが、左に右く外国雑誌を読むといふ人は猶だ感心だよ。大洞と来たら外国語が碌に出来ぬさうだ。渠奴の長処は妙に記憶が好いので日本の新聞雑誌を読んで外国通を極込むのだ。元来日本人は西洋の事情に暗い子。俺が毛唐の犬を知つてるほどに中々行かんさうだ。だから新聞の外国種が余程怪しいもんだ。畢竟大洞のやうな先生が虚誕の共喰をしてゐるので人名地名の発音の間違どころか飛んでもない見当違ひを一向御頓着なく見て来たやうな虚誕を書く。昔しは講釈師が見て来たやうな虚誕を云ふといつたもんだが、今では新聞記者が其株を奪つてゐる。大洞が名を売出したのは人物評ださうだが、渠奴の人物評ぐらゐ虚誕で固め上げたものは無いさうだ。第一、有りもしない無名の豪傑を作つて自分の書いたものを其無名の豪傑が書いたやうに思はせて、加之も此無名の豪傑は薩の元老であらうの長の先輩であらうの或は在野の領袖某であらうの甚しきは前将軍であらうのと、飛んでもない臆測説を自分で書て世間を欺騙した腕前は中々凄いもんだといふ咄だ。借金も少しだと困るが身分不相当に沢山になると却つて借金のお蔭で生命が維げるやうなもんで、虚誕も少とだと躓くが此位甲羅を経ると世渡りが出来ると見える子。処で俺の旦那がお世辞半分に新聞記者の天職を壮んなりと褒めて娘も新聞記者に嫁る意だと戯謔面に煽動てたから、先生グツト乗気になつて早や聟君に成済したやうな気で毎日入浸つてゐる。そこは厚皮だから「政治的婦人」だの「政治家の妻」だのという論文を自分の新聞に載せて、嬢様の許へ送つて来る。之には嬢様も閉口なすつたやうだ。対手が名代の千枚張だから大抵な三十珊では中々貧乏揺ぎもしない困り物だ。斯ういふ奴には罷り間違へば江戸の仇を長崎で討たれるやうな目に遇ふから何でも寄らず触らずが無事で好いと、嬢様も夫人も気味を悪るがつて、大洞先生が大気を始めると何時でも音楽や小説の咄に紛らしてお了ひなさる。先生少しも御承知ないから、麼も此頃の小説は千篇一律で詰りませんナ、女郎文学で厶る、心中文学で厶ると欺騙して引退るだけだ。
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