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犬物語(いぬものがたり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 16:01:44  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本の名随筆76 犬
出版社: 作品社
初版発行日: 1989(平成元)年2月25日
入力に使用: 1991(平成3)年9月20日第5刷

 

俺かい。俺はむかしお万のこぼした油をアめて了つた太郎どんの犬さ。其俺の身の上ばなしが聞きたいと。四つ足の俺に咄して聞かせるやうな履歴があるもんか。だが、人間の小説家さまが俺の来歴を聞くやうでは先生余程窮したと見えるね。よし/\一番大気※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)を吐かうかな。
 俺はここから十町離れた乞丐こじき横町の裏屋の路次の奥の塵溜ごみためわきで生れたのだ。俺の母犬おふくろは俺を生むと間もなく暗黒やみの晩に道路わうらいで寝惚けた巡行巡査に足を踏まれたので、喫驚びつくりしてワンと吠えたら狂犬だと云つて殺されて了つたさうだ。自分の過失そさうを棚へ上げて狂犬呼ばゝりは怪しからぬはなしだ。加之しかも大切な生命いのちを軽卒にるとは飛んでもない万物の霊だ。人間の威張臭る此娑婆しやばでは泣く子と地頭で仕方が無いが、天国に生れたなら一つ対手あひて取つて訴訟を提起おこしてやる覚悟だ。
 生れて二タ月目位だな。悪戯な頑童わんぱくどのに頸へ縄をくゝし附けられて病院の原に引摺られ、散三さんざいぢめられた上に古井戸の中へ投込まれやうとした処を今の旦那に救けられたのだ。
 乳も碌に飲まない中に母犬おふくろには別れ、宿なしの親なしで随分苦労もしたが、今の旦那には勿躰ないほどお世話になつて、とんと応挙の描いた狗児ちんころのやうだと仰しやつて大変可愛がられたもんだ。坊様も嬢様も無類の犬煩悩で入らつしやるから、爰の邸へ引取られてからは俺も飛んだ幸福者しあはせもので、今年で八年、つひに一度ひもじい目どころか、りやう四升しゝようの鬼の牙のやうなお米を頂戴してゐた。憚りながら未だ南京米を口に入れた事の無いおあにいさんだ。
 俺の血統かい。俺は尋常たゞ地犬ぢいぬサ。まじりツけない純粋の日本犬につぽんいぬだ。耳の垂れた尻尾を下げたの碧い毛唐の犬がやつて来てから、地犬々々と俺の同類を白痴ばかにするが、憚りながら神州の倭魂やまとだましひを伝へた純粋のお犬様だ。西洋臭い顔をした雑種犬あひのこいぬとは、ヘン、たねが違います。
 元来いつたい俺の解らないのは無暗やたらに西洋犬を珍重する奴サ。一つ気※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)ついでに話して聞かせやう。犬の先祖は狼だといふが、之は間違で、「ドール」といふ山犬の一種だ。今でも英領印度の西境のミドナボールからシヤマルの間に棲んでゐる。世界の文明が悉く印度から来たやうに犬も矢張印度を母国として四方に蕃殖したのだ。尤も埃及エヂプトでは猫と同じやうに犬を尊んで川の神と祀つて、恰度ナイルの氾濫時分にシリヤス星が見えるので、此星を犬星ドツグスターなづけて犬を星の精だといつたものださうな。アツシリヤでも早くから犬を珍重して今の「マスチツフ」だの「グレイハウンド」だのといふ奴がたさうだが、んな事はておき、我々は印度の「ドール」から進化したのだといふが学者の一致した説である。狼や「ジヤカル」から発達したといふのは嘘だよ。我々同類をゆるものだよ。
 処で、此「ドール」といふ奴はひどく人間を嫌つて決して影を見せないさうだが、敏捷活溌で頗る猟が上手である。豹のやうな木に登るものや象のやうな図抜けて大きな身幹づうたいのものゝ外は何でも捕る。虎でさへが「ドール」に会つては辟易しりごみする。無論一疋と一疋とでは虎には及ばないが、「ドール」君は常に大隊を率ゐて一斉襲撃するから大抵な猛虎は忽ち殺されて了ふ。中々慓悍へうかん決死の大将軍である。ちつと味噌を上げるやうだが、先づ猛獣狩の功者と云つたら「ドール」先生だらう。天晴武勇の振舞は我々犬族の先祖たるに耻ぢずと云ふべしだ。
 さて犬族一統の中で、此「ドール」君の※(「蚌のつくり」、第3水準1-14-6)ふうぼうを最も能く伝へてゐるは我々日本犬だよ。耳から尻尾の具合、面貌かほつきまでが頗るておる。殊に勇武絶倫、猛獣を物ともせざる勇敢の気象が丸出しである。恐らく「ドール」君正統の嫡流だと信じますナ。独り日本犬ばかりでない、日本犬に似てゐる者は悉く勁勇きやうゆう無双ぶさうである。西蔵犬チベツトいぬ、「エスキモー」いぬ西比利亜犬シベリヤいぬ、我々の兄弟分はれも力が強く勇気があつてしたゝかな豪傑である。れも未開の国で野法図のはふづに育つたおかげに歴史に功蹟を遺すだけに進歩しなかつたが其性質のすぐれて怜悧で勇気のあるのは学者に認められておる。「エスキモー」犬が雪中橇車そりを牽いて数日の道を行つても少しも疲労しない事や、西比利亜犬が旅人りよじんを護衛して狼や其他の猛獣を追散らす勇気は実に素晴らしいもんだ。西比利亜では犬を「エンヌ」といふさうで語音ごいんや似通つておる。或は日本犬と同種族であるまいかといふ説があるさうだが、如何さまもありさうな事だわい
 それから我々は何しろ二千五百年の歴史ある国に生まれたのだからエスキモーや西比利亜の徒輩てあひと違つて立派な来歴がある。桓武天皇九代の皇胤と列べ立てゝは緞帳どんちやうの台詞染みて笑止をかしくないが、御歴代の天皇様から御鐘愛を蒙むつて恐れ多くも九重こゝのへ咫尺しせきし奉つたためしは君達も忠君無二の日本人だから御存じだらう。勿論翁丸おきなまるのやうな悪戯をして君の勅勘ちよくかんを蒙むつた者もあるが、我々は先づ君の御寵愛をかたじけなふした方だ。歴史で一番評判なだい愛犬家いぬずきは北条高時どのだ。高時殿は大不忠者のやうに歴史で散三さん/″\に悪く云はれておるがお気の毒だよ。藤原氏以来朝敵の数が殖えてるが、畢竟政権与奪の争ひをして不利益の位置に立つたものが朝敵呼ばゝりをされたので、此神州に生れて誰か天子様に抵抗はむかふ不届者があるもんか。元来いつたい政治をるに天子様をさしはさんで為やうといふは日本人の不心得で、昔日むかしから時の政府に反対するものを直ぐ朝敵にして了うが、今でも忠君を自分達の専売にしたやうな気になつて無暗と反対者を不忠呼ばはりする者があるが悪い癖だ。うぬが勝手に尊皇愛国を狭く解釈して濫りに不敬呼ばはりするは恐れ多くも皇室の稜威みいつを減ずるはゞかりある次第だ。誠に飛んでもない咄で、一番気の毒な目にあつて大悪党の帳本と誤解されたのは北条氏だよ。高時殿はどうせ家を滅ぼす奴だから難有ありがたい人物ではなからうけれど、一族二百人枕を並べて自殺した最期は心あるものの涙をそゝぐ種だ。楠殿が高時のさけこんさかなしゆを用ゆるを聞いて驕奢おごりの甚だしいのを慨嘆したといふは、失敬ながら田舎侍の野暮な過言いひすぎ。天下の執権ともある者が酒九献肴九種ぐらゐ気張つたツて驕奢の沙汰でもあるまいと、俺は思ふナ。這般こんな事をいふと例の大忠臣党が直ぐ犬畜生の言草だなんぞと云ひさうだが、人間様の仰しやる事が兎角御都合主義だから無慾な犬畜生の言草いひぐさが却て道理にかなつてる。……ホイ、話が迂闊うつかり横道へれた。這般な議論は※(「「公」から二画目を取る」、第4水準2-1-10)※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)どうでも可いが、処で此高時殿が大の闘犬好きで其お庇で我々は大分進歩した。闘鶏、闘犬、闘牛の類をすべて野蛮だといつて悪くいふ者もあるが、人間様に角觝すまふがある間は這般な事を云はれまいと思ふよ。尤も禽獣の角闘かくとうは血を流すからといふが、血を流すのは俺達の勝手で、勝負といふ味は人間様の相撲も俺達の仲間の角闘も変つた事は無い。相撲が筋肉の発育を奨励する間接の原因となると同様に闘犬は俺達の身躰を非常に強壮にし且つ勇猛な気象を養ふやうにした。それから高時殿と一対の愛犬家いぬずきは五代将軍綱吉公だナ。犬公方いぬくばう下々した/″\仇口あだくちに呼ばれた位だから無法に我々同類に御憐愍ごれんみんを給はつたものだ。公の生類せいるゐ御憐愍を悪くいふ奴があるが、畢竟つまり今の欧羅巴ヨウロツパやかましくいふ動物保護で人道の大義にかなつてるものだ。手段はと極端過ぎたかも知れんが目的は中々立派なものだ。我々はく御恩を荷つた身分だから今でも忝く思つてる。綱吉公は我々の為にはヱス基督キリスト。此頃のやうな恐水病が恐ろしいからツて濫りに不幸な浪人犬らうにんいぬを撲殺し、歴気れつきとした御主人様でさへが、能く職分を守つて吠える者は直ぐ狂犬だとひて殺して了う時勢では公の恩沢は今更のやうに渇仰するよ。げんに俺の母親おふくろなどはむじつとがで殺された。之が綱吉公の御代なら直ぐかたきを取つて貰へたのだ。

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