魯迅全集 |
改造社 |
1932(昭和7)年11月18日 |
1932(昭和7)年11月18日 |
某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、久しく別れているうち便りも途絶えがちになった。先頃ふと大病に罹った者があると聞いて、故郷に帰る途中立寄ってみるとわずかに一人に会った。病気に罹ったのはその人の弟で、君がせっかく訪ねて来てくれたが、本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、大笑いして二冊の日記を出した。これを見ると当時の病状がよくわかる。旧友諸君に献じてもいいというので、持ち帰って一読してみると、病気は迫害狂の類で、話がすこぶるこんがらがり、筋が通らず出鱈目が多い。日附は書いてないが墨色も書体も一様でないところを見ると、一時に書いたものでないことが明らかで、間々聯絡がついている。専門家が見たらこれでも何かの役に立つかと思って、言葉の誤りは一字もなおさず、記事中の姓名だけを取換えて一篇にまとめてみた。書名は本人平癒後自ら題したもので、そのまま用いた。七年四月二日しるす。
一
今夜は大層月の色がいい。
乃公は三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分が殊の外サッパリして初めて知った、前の三十何年間は全く夢中であったことを。それにしても用心するに越したことはない。もし用心しないでいいのなら、あの趙家の犬めが何だって乃公の眼を見るのだろう。
乃公が恐れる理がある。
二
今夜はまるきり月の光が無い。乃公はどうも変だと思って、早くから気をつけて門を出たが、趙貴翁の目付がおかしいぞ。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。ほかにまだ七八人もいるが、どれもこれも頭や耳を密著けて乃公の噂をしている。乃公に見られるのを恐れている。往来の人は皆そんな風だ。中にも薄気味の悪い、最もあくどい奴は口をおッぴろげて笑っていやがる。乃公は頭の天辺から足の爪先までひいやりとした。解った。彼らの手配がもうチャンと出来たんだ。乃公はびくともせずに歩いていると、前の方で一群の子供がまた乃公の噂をしている。目付は趙貴翁と酷似で、顔色は皆鉄青だ。一体乃公は何だってこんな子供から怨みを受けているのだろう。とてもたまったものじゃない。大声あげて「お前は乃公にわけを言え」と怒鳴ってやると彼らは一散に逃げ出した。
乃公と趙貴翁とは何の怨みがあるのだろう。往来の人にもまた何の怨みがあるのだろう。そうだ。二十年前、古久先生の古帳面を踏み潰したことがある。あの時古久先生は大層不機嫌であったが、趙貴翁と彼とは識合いでないから、定めてあの話を聞伝えて不平を引受け、往来の人までも乃公に怨みを抱くようになったのだろう。だが子供等は一体どういうわけだえ。あの時分にはまだ生れているはずがないのに、何だって変な目付でじろじろ見るのだろう。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。本当に恐ろしいことだ。本当に痛ましいことだ。
おお解った。これはてっきりあいつ等のお袋が教えたんだ。
三
一晩じゅう睡れない。何事も研究してみるとだんだん解って来る。
彼等は――知県に鞭打たれたことがある。紳士から張手を食ったことがある。小役人から嚊を取られたことがある。また彼等の親達が金貸からとっちめられて無理死をさせられたことがある。その時の顔色でもきのうのようなあんな凄いことはない。
最も奇怪に感じるのは、きのう往来で逢ったあの女だ。彼女は子供をたたいてじっとわたしを見詰めている。「叔さん、わたしゃお前に二つ三つ咬みついてやらなければ気が済まない」これにはわたしも全くおどかされてしまったが、あの牙ムキ出しの青ッ面が何だかしらんが皆笑い出した。すると陳老五がつかつか進んで来て、わたしをふんづかまえて家へ連れて行った。家の者はわたしを見ても知らん振りして書斎に入ると鑰を掛け、まるで鶏鴨のように扱われているが、このことはどうしてもわたしの腑に落ちない。
四五日前に狼村の小作人が不況を告げに来た。彼はわたしの大アニキと話をしていた。村に一人の大悪人があって寄ってたかって打殺してしまったが、中には彼の心臓をえぐり出し、油煎りにして食べた者がある。そうすると肝が太くなるという話だ。わたしは一言差出口をすると、小作人と大アニキはじろりとわたしを見た。その目付がきのう逢った人達の目付に寸分違いのないことを今知った。
想い出してもぞっとする。彼等は人間を食い馴れているのだからわたしを食わないとも限らない。
見たまえ。……あの女がお前に咬みついてやると言ったのも、大勢の牙ムキ出しの青面の笑も、先日の小作人の話も、どれもこれも皆暗号だ。わたしは彼等の話の中から、そっくりそのままの毒を見出し、そっくりそのままの刀を見出す、彼等の牙は生白く光って、これこそ本当に人食いの道具だ。
どう考えても乃公は悪人ではないが、古久先生の古帳面に蹶躓いてからとても六ツかしくなって来た。彼等は何か意見を持っているようだが、わたしは全く推測が出来ない。まして彼等が顔をそむけて乃公を悪人と言い布らすんだからサッパリわからない。それで想い出したが、大アニキが乃公に論文を書かせてみたことがある。人物評論でいかなる好人物でもちょっとくさした句があると、彼はすぐに圏点をつける。人の悪口を書くのがいいと思っているので、そういう句があると「翻天妙手、衆と同じからず」と誉め立てる。だから乃公には彼等の心が解るはずがない。まして彼等が人を食おうと思う時なんかは。
何に限らず研究すればだんだんわかって来るもので、昔から人は人をしょっちゅう食べている。わたしもそれを知らないのじゃないがハッキリ覚えていないので歴史を開けてみると、その歴史には年代がなく曲り歪んで、どの紙の上にも「仁道義徳」というような文字が書いてあった。ずっと睡らずに夜中まで見詰めていると、文字の間からようやく文字が見え出して来た。本一ぱいに書き詰めてあるのが「食人」の二字。
このたくさんの文字は小作人が語った四方山の話だ。それが皆ゲラゲラ笑い出し、気味の悪い目付でわたしを見る。
わたしもやっぱり人間だ。彼等はわたしを食いたいと思っている。
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