いうまじき事かも知れぬが、辻町の目にも咄嵯に印したのは同じである。台石から取って覆えした、持扱いの荒くれた爪摺れであろう、青々と苔の蒸したのが、ところどころ
られて、日の隈幽に、石肌の浮いた影を膨らませ、影をまた凹ませて、残酷に搦めた、さながら白身の窶れた女を、反接緊縛したに異ならぬ。
推察に難くない。いずれかの都合で、新しい糸塚のために、ここの位置を動かして持運ぼうとしたらしい。
が、心ない仕業をどうする。――お米の羽織に、そうして、墓の姿を隠して好かった。花やかともいえよう、ものに激した挙動の、このしっとりした女房の人柄に似ない捷い仕種の思掛けなさを、辻町は怪しまず、さもありそうな事と思ったのは、お京の娘だからであった。こんな場に出逢っては、きっとおなじはからいをするに疑いない。そのかわり、娘と違い、落着いたもので、澄まして羽織を脱ぎ、背負揚を棄て、悠然と帯を巌に解いて、あらわな長襦袢ばかりになって、小袖ぐるみ墓に着せたに違いない。
何、夏なら、炎天なら何とする?……と。そういう皮肉な読者には弱る、が、言わねば卑怯らしい、裸体になります、しからずんば、辻町が裸体にされよう。
――その墓へはまず詣でた――
引返して来たのであった。
辻町の何よりも早くここでしよう心は、立処に縄を切って棄てる事であった。瞬時といえども、人目に曝すに忍びない。行るとなれば手伝おう、お米の手を借りて解きほどきなどするのにも、二人の目さえ当てかねる。
さしあたり、ことわりもしないで、他の労業を無にするという遠慮だが、その申訳と、渠等を納得させる手段は、酒と餅で、そんなに煩わしい事はない。手で招いても渋面の皺は伸びよう。また厨裡で心太を突くような跳梁権を獲得していた、檀越夫人の嫡女がここに居るのである。
栗柿を剥く、庖丁、小刀、そんなものを借りるのに手間ひまはかからない。
大剪刀が、あたかも蝙蝠の骨のように飛んでいた。
取って構えて、ちと勝手は悪い。が、縄目は見る目に忍びないから、衣を掛けたこのまま、留南奇を燻く、絵で見た伏籠を念じながら、もろ手を、ずかと袖裏へ。驚破、ほんのりと、暖い。芬と薫った、石の肌の軟かさ。
思わず、
「あ。」
と声を立てたのであった。
「――おばけの蜻蛉、おじさん。」
「――何そんなものの居よう筈はない。」
胸傍の小さな痣、この青い蘚、そのお米の乳のあたりへ鋏が響きそうだったからである。辻町は一礼し、墓に向って、屹といった。
「お嬢さん、私の仕業が悪かったら、手を、怪我をおさせなさい。」
鋏は爽な音を立てた、ちちろも声せず、松風を切ったのである。
「やあ、塗師屋様、――ご新姐。」
木戸から、寺男の皺面が、墓地下で口をあけて、もう喚き、冷めし草履の馴れたもので、これは磽
たる径は踏まない。草土手を踏んで横ざまに、傍へ来た。
続いて日傭取が、おなじく木戸口へ、肩を組合って低く出た。
「ごめんなせえましよ、お客様。……ご機嫌よくこうやってござらっしゃる処を見ると、間違えごともなかったの、何も、別条はなかっただね。」
「ところが、おっさん、少々別条があるんですよ。きみたちの仕事を、ちょっと無駄にしたぜ。一杯買おう、これです、ぶつぶつに縄を切払った。」
「はい、これは、はあ、いい事をさっせえて下さりました。」
「何だか、あべこべのような挨拶だな。」
「いんね、全くいい事をなさせえました。」
「いい事をなさいましたじゃないわ、おいたわしいじゃないの、女
さんがさ。」
「ご新姐、それがね、いや、この、からげ縄、畜生。」
そこで、踞んで、毛虫を踏潰したような爪さきへ近く、切れて落ちた、むすびめの節立った荒縄を手繰棄てに背後へ刎出しながら、きょろきょろと樹の空を見廻した。
妙なもので、下木戸の日傭取たちも、申合せたように、揃って、踞んで、空を見る目が、皆動く。
「いい塩梅に、幽霊蜻蛉、消えただかな。」
「一体何だね、それは。」
「もの、それがでござりますよ、お客様、この、はい、石塔を動かすにつきましてだ。」
「いずれ、あの糸塚とかいうのについての事だろうが、何かね、掘返してお骨でも。」
「いや、それはなりましねえ。記念碑発起押っぽだての、帽子、靴、洋服、袴、髯の生えた、ご連中さ、そのつもりであったれど、寺の和尚様、承知さっしゃりましねえだ。ものこれ、三十年経ったとこそいえ、若い女
が埋ってるだ。それに、久しい無縁墓だで、ことわりいう檀家もなしの、立合ってくれる人の見分もないで、と一論判あった上で、土には触らねえ事になったでがす。」
「そうあるべき処だよ。」
「ところで、はい、あのさ、石彫の大え糸枠の上へ、がっしりと、立派なお堂を据えて戸をあけたてしますだね、その中へこの……」
お米は着流しのお太鼓で、まことに優に立っている。
「おお、成仏をさっしゃるずら、しおらしい、嫁菜の花のお羽織きて、霧は紫の雲のようだ、しなしなとしてや。」
と、苔の生えたような手で撫でた。
「ああ、擽ったい。」
「何でがすい。」
と、何も知らず、久助は墓の羽織を、もう一撫で。
「この石塔を斎き込むもくろみだ。その堂がもう出来て、切組みも済ましたで、持込んで寸法をきっちり合わす段が、はい、ここはこの通り足場が悪いと、山門内まで運ぶについて、今日さ、この運び手間だよ。肩がわりの念入りで、丸太棒で担ぎ出しますに。――丸太棒めら、丸太棒を押立てて、ごろうじませい、あすこにとぐろを巻いていますだ。あのさきへ矢羽根をつけると、掘立普請の斎が出るだね。へい、墓場の入口だ、地獄の門番……はて、飛んでもねえ、肉親のご新姐ござらっしゃる。」
と、泥でまぶしそうに、口の端を拳でおさえて、
「――そのさ、担ぎ出しますに、石の直肌に縄を掛けるで、藁なり蓆なりの、花ものの草木を雪囲いにしますだね、あの骨法でなくば悪かんべいと、お客様の前だけんど、わし一応はいうたれども、丸太棒めら。あに、はい、墓さ苞入に及ぶもんか、手間障だ。また誰も見ていねえで、構いごとねえだ、と吐いての。
和尚様は今日は留守なり、お納所、小僧も、総斎に出さしった。まず大事ねえでの。はい、ぐるぐるまきのがんじがらみ、や、このしょで、転がし出した。それさ、その形でがすよ。わしさ屈腰で、膝はだかって、面を突出す。奴等三方からかぶさりかかって、棒を突挿そうとしたと思わっせえまし。何と、この鼻の先、奴等の目の前へ、縄目へ浮いて、羽さ弾いて、赤蜻蛉が二つ出た。
たった今や、それまでというものは、四人八ツの、団栗目に、糠虫一疋入らなんだに、かけた縄さ下から潜って石から湧いて出たはどうしたもんだね。やあやあ、しっしっ、吹くやら、払いますやら、静として赤蜻蛉が動かねえとなると、はい、時代違いで、何の気もねえ若い徒も、さてこの働きに掛ってみれば、記念碑糸塚の因縁さ、よく聞いて知ってるもんだで。
ほれ、のろのろとこっちさ寄って来るだ。あの、さきへ立って、丸太棒をついた、その手拭をだらりと首へかけた、逞い男でがす。奴が、女
の幽霊でねえか。出たッと、また髯どのが叫ぶと、蜻蛉がひらりと動くと、かっと二つ、灸のような炎が立つ。冷い火を汗に浴びると、うら山おろしの風さ真黒に、どっと来た、煙の中を、目が眩んで遁げたでござえますでの。………
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