三
大方はそれが、張出し幕の縫目を漏れて茫と座敷へ映るのであろう……と思う。欄干下の廂と擦れ擦れな戸外に、蒼白い瓦斯が一基、大門口から仲の町にずらりと並んだ中の、一番末の街燈がある。
時々光を、幅広く迸しらして、濶と明るくなると、燭台に引掛けた羽織の袂が、すっと映る。そのかわり、じっと沈んで暗くなると、紺の縦縞が消々になる。
座中は目で探って、やっと一人の膝、誰かの胸、別のまた頬のあたり、片袖などが、風で吹溜ったように、断々に仄に見える。間を隔てたほどそれがかえって濃い、つい隣合ったのなどは、真暗でまるで姿が無い。
ふと鼠色の長い影が、幕を斜違いに飜々と伝わったり……円さ六尺余りの大きな頭が、ぬいと、天井に被さりなどした。
「今、起ちなすったのは魯智深さんだね。」
と主は分らず声を懸ける。
「いや、私は胡坐掻いています、どっしりとな。」
とわざと云う。……描ける花和尚さながらの大入道、この人ばかりは太ッ腹の、あぶらぼてりで、宵からの大肌脱。絶えずはたはたと鳴らす団扇[#「団扇」は底本では「団扉」]づかい、ぐいと、抱えて抜かないばかり、柱に、えいとこさで凭懸る、と畳半畳だぶだぶと腰の周囲に隠れる形体。けれども有名な琴の師匠で、芸は嬉しい。紺地の素袍に、烏帽子を着けて、十三絃に端然と直ると、松の姿に霞が懸って、琴爪の千鳥が啼く。
「天井を御覧なさい、変なものが通ります。」
「厭ですね。」と優しい声。
当夜、二人ばかり婦人も見えた。
これは、百物語をしたのである。――
会をここで開いたのは、わざと引手茶屋を選んだ次第では無かった。
「ちっと変った処で、好事に過ぎると云う方もございましょう。何しろ片寄り過ぎますんで。しかし実は席を極めるのに困りました。
何しろこの百物語……怪談の会に限って、半夜は中途で不可ません。夜が更けるに従って……というのですから、御一味を下さる方も、かねて徹夜というお覚悟です。処で、宵から一晩の註文で、いや、随分方々へ当って見ました。
料理屋じゃ、のっけから対手にならず、待合申すまでも無い、辞退。席貸をと思いましたが、やっぱり夜一夜じゃ引退るんです。第一、人数が二十人近くで、夜明しと来ては、成程、ちょっとどこといって当りが着きません。こりゃ旅籠屋だ、と考えました。
これなら大丈夫、と極めた事にすると、どういたして、まるで帳場で寄せつけません、無理もございますまい。旅籠屋は人の寝る処を、起きていて饒舌ろうというんです。傍が御迷惑をなさる、とこの方を関所破りに扱います、困りました。
寺方はちょっと聞くと可いようで、億劫ですし、教会へ持込めば叱られます。離れた処で寮なんぞ借りられない事もありませんが――この中にはその時も御一所で、様子を御存じの方もお見えになります、昨年の盆時分、向島の或別荘で、一会催した事があるんです。
飛んだ騒ぎで、その筋に御心配を掛けたんです。多人数一室へ閉籠って、徹夜で、密々と話をするのが、寂とした人通の無い、樹林の中じゃ、その筈でしょう。
お引受け申して、こりや思懸けない、と相応に苦労をしました揚句、まず……昔の懺悔をしますような取詰め方で、ここを頼んだのでございます。
言訳を申すじゃありませんが、以前だとて、さして馴染も無い家が、快く承わってくれまして、どうやらお間に合わせます事が出来ました。
ちと唐突に変った誂えだもんですから、話の会だと言いますと、
(はあ、おはなの……)なんてな、此家の姉御が早合点で……」
と笑いながら幹事が最初挨拶した、――それは、神田辺の沢岡という、雑貨店の好事な主人であった。
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