二十二
「そうすると、趣向をしたのはこの人では無いらしい、企謀んだものなら一番懸けに、婆々を見着けそうなものだから。
(ねえ、こっちにもう一つ異体なのは、注連でも張りそうな裸のお腹、……)
(何じゃね、)と直きに傍だったので、琴の師匠は聞着けたが、
(いいえ、こちらの事で。)幹事が笑うと、欠伸まじりで、それなり、うとうと。
(まあ、これは一番正体が知れていますが、それでも唐突に見ると吃驚しますぜ。で、やっぱりそれ、燭台の傍の柱に附着いて胡坐でさ。妙に人相形体の変ったのが、三つとも、柱の処ですからね。私も今しがた敷居際の、仕切の壁の角を、摺出した処ですよ。
どうです、心得ているから可いようなものの、それでいながら変に凄い。気の弱い方が、転寝からふっと覚際に、ひょっと一目見たら、吃驚しますぜ。
魔物もやっぱり、蛇や蜘蛛なんぞのように、鴨居から柱を伝って入って来ると見えますな。)
(可厭ですね。)
婦人は二人、颯と衣紋を捌いて、子窓の前を離れた、そこにも柱があったから。
そして、お蘭さんが、
(ああ、また……開いていますね。)
と言うんだ。……階下から二階へ帰掛けに、何の茶番が! で、私がぴったり閉めた筈。その時は勿論、婆々も爺々も見えなかった、――その物干の窓が、今の間に、すかり、とこう、切放したように、黒雲立って開いている。
お種さんが、
(憚り様、どうかそこをお閉め下さいまし。)
こう言って声を懸けた。――誰か次の室の、その窓際に坐っているのが見えたんだろう。
お聞き……そうすると……壁腰、――幹事の沢岡が気にして摺退いたという、敷居外の柱の根の処で、
(な、)
と云う声だ! 私は氷を浴びたように悚然とした。
(閉い言うて、云わしゃれても、な、埒明かん。閉めれば、その跡から開けるで、やいの。)
聞くと、筋も身を引釣った、私は。日暮に谷中の坂で聞いた、と同じじゃないか。もっとも、年寄りは誰某と人を極めないと、どの声も似てはいるが。
それに、言い方が、いかにも邪慳に、意地悪く聞えたせいか、幹事が、対手は知らず、ちょっと詰るように、
(誰が明けます。)
(誰や知らん。)
(はあ、閉める障子を明ける人がありますか。)
(棺の蓋は一度じゃが、な、障子は幾度でも開けられる、閉てられるがいの。)
(可いから、閉めて下さい、夜が更けて冷えるんですから、)と幹事も不機嫌な調子で言う。
(惜きましょ。透通いて見えん事は無けれどもよ……障子越は目に雲霧じゃ、覗くにはっきりとよう見えんがいの。)
(誰か、物干から覗くんですかね。)
(彼にも誰にも、大勢、な、)
(大勢、……誰です、誰です。)
と、幹事もはじめて、こう逆に捻向いて背後を見た。
(誰や言うてもな、殿、殿たちには分らぬ、やいの、形も影も、暗い、暗い、暗い、見えぬぞ、殿。)
(明るくしよう、)
と幹事も何か急込んで、
(三輪ちゃん、電燈を、電燈を、)
と云ったが、どうして、あの娘が動き得ますか。私の膝に、可哀相に、襟を冷たくして突臥したッきり。
「措きませ、措きませい。無駄な事よ、殿、地獄の火でも呼ばぬ事には、明るくしてかて、殿たちの目に、何が見えよう。……見えたら異事じゃぞよ、異事じゃぞよ、の。見えぬで僥倖いの、……一目見たら、やあ、殿、殿たちどうなろうと思わさる。やあ、)
と口を、ふわふわと開けるかして、声が茫とする。」
二十三
「幹事が屹として、
(誰です、お前さんは、)
と聞いた。この時、睡っていない人が一人でもあるとすれば、これは、私はじめ待構えた問だった。
(私か、私か、……殿、)
と聞返して、
(同じ仲間のものじゃが、やいの。)
(夥間? 私たちの?)
(誰がや、……誰がや、)
と嘲るように二度言って、
(殿たちの。私が言うは近間に居る、大勢の、の、その夥間じゃ、という事いの。)
(何かね、廓の人かね。)
(されば、松の森、杉の林、山懐の廓のものじゃ。)
(どこから来ました。)
(今日は谷中の下闇から、)
(佐川さん、)
と少し声高に、幹事が私を呼ぶじゃないか。
私は黙っていたんだ。
しばらくして、
(何をしに……)
(「とりあげ」をしょうために、な、殿、「とりあげ」に来たぞ、やいの。)
(嬰児を産ませるのか。)
(今、無い、ちょうど間に合うて「とりあげ」る小児は無い。)
(そんな、誂えた[#「誂えた」は底本では「誹えた」]ようなお産があるものか、お前さん、頼まれて来たんじゃ無いのかね。)
(さればのう、頼まれても来たれど、な、催促にももう来たがいの。来たれどもの、仔細あってまだ「とりあげ」られぬ。)
(むむ、まだ産れないのか。)
(何がいの、まだ、死にさらさぬ。)
(死……死なぬとは?)
(京への、京へ、遠くへ行ている、弟和郎に、一目未練が残るげな。)
幹事はハタと口をつぐんだ。
(そこでじゃがや、姉めが乳の下の鳩落な、蝮指の蒼い爪で、ぎりぎりと錐を揉んで、白い手足をもがもがと、黒髪を煽って悶えるのを見て、鳥ならば活きながら、羽毛をった処よの。さて、それだけで帰りがけじゃい、の、殿、その帰るさに、これへ寄った。)
(そこに居るのは誰だ。)
と向うの縁側の処から、子爵が声を懸けた。……私たちは、フト千騎の味方を得たように思う。
ト此方で澄まして、
(誰でも無いがの。)
(いや、誰でも構わん。が、洒落も串戯も可加減にした方が可いと思う。こう言うと大人気ないが、婦人も居てだ。土地っ児の娘も聞いてる……一座をすれば我々の連中だ。悪戯も可いが、余り言う事が残酷過ぎる。……外の事じゃない。
弟を愛して、――それが出来得る事でも出来ない事でも、その身代りに死ぬと云って覚悟をしている大病人。現に、夜伽をして、あの通り、灯がそこに見えるじゃないか。
それこそ、何にも知らぬ事だ。ちっとも差支えは無いようなものの、あわれなその婦を、直ぐ向うに苦しませておいて、呑気そうに、夜通しのこの会さえ、何だか心ないような気がして、私なんぞは鬱いでいるんだ。
仕様もあろうのに、その病人を材料にして、約束の生命を「とりあげ」に来たが、一目弟を見たがるから猶予をした、胸に爪を立てて苦しませたとはどうだ。
聞いちゃおられん、余り残酷で。可加減にしておきなさい。誰だか。)
と凜々と云う。
聞きも果てずに、
(酷いとは、酷いとは何じゃ、の、何がや、向うの縁側のその殿、酷いとはいの、やいの、酷いとはいの。)
と畳掛けるように、しかも平気な様子。――向うの縁側のその殿――とは言種がどうだい。」
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