泉鏡花集成4 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1995(平成7)年10月24日 |
2004(平成16)年3月20日第2刷 |
1995(平成7)年10月24日第1刷 |
鏡花全集 第十三卷 |
岩波書店 |
1941(昭和16)年6月30日 |
一
表二階の次の六畳、階子段の上り口、余り高くない天井で、電燈を捻ってフッと消すと……居合わす十二三人が、皆影法師。
仲の町も水道尻に近い、蔦屋という引手茶屋で。間も無く大引けの鉄棒が廻ろうという時分であった。
閏のあった年で、旧暦の月が後れたせいか、陽気が不順か、梅雨の上りが長引いて、七月の末だというのに、畳も壁もじめじめする。
もっともこの日、雲は拭って、むらむらと切れたが、しかしほんとうに霽ったのでは無いらしい。どうやら底にまだ雨気がありそうで、悪く蒸す……生干の足袋に火熨斗を当てて穿くようで、不気味に暑い中に冷りとする。
気候はとにかく、八畳の表座敷へ、人数が十人の上であるから、縁の障子は通し四枚とも宵の内から明放したが、夜桜、仁和加の時とは違う、分けて近頃のさびれ方。仲の町でもこの大一座は目に立つ処へ、浅間、端近、戸外へ人立ちは、嬉しがらないのを知って、家の姉御が気を着けて、簾という処を、幕にした。
廂へ張って、浅葱に紺の熨斗進上、朱鷺色鹿の子のふくろ字で、うめという名が一絞。紅の括紐、襷か何ぞ、間に合わせに、ト風入れに掲げたのが、横に流れて、地が縮緬の媚かしく、朧に颯と紅梅の友染を捌いたような。
この名は数年前、まだ少くって見番の札を引いたが、家の抱妓で人に知られた、梅次というのに、何か催のあった節、贔屓の贈った後幕が、染返しの掻巻にもならないで、長持の底に残ったのを、間に合わせに用いたのである。
端唄の題に出されたのも、十年近く以前であるから。見たばかりで、野路の樹とも垣根の枝とも、誰も気の着いたものはなかったが、初め座の定まった処へ、お才という内の姉御が、お茶聞しめせ、と持って出て、梅干も候ぞ。
「いかがですか、甘露梅。」
と、今めかしく註を入れたは、年紀の少い、学生も交ったためで。
「お珍らしくもありませんが、もう古いんですよ、私のように。」
と笑いながら、
「民さん、」
と、当夜の幹事の附添いで居た、佐川民弥という、ある雑誌の記者を、ちょいと見て、
「あの妓なんか、手伝ったのがまだそのままなんです。召あがれ。」と済まして言う。
様子を知った二三人が、ふとこれで気が着いた。そして、言合わせたように民弥を見た。
もっとも、そうした年紀ではなし、今頃はもう左衛門で、女房の実の名も忘れているほどであるから、民弥は何の気も無さそうに、
「いや、御馳走。」
時に敷居の外の、その長六畳の、成りたけ暗そうな壁の処へ、紅入友染の薄いお太鼓を押着けて、小さくなったが、顔の明い、眉の判然した、ふっくり結綿に緋の角絞りで、柄も中形も大きいが、お三輪といって今年が七、年よりはまだ仇気ない、このお才の娘分。吉野町辺の裁縫の師匠へ行くのが、今日は特別、平時と違って、途中の金貸の軒に居る、馴染の鸚鵡の前へも立たず……黙って奥山の活動写真へも外れないで、早めに帰って来て、紫の包も解かずに、……
「道理で雨が霽ったよ。」
嬉々客設けの手伝いした、その――
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