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吉原新話(よしわらしんわ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:57:55  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成4
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年10月24日
入力に使用: 2004(平成16)年3月20日第2刷
校正に使用: 1995(平成7)年10月24日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第十三卷
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1941(昭和16)年6月30日

 

       一

 表二階の次の六畳、階子段はしごだんあがり口、余り高くない天井で、電燈でんきひねってフッと消すと……居合わす十二三人が、皆影法師。
 なかちょう水道尻すいどうじりに近い、蔦屋つたやという引手茶屋で。間も無く大引おおびけの鉄棒かなぼうが廻ろうという時分であった。
 うるうのあった年で、旧暦の月がおくれたせいか、陽気が不順か、梅雨の上りが長引いて、七月の末だというのに、畳も壁もじめじめする。
 もっともこの日、雲はぬぐって、むらむらと切れたが、しかしほんとうにあがったのでは無いらしい。どうやら底にまだ雨気あまきがありそうで、悪く蒸す……生干なまびの足袋に火熨斗ひのしを当てて穿くようで、不気味に暑い中にひやりとする。
 気候はとにかく、八畳の表座敷へ、人数が十人の上であるから、縁の障子は通し四枚とも宵の内から明放したが、夜桜、仁和加にわかの時とは違う、分けて近頃のさびれ方。仲の町でもこの大一座は目に立つ処へ、浅間あさま端近はしぢか戸外おもてへ人立ちは、嬉しがらないのを知って、うち姉御あねごが気を着けて、すだれという処を、幕にした。
 ひさしへ張って、浅葱あさぎに紺の熨斗のし進上、朱鷺色ときいろ鹿の子のふくろ字で、うめという名が一絞ひとしぼりくれない括紐くくりひもたすきか何ぞ、間に合わせに、ト風入れに掲げたのが、横に流れて、縮緬ちりめんなまめかしく、おぼろさっと紅梅の友染をさばいたような。
 この名は数年前、まだわかくって見番の札を引いたが、うち抱妓かかえで人に知られた、梅次というのに、何かもよおしのあった節、贔屓ひいきの贈った後幕うしろまくが、染返しの掻巻かいまきにもならないで、長持の底に残ったのを、間に合わせに用いたのである。
 端唄はうたの題に出されたのも、十年近く以前であるから。見たばかりで、野路のじの樹とも垣根の枝とも、誰も気の着いたものはなかったが、初め座の定まった処へ、お才という内の姉御が、お茶きこしめせ、と持って出て、梅干も候ぞ。
「いかがですか、甘露梅かんろばい。」
 と、今めかしく註を入れたは、年紀としわかい、学生もまじったためで。
「お珍らしくもありませんが、もう古いんですよ、私のように。」
 と笑いながら、
「民さん、」
 と、当夜の幹事の附添いで居た、佐川民弥たみやという、ある雑誌の記者を、ちょいと見て、
「あのなんか、手伝ったのがまだそのままなんです。召あがれ。」と済まして言う。
 様子を知った二三人が、ふとこれで気が着いた。そして、言合わせたように民弥を見た。
 もっとも、そうした年紀としではなし、今頃はもう左衛門で、女房の実の名も忘れているほどであるから、民弥は何の気も無さそうに、
「いや、御馳走ごちそう。」
 時に敷居の外の、そのなが六畳の、成りたけ暗そうな壁の処へ、紅入友染べにいりゆうぜんの薄いお太鼓を押着おッつけて、小さくなったが、顔のあかるい、眉の判然はっきりした、ふっくり結綿ゆいわた角絞つのしぼりで、柄も中形も大きいが、お三輪といって今年がしち、年よりはまだ仇気あどけない、このお才の娘分。吉野町よしのちょう辺の裁縫おしごとの師匠へくのが、今日は特別、平時いつもと違って、途中の金貸の軒に居る、馴染なじみ鸚鵡おうむの前へも立たず……黙って奥山の活動写真へもれないで、早めに帰って来て、紫の包も解かずに、……
「道理で雨があがったよ。」
 嬉々いそいそ客設けの手伝いした、その――

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