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妖僧記(ようそうき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:56:26  点击:  切换到繁體中文



       三

 蝦蟇法師がまほうしがお通に意あるが如き素振そぶりを認めたる連中は、これをお通が召使の老媼おうなに語りて、且つたわぶれ、且つ戒めぬ。
 毎夕納涼台すずみだいに集るやからは、喋々ちょうちょうしく蝦蟇法師のうわさをなして、何者にまれ乞食僧の昼間の住家を探り出だして、その来歴を発出みいださむ者には、賭物かけものとしてきん一円をなげうたむと言いあえりき、一夕いっせきお通は例の如く野田山に墓参して、家に帰れば日は暮れつ。火を点じて後、窓をひらきて屋外の蓮池れんちせなにし、涼を取りつつ机にむかいて、亡き母の供養のために法華経ほけきょうぞ写したる。そのかたわらに老媼ありて、しきりに針を運ばせつ。時にかの蝦蟇法師は、どこを徘徊はいかいしたりけむ、ふと今ここにきたれるが、早くもお通の姿を見て、まなこを細め舌なめずりし、恍惚こうこつたるもの久しかりし、乞食僧は美人臭しとでも思えるやらむ、むくむく鼻をうごめかし漸次しだいに顔を近附けたる、つらが格子をのぞくとともに、鼻は遠慮なく内へりて、お通のほおかすめむとせり。
 珍客ちんかくに驚きて、お通はあれと身を退きしが、事の余りに滑稽こっけいなるにぞ、老婆も叱言こごといういとまなく、同時に吻々ほほと吹き出しける。
 蝦蟇法師は※(「りっしんべん+呉」、第3水準1-84-50)あやまりて、歓心をあがなえりとや思いけむ、悦気えつき満面に満ちあふれて、うな、うな、と笑いつつ、しきりにものを言い懸けたり。
 お通はかねて忌嫌いみきらえる鼻がものいうことなれば、冷然として見も返らず。老媼は更に取合ねど、鼻はなおもずうずうしく、役にも立たぬことばかり句切もなさで饒舌しゃべりらす。その懊悩うるささに堪えざれば、手を以て去れと命ずれど、いっかな鼻は引込ひっこまさぬより、老媼はじれてやっきとなり、手にしたる針のさきを鼻の天窓あたまに突立てぬ。
 あわれ乞食僧はとどめを刺されて、「痛し。」と身体からだ反返そりかえり、よだれをなすりて逸物いちもつ撫廻なでまわし撫廻し、ほうほうのていにて遁出にげいだしつ。走り去ること一町ばかり、俄然がぜんとどまり振返り、蓮池を一つ隔てたる、燈火ともしびの影をきっと見し、まなこの色はただならで、怨毒えんどくを以て満たされたり。その時乞食僧はつえ掉上ふりあげ、「手段のいかんをさえ問わざれば何ののぞみか達せざらむ。」
 かくは断乎だんことして言放ち、大地をひしと打敲うちたたきつ、首を縮め、杖をつき、おもむろに歩をめぐらしける。
 その背後うしろより抜足差足、ひそかに後をつけて一人いちにんの老媼あり。これかのお通の召使が、いま何人なんぴとも知り得ざる蝦蟇法師の居所を探りて、納涼台すずみだい賭物かけものしたる、若干の金子きんすを得むと、お通のとどむるをもかずして、そこに追及したりしなり。呼吸いきを殺して従いくに、阿房あほうはさりとも知らざるさまにて、ほとんど足を曳摺ひきずる如く杖にすがりて歩行あゆけり。
 人里を出離いではなれつ。北の方角に進むことおよそ二町ばかりにて、山尽きて、谷となる。ここ嶮峻けんしゅんなる絶壁にて、勾配こうばいの急なることあたかも一帯の壁に似たり、松杉を以て点綴てんてつせる山間の谷なれば、緑樹とこしえに陰をなして、草木が漆黒の色を呈するより、黒壁とは名附くるにて、この半腹の洞穴どうけつにこそかの摩利支天はまつられたれ。
 はるかに瞰下みおろす幽谷は、白日闇はくじつあんの別境にて、夜昼なしにもやめ、脚下に雨のそぼ降る如く、渓流暗に魔言を説きて、啾々しゅうしゅうたる鬼気人を襲う、その物凄ものすごわむ方なし。
 まさかこことは想わざりし、老媼は恐怖の念に堪えず、魑魅魍魎ちみもうりょう隊をなして、前途にふさがるとも覚しきに、よくにも一歩を移し得で、あわれ立竦たちすくみになりける時、二点の蛍光此方こなたを見向き、一喝して、「何者ぞ。」掉冠ふりかむれる蝦蟇法師の杖のもとに老媼は阿呀あわや蹲踞うずくまりぬ。
 蝦蟇法師は流眄しりめに懸け、「へ、へ、へ、うむ正に此奴こやつなり、予が顔を傷附けたる、大胆者、讐返しかえしということのあるを知らずして」傲然ごうぜんとしてせせら笑う。
 これを聞くより老媼はぞっと心臓まで寒くなりて、全体氷柱つららに化したる如く、いと哀れなる声を発して、「命ばかりはお助けあれ。」とがたがた震えていたりける。

       四

 さるほどに蝦蟇法師がまほうしはあくまで老媼おうなきもを奪いて、「コヤ老媼、なんじの主婦を媒妁なかだちしてわが執念を晴らさせよ。もし犠牲いけにえを捧げざれば、お通はもとより汝もあまりきことはなかるべきなり、忘れてもとりもつべし。それまで命を預け置かむ、命冥加いのちみょうが老耆おいぼれめが。」とあららかに言棄いいすてて、疾風土をいて起ると覚しく、恐る恐るこうべもたげあぐれば、蝦蟇法師は身を以ておとすが如くくだき、もやに隠れてせたりけり。
 やれやれ生命いのちを拾いたりと、真蒼まっさおになりて遁帰にげかえれば、冷たくなれる納台すずみだいにまだ二三人居残りたるが、老媼の姿を見るよりも、「探検し来りしよな、蝦蟇法師の住居すまい何処いずこ。」と右左より争い問われて、答うる声も震えながら、「何がなし一件じゃ、これなりこれなり。」と、握拳にぎりこぶしを鼻の上にぞかさねたる、乞食僧の人物や、これをいわむよりはたまた狂と言むより、もっとも魔たるに適するなり。もししからずば少なくとも魔法使に適するなり。
 かかりし後法師の鼻は甚だ威勢あるものとなりて、暗裡あんり人をして恐れしめ、自然黒壁を支配せり。こは一般に老若ろうにゃくいたく魔僧を忌憚いみはばかかり、敬して遠ざからむと勤めしよりなり、たれ妖星ようせいの天に帰して、眼界を去らむことを望まざるべき。
 ここに最もそのしからむことを望む者は、蝦蟇と、清川お通となり。いかんとなればあまたの人の嫌悪に堪えざる乞食僧の、黒壁に出没するは、蝦蟇とお通のあるためなりと納涼台すずみだいにて語り合えるを美人はふと聞噛ききかじりしことあればなり、思うてここに到るごとに、お通は執心の恐しさに、「母上、母上」と亡母を念じて、おのが身辺に絡纏まつわりつつある淫魔いんましりぞけられむことを哀願しき。お通の心は世に亡き母の今もその身とともにおわして、幼少のみぎりにおけるが如くその心願を母に請えば、必ずかるべしと信ずるなり。
 さりながらいかにせむ、お通はついに乞食僧の犠牲にならざるべからざる由老媼の口より宣告されぬ。
 前日、黒壁に賁臨ふんりんせる蝦蟇法師へのみつぎとして、この美人を捧げざれば、到底き事はあらざるべしと、※(「りっしんべん+曷」、第4水準2-12-59)どうかつてきに乞食僧より、最もかれを信仰してその魔法使たるを疑わざるくだんの老媼に媒妁なかだちすべく言込みしを、老媼もお通に言出しかねて一日いちじつのがれに猶予ためらいしが、厳しく乞食僧に催促されて、わで果つべきことならねば、止むことを得で取次たるなり。しかるにお通はあらかじめその趣を心得たれば、老媼が推測りしほどには驚かざりき。
 美人は冷然として老媼を諭しぬ、「母上の世にいまさば何とこれを裁きたまわむ、まずそれを思い見よ、必ずかかる乞食の妻となれとはいいたまわじ。」と謂われて返さむことばも無けれど、老媼は甚だしき迷信じゃなれば乞食僧の恐喝きょうかつまこととするにぞ、生命いのちに関わる大事と思いて、「彼奴かやつ神通広大じんずうこうだいなる魔法使にて候えば、何を仕出しいださむもはかがたし。さりとて鼻に従いたまえとわたくし申上げはなさねども、よき御分別もおわさぬか。」と熱心に云えばひややかに、「いや、分別も何もなし、たといいかなることありとも、母上の御心みこころに合わぬ事は誓ってせまじ。」
 と手強き謝絶に取附く島なく、老媼はいたこうじ果てしが、何思いけむ小膝こひざち、「すべて一心かたまりたるほど、強く恐しき者はなきが、鼻が難題を免れむには、こっちよりもそれ相当の難題を吹込みて、これだけのことをしさえすれば、それだけののぞみに応ずべしとこういう風に談ずるが第一手段いちのてに候なり、昔語むかしがたりにさることはべりき、ここに一条ひとすじくちなわありて、とある武士もののふの妻に懸想けそうなし、かたくなにしょうじ着きて離るべくもなかりしを、その夫何某なにがし智慧ちえある人にて、欺きて蛇に約し、なんじ巨鷲おおわしの頭三個みつを得て、それを我に渡しなば、妻をやらむとこたえしに、蛇はこれをうべないて鷲と戦い亡失ほろびうせしということの候なり。されど今なまじいに鷲の首などとう時は、かの恐しき魔法使の整え来ぬともはかり難く因りて婆々ばばが思案には、(其方そなたの言分承知したれど、親のゆるしのなくてはならず、母上だに引承ひきうけたまわば何時なんどきにても妻とならん、去ってまず母上に請来こいきたれ)と、かように貴娘あなたが仰せられし、とわたくしより申さむか、何がさて母君はとくに世に亡き御方おんかたなれば、出来ぬ相談と申すもの、とても出来ない相談の出来ようはずのなきことゆえ、いかなる鼻もこれには弱りて、しまいに泣寝入となるは必定ひつじょう、ナニ御心配なされまするな、」と説く処の道理もっともなるに、お通もうかとうなずきぬ。かくて老媼がこのよしを蝦蟇法師に伝えて後、鼻は黒壁に見えずなれり。
 さてはうまいぞシテったり、とお通にはもとより納涼台すずみだいにも老媼は智慧を誇りけるが、いずくんぞ知らむ黒壁に消えし蝦蟇法師の、野田山の墓地にあらわれて、お通が母の墳墓の前に結跏趺坐けっかふざしてあらむとは。
 そのゆうべもまたそこにもうでし、お通は一目見てあおくなりぬ。

明治三十五(一九〇二)年一月




 



底本:「泉鏡花集成4」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年10月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第七巻」岩波書店
   1942(昭和17)年7月22日第1刷発行
※疑問点の確認に当たっては、底本の親本を参照しました。
入力:門田裕志
校正:今井忠夫
2003年8月31日作成
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