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妖僧記(ようそうき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:56:26  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成4
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年10月24日
入力に使用: 1995(平成7)年10月24日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第七巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年7月22日

 

    一

 加賀の国黒壁くろかべは、金沢市の郊外一里程りていの処にあり、魔境をもっ国中こくちゅうに鳴る。けだ野田山のだやまの奥、深林幽暗の地たるに因れり。
 ここに摩利支天を安置し、これにかしずく山伏のすまえる寺院を中心とせる、一落いちらく山廓さんかくあり。戸数は三十有余にて、住民ほとんど四五十なるが、いずれも俗塵ぞくじんいといて遯世とんせいしたるが集りて、悠々閑日月を送るなり。
 さればとなく、昼となく、笛、太鼓、鼓などの、舞囃子まいばやしの音にして、うたいの声起り、深更時ならぬに琴、琵琶びわなどひびきかすかに、金沢の寝耳に達する事あり。
 一歳ひととせ初夏の頃より、このあたりを徘徊はいかいせる、世にもいまわしき乞食僧こじきそうあり、その何処いずこより来りしやを知らず、忽然こつぜん黒壁に住める人の眼界にあらわれしが、殆ど湿地にうじを生ずるごとく、自然にき出でたるやの観ありき。乞食僧はその年紀とし三十四五なるべし。寸々ずたずたに裂けたる鼠の法衣ころもを結び合せ、つなぎ懸けて、辛うじてこれをまとえり。
 容貌ようぼう甚だ憔悴しょうすいし、全身黒みせて、つめ長くひげ短し、ただこれのみならむには、一般乞食こつじきと変わらざれども、一度その鼻を見る時は、誰人たれひとといえども、造化の奇をろうするも、また甚だしきに、驚かざるを得ざるなり。鼻は大にして高く、しかも幅広に膨れたり。そのさきは少しくゆがみ、赤く色着きてつやあり。鼻の筋通りたれば、額より口のあたりまで、顔は一面の鼻にして、痩せたるほおは無きが如く、もしたなそこを以て鼻をおおえば、乞食僧の顔は隠れ去るなり。人ありて遠くよりかれを望む時は、鼻がつえを突きて歩むが如し。
 乞食僧は一条の杖を手にして、しばらくもこれを放つことなし。
 杖は※状かぎのて[#「かぎかっこ、「、の左右反転」、137-5]自然木じねんぼくなるが、その曲りたる処に鼻をたせつ、手は後様うしろざまに骨盤のあたりに組み合せて、所作なき時は立ちながら憩いぬ。要するに吾人ごじんが腰掛けて憩うが如く、乞食僧にありては、杖が鼻の椅子いすなりけり。
 奇絶なる鼻の持主は、乞丐きっかいの徒には相違なきも、あながち人の憐愍れんみんを乞わず、かつて米銭の恵与を強いしことなし。喜捨する者あれば鷹揚おうように請取ること、あたかも上人が檀越だんえつの布施を納むるが如き勿体もったい振りなり。
 人もしその倨傲きょごうなるを憎みて、の米銭を与えざらむか、乞食僧はあえて意となさず、決してまたえむともせず。
 この黒壁には、夏候かこうぴきの蚊もなしと誇るまでに、蝦蟇がまの多き処なるが、乞食僧はたくみにこれをあさりて引裂きくらうに、おおむ一夕いっせき十数疋を以て足れりとせり。
 されば乞食僧は、昼間何処いずくにか潜伏して、絶えて人にまみえず、黄昏こうこん蝦蟇の這出はいいづる頃を期して、飄然ひょうぜんと出現し、ここの軒下、かしこの塀際、垣根あたりの薄暗闇うすくらやみに隠見しつつ、腹にたして後はまた何処いずかたへか消え去るなり。

       二

 ここに醜怪なる蝦蟇法師がまほうしと正反対して、玲瓏れいろう玉を欺く妙齢の美人ありて、黒壁に住居すまいせり。かれは清川お通とて、親も兄弟もあらぬ独身ひとりみなるが、家を同じくする者とては、わずかに一にん老媼おうなあるのみ、これそのなり。
 お通は清川何某なにがしとて、五百石を領せし旧藩士の娘なるが、幼にして父を失い、去々年おととしまた母を失い、全く孤独の身とはなり果てつ、知れる人の嫁入れ、婿れと要らざる世話を懊悩うるさく思いて、母の一周忌の終るとともに金沢の家を引払い、去年こぞよりここに移りたるなり。もとより巨額の公債を有し、衣食に事欠かざれば、花車かしゃ風流に日を送りて、何の不足もあらざる身なるに、月の如くそのかんばせは一片の雲におおわれて晴るることなし。これ母親の死をかなし別離わかれに泣きし涙の今なお双頬そうきょうかかれるを光陰の手もぬぐい去るあたわざるなりけり。
 読書、弾琴、月雪花、それらのものは一つとして憂愁をいやすに足らず、うたた懐旧のなかだちとなりぬ。ただ野田山の墳墓をはらいて、母上と呼びながら土にすがりて泣き伏すをば、此上無こよな娯楽たのしみとして、お通は日課の如く参詣さんけいせり。
 七月の十五日は殊に魂祭たままつりの当日なれば、夕涼ゆうすずみより家を出でて独り彼処かしこに赴きけり。
 野田山に墓は多けれど詣来もうでくる者いと少なく墓る法師もあらざれば、雑草生茂おいしげりて卒塔婆そとば倒れ断塚壊墳だんちょうかいふん[#「壊墳」は底本では「懐墳」]算を乱して、満目うたた荒涼たり。
 いつも変らぬことながら、お通は追懐の涙をそそぎ、花を手向けて香をくんじ、いますが如く斉眉かしずきて一時余いっときあまりも物語りて、帰宅の道は暗うなりぬ。
 急足いそぎあしに黒壁さして立戻る、十けんばかりあいを置きて、背後うしろよりぬき足さし足、ひそかに歩を運ぶはかの乞食僧なり。かれがお通のあとを追うはほとん旬日前じゅんじつぜんよりにして、美人が外出をなすにうては、影の形に添う如く絶えずそこここ附絡つきまとうを、お通は知らねど見たる者あり。このゆうべもまた美人をその家まで送り届けし後、杉の根のおもてたたずみて、例の如く鼻につえをつきて休らいたり。
 時に一縷いちる暗香あんこうありて、垣の内よりれけるにぞ法師は鼻をうごめかして、密にうち差覗さしのぞけば、美人は行水を使いしやらむ、浴衣涼しく引絡ひきまとい、人目のあらぬ処なれば、巻帯姿まきおびすがた繕わで端居はしいしたる、胸のあたりの真白きに腰のくれない照添いて、まばゆきばかりうるわしきを、蝦蟇法師は左瞻右視とみこうみあるいは手をり、足を爪立つまだて、操人形が動くが如き奇異なる身振みぶりをしたりとせよ、何思いけむくびすを返し、更に迂回うかいして柴折戸しおりどのあるかたき、言葉より先に笑懸けて、「暖き飯一ぜん与えたまえ、」とおおいなる鼻を庭前にわさきへ差出しぬ。
 いまだ乞食僧を知らざる者の、かかる時不意にこの鼻に出会いなば少なくとも絶叫すべし、美人はすでにかれを知れり。且つその狂か、か、いずれ常識無き阿房あほうなるを聞きたれば、驚ける気色も無くて、行水に乱鬢みだれびんの毛を鏡に対して撫附なでつけいたりけり。
 蝦蟇法師はためつすがめつ、さもいぶかしげに鼻を傾けお通がせるわざながめたるが、おかしげなる声を発し、「それは」と美人の手にしたる鏡を指して尋ねたり。妙なることを聞く者よとお通はわずかに見返りて、「鏡」とばかり答えたり。阿房はなおも推返おしかえして、「なんの用にするぞ」と問いぬ。「姿を映して見るものなり、御僧おんそうも鼻を映して見たまえかし。」といいさま鏡を差向けつ。蝦蟇法師は飛退とびすさりて、さも恐れたる風情にて鼻を飛ばして遁去にげさりける。
 これを語り次ぎ伝え聞きて黒壁の人々はあきらかに蝦蟇法師の価値を解したり。なお且つ、渠等かれらは乞食僧のお通に対して馬鹿々々しき思いを運ぶを知りたれば、いよいよその阿房なることを確めぬ。
 さりながら鏡を示されし時乞食僧は逃げ去りつつ人知れず左記の数言をつぶやきたり。
「予は自ら誓えり、世を終るまで鏡を見じと、しかり断じて鏡を見まじ。否これを見ざるのみならず、今思出おもいいだしたる鏡というものの名さえ、務めて忘れねばならぬなり。」

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