鏡花全集 卷六 |
岩波書店 |
1941(昭和16)年11月10日 |
1974(昭和49)年4月2日第2刷 |
1987(昭和62)年2月3日第3刷 |
柏崎海軍少尉の夫人に、民子といつて、一昨年故郷なる、福井で結婚の式をあげて、佐世保に移住んだのが、今度少尉が出征に就き、親里の福井に歸り、神佛を祈り、影膳据ゑつつ座にある如く、家を守つて居るのがあつた。
旅順の吉報傳はるとともに幾干の猛將勇士、或は士卒――或は傷つき骨も皮も散々に、影も留めぬさへある中に夫は天晴の功名して、唯纔に左の手に微傷を受けたばかりと聞いた時、且つ其の乘組んだ艦の帆柱に、夕陽の光を浴びて、一羽雪の如き鷹の來り留つた報を受け取つた時、連添ふ身の民子は如何に感じたらう。あはれ新婚の式を擧げて、一年の衾暖かならず、戰地に向つて出立つた折には、忍んで泣かなかつたのも、嬉涙に暮れたのであつた。
あゝ、其のよろこびの涙も、夜は片敷いて帶も解かぬ留守の袖に乾きもあへず、飛報は鎭守府の病院より、一家の魂を消しに來た。
少尉が病んで、豫後不良とのことである。
此の急信は××年××月××日、午後三時に屆いたので、民子は蒼くなつて衝と立つと、不斷着に繻子の帶引緊めて、つか/\と玄關へ。父親が佛壇に御明を點ずる間に、母親は、財布の紐を結へながら、駈けて出て之を懷中に入れさせる、女中がシヨオルをきせかける、隣の女房が、急いで腕車を仕立に行く、とかうする内、お供に立つべき與曾平といふ親仁、身支度をするといふ始末。さて、取るものも取りあへず福井の市を出發した。これが鎭守府の病院に、夫を見舞ふ首途であつた。
冬の日の、山國の、名にしおふ越路なり、其日は空も曇りたれば、漸く町をはづれると、九頭龍川の川面に、早や夕暮の色を籠めて、暗くなりゆく水蒼く、早瀬亂れて鳴る音も、千々に碎けて立つ波も、雪や!其の雪の思ひ遣らるゝ空模樣。近江の國へ山越に、出づるまでには、中の河内、木の芽峠が、尤も近きは目の前に、春日野峠を控へたれば、頂の雲眉を蔽うて、道のほど五里あまり、武生の宿に着いた頃、日はとつぷりと暮れ果てた。
長旅は抱へたり、前に峠を望んだれば、夜を籠めてなど思ひも寄らず、柳屋といふに宿を取る。
路すがら手も足も冷え凍り、火鉢の上へ突伏しても、身ぶるひやまぬ寒さであつたが、
枕に就いて初夜過ぐる頃ほひより、少し氣候がゆるんだと思ふと、凡そ手掌ほどあらうといふ、俗に牡丹となづくる雪が、しと/\と果しもあらず降出して、夜中頃には武生の町を笠のやうに押被せた、御嶽といふ一座の峰、根こそぎ一搖れ、搖れたかと思ふ氣勢がして、風さへ颯と吹き添つた。
一の谷、二の谷、三の谷、四の谷かけて、山々峰々縱横に、荒れに荒るゝが手に取るやう、大波の寄せては返すに齊しく、此の一夜に北國空にあらゆる雪を、震ひ落すこと、凄まじい。
民子は一炊の夢も結ばず。あけ方に風は凪いだ。
昨夜雇つた腕車が二臺、雪の門を叩いたので、主從は、朝餉の支度も
々に、身ごしらへして、戸外に出ると、東雲の色とも分かず黄昏の空とも見えず、溟々濛々として、天地唯一白。
不意に積つた雪なれば、雪車と申しても間に合ず、ともかくもお車を。帳場から此處へ參る内も、此の通りの大汗と、四人の車夫は口を揃へ、精一杯、後押で、お供はいたして見まするけれども、前途のお請合はいたされず。何はしかれ車の齒の埋まりますまで、遣るとしませう。其上は、三人がかり五人がかり、三井寺の鐘をかつぐ力づくでは、とても一寸も動きはしませぬ。お約束なれば當柳屋の顏立に參つたまで、と、しり込すること一方ならず。唯急ぎに急がれて、こゝに心なき主從よりも、御機嫌ようと門に立つて、一曳ひけば降る雪に、母衣の形も早や隱れて、殷々として沈み行く客を見送る宿のものが、却つて心細い限りであつた。
酒代は惜まぬ客人なり、然も美人を載せたれば、屈竟の壯佼勇をなし、曳々聲を懸け合はせ、畷、畦道、村の徑、揉みに揉んで、三里の路に八九時間、正午といふのに、峠の麓、春日野村に着いたので、先づ一軒の茶店に休んで、一行は吻と呼吸。
茶店のものも爐を圍んで、ぼんやりとして居るばかり。いふまでもなく極月かけて三月彼岸の雪どけまでは、毎年こんな中に起伏するから、雪を驚くやうな者は忘れても無い土地柄ながら、今年は意外に早い上に、今時恁くまで積るべしとは、七八十になつた老人も思ひ懸けないのであつたと謂ふから。
來る道でも、村を拔けて、藪の前など通る折は、兩側から倒れ伏して、竹も三尺の雪を被いで、或は五間、或は十間、恰も眞綿の隧道のやうであつたを、手で拂ひ笠で拂ひ、辛うじて腕車を潛らしたれば、網の目にかゝつたやうに、彼方此方を、雀がばら/\、洞に蝙蝠の居るやうだつた、と車夫同士語りなどして、しばらく澁茶に市が榮える。
聲の中に噫と一聲、床几から轉げ落ちさう、脾腹を抱へて呻いたのは、民子が供の與曾平親仁。
這は便なし、心を冷した老の癪、其の惱輕からず。
一體誰彼といふ中に、さし急いだ旅なれば、註文は間に合ず、殊に少い婦人なり。うつかりしたものも連れられねば、供さして遣られもせぬ。與曾平は、三十年餘りも律儀に事へて、飼殺のやうにして置く者の氣質は知れたり、今の世の道中に、雲助、白波の恐れなんど、あるべくも思はれねば、力はなくても怪しうはあらず、最も便よきは年こそ取つたれ、大根も引く、屋根も葺く、水も汲めば米も搗く、達者なればと、この老僕を擇んだのが、大なる過失になつた。
いかに息災でも既に五十九、あけて六十にならうといふのが、内でこそはくる/\
れ、近頃は遠路の要もなく、父親が本を見る、炬燵の端を拜借し、母親が看經するうしろから、如來樣を拜む身分、血の氣の少ないのか、とやかくと、心遣ひに胸を騷がせ、寒さに骨を冷したれば、忘れて居た持病がこゝで、生憎此時。
雪は小止もなく降るのである、見る/\内に積るのである。
大勢が寄つて集り、民子は取縋るやうにして、介抱するにも、藥にも、ありあはせの熊膽位、其でも心は通じたか、少しは落着いたから一刻も疾くと、再び腕車を立てようとすれば、泥除に噛りつくまでもなく、與曾平は腰を折つて、礑と倒れて、顏の色も次第に變り、之では却つて足手絡ひ、一式の御恩報じ、此のお供をと想ひましたに、最う叶はぬ、皆で首を縊めてくれ、奧樣私を刺殺して、お心懸のないやうに願ひまする。おのれやれ、死んで鬼となり、無事に道中はさせませう、魂が附添つて、と血狂ふばかりに急るほど、弱るは老の身體にこそ。
口々に押宥め、民子も切に慰めて、お前の病氣を看護ると謂つて此處に足は留められぬ。棄てゝ行くには忍びぬけれども、鎭守府の旦那樣が、呼吸のある内一目逢ひたい、私の心は察しておくれ、とかういふ間も心は急く、峠は前に控へて居るし、爺や!
もし奧樣。
と土間の端までゐざり出でて、膝をついて、手を合すのを、振返つて、母衣は下りた。
一臺の腕車二人の車夫は、此の茶店に留まつて、人々とともに手當をし、些とでもあがきが着いたら、早速武生までも其日の内に引返すことにしたのである。
民子の腕車も二人がかり、それから三里半だら/\のぼりに、中空に聳えたる、春日野峠にさしかゝる。
ものの半道とは上らないのに、車の齒の軋り強く、平地でさへ、分けて坂、一分間に一寸づゝ、次第に雪が嵩増すので、呼吸を切つても、もがいても、腕車は一歩も進まずなりぬ。
前なるは梶棒を下して坐り、後なるは尻餅ついて、御新造さん、とてもと謂ふ。
大方は恁くあらむと、期したることとて、民子も豫め覺悟したから、茶店で草鞋を穿いて來たので、此處で母衣から姿を顯し、山路の雪に下立つと、早や其の爪先は白うなる。
下坂は、動が取れると、一名の車夫は空車を曳いて、直ぐに引返す事になり、梶棒を取つて居たのが、旅鞄を一個背負つて、之が路案内で峠まで供をすることになつた。
其の鐵の如き健脚も、雪を踏んではとぼ/\しながら、前へ立つて足あとを印して上る、民子はあとから傍目も觸らず、攀ぢ上る心細さ。
千山萬岳疊々と、北に走り、西に分れ、南より迫り、東より襲ふ四圍たゞ高き白妙なり。
[1] [2] 下一页 尾页