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薬草取(やくそうとり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:45:40  点击:  切换到繁體中文


       二

いいえ、山さえおあらしなさいませねば、誰方どなたがおいでなさいましても、大事ないそうでございます。薬の草もあります上は、毒な草もないことはございません。無暗むやみな者が採りますと、どんな間違まちがいになろうも知れませんから、昔から禁札きんさつが打ってあるのでございましょう。
 貴方あなたは、そうして御経おきょうをお読み遊ばすくらい、縦令たといお山で日が暮れてもちっともお気遣きづかいな事はございますまいと存じます。」
 言いかけてまたちかづき、
「あのさようなら、貴方あなたはお薬になる草を採りにおいでなさるのでござんすかい。」
少々しょうしょう無理なねがいですがね、身内に病人があって、とても医者の薬ではなおらんにきまったですから、この医王山でなくってほかにない、私が心当こころあたりの薬草を採りに来たんだが、何、ねえさんは見懸みかけたところ、花でも摘みにあがるんですか。」
「御覧のとおり、花を売りますものでござんす。二日置き、三日おきに参って、お山の花を頂いては、里へ持って出てあきないます、ちょう唯今ただいま種々いろいろ花盛はなざかり
 千蛇せんじゃいけと申しまして、いただきに海のようなおおきな池がございます。そしてこの山路やまみち何処どこにも清水なぞ流れてはおりません。そのかわり暑い時、咽喉のどかわきますと、あおちいさな花の咲きます、日蔭ひかげの草を取って、葉のつゆみますと、それはもう、つめたい水を一斗いっとばかりも飲みましたように寒うなります。それがないとしのげませんほど、水の少いところですから、菖蒲あやめ杜若かきつばた河骨こうほねはござんせんが、躑躅つつじ山吹やまぶきも、あの、牡丹ぼたん芍薬しゃくやくも、菊の花も、桔梗ききょうも、女郎花おみなえしでも、みんな一所いっしょに開いていますよ、この六月から八月のすえ時分まで。その牡丹だの、芍薬だの、結構な花が取れますから、たんとお鳥目ちょうもくが頂けます。まあ、どんなに綺麗きれいでございましょう。
 そして貴方あなた、おのぞみの草をお採り遊ばすお心当こころあたりはどの辺でござんすえ。」
 とかさながら差覗さしのぞくようにして親しく聞く、時にすずしい目がちらりと見えた。
 高坂は何となく、物語の中なる人を、幽境ゆうきょう仙家せんかに導く牧童ぼくどうなどに逢う思いがしたので、ことばおのずから慇懃いんぎんに、
「私も其処そこくつもりです。四季の花の一時いっときに咲く、何というところでしょうな。」
「はい、美女びじょはらと申します。」
「びじょがはら?」
「あの、美しい女と書きますって。」
 女は俯向うつむいてじたる色あり、物のつつましげに微笑ほほえむ様子。
 可懐なつかしさに振返ふりかえると、
「あれ。」とそでななめに、たもとを取って打傾うちかたむき、
「あれ、まあ、御覧なさいまし。」
 その草染くさぞめの左の袖に、はらはらと五片三片いつひらみひらくれないを点じたのは、山鳥やまどり抜羽ぬけはか、あらず、ちょうか、あらず、蜘蛛くもか、あらず、桜の花のこぼれたのである。
「どうでございましょう、この二、三ヶ月の間は、何処どこからともなく、こうして、ちらちらちらちら絶えず散って参ります。それでも何処どこに桜があるか分りません。美女ヶ原へきますと、十里みなみ能登のとみさき、七里きた越中立山えっちゅうたてやま背後うしろ加賀かがが見晴せまして、もうこのせつは、かすみも霧もかかりませんのに、見紛みまごうようなそれらしい花のこずえもござんせぬが、大方おおかたこの花片はなひらは、うるさ町方まちかたから逃げて来て、遊んでいるのでございましょう。それともあっちこっち山の中を何かの御使おつかいに歩いているのかも知れません。」
 と女が高くあおぐにれ、高坂もむぐらの中に伸上のびあがった。草の緑が深くなって、さかさまに雲にうつるか、水底みなそこのようなてんの色、神霊秘密しんれいひみつめて、薄紫うすむらさきと見るばかり。
「その美女ヶ原までどのくらいあるね、日の暮れないうちかれるでしょうか。」
いいえ、こう桜が散って参りますから、じきでございます。私も其処そこまで、お供いたしますが、今日こそ貴方あなたのようなおつれがございますけれど、平時いつもは一人で参りますから、日一杯ひいっぱいに里まで帰るのでございます。」
「日一杯?」と思いも寄らぬさま
「どんなにまた遠いところのように、樵夫きこりがお教え申したのでござんすえ。」
「何、樵夫に聞くまでもないです。私に心覚こころおぼえちゃんとある。先ずおよそ山の中を二日も三日も歩行あるかなけれゃならないですな。
 もっとのぼりは大抵たいていどのくらいと、そりゃかねて聞いてはいるんですが、日一杯だのもうじきだの、そんなにたやすかれる処とは思わない。
 御覧なさい、こうやって、五体の満足なはいうまでもない、谷へも落ちなけりゃ、いわにもつまずかず、衣物きものほころびが切れようじゃなし、生爪なまづめ一つはがしやしない。
 支度したくはして来たってもひもじい思いもせず、そのあおい花の咲く草を捜さなけりゃならんほどかわく思いをするでもなし、勿論もちろんこの先どんな難儀に逢おうも知れんが、それだって、花を取りに里から日帰ひがえりをするという、ねえさんと一所いっしょくんだ、急に日が暮れて闇になろうとも思われないが、全くこれぎりで、一足ひとあしずつ出さえすりゃ、美女ヶ原になりますか。」
「ええ、わけはございません、貴方あなた、そんなに可恐おそろしいところと御存じで、その上、お薬を採りに入らしったのでございますか。」
 言下ごんかに、
「実際命懸いのちがけで来ました。」と思いって答えると、女はしめやかに、
「それでは、よくよくの事でおあんなさいましょうねえ。
 でも何もそんなむずかしい御山おやまではありません。ただ此処ここ霊山れいざんとか申す事、酒をこぼしたり、竹の皮を打棄うっちゃったりするところではないのでございます。まあ、難有ありがたいお寺の庭、お宮の境内けいだいうえがた御門ごもんの内のような、歩けば石一つありませんでも、何となくつつしみませんとなりませんばかりなのでございます。そして貴方あなたは、美女ヶ原にお心覚えの草があって、其処そこまでお越し遊ばすに、二日も三日もおかかりなさらねばなりませんような気がすると仰有おっしゃいますが、何時いつか一度おのぼり遊ばした事がございますか。」
「一度あるです。」
「まあ。」
たしかに美女ヶ原というそれでしょうな、何でも躑躅つつじ椿つばき、菊も藤も、はら一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、何処どこが何だか全然まるで夢中。
 今だってやっぱり、私は同一おなじこの国の者なんですが、その時は何為なぜか家を出て一月あまり、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよって、漸々ようよう其処そこを見たように思うですが。」
 高坂は語りつつも、長途ちょうとくるしみ、雨露あめつゆさらされた当時を思い起すに付け、今も、気弱り、しん疲れて、ここに深山みやまちり一つ、心にかからぬ折ながら、なおかつ垂々たらたらそびらに汗。
 糸のような一条路ひとすじみち背後うしろへ声を運ぶのに、力を要した所為せいもあり、薬王品やくおうほんを胸にいだき、杖を持った手にぼうを脱ぐと、清きひたいぬぐうのであった。
 それと見る目もさとく、
「もし、御案内がてら、あの、私がおさきへ参りましょう。どうぞ、その方がお話もうけたまわりようございますから。」
 一議いちぎに及ばず、草鞋わらじを上げて、道を左へ片避かたよけた、足の底へ、草の根がやわらかに、葉末はずえはぎを隠したが、すそを引くいばらもなく、天地てんちかんに、虫の羽音はおとも聞えぬ。

       三

「御免なさいまし。」
 と花売はなうりは、たもとめた花片はなびらおしやはらはら、そでを胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に擦抜すりぬけたその片足もむぐらの中、路はさばかり狭いのである。
 五尺ばかり前にすらりと、立直たちなおる後姿、もすそを籠めた草の茂り、近く緑に、遠く浅葱あさぎに、日の色を隈取くまどる他に、一ぼくのありて長く影を倒すにあらず。
 背後うしろから声を掛け、
大分だいぶん草深くなりますな。」
「段々いただきが近いんですよ。やがてこのはえ人丈ひとだけになって、私の姿が見えませんようになりますと、それをくぐって出ますところが、もう花の原でございます。」
 と撫肩なでかたの優しい上へ、笠の紐ゆるく、べにのような唇をつけて、横顔で振向ふりむいたが、すずしい目許めもとえみを浮べて、
「どうして貴方あなたはそんなにまあ唐天竺からてんじくとやらへでもおで遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」
 高坂は手なる杖を荒くいて、土を騒がす事さえせず、つつしんであとに続き、
「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠くへだたったように思うのですから、事柄と一所いっしょに路までもはるかに考えるのかも知れません。そうして先ずみんな夢ですよ。
 けれども不残のこらず事実で。
 私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が一昔ひとむかし、ざっと二昔ふたむかしも前になるです、九歳ここのつの年の夏。」
「まあ、そんなにおちいさい時。」
もっとも一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西もわきまえぬ、取って九歳ここのつ小児こどもばかり。
 人は高坂のみい、私の名ですね、光坊みいぼうが魔にられたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗てんぐさらわれたそれです。また実際そうかも知れんが、幼心おさなごころで、自分じゃ一端いっぱし親を思ったつもりで。
 まだ両親ふたおやともあったんです。母親が大病で、暑さの取附とッつきにはもう医者が見放したので、どうかしてそれをなおしたい一心で、薬を探しに来たんですな。」
 高坂は少時しばらく黙った。
「こう言うと、何か、さも孝行の吹聴ふいちょうをするようで人聞ひとぎきが悪いですが、姉さん、貴女あなたばかりだから話をする。
 今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方にひらけていたって、北国ほくこくの山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生までさじを投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様おっかさん病気きいきいが悪いから、大人おとなしくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入ではいりうちの者の起居挙動たちいふるまい、大病というのは知れる。
 それにその名医というのが、五十恰好かっこうで、天窓あたまげたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした優形やさがた親仁おやじで、脈を取るにも、じゃかさを差すにも、小指をそらして、三本の指で、横笛を吹くか、女郎じょろう煙管きせるを持つような手付てつきをする、好かない奴。
 私がちょこちょこ近処きんじょだから駈出かけだしては、薬取くすりとりくのでしたが、また薬局というのが、その先生のおいとかいう、ぺろりと長い顔の、ひたいからべにが流れたかと思う鼻のさきの赤い男、薬箪笥くすりだんす小抽斗こひきだしを抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその匙加減さじかげん如何いかにもあやしい。
 相応そうおう流行はやって、薬取くすりとりも多いから、手間取てまどるのがじれったさに、始終くので見覚えて、私がその抽斗ひきだしを抜いて五つも六つも薬局の机に並べてる、しまいには、先方さきの手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって目方めかたそろうくらい、大病だって何だって、そんな覚束おぼつかない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。
 その頃父は小立野こだつのと言うところの、げんのある薬師やくしを信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい連れられて行ったです。
 のちは自分ばかり、乳母うばに手をかれておまいりをしましたッけ。別に拝みようも知らないので、ただ、母親の病気の快くなるようと、手を合せる、それも遊び半分。
 六月の十五日は、私の誕生日で、その日、月代さかやきって、湯に入ってから、紋着もんつきそでの長いのをせてもらいました。
 私がと言っては可笑おかしいでしょう。裾模様すそもよういつもん熨斗目のしめの派手な、この頃聞きゃ加賀染かがぞめとかいう、菊だの、はぎだの、桜だの、花束がもんになっている、時節に構わず、種々いろいろの花を染交そめまぜてあります。もっと今時いまどきそんな紋着を着る者はない、他国たこくには勿論もちろんないですね。
 一体この医王山に、四季の花が一時いちじに開く、その景勝を誇るために、加賀かがばかりで染めるのだそうですな。
 まあ、その紋着を着たんですね、博多はかた一本独鈷いっぽんどっこ小児帯こどもおびなぞで。
 坊やは綺麗きれいになりました。母も後毛おくれげ掻上かきあげて、そして手水ちょうずを使って、乳母うば背後うしろから羽織はおらせた紋着に手を通して、胸へ水色の下じめを巻いたんだが、自分で、帯を取ってしめようとすると、それなり力が抜けて、膝をいたので、乳母があわて確乎しっかりくと、すぐ天鵝絨びろうど括枕くくりまくら鳩尾みぞおちおさえて、その上へ胸を伏せたですよ。
 んで下すった礼を言うのに、ただ御機嫌うとさえ言えばいと、父から言いつかって、枕頭まくらもとに手をいて、其処そこへ。顔を上げた私と、枕にもたれながら、じっと眺めた母と、顔が合うと、坊や、もうなおるよと言って、涙をはらはら、差俯向さしうつむいて弱々よわよわとなったでしょう。
 父が肩を抱いて、そっと横に寝かした。乳母が、掻巻かいまきせ懸けると、えりに手をかけて、向うを向いてしまいました。
 台所から、中のから、玄関あたりは、ばたばた人の行交ゆきかう音。もっとも帯をしめようとして、濃いお納戸なんどの紋着に下じめのなりで倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。
 やがて医者せんせいはかますそを、ずるずるとやって駈け込んだ。私には戸外おもてへ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も忘れない。何とも言いようのない、悲しい心細い思いがしましたな。」
 花売はなうりは声細く、
御道理ごもっともでございますねえ。そして母様おっかさんはそののちくおなりなさいましたの。」
「お聞きなさい、それからです。
 小児こどもせめて仏のそですがろうと思ったでしょう。小立野こだつのと言うは場末ばすえです。先ず小さな山くらいはある高台、草の茂った空地沢山あきちだくさんな、人通りのないところを、その薬師堂やくしどうへ参ったですが。
 朝の内に月代さかやき沐浴ゆあみなんかして、家を出たのは正午ひるすぎだったけれども、何時いつ頃薬師堂へ参詣して、何処どこを歩いたのか、どうして寝たのか。
 翌朝あくるあさはその小立野から、八坂はっさかと言います、八段やきだに黒い滝の落ちるような、真暗まっくらな坂を降りて、川端へ出ていた。川は、鈴見すずみという村の入口で、ながれも急だし、瀬の色もすごいです。
 橋は、雨や雪にしらっちゃけて、長いのが処々ところどころうろこの落ちた形に中弛なかだるみがして、のらのらとかかっているその橋の上に茫然ぼんやりと。
 のちに考えてこそ、翌朝あくるあさなんですが、そのせつは、夜を何処どこで明かしたか分らないほどですから、小児こども晩方ばんがただと思いました。この医王山のいただきに、真白な月が出ていたから。
 しかし残月ざんげつであったんです。何為なぜかというにその日の正午ひる頃、ずっと上流のあやしげなわたしを、綱につかまって、宙へつるされるようにして渡った時は、顔がかっとする晃々きらきらはげし日当ひあたり
 こういうと、何だか明方あけがただか晩方ばんがただか、まるで夢のように聞えるけれども、わたしを渡ったには全く渡ったですよ。
 山路やまじは一日がかりと覚悟をして、今度来るにはふもとで一泊したですが、昨日きのう丁度ちょうどぜんの時と同一おなじ時刻、正午ひる頃です。岩も水も真白な日当ひあたりの中を、あのわたしを渡って見ると、二十年の昔に変らず、船着ふなつきの岩も、船出ふなでの松も、たしかに覚えがありました。
 しかし九歳ここのつで越した折は、じいさんの船頭がいて船を扱いましたっけ。
 昨日きのうただ綱を手繰たぐって、一人で越したです。乗合のりあいなんにもない。
 御存じの烈しいながれで、さおの立つ瀬はないですから、綱は二条ふたすじ染物そめものしんしばりにしたように隙間すきまなく手懸てがかりが出来ている。船は小さし、どう突立つッたって、釣下つりさがって、互違たがいちがいに手を掛けて、川幅三十けんばかりを小半時こはんとき幾度いくたびもはっと思っちゃ、あぶなさに自然ひとりでに目をふさぐ。その目を開ける時、もし、あのたけの伸びた菜種なたねの花が断崕がけ巌越いわごしに、ばらばら見えんでは、到底とてもこの世の事とは思われなかったろうと考えます。
 十里四方には人らしい者もないように、船をもやった大木の松の幹に立札たてふだして、渡船銭わたしせん三文とある。
 話は前後あとさきになりました。
 そこで小児こどもは、鈴見すずみの橋にたたずんで、前方むこうを見ると、正面の中空なかぞらへ、仏のてのひらを開いたように、五本の指の並んだ形、矗々すくすく立ったのが戸室とむろ石山いしやまもやか、霧か、うしろを包んで、年に二、三度く晴れた時でないと、あおあらわれて見えないのが、すなわちこの医王山です。
 其処そこにこの山があるくらいは、かねて聞いて、小児心こどもごころにも方角を知っていた。そして迷子まいごになったか、魔にられたか、知れもしないのに、ちいさな者は、暢気のんきじゃありませんか。
 それが既に気が変になっていたからであろうも知れんが、おなかが空かぬだけに一向いっこう苦にならず。壊れた竹の欄干らんかんつかまって、月のかかった雲の中の、あれが医王山と見ている内に、橋板はしいたをことこと踏んで、
 むこうの山に、猿が三びき住みやる。中の小猿が、もの饒舌しゃべる。何と小児こどもども花折はなおりにくまいか。今日の寒いに何の花折りに。牡丹ぼたん芍薬しゃくやく、菊の花折りに。一本折っては笠にし、二本折っては、みのに挿し、三枝みえだ四枝よえだに日が暮れて……とふと唄いながら。……
 何となく心に浮んだは、ああ、向うの山から、月影に見ても色のくれないな花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気がなおるに違いないと言う事です。また母は、その花をかんざしにしても似合うくらい若かったですな。」
 高坂はもと来たかたかえりみたが、草のほかには何もない、一歩ひとあしさき花売はなうりの女、如何いかにも身にみて聞くように、俯向うつむいてくのであった。
「そしてたしかに、それが薬師やくしのおつげであると信じたですね。
 さあ思い立ってはたてたまらない、渡り懸けた橋を取って返して、堤防どて伝いに川上へ。
 あとでまたわたしを越えなければならない路ですがね、橋から見ると山の位置ありかは月のる方へ傾いて、かえって此処ここから言うと、対岸むこうぎし行留ゆきどまりの雲の上らしく見えますから、小児心こどもごころに取って返したのがちょうさいわいと、橋から渡場わたしばまでく間の、あの、岩淵いわぶちの岩は、人を隔てる医王山のいちとりでと言ってもい。戸室とむろ石山いしやまの麓がすぐながれに迫るところで、かさなり合った岩石だから、路は其処そこで切れるですものね。
 岩淵をこちらに見て、大方おおかた跣足はだしでいたでしょう、すたすた五里も十里も辿たどったつもりで、正午ひる頃に着いたのが、鳴子なるこわたし。」

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