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薬草取(やくそうとり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:45:40  点击:  切换到繁體中文

底本: 鏡花短篇集
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1987(昭和62)年9月16日
入力に使用: 1987(昭和62)年9月16日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 巻七
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年7月

 

       一

日光掩蔽にっこうおんぺい  地上清涼ちじょうしょうりょう  靉靆垂布あいたいすいぶ  如可承攬にょかしょうらん
其雨普等ごうぶとう  四方倶下しほうぐげ  流樹無量りゅうじゅむりょう  率土充洽そつどじゅうごう
山川険谷さんせんけんこく  幽邃所生ゆうすいしょじょう  卉木薬艸きぼくやくそう  大小諸樹だいしょうしょじゅ

「もしはばかりながらお布施ふせ申しましょう。」
 背後うしろから呼ぶやさしい声に、医王山いおうざんの半腹、樹木の鬱葱うっそうたる中をでて、ふと夜の明けたように、空み、気きよく、時しも夏のはじめを、秋見る昼の月のごとく、前途遥ゆくてはるかなる高峰たかねの上に日輪にちりんあおいだ高坂こうさかは、愕然がくぜんとして振返ふりかえった。
 人の声を聞き、姿を見ようとは、夢にも思わぬまで、遠く里を離れて、はや山深く入っていたのに、呼懸よびかけたのは女であった。けれども、高坂は一見して、ただちに何ら害心がいしんのない者であることを認め得た。
 女は片手拝かたておがみに、白い指尖ゆびさきを唇にあてて、俯向うつむいてきょうを聞きつつ、布施をしようというのであるから、
いやわし出家しゅっけじゃありません。」
 と事もなげに辞退しながら、立停たちどまって、女のその雪のような耳許みみもとから、下膨しもぶくれのほおけて、やわらかに、濃い浅葱あさぎひもを結んだのが、つゆの朝顔の色を宿やどして、加賀笠かががさという、ふちの深いのでまゆを隠した、背には花籠はなかごあし脚絆きゃはん、身軽に扮装いでたったが、艶麗あでやかな姿を眺めた。
 かなたは笠の下から見透みすかすが如くにして、
「これは失礼なことを申しました。お姿はちっともそうらしくはございませんが、結構な御経おきょうをお読みなさいますから、わたくしは、あの、御出家ではございませんでも、御修行者ごしゅぎょうじゃでいらっしゃいましょうと存じまして。」
 背広の服で、足拵あしごしらえして、ぼう真深まぶかに、風呂敷包ふろしきづつみを小さく西行背負さいぎょうじょいというのにしている。彼は名を光行みつゆきとて、医科大学の学生である。
 時に、妙法蓮華経薬草諭品みょうほうれんげきょうやくそうゆほん第五偈だいごげなかばを開いたのを左のたなそこささげていたが、右手めていた力杖ステッキを小脇に掻上かいあげ、
「そりゃまあ、修行者は修行者だが、まだ全然まるで素人しろうとで、どうして御布施ごふせを戴くようなものじゃない。
 読方よみかただって、何だ、大概たいがい大学朱熹章句だいがくしゅきしょうくくんだから、とうと御経おきょう勿体もったいないが、この山には薬の草が多いから、気の所為せいか知らん。ふもとからこうやって一里ばかりも来たかと思うと、風も清々すがすがしい薬のがして、何となく身にむから、心願しんがんがあって近頃から読み覚えたのを、となえながら歩行あるいているんだ。」
 かく打明うちあけるのが、この際自他じたのためと思ったから、高坂は親しくず語って、さて、
ねえさん、お前さんはふもとの村にでも住んでいる人なんか。」
「はい、二俣村ふたまたむらでございます。」
「あああの、越中えっちゅう蛎波となみかよう街道で、此処ここに来る道のわかれる、目まぐるしいほど馬の通る、彼処あすこだね。」
「さようでございます。もうみちが悪うございまして、車が通りませんものですから、炭でもたきぎでも、残らず馬に附けて出しますのでございます。
 それにちょうどこの御山みやまの石の門のようになっております、戸室口とむろぐちから石を切出きりだしますのを、みんな馬で運びますから、一人で五ひききますのでございますよ。」
「それではその麓から来たんだね、たった一人。……」
 しずかを移していた高坂は、更にまた女の顔を見た。
「はい、一人でございます、そしてこちらへ参りますまで、お姿を見ましたのは、貴方あなたばかりでございますよ。」
 いかにもという面色おももちして、
わたしもやっぱり、そうさ、半里ばかりもあとだった、途中で年寄った樵夫きこりって、みちを聞いたほかにはお前さんきり。
 どうしてってかえるまで、ひと一人ひとりいようとは思わなかった。」
 このあたりただなだらかな蒼海原あおうなばら、沖へ出たような一面の草を※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしながら、
「や、ものを言っても一つ一つこだまに響くぞ、さびしいところへ、くお前さん一人で来たね。」
 女はの上へ右左、幅広く引掛ひっかけた桃色の紐に両手をはさんで、花籃はなかご揺直ゆりなおし、
貴方あなた、その樵夫きこりしゅうにお尋ねなすってうございました。そんなにけわしい坂ではございませんが、ちっとも人がかよいませんから、誠に知れにくいのでございます。」
「この奥の知れない山の中へ入るのに、目標めじるしがあの石ばかりじゃ分らんではないかね。
 それも、南北みなみきた何方どちら医王山道いおうざんみちとでもりつけてあればまだしもだけれど、ただ河原にころがっている、ごろた石の大きいような、その背後うしろから草の下に細い道があるんだもの、ちょいと間違えようものなら、半年経歴へめぐってもいただきにはかれないと、樵夫きこりも言ったんだが、全体何だって、そんなにかくして置く山だろう。全くあの石の裏よりほかに、何処どこも路はないのだろうか。」
「ございませんとも、この路筋みちすじさえ御存じでらっしゃれば、世を離れました寂しさばかりで、けだもの可恐おそろしいのはおりませんが、一足でも間違えて御覧なさいまし、何千じょうとも知れぬ谷で、行留ゆきどまりになりますやら、断崖きりぎし突当つきあたりますやら、ながれに岩が飛びましたり、大木の倒れたのでさきふさがったり、その間には草樹くさきの多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。
 もとへ帰るか、倶利伽羅峠くりからとうげ出抜でぬけますれば、無事に何方どちらか国へ帰られます。それでなくって、無理に先へ参りますと、終局しまいには草一条くさひとすじも生えません焼山やけやまになって、餓死うえじにをするそうでございます。
 本当に貴方あなたがおっしゃいます通り、樵夫きこりがお教え申しました石は、飛騨ひだまでも末広すえひろがりの、医王の要石かなめいしと申しまして、一度踏外ふみはずしますと、それこそ路がばらばらになってしまいますよ。」
 名だたる北国ほくこく秘密の山、さもこそと思ったけれども、
「しかし一体、医王というほど、此処ここで薬草が採れるのに、何故なぜ世間とはへだたって、行通ゆきかよいがないのだろう。」
「それは、あのうけたまわりますと、昔から御領主の御禁山おとめやまで、滅多めったに人をお入れなさらなかった所為せいなんでございますって。御領主ばかりでもござんせん。結構な御薬おくすりの採れます場所は、また御守護の神々かみがみ仏様ほとけさまも、出入ではいりをおめ遊ばすのでございましょうと存じます。」
 たとえば仙境せんきょう異霊いれいあって、ほしいままに人の薬草を採る事を許さずというが如く聞えたので、これがすくなからず心にかかった。
「それでは何か、わたしなんぞが入って行って、ほしい草を取って帰っては悪いのか。」
 と高坂はやや気色けしきばんだが、悚然ぞっ肌寒はださむくなって、思わず口のうちで、

慧雲含潤えうんがんじゅん  電光晃耀でんこうこうよう  雷声遠震らいじょうおんしん  令衆悦予れいじゅえつよ
日光掩蔽にっこうおんぺい  地上清涼ちじょうしょうりょう  靉靆垂布あいたいすいぶ  如可承攬にょかしょうらん

 

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