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みさごの鮨(みさごのすし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:41:46  点击:  切换到繁體中文



       九

 ――「小春さん、先刻さっきの、あの可愛い雛妓おしゃくと、盲目めくらとっさんたちをここへお呼び。で、お前さんが主人になって、みんなで湯へ入って、御馳走を食べて、互に慰めもし、また、慰められもするがい。
 治兵衛坊主は、お前さんの親たち、弟に逢った事はないか。――なければそれもなお好都合。あの人たちに訳を話すと、おなじ境界きょうがいにある夥間なかまだ、よくのみ込むであろうから、爺さんをお前さんの父親、小児こどもを弟に、不意に尋ねて来た分に、治兵衛の方へ構えるがい。場合によれば、表向き、治兵衛をここへ呼んで逢わせるもかろう。あのめしいた人、あの、いたいけな、鬼も見れば角がなごむ。――心配はあるまいものの、また間違まちがいがないとも限らぬ。その後難こうなん憂慮うれいのないように、治兵衛の気をなやし、心を鎮めさせるのに何よりである。
 私は直ぐに立って、山中へ行く。
 わざとらしいようでもあるから、別室へと思わぬでもなけれど、さてそうして、お前は爺さんたちと、ここに一所に。……決して私に構うなと言った処で、人情としてそうは行くまい、顔の前にほこりが立つ。構わないにしても気が散ろう。
 泣きも笑いもするがいいが、どっちも胸をいためぬまで、よくたのしみ、よくお遊び。」――
 あの陰気な女中を呼ぶと、沈んで落着いただけに、よく分って、のみ込んだ。この趣を心得て、もの優しい宿の主人も、あらためて挨拶に来たので、大勢送出す中を、学士の近江屋を発程ったのは、同じの、実は、八時頃であった。
 勿論、小春が送ろうと言ったが、さっきの今で、治兵衛坊主に対してもおだやかでない、と留めて、人目があるから、石屋が石を切った処、と心づもりの納屋の前を通る時、たもとを振切る。……
 
 お光が中くらいなかばんを提げて、肩をいからすように、大跨おおまた歩行あるいて、電車の出発点まで真直まっすぐに送って来た。
 道は近い、またすぐに出る処であった。
「旦那さん、のみにくわれても、あまッ子は可哀相だと言ったが、ほんとかね。」
 停車じょうの人ごみの中で、だしぬけに大声でぶッつけられたので、学士はその時少なからず逡巡しつつ、黙って二つばかり点頭うなずいた。
「旦那さん、お願だから、私に、旦那さんの身についたものを一品ひとしな下んせね。鼻紙でも、手巾ハンケチでも、よ。」
 教授は外套を、すっと脱いだ。脱ぎはなしを、そのままお光の肩に掛けた。
 このおもみに、トンとされたように、鞄を下へ置いたなりで、停車場を、ひょいと出た。まさか持ったなりでは行くまいと、半ば串戯じょうだんだったのに――しかし、停車場を出ると、見通しの細い道を、いま教授がのせたなりに、ただ袖に手を掛けたばかり、長い外套の裾をずるずると地に曳摺ひきずるのを、そのままで、不思議に、しょんぼりと帰って行くのを見て、おしげなくほろりとして手を組んだ。
 発車した。

 ――お光は、ひまのあいてから、これを着て、嬉しがって戸外おもてへ出たのである。……はじめは上段の間へ出向いて、
「北国一。」
 と、まだ寝ないで、そこに、羽二重の厚衾あつぶすま、枕を四つ、頭あわせに、身のうき事を問い、とわれ、睦言むつごとのように語り合う、小春と、雛妓おしゃく、爺さん、小児こどもたちに見せびらかした。が、出る時、小春が羽織を上に引っかけたばかりのなりで、台所まで手を曳いた。――ああ、その時お光のかぶったのは、小児の鳥打帽であったのに――
 黒い外套を来た湯女ゆなが、総湯の前で、殺された、刺された風説うわさは、山中、片山津、粟津、大聖寺だいしょうじまで、電車で人とともに飛んでたちまち響いた。
 けたたましい、廊下の話声を聞くと、山中温泉の旅館に、既に就寝中だった学士が、白いシイツをねて起きた。
 寝床から自動車を呼んで、山代へ引返して、病院へ移ったという……お光の病室の床に、胸をしめて立った時、
「旦那さん、――お光さんが貴方あなたの、お身代り。……私はおくれました。」
 と言って、小春がおもはゆげに泣いてすがった。
「お光さん、私だ、榊だ、分りますか。」
「旦那さんか、旦那さんか。」
 と突拍子な高調子で、譫言うわごとのように言ったが、
「ようこそなあ――こんなものに……つらも、からだも、山猿に火熨斗ひのしを掛けた女だと言われたが、髪の毛ばかりみんなめた。もう要らん。小春さん。あんた、油くさくて気の毒やが、これを切って、旦那さんに上げて下さんせ。」
 立会った医師が二人まで、目をしばたたいて、学士に会釈しつつ、うなずいた。もはや臨終だそうである。
「頂戴しました。――貰ったぞ。」
「旦那さん、顔が見たいが、もう見えんわ。」
「さ、さ、さ、これに縋らっしゃれ。」
 と、ありなしのえんに曳かれて、雛妓のとみ、弟が、かわいい名の小次郎、ともに、杖まで戸惑いしてついて来て、泣いていた、盲目めくらの爺さんが、竹の杖を、お光の手に、手さぐりで握らせるようにして、
「持たっしゃれ、縋らっしゃれ。ありがたい仏様が見えるぞい。」
「ああい、見えなくなった目でも、死ねば仏様が見られるかね。」
「おお、見られるとも、のう。ありがたや阿弥陀あみだ様。おありがたや親鸞しんらん様も、おありがたや蓮如れんにょ様も、それ、この杖に蓮華の花が咲いたように、光って輝いて並んでじゃ。さあ、見さっしゃれ、拝まっさしゃれ。なま、なま、なま、なま、なま。」
「そんなものは見とうない。」
 と、ツト杖を向うへねた。
「私は死んでも、旦那さんのそばに居て、旦那さんの顔を見るんだよ。」
「勿体ないぞ。」
 と口のうちでつぶやいて、おやじが、黒い幽霊のように首をのばして、杖に縋って伸上って、見えぬ目をうわねむりに見据えたが、
「うんにゃ、道理もっともじゃ。おらも阿弥陀仏より、御開山より、娘の顔が見たいぞいの。」
 と言うと、持った杖をハタとげた。その風采ふうさいや、さながら一山いっさんの大導師、一体の聖者のごとく見えたのであった。

大正十二(一九二三)年一月




 



底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十二巻」岩波書店
   1940(昭和15)年11月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:今井忠夫
2003年8月31日作成
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