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半島一奇抄(はんとういっきしょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:30:50  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成8
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1996(平成8)年5月23日
入力に使用: 1996(平成8)年5月23日第1刷


底本の親本: 鏡花全集
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年7月刊行開始

 

「やあ、しばらく。」
 記者が掛けた声に、思わず力が入って、運転手がはたと自動車を留めた。……実は相乗あいのりして席を並べた、修善寺の旅館の主人の談話を、ふと遮った調子がはずんで高かったためである。
「いや、構わず……どうぞ。」
 振向いた運転手に、記者がちょっとてれながら云ったので、自動車はそのまま一軋ひときしりして進んだ。
 沼津に向って、浦々の春遅き景色をはしらせる、……土地の人は(みっと)と云う三津みとの浦を、いま浪打際とほとんどすれすれに通るところであった。しかし、これは廻りみちである。
 小暇を得て、修善寺に遊んだ、一――新聞記者は、暮春の雨に、三日ばかり降込められた、宿の出入りも番傘で、ただ垂籠たれこめがちだった本意ほいなさに、日限ひぎりの帰路を、折から快晴した浦づたい。――「当修善寺から、口野浜くちのはま多比たひの浦、江の浦、獅子浜ししはま、馬込崎と、駿河湾するがわんを千本の松原へ向って、富士御遊覧で、それが自動車と来た日には、どんな、大金持ちだって、……何、あなた、それまでの贅沢ぜいたくでございますよ。」と番頭のひざたたいたのには、少分の茶代を出したばかりの記者は、少からずおびやかされた。が、乗りかかった船で、一台おおいおごった。――主人が沼津の町へ私用がある。――そこで同車で乗出した。
 大仁おおひとの町を過ぎて、三福さんぷく田京たきょう、守木、宗光寺畷そうこうじなわて、南条――といえば北条の話が出た。……四日町を抜けて、それから小四郎の江間、長塚を横ぎって、口野、すなわち海岸へ出るのが順路であった。……
 うの花にはまだ早い、山田小田おだ紫雲英げんげのこんの菜の花、並木の随処に相触れては、狩野かの川が綟子もじを張って青く流れた。雲雀ひばりは石山に高くさえずって、鼓草たんぽぽの綿がタイヤのあおりに散った。四日町は、新しい感じがする。両側をきれいな細流が走って、背戸、まがき日向ひなたに、若木の藤が、結綿ゆいわたきれをうつむけたように優しく咲き、屋根に蔭つくる樹の下に、山吹が浅く水に笑う……家ごとに申合せたようである。
 記者がうっかり見愡みとれた時、主人が片膝を引いて、前へかがんで、「辰さん――道普請があるはずだが前途さきは大丈夫だろうかね。」「さあ。」「さあじゃないよ、それだと自動車は通らないぜ。」「もっとも半月の上になりますから。」と運転手は一筋路を山の根へ見越して、ややった。「半月の上だって落着いている処じゃないぜ。……いや、もうちと後路あとで気をつけようと、修善寺を出る時から思っていながら、お客様と話で夢中だった。――」「何、海岸まわりは出来ないのですかね。」「いいえ、南条まで戻って、三津へ出れば仔細しさいありませんがな、気の着かないことをした。……辰さん、一度聞いた方がいいぜ。」「は、そういたしましょう。」「恐ろしく丁寧になったなあ。」と主人は、目鼻をくしゃくしゃとさせて苦笑して、茶の中折帽なかおれぼうかぶり直した。「はやい方がい、聞くのに――」けれども山吹と藤のほか、村路むらみちひるしずかに、渠等かれら差覗さしのぞく鳥の影もなかった。そのかわり、町の出はずれを国道へついて左へ折曲ろうとする角家の小店こみせの前に、雑貨らしい箱車を置いて休んでいた、半纏着はんてんぎの若い男は、軒の藤をくぐりながら、向うから声を掛けた。「どこへくだ、辰さん。……長塚の工事は城をくような騒ぎだぞ。」「まだ通れないのか、そうかなあ。」店の女房も立って出た。「来月半ばまでかかるんだとよう。」「いや、難有ありがとう。さあ引返しだ。……いやしくも温泉場において、お客を預る自動車屋ともあるものが、道路の交通、是非善悪を知らんというのは、まことにもって不心得。」……と、少々芝居がかりになる時、記者は、その店で煙草たばこを買った。
 砂を挙げて南条に引返し、狩野川を横切った。古奈こな、長岡――長岡を出た山路には、遅桜おそざくら牡丹咲ぼたんざきが薄紫に咲いていた。長瀬を通って、三津の浜へ出たのである。
 富士が浮いた。……よく、言う事で――佐渡ヶ島には、ぐるりと周囲に欄干まわりがあるか、と聞いて、……その島人に叱られた話がある。が、巌山いわやま巉崕ざんがいを切って通した、栄螺さざえつのに似たぎざぎざのふもとこみちと、浪打際との間に、築繞つきめぐらした石のしがらみは、土手というよりもただ低い欄干に過ぎない。
「お宅の庭のながれにかかった、橋廊下の欄干より低いくらいで、……すぐ、富士山のすそを引いた波なんですな。よく風でつけませんね。」
「大丈夫でございますよ。後方あとが長浜、あれが弁天島。――自動車は後眺望あとながめがよく利きませんな、むこうに山が一ツ浮いていましょう。淡島です。あの島々と、上の鷲頭山わしずやまに包まれて、この海岸は、これから先、小海こうみ重寺しげでら、口野などとなりますと、御覧の通り不穏な駿河湾が、山の根を奥へ奥へと深く入込いりこんでおりますから、風波の恐怖おそれといってはほとんどありません――そのかわり、山の麓の隅の隅が、山扁のぐうといった僻地へきちで……以前は、里からではようやく木樵きこりが通いますくらい、まるで人跡絶えたといった交通の不便な処でございましてな、地図をちょっと御覧なすっても分りますが、絶所、悪路の記号という、あのパチパチッとした線香花火が、つい頭の上の山々を飛び廻っているのですから。……手前、幼少の頃など、学校をずるけて、船で淡島へ渡って、鳥居前、あの頂辺てっぺんで弁当を食べるなぞはお茶の子だったものですが、さて、この三津、重寺、口野一帯と来ますと、行軍の扮装いでたちでもむずかしい冒険だとしたものでしてな。――沖からこの辺の浦を一目に眺めますと、弁天島に尾をいて、二里三里に余る大竜が一条ひとすじ、白浪のうろこ、青いいわはだよこたえたように見える、鷲頭山をかむりにして、多比の、就中なかんずく入窪いりくぼんだあたりは、腕を張って竜が、爪に珠をつかんだ形だと言います。まったく見えますのでな。」
「乗ってるんですね! その上にいま……何だか足がくすぐったいようですね。」
 記者はシイツに座をずらした。
「いえ、決して、その驚かし申すのではありません。それですから、弁天島の端なり、その……淡島の峯から、こうこの巌山をながめますと、本で見ました、仙境、魔界といった工合ぐあいで……どんなか、拍子で、このがけそでの長い女でも居ようものなら、竜宮から買ものにあらわれたかと思ったもので。――前途さきの獅子浜、江の浦までは、大分前に通じましたが、口野からこちら……」
 自動車は、既に海に張出した石の欄干を、幾処いくところか、折曲り折曲りして通っていた。
「三津を長岡へ通じましたのは、ほんの近年のことで、それでも十二三年になりましょうか。――可笑おかしな話がございますよ。」
 主人は、パッパッと二つばかり、巻莨まきたばこを深く吸って、
「……この石の桟道が、はじめてかかりました。……まず、開通式といった日に、ここの村長――唯今ただいまでも存命で居ります――年を取ったのが、大勢と、村口に客の歓迎に出ておりました。県知事の一行が、真先まっさきに乗込んで見えた……あなた、その馬車――」
 自動車の警笛に、繰返して、
「馬車が、真正面に、この桟道一杯になっておおきく目に入ったと思召せ。村長の爺様じいさまが、突然七八歳ななやッつ小児こどものような奇声を上げて、(やあれ、見やれ、ねずみが車をいて来た。)――とんとお話さ、話のようでございましてな。」

「やあ、しばらく!」
 記者が、思わず声を掛けたのはこの時であった――

 肩も胸も寄せながら、
「浪打際の山のふもとを、向うから寄る馬車を見て――鼠が車を曳いて来た――成程、しかし、それは事実ですか。」
 記者が何ゆえか意気込んだのを、主人は事もなげに軽く受けた。
「ははは、一つばなし。……ですが事実にも何にも――手前も隣郡のお附合、……これで徽章きしょうなどを附けて立会いました。爺様の慌てたのを、現にそこに居て、存じております。が、別に不思議はありません。申したほどの嶮道けんどうで、駕籠かごは無理にもどうでしょうかな――その時七十に近い村長が、生れてから、いまだかつて馬というものの村へ入ったのを見たことがなかったのでございますよ。」
「馬を見て鼠……何だか故事がありそうで変ですが――はあ、そうすると、同時に、鼠が馬に見えないとも限りませんかしら。」
「は?」
「鼠が馬に見えるかも知れませんが、どうでしょう。」
「いや、おっしゃると。」
 主人は少し傾いたが、
「ただ、それだけの話で、……深く考えた事もありませんが、成程、ちょっと似ているかも知れません、もっとも黒い奴ですがな。」
「御主人――差当りだけでも、そう肯定をなさるんなら、私が是非話したい事があるのです。現在、しかもこの土地で、私が実見した事実ですがね。余り突拍子がないようですから――実はまだ、誰にも饒舌しゃべりません。――近い処が以前からお宅をひいきの里見、中戸川さん、近頃では芥川さん。絵の方だと横山、安田氏などですか。私も知合ではありますが、たとえば、その人たちにも話をしません。芥川さんなどは、話上手で、聞上手で、せていても懐中ふところが広いから、嬉しそうに聞いてはくれるでしょうが、苦笑にがわらいものだろうと思うから、それにさえ遠慮をしているんですがね。――御主人。」
「ははあ、はあ……で、それは。」
「いや、そんなに大した事ではありません。実は昨年、ちょうど今頃……もう七八日ななようかあとでした。……やっぱりお宅でお世話になって、その帰途かえりがけ、大仁からの電車でしたよ。この月二十日の修善寺の、あの大師講の時ですがね、――お宅のそば虎渓橋こけいばし正面の寺の石段の真中まんなかへ――夥多おびただし参詣さんけいだから、上下うえした仕切しきりがつきましょう。」
「いかにも。」
「あれを青竹一本で渡したんですが、丈といい、その見事さ、かこみの太さといっちゃあない。――俗に、豆狸まめだぬきは竹の子の根にこもるの、くだぎつねは竹筒の中で持運ぶのと言うんですが、燈心で釣をするような、嘘ばっかり。でるも、はいりも出来るものか、と思っていましたけれども、あの太さなら、犬の子はすぽんと納まる。……修善寺は竹が名物だろうか、そういえば、随分立派なのがすくすくある。路ばたでも竹の子のずらりと明るく行列をした処を見掛けるが、ふんだんらしい、誰も折りそうな様子も見えない。若竹や――何とか云う句で宗匠を驚したと按摩あんまにまで聞かされた――たしかに竹の楽土だと思いました。ですがね、これはお宅の風呂番が説破しました。何、竹にして売る方がおあしになるから、竹の子は掘らないのだと……すこしく幻滅を感じましたが。」
 主人は苦笑した。
「しかし――修善寺で使った、あのくらいなのは、まったく見た事はない、と田京あたりだったでしょう。温泉で、見知越みしりごしで、乗合わした男と――いや、その男も実は、はじめて見たなどと話していると、向う側に、革の手鞄てかばんと、書もつらしい、袱紗包ふくさづつみを上に置いて、腰を掛けていた、土耳古形トルコがたの毛帽子をかぶった、棗色なつめいろ面長おもながで、ひげの白い、黒の紋織もんおり被布ひふで、人がらのいい、茶か花の宗匠といった風の……」
 半ば聞いてうなずいた。ここで主人の云ったのは、それは浮島禅師うとうぜんじ、また桃園居士とうえんこじなどと呼ばれる、三島沼津を掛けた高持たかもちの隠居で。……何不足のない身の上とて、諸芸に携わり、風雅をたのしむ、就中なかんずく、好んで心学一派のごとき通俗なる仏教を講じて、あまねく近国を教導する知識だそうである。が、内々で、浮島うとうをかなで読むお爺さん――浮島爺うきしまじいさんという渾名あだなのあることも、また主人が附加えた。
「その居士こじが、いや、もし……と、莞爾々々にこにこと声を掛けて、……あれは珍らしい、その訳じゃ、茅野ちのと申して、ここから宇佐美の方へ三里も山奥の谷間たにあいの村が竹の名所でありましてな、そこの講中が大自慢で、毎年々々、南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごうでかつぎ出して寄進しますのじゃ……と話してくれました。……それから近づきになって、やがて、富士の白雪あさ日でとけて、とけて流れて三島へ落ちて、……ということに、なったので。」
 自動車が警笛を。
 主人は眉の根に、わざと深くしわを寄せて、鼻でめるように顔を向けた。
「はてね。」
「いや、とけておちたには違いはありませんがね――三島女郎衆じょろしゅの化粧の水などという、はじめから、そんななまぐさい話の出よう筈はありません。さきの御仁体でも知れます。もうずッと精進で。……さて、あれほどの竹の、竹の子はどんなだろう。食べたら古今の珍味だろう、というような話から、修善寺の奥の院の山の独活うど、これは字も似たり、独鈷とっこうどととなえて形も似ている、仙家の美膳びぜん、秋はまた自然薯じねんじょ、いずれも今時の若がえり法などは大俗で及びも着かぬ。早い話が牡丹ぼたん花片はなびらのひたしもの、芍薬しゃくやくの酢味噌あえ。――はあはあと、私が感に入って驚くのを、おかしがって、何、牡丹のひたしものといった処で、一輪ずつ枝を折る殺風景には及ばない、いけ花の散ったのを集めても結構よろしい。しかし、贅沢といえば、まことに蘭飯らんぱんと称して、蘭の花をたき込んだ飯がある、禅家の鳳膸ほうずい、これは、不老の薬と申してもい。――御主人――これなら無事でしょう。まずこの辺までは芥川さんに話しても、白い頬を窪まし、口許くちもとに手を当ててうなずいていましょうがね、……あとが少しむずかしい。――
 私はその時は、はじめから、もと三島へ下りて、一汽車だけ、いつも電車でばかり見て通る、あの、何とも言えない路傍みちばたの綺麗なながれを、もっとずッと奥まで見たいと思っていましたから。」
「すなわち、化粧の水ですな。」
「お待ちなさい。そんなながれの末じゃあ決してない。朝日でとけた白雪を、そのまま見たかったのに相違ないのです。三島で下りると言うと、居士が一所に参って、三島の水案内をしようと言います。辞退をしましたが、いや、是非ひとつ、で、私は恐縮をしたんですがね。実は余り恐縮をしなくてもさそうでしたよ。御隠居様、御機嫌よう、と乗合わせた近まわりの人らしいのが、お婆さんも、娘も、どこかの商人らしいのも、三人まで、小さな荷ですが一つ一つ手伝いましてね、なかなかどうして礼拝されます。が、この人たちの前、ちと三島で下りるのがくすぐったかったらしい。いいかこつけで、私は風流の道づれにされた次第だ。停車場ステェション前の茶店も馴染なじみと見えて、そこで、私のも一所に荷を預けて、それから出掛けたんですが――これがずッとそれ、昔の東海道、箱根のお関所を成りたけ早めに越して、うすころばしから向う阪をさがりに、見ると、河原前の橋を掛けてこの三島の両側に、ちらちら灯が見えようというのでと――どこか、壁張りの古い絵ほどにおもかげの見える、真昼で、ひっそりした町を指さされたあたりから、両側の家の、こう冷い湿しめっぽいなかから、暗い白粉おしろいだの、赤い油だのが、何となく匂って来ると――昔をしのぶ、――いや、宿しゅくのなごりとは申す条、通り筋に、あらわな売色のかかる体裁はおおいに風俗を害しますわい、と言う。その右斜みぎななめな二階の廊下に、欄干に白い手を掛けて立っていた、なまめかしい女があります。切組の板で半身です、が、少し伸上るようにしたから、帯腰がすらりと見える。……水浅葱みずあさぎ手絡てがら円髷まるまげ艶々つやつやと結ったのが、こう、三島の宿を通りかかる私たちの上からのぞくように少し乗出したと思うと、――えへん!……居士がおおきせきをしました。女がひょいと顔をそらしてひさしへうつむくと、猫が隣りから屋根づたいに、伝うのです。どうも割合に暑うごすと、居士は土耳古帽トルコぼうを取って、きちんと畳んだ手拭てぬぐいで、汗をきましたっけ。……」
 主人も何となく中折帽なかおれぼう工合ぐあいを直して、そしてクスクスと笑った。
「御主人の前で、何も地理を説く要はない。――御修繕中でありました。神社へ参詣をして、裏門の森を抜けて、一度ちょっと田畝道たんぼみちを抜けましたがね、穀蔵こくぐら、もの置蔵などの並んだ処を通って、昔の屋敷町といったのへ入って、それからえのきの宮八幡宮――この境内が、ほとんど水源と申してよろしい、白雪のとけてく処、と居士が言います。……榎は榎、大楠おおくす老樫ふるかし森々しんしんと暗くそびえて、瑠璃るり瑪瑙めのうの盤、また薬研やげんが幾つも並んだように、わだかまった樹の根の脈々、いわの底、青い小石一つの、その下からも、むくむくとも噴出さず、ちろちろちろちろと銀の鈴の舞うように湧いています。不躾ぶしつけですが、御手洗みたらしで清めた指で触って見ました。冷い事、氷のようです。湧いて響くのが一粒ずつ、てのひらに玉を拾うそうに思われましたよ。

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