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化銀杏(ばけいちょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:26:42  点击:  切换到繁體中文



       八

 お貞はいかに驚きしぞ、戸のあくともろともに器械のごとくね上りて、夢中に上り口に出迎いでむかえつ。あおくなりて瞳を据えたる、沓脱くつぬぎの処に立ちたるは、洋服扮装でたちの紳士なり。おとがい細く、顔まろく、大きさ過ぎたる鼻の下に、いやしげなる八字髭はちじひげの上唇をおおわんばかり、濃く茂れるを貯えたるが、かおとの配合をあやまれり。まなこはいと小さく、まなじり垂れて、あるかなきかをあやしむばかり、殊に眉毛の形乱れて、墨をなすりたるごとくなるに、額には幾条の深く刻めるしわあれば、実際よりは老けて見ゆべき、年紀としは五十の前後ならむ、その顔に眼鏡を懸け、黒の高帽子をかぶりたるは、これぞ(ちょいとこさ)という動物にて、うわさせし人の影なりける。
 良夫おっとと誤り、良夫と見て、胸は早鐘をくごとき、お貞はその良人ならざるに腹立ちけむ、おもてを赤め、瞳を据えて、とその面をみまもりたる、来客は帽を脱して、うやうやしく一礼し、左手ゆんでひさげたる革鞄かばんうちより、ちいさき旗を取出とりいだして、臆面もなくお貞の前に差出しつ。
「日本大勝利、万歳。」
 と謂いたるのみ、顔の筋をも動かさで、(ちょいとこさ)は反身そりみになり、澄し返りて控えたり。
 渠がかくのごとくなす時は、二厘三厘思い思いに、そのたなそこに投げ遣るべき金沢市中の通者とおりものとなりおれる僥倖ぎょうこうなるおのこなりき。
「ちょいとこ、ちょいとこ、ちょいとこさ。」
 と渠は、もと異様なる節を附し両手をりて躍りながら、数年来金沢市内三百余町に飴を売りつつ往来して、十万の人一般に、よくその面をみしられたるが、征清せいしんのことありしより、渠は活計たつきの趣向を変えつ。すなわち先のごとくにして軒ごとを見舞いあるき、怜悧れいり米塩べいえんの料を稼ぐなりけり。
 渠は常にものいわず、極めて生真面目きまじめにして、人のその笑えるをだに見しものもあらざれども、かたのごとき白痴者なれば、侮慢ぶまんは常に嘲笑ちょうしょうとなる、世に最もいやしまるる者は時としては滑稽こっけいの材となりて、金沢の人士ひとは一分時のわらいしろにとて、渠に二三厘を払うなり。
 お貞はようやく胸をでて、ひややかにもとの座に直りつ。代価は見てのお戻りなる、この滑稽劇を見物しながら、いまだ木戸銭を払わざるにぞ、(ちょいとこさ)は身動きだもせで、そのままそこに突立つったちおれり。
 ややありてお貞は心着きけむ、長火鉢の引出ひきだしを明けて、渠に与うべき小銭を探すに、少年はかたわらより、
「姉さん、湯銭のつりがあるよ、おい。」
 と板敷に投出せば、(ちょいとこさ)は手に取りて、高帽子をかぶるとひとしく、威儀を正して出行いでゆきたり。

       九

 出行く(ちょいとこさ)を見送りて、二人は思わず眼を合しつ。
「なるほどているねえ。」
 とお貞は推出おしだすがごとくに言う。少年はそれには関せず。
「まあ、それからどうしたの?」
 渠は聞くことに実のりけむ、語る人をうながせり。
「さあその新潟から帰った当座は、坊やも――名はたまきといったよ――環も元気づいて、いそいそして、嬉しそうだし、私も日本晴にっぽんばれがしたような心持で、病気も何にもあったもんじゃあないわ。野へく、山へ行くで、方々外出そとでをしてね、大層気が浮いて可い心持。
 出来るもんならいつまでも旦那が居ないで、環と二人ッきり暮したかったわ。
 だがねえ、芳さん、浮世はままにならないものとは詮じ詰めたことを言ったんだね。二三度旦那から手紙を寄越よこして、(奉公人ばかりじゃ、しまりが出来ない、病気がくなったら直ぐ来てくれ。)と頼むようにいって来ても、なんの、のッて、行かないもんだから、お聞きよ、まあ、どうだろうね。行ってから三月もたない内に、辞職をして帰って来て、(なるほどお前なんざ、とても住めない、新潟は水が悪い)ッさ。まあ!
 するとまた環がね、どういうものか、はきはきしない、嫌にいじけッちまって、悪く人の顔色を見て、私の十四五の時見たように、隅の方へ引込ひっこんじゃあ、うじうじするから、私もつい気が滅入めいって、癇癪かんしゃくが起るたんびに、罪もないものを……」
 と涙をうかめ、お貞はがッくり俯向うつむきたり。
「その癖、旦那は、環々ッて、まあ、どんなに可愛がったろう。頭へ手なんざ思いも寄らない、にらめる真似をしたこともなかったのに、かえって私の方が癇癪を起しちゃ、(母様おっかちゃん)とそばへ来るのを、
(ええ、も、うるさいねえ、)といって突飛ばしてやると、旦那が、(とがもないものをなぜそんなことをする)てッて、私を叱るとね、(母様を叱っては嫌よ、御免なさい御免なさい)とかばってくれるの。そうして、(あんな母様おっかさん不可いけないのう、ここへ来い)と旦那が手でも引こうもんなら、それこそ大変、わッといって泣出したの。
(あ、あ、)と旦那が大息をして、ふいと戸外おもてへ出てしまうと、後で、そっと私の顔を見ちゃあ、さもさもどうも懐しそうに、莞爾にっこりと笑う。そのまた愛くるしさッちゃあない。私も思わず莞爾して、引ッたくるように膝へのせて、しっかりだきしめて頬をおッつけると、嬉しそうに笑ッちゃあ、(父様おとっちゃんが居ないと可い)と、それまたお株を言うじゃあないかえ。
 だもんだから、つい私もね、何だか旦那が嫌になったわ。でも或時いつか
(お貞、おれも環にゃ血を分けたもんだがなあ。)とさもなさけなそうに言ったのには、私もたまらなく気の毒だったよ。
 前世のかたき同士ででもあったものか、芳さん、環がじふてりやでなくなる時も、私がやる水は、かぶりつくようにして飲みながら、旦那が薬を飲ませようとすると、ついと横を向いて、かぶりって、私にしがみついて、懐へ顔をかくして、いやいやをしたもんだから、ついぞ荒いことをいったこともない旦那が、何と思ったか血相を変えて、
(不孝者!)といって、握拳にぎりこぶし突然いきなり環をぶとうとしたから、私もきっとなって、片膝立てて、
(何をするんです!)と摺寄すりよったわ。その時の形相のすさまじさは、ま、どの位であったろうと、自分でも思い遣られるよ。言憎いいにくいことだけれど、真実ほんとうにもう旦那を喰殺してやりたかったわね。今でも旦那を環のかたきだと思うもの。あの父親さえ居なけりゃ、何だって環が死ぬものかね、死にゃあしないわ、私ばかりのだったら。」
 お貞はしばらく黙したりき。ややあり思出したらんかのごとく、
「旦那はそのまま崩折くずおれて、男泣きに泣いたわね。
 私ゃもう泣くことも忘れたようだった。ええ、芳さん、環がなくなってから、また二三度も方々へいい役に着いたけれども、金沢なら可いが、みんな遠所とおくなので、私はどういうものか遠所へ行くとしきりに金沢が恋しくなッて、帰りたい帰りたい一心でね、済まないことだとは思ってみても、我慢がし切れないのを、無理にこたえると、持病が起って、わけもないことに泣きたくなったり、飛んだことに腹が立ったりして、まるで夢中になるもんだから、仕方なしに帰って来ると、旦那も後からまた帰る、何でも私をば一人で手放しておく訳にゃゆかないと見えて、始終一所に居たがるわ。
 だもんだからどこもい処には行かれないで、金沢じゃ、あんなつまらない学校へ、腰弁当というしがない役よ。」
 と一人冷かに笑うたり。

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