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化銀杏(ばけいちょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:26:42  点击:  切换到繁體中文



       六

「(なぜ一所に死ぬとは言ってくれない。愛情というものは、そんな淡々あわあわしいものではない。)ッていうのさ。向うからそう出られちゃあ、こっちで何とも言いようが無いわ。
 女郎や芸妓げいしゃじゃあるまいしさ、そんな殺文句がわれるものかね。でも、旦那の怒りようがひどいので、まあ、さんざあやまってさ。坊やがかすがいで、まずそれッきりで治まったがね、私ゃその時、ああ、執念深い人だと思って、ぞッとして、それからというものは、何だか重荷を背負しょったようで、今でも肩身が狭いようなの。
 あとでね、あのそら先刻さっきいった黒眼鏡ね、(烏蜻蛉からすとんぼ見たように、おかしいじゃアありませんか。)と、病気が治ってから聞いたことがあったよ。そうするとね、東京はからッ風で塵埃ほこりひどいから、眼を悪くせまいための砂除すなよけだっていうの、勉強ざかりなら洋燈ランプをカッカと、ともして寝ない人さえあるんだのに、そう身体からだばかりかばってちゃあ、何にも出来やしないと思ったけれど、まさかそんなことをいえたものでもなし、呼吸器も肺病の薬というので懸けるんだッて。それからね、そのひげがまた妙なのさ。」
 とお貞は少年のかおを見て、
「衛生髯だとさ、おほほ。分るかえ? 芳さん。」
「何のこッた、衛生髯ッたって分らないよ。」
「それはね。」
 となお微笑ほほえみながら、
「こうなのよ。何でも人間の身体からだに附属したものは、つめであろうが、あかであろうが、要らないものは一つもないとね、その中でも往来の塵埃ほこりなんぞに、肺病の虫がまざって、鼻ンなかへ飛込むのを、髯がね、つまり玄関番見たようなもので、喰留めて入れないンだッさ。見得でも何でもないけれど、身体からだのためにはやしたと、そういったよ。だから衛生髯だわね。おほほほほ。」
 お貞は片手を口にあてつ。少年も噴出ふきいだしぬ。
「いくら衛生のためだって、あの髯だけは廃止よせば可いなあ。まるで(ちょいとこさ)にてるものを、髯があるからなおそっくりだ。」
 お貞は眉を打顰うちひそめて、
「嫌だよ、芳さんは。(ちょいとこさ)はあんまりだわ。でも(ちょいとこさ)と言えばこないだ、小橋の上で、あの(ちょいとこさ)の飴屋あめやに逢ったの。ちょうどその時だ。桜にちゅうの字の徽章きしょうの着いた学校の生徒が三人づれで、向うからき違って、一件を見ると声を揃えて、(やあ、西岡先生。)と大笑おおわらいをして行き過ぎたが、何のこった知らんと、当座は気が着かずに居たっけがね。何だとさ、学校じゃあ、みんながもう良人うちのに、(ちょいとこさ)と謂う渾名あだなを附けて、蔭じゃあ、そうとほか言わないそうだよ。」
 少年はこうべれり。
「何の、蔭でいうくらいなら優しいけれど、髯がね、あの学校のやといになって、はじめて教場へ出た時に、誰だっけか、(先生、先生の御姓名は?)と聞いたんだって。するとね、ちょうど、おくれてたまりから入って来た、遠藤ッて、そら知ってるだろう。僕のとこへもよく遊びに来る、肩のあがった、武者修行のような男。」
「ああ、ああ、鉄扇でものをいう人かえ。」
「うむ、彼奴あいつさ、彼奴がさ。髯のそばへずいと出て、席から名を尋ねた学生に向って、(おい、君、この先生か。この先生ならそうだ、名は※(始め二重括弧、1-2-54)チョイトコサ※(終わり二重括弧、1-2-55)だ。)と謂ったので、クラス一統がわッといって笑ッたって、里見がいつか話したっけ。」
 お貞はためいきをもらしたり。
「嫌になっちまう! じゃ、まるでのっけから安く踏まれて、馬鹿にされ切っていたんだね。」
「でもなかにゃああ見えても、なかなか学問が出来るんだって、そういってる者もあるんだ。なんしろ、教場へ出て来ると、礼式もないで、突然いきなり、ボウルドに問題を書出して、
(何番、これを。)
 といったきり椅子にかかッて、こう、少しうつむいて、ひじをついて、黙っているッて。呼ばれた番号の奴は災難だ。大きに下稽古したげいこなんかして行かなかろうものなら、面くらって、(先生私には出来ません。)といってみても返事をしない。そのままうっちゃっておくもんだから、しまいにゃあ泣声で、(私には出来ません、先生々々。)と呼ぶと、顔もうごかさなけりゃ、見向きもしないで、(遣ってみるです。)というッきりで、取附とりつく島も何にもないと。それでも遣ってみても出来そうもない奴は、立ったり、居たり、ボウルドの前へ出ようとして中戻ちゅうもどりをしたり、愚図ぐず々々まごついてる間に、たくが鳴って、時間が済むと、先生はそのまんまでフイと行ってしまうんだッて。そんな時あ問題を一つ見たばかりで、一時間まる遊び。」

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