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化銀杏(ばけいちょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:26:42  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成2
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1996(平成8)年4月24日
入力に使用: 1996(平成8)年4月24日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第二卷
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年9月30日

 

      一

 貸したる二階は二間にして六畳と四畳半、別に五畳余りの物置ありて、月一円のきわめなり。家主やぬしは下の中の間の六畳と、奥の五畳との二間に住居すまいて、店は八畳ばかり板の間になりおれども、商売家あきないやにあらざれば、昼も一枚しとみをおろして、ここは使わずに打捨てあり。
 往来より突抜けて物置のうしろ園生そのうまで、土間の通庭とおりにわになりおりて、その半ばに飲井戸あり。井戸に推並おしならびて勝手あり、横に二個ふたつかまどを並べつ。背後うしろに三段ばかり棚を釣りて、ここになべかま擂鉢すりばちなど、勝手道具をせ置けり。かわやは井戸に列してそのあわい遠からず、しかもいたく濁りたれば、して飲用に供しおれり。建てて数十年を経たる古家なれば、掃除は手綺麗てぎれいに行届きおれども、そこらすすぼりて余りあかるからず、すべて少しく陰気にして、加賀金沢の市中にてもこのわたりは浅野川の河畔一帯の湿地しけちなり。
 園生は、一重の垣を隔てて、畑造りたる裏町の明地あきちに接し、すももの木、ぐみの木、柿の木など、五六本の樹立こだちあり。沓脱くつぬぎは大戸を明けて、直ぐその通庭なる土間の一端にありて、上り口はき込みたる板敷なり。これに続ける六畳は、店と奥との中の間にて、土地の方言茶のと呼べり。その茶の間の一方に長火鉢を据えて、うしろに竹細工の茶棚を控え、九谷焼、赤絵の茶碗、吸子きゅうすなど、体裁よく置きならべつ。うつむけにしたる二個ふたつ湯呑ゆのみは、夫婦めおと別々の好みにて、対にあらず。
 細君は名をおていう、年紀としは二十一なれど、二つばかり若やぎたるが、この長火鉢のむこうにすわれり。細面にして鼻筋通り、遠山の眉余り濃からず。生際はえぎわ少しあがりて、髪はややうすけれども、色白くして口許くちもとしまり、上気性のぼせしょうと見えて唇あれたり。ほの赤きまぶたの重げに見ゆるが、なきはらしたるとは風情異り、たとえば炬燵こたつに居眠りたるが、うっとりと覚めしもののごとく涼しき眼のうち曇を帯びて、見るにおもかげ晴やかならず、暗雲一帯眉宇びうをかすめて、かれは何をか物思える。
 根上りに結いたる円髷まるまげびん頬に乱れて、下〆したじめばかり帯も〆めず、田舎の夏の風俗とて、素肌に紺縮こんちぢみの浴衣をまといつ。あながち身だしなみの悪きにあらず。
 教育のある婦人おんなにあらねど、ものの本など好みて読めば、ふみ書くすべつたなからで、はた裁縫のわざけたり。
 他の遊芸は知らずと謂う、三味線さみせんはその好きの道にて、時ありては爪弾つめびきの、忍ぶ恋路のを立つれど、夫は学校の教授たる、職務上の遠慮ありとて、公にくことを禁じたれば、留守の間を見計らい、細棹ほそざおちりを払いて、慎ましげに音〆ねじめをなすのみ。
 お貞は今思出したらむがごとく煙管きせるを取りて、覚束無おぼつかなげに一服吸いつ。
 かれ煙草たばこたしなむにあらねど、うきを忘れ草というに頼りて、飲習わんとぞ務むるなる、深く吸いたれば思わずせて、落すがごとく煙管をて、湯呑に煎茶をうつしけるが、余りたぎれるままそのむるを待てり。
 時に履物の音高くうち入来いりくるものあるにぞ、お貞は少しあわただしく、急に其方そなたを見向ける時、表の戸をがたりとあけて、濡手拭ぬれてぬぐいをぶら提げつつ、と入りたる少年あり。
 お貞は見るより、
「芳さんかえ。」
奥様おくさん、ただいま。」
 と下駄を脱ぐ。
「大層、おめかしだね。」
「ふむ。」
 と笑い捨てて少年は乱暴に二階に上るを、お貞は秋波ながしめもて追懸けつつ、
「芳ちゃん!」
「何?」
 と顧みたり。
「まあ、ここへ来て、ちっとお話しなね。お祖母様ばあさんはいま昼寝をしていらっしゃるよ。騒々しいねえ。」
「そうかい。」
 と下りて来て、長火鉢の前に突立つったち、
「ああ、のどが渇く。」
 とつぶやきながら、湯呑にさましたりし茶を見るより、無遠慮に手に取りて、
「頂戴。」
 とばかりぐっと飲みぬ。
「あら! ひどいのね、この人は。折角冷しておいたものを。」
 わざとえんずれば少年は微笑ほほえみて、
「余ってるよ、奥様はけちだねえ。」
 と湯呑を返せり。お貞は手に取りて中をのぞき、
「何だ、けも残しゃアしない。」
 と底の方に残りたるを、薬のように仰ぎ飲みつ。
「まあ、よッさんお坐ンな、そうしてなぜ人を、奥様々々ッて呼ぶの、嫌なこッた。」
「だって、円髷に結ってるもの、銀杏返いちょうがえしの時は姉様ねえさんだけれど、円髷の時ゃ奥様だ。」

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