泉鏡花集成7 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1995(平成7)年12月4日 |
1995(平成7)年12月4日第1刷 |
鏡花全集 第二十巻 |
岩波書店 |
1941(昭和16)年5月20日 |
一
このもの語の起った土地は、清きと、美しきと、二筋の大川、市の両端を流れ、真中央に城の天守なお高く聳え、森黒く、濠蒼く、国境の山岳は重畳として、湖を包み、海に沿い、橋と、坂と、辻の柳、甍の浪の町を抱いた、北陸の都である。
一年、激しい旱魃のあった真夏の事。
……と言うとたちまち、天に可恐しき入道雲湧き、地に水論の修羅の巷の流れたように聞えるけれど、決して、そんな、物騒な沙汰ではない。
かかる折から、地方巡業の新劇団、女優を主とした帝都の有名なる大一座が、この土地に七日間の興行して、全市の湧くがごとき人気を博した。
極暑の、旱というのに、たといいかなる人気にせよ、湧くの、煮えるのなどは、口にするも暑くるしい。が、――諺に、火事の折から土蔵の焼けるのを防ぐのに、大盥に満々と水を湛え、蝋燭に灯を点じたのをその中に立てて目塗をすると、壁を透して煙が裡へ漲っても、火気を呼ばないで安全だと言う。……火をもって火を制するのだそうである。
ここに女優たちの、近代的情熱の燃ゆるがごとき演劇は、あたかもこの轍だ、と称えて可い。雲は焚け、草は萎み、水は涸れ、人は喘ぐ時、一座の劇はさながら褥熱に対する氷のごとく、十万の市民に、一剤、清涼の気を齎らして剰余あった。
膚の白さも雪なれば、瞳も露の涼しい中にも、拳って座中の明星と称えられた村井紫玉が、
「まあ……前刻の、あの、小さな児は?」
公園の茶店に、一人静に憩いながら、緋塩瀬の煙管筒の結目を解掛けつつ、偶と思った。……
髷も女優巻でなく、わざとつい通りの束髪で、薄化粧の淡洒した意気造。形容に合せて、煙草入も、好みで持った気組の婀娜。
で、見た処は芸妓の内証歩行という風だから、まして女優の、忍びの出、と言っても可い風采。
また実際、紫玉はこの日は忍びであった。演劇は昨日楽になって、座の中には、直ぐに次興行の隣国へ、早く先乗をしたのが多い。が、地方としては、これまで経歴ったそこかしこより、観光に価値する名所が夥い、と聞いて、中二日ばかりの休暇を、紫玉はこの土地に居残った。そして、旅宿に二人附添った、玉野、玉江という女弟子も連れないで、一人で密と、……日盛もこうした身には苦にならず、町中を見つつ漫に来た。
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