以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子に住った時(三太郎)と名づけて目白鳥がいた。
桜山に生れたのを、おとりで捕った人に貰ったのであった。が、何処の巣にいて覚えたろう、鵯、駒鳥、あの辺にはよくいる頬白、何でも囀る……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、明かに鶯の声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥かどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒に、水を飲ませて、芋で飼ったのだから、笑って故と(ご)の字をつけておく――またよく馴れて、殿様が鷹を据えた格で、掌に置いて、それと見せると、パッと飛んで虫を退治た。また、冬の日のわびしさに、紅椿の花を炬燵へ乗せて、籠を開けると、花を被って、密を吸いつつ嘴を真黄色にして、掛蒲団の上を押廻った。三味線を弾いて聞かせると、音に競って軒で高囀りする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺の観音の山へ放した時は、煩っていた家内と二人、悄然として、ツィーツィーと梢を低く坂下りに樹を伝って慕い寄る声を聞いて、ほろりとして、一人は袖を濡らして帰った。が、――その目白鳥の事で。……(寒い風だよ、ちょぼ一風は、しわりごわりと吹いて来る)と田越村一番の若衆が、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風の烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、門の戸をしめた勢で、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返した。アッと思うと、中の目白鳥は、羽ばたきもせず、横木を転げて、落葉の挟ったように落ちて縮んでいる。「しまった、……三太郎が目をまわした。」「まあ、大変ね。」と襷がけのまま庖丁を、投げ出して、目白鳥を掌に取って据えた婦は目に一杯涙を溜めて、「どうしましょう。」そ、その時だ。試に手水鉢の水を柄杓で切って雫にして、露にして、目白鳥の嘴を開けて含まして、襟をあけて、膚につけて暖めて、しばらくすると、ひくひくと動き出した。ああ助りました。御利益と、岩殿の方へ籠を開いて、中へ入れると、あわれや、横木へつかまり得ない。おっこちるのが可恐いのか、隅の、隅の、狭い処で小くなった。あくる日一日は、些と、ご悩気と言った形で、摺餌に嘴のあとを、ほんの筋ほどつけたばかり。但し完全に蘇生った。
この経験がある。
水でも飲まして遣りたいと、障子を開けると、その音に、怪我処か、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡をしていたのであった。……憎くない。
尤もなかなかの悪戯もので、逗子の三太郎……その目白鳥――がお茶の子だから雀の口真似をした所為でもあるまいが、日向の縁に出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴の或日、裏庭の茅葺小屋の風呂の廂へ、向うへ桜山を見せて掛けて置くと、午少し前の、いい天気で、閑な折から、雀が一羽、……丁ど目白鳥の上の廂合の樋竹の中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込む。嘴に小さな芋虫を一つ銜え、あっち向いて、こっち向いて、ひょいひょいと見せびらかすと、籠の中のは、恋人から来た玉章ほどに欲しがって駈上り飛上って取ろうとすると、ひょいと面を横にして、また、ちょいちょいと見せびらかす。いや、いけずなお転婆で。……ところがはずみに掛って振った拍子に、その芋虫をポタリと籠の目へ、落したから可笑い。目白鳥は澄まして、ペロリと退治た。吃驚仰天した顔をしたが、ぽんと樋の口を突出されたように飛んだもの。
瓢箪に宿る山雀、と言う謡がある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。
或殿が領分巡回の途中、菊の咲いた百姓家に床几を据えると、背戸畑の梅の枝に、大な瓢箪が釣してある。梅見と言う時節でない。
「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」
その農家の親仁が、
「へいへい、山雀の宿にござります。」
「ああ、風情なものじゃの。」
能の狂言の小舞の謡に、
いたいけしたるものあり。張子の顔や、練稚児。しゅくしゃ結びに、ささ結び、やましな結びに風車。瓢箪に宿る山雀、胡桃にふける友鳥……
「いまはじめて相分った。――些少じゃが餌の料を取らせよう。」
小春の麗な話がある。
御前のお目にとまった、謡のままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋で、樋竹の相借家だ。
腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空高く順に並ぶ。中でも音頭取が、電柱の頂辺に一羽留って、チイと鳴く。これを合図に、一斉にチイと鳴出す。――塀と枇杷の樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。
私が即ち取次いで、
「催促てるよ、催促てるよ。」
「せわしないのね。……煩いよ。」
などと言いながら、茶碗に装って、婦たちは露地へ廻る。これがこのうえ後れると、勇悍なのが一羽押寄せる。馬に乗った勢で、小庭を縁側へ飛上って、ちょん、ちょん、ちょんちょんと、雀あるきに扉を抜けて台所へ入って、お竈の前を廻るかと思うと、上の引窓へパッと飛ぶ。
「些と自分でもお働き、虫を取るんだよ。」
何も、肯分けるのでもあるまいが、言の下に、萩の小枝を、花の中へすらすら、葉の上はさらさら……あの撓々とした細い枝へ、塀の上、椿の樹からトンと下りると、下りたなりにすっと辷って、ちょっと末を余して垂下る。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏を潜ってひょいと攀じると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝に撓って、ぶら下るかと思うと、飜然と伝う。また一羽が待兼ねてトンと下りる。一株の萩を、五、六羽で、ゆさゆさ揺って、盛の時は花もこぼさず、嘴で銜えたり、尾で跳ねたり、横顔で覗いたり、かくして、裏おもて、虫を漁りつつ、滑稽けてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝の尖へひょいと乗る。
水上さんがこれを聞いて、莞爾して勧めた。
「鞦韆を拵えてお遣んなさい。」
邸の庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸を結えて、その萩の枝に釣った。……この趣を乗気で饒舌ると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆に乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いま睦じく二羽啄んでいたと思う。その一羽が、忽然として姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木の、すぐ裏へ、頭を揉込むようにして縦に附着いているのである。脚がかりもないのに巧なもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝な様子で、チチと鳴き鳴き、其処らを覗くが、その笠木のちょっとした出張りの咽に、頭が附着いているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時捜して、パッと枇杷の樹へ飛んで帰ると、そのあとで、密と頭を半分出してきょろきょろと見ながら、嬉しそうに、羽を揺って後から颯と飛んで行く。……惟うに、人の子のするかくれんぼである。
さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処へ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀の咽が黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
……妙な事は、いま言った、萩また椿、朝顔の花、露草などは、枝にも蔓にも馴れ馴染んでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐がって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退いている。尤も、時にはこっちから、故とおいでの儀を御免蒙る事がある。物干へ蒲団を干す時である。
お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持になって、ふっくりと、蒲団に団欒を試みるのだから堪らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所から頂戴して貯えている豹の皮を釣って置く。と枇杷の宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくり貂の皮)だから面白い。
が、一夏縁日で、月見草を買って来て、萩の傍へ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香わせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏には、一時留り餌に騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪しんだが、二日め三日めには心着いた。意気地なし、臆病。烏瓜、夕顔などは分けても知己だろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐いらしい……可哀相だから植替えようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、漸っと出て来た。何、一度味をしめると飛ついて露も吸いかねぬ。
まだある。土手三番町の事を言った時、卯の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時一枝折って来てさし芽にしたのが、次第に丈たかく生立ちはしたが、葉ばかり茂って、蕾を持たない。丁ど十年目に、一昨年の卯月の末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当のいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。また丁どその卯の花の枝の下に御飯が乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密と来た。忽ち卯の花に遊ぶこと萩に戯るるが如しである。花の白いのにさえ怯えるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚と言いたい、むこうの真白の木の丘に埋れて、声さえ立てないで可哀である。
椿の葉を払っても、飛石の上を掻分けても、物干に雪の溶けかかった処へ餌を見せても影を見せない。炎天、日盛の電車道には、焦げるような砂を浴びて、蟷螂の斧と言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山を兎が飛ぶように、雪を蓑にして、吹雪を散らして翔けたものを――
ここで思う。その児、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続ぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
泰西の諸国にて、その公園に群る雀は、パンに馴れて、人の掌にも帽子にも遊ぶと聞く。
何故に、わが背戸の雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実に花なればこそ、些とでも変った人間の顔には、渠らは大なる用心をしなければならない。不意の礫の戸に当る事幾度ぞ。思いも寄らぬ蜜柑の皮、梨の核の、雨落、鉢前に飛ぶのは数々である。
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