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二、三羽――十二、三羽(に、さんば――じゅうに、さんば)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:15:28  点击:  切换到繁體中文



 以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子そうしゅうずしすまった時(三太郎さんたろう)と名づけて目白鳥めじろがいた。
 桜山さくらやまに生れたのを、おとりで捕った人にもらったのであった。が、何処どこの巣にいて覚えたろう、ひよ駒鳥こまどり、あの辺にはよくいる頬白ほおじろ、何でもさえずる……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、あきらかにうぐいすの声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥だちょうかどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒やぶれのきに、水を飲ませて、いもで飼ったのだから、笑ってわざと(ご)の字をつけておく――またよく馴れて、殿様がたかえたかくで、てのひらに置いて、それと見せると、パッと飛んで虫を退治たいじた。また、冬の日のわびしさに、紅椿べにつばきの花を炬燵こたつへ乗せて、籠を開けると、花をかぶって、密を吸いつつくちばし真黄色まっきいろにして、掛蒲団かけぶとんの上を押廻おしまわった。三味線さみせんを弾いて聞かせると、きそって軒で高囀たかさえずりする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨あきさめのしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺いわとのでら観音かんおんの山へ放した時は、わずらっていた家内と二人、悄然しょうぜんとして、ツィーツィーとこずえを低く坂下さかさがりに樹を伝ってしたい寄る声を聞いて、ほろりとして、一人はそでを濡らして帰った。が、――その目白鳥の事で。……(寒い風だよ、ちょぼ一風いちかぜは、しわりごわりと吹いて来る)と田越村たごえむら一番の若衆わかいしゅうが、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風ならいの烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、かどの戸をしめたいきおいで、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返はねかえした。アッと思うと、中の目白鳥は、羽ばたきもせず、横木を転げて、落葉のはさまったように落ちて縮んでいる。「しまった、……三太郎が目をまわした。」「まあ、大変ね。」とたすきがけのまま庖丁ほうちょうを、投げ出して、目白鳥をてのひらに取って据えたおんなは目に一杯涙をめて、「どうしましょう。」そ、その時だ。こころみ手水鉢ちょうずばちの水を柄杓ひしゃくで切ってしずくにして、露にして、目白鳥のくちばしを開けて含まして、えりをあけて、はだにつけて暖めて、しばらくすると、ひくひくと動き出した。ああたすかりました。御利益ごりやくと、岩殿いわとのかたへ籠を開いて、中へ入れると、あわれや、横木へつかまり得ない。おっこちるのが可恐こわいのか、隅の、隅の、狭いところちいさくなった。あくる日一日は、と、ご悩気のうけと言った形で、摺餌すりえくちばしのあとを、ほんの筋ほどつけたばかり。ただし完全に蘇生よみがえった。
 この経験がある。
 水でも飲ましてりたいと、障子を開けると、その音に、怪我けがどころか、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡いねむりをしていたのであった。……憎くない。
 もっともなかなかの悪戯いたずらもので、逗子ずしの三太郎……その目白鳥めじろ――がお茶の子だから雀の口真似くちまねをした所為せいでもあるまいが、日向ひなたえんに出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴あきばれ或日あるひ、裏庭の茅葺かやぶき小屋の風呂のひさしへ、向うへ桜山さくらやまを見せて掛けて置くと、ひる少し前の、いい天気で、しずかな折から、雀が一羽、……ちょうど目白鳥の上の廂合ひあわい樋竹といだけの中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込のぞきこむ。はしに小さな芋虫いもむしを一つくわえ、あっち向いて、こっち向いて、ひょいひょいと見せびらかすと、籠の中のは、恋人から来た玉章たまずさほどに欲しがって駈上かけあが飛上とびあがって取ろうとすると、ひょいとかおを横にして、また、ちょいちょいと見せびらかす。いや、いけずなお転婆てんばで。……ところがはずみにかかって振った拍子ひょうしに、その芋虫をポタリと籠の目へ、落したから可笑おかしい。目白鳥は澄まして、ペロリと退治たいじた。吃驚仰天びっくりぎょうてんした顔をしたが、ぽんとといの口を突出つきだされたように飛んだもの。
 瓢箪ひょうたんに宿る山雀やまがら、と言ううたがある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。
 ある殿との領分巡回りょうぶんめぐりの途中、菊の咲いた百姓家に床几しょうぎを据えると、背戸畑せどばたけの梅の枝に、おおきな瓢箪がつるしてある。梅見うめみと言う時節でない。
「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」
 その農家の親仁おやじが、
「へいへい、山雀の宿にござります。」
「ああ、風情ふぜいなものじゃの。」
 能の狂言の小舞こまいうたいに、

いたいけしたるものあり。張子はりこの顔や、練稚児ねりちご。しゅくしゃ結びに、ささ結び、やましな結びに風車かざぐるま。瓢箪に宿る山雀、胡桃くるみにふける友鳥ともどり……

「いまはじめて相分あいわかった。――些少ちとじゃがりょうを取らせよう。」
 小春こはるうららかな話がある。
 御前ごぜんのお目にとまった、うたいのままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋むねわりながやで、樋竹といだけ相借家あいじゃくやだ。
 腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空なかぞら高く順に並ぶ。中でも音頭取おんどとりが、電柱の頂辺てっぺんに一羽とまって、チイと鳴く。これを合図に、一斉いっときにチイと鳴出す。――へい枇杷びわの樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。
 私がすなわち取次いで、
催促やってるよ、催促やってるよ。」
「せわしないのね。……うるさいよ。」
 などと言いながら、茶碗によそって、おんなたちは露地へ廻る。これがこのうえおくれると、勇悍ゆうかんなのが一羽押寄おしよせる。馬に乗ったいきおいで、小庭を縁側えんがわ飛上とびあがって、ちょん、ちょん、ちょんちょんと、雀あるきにひらきを抜けて台所へ入って、おへッついの前を廻るかと思うと、上の引窓ひきまどへパッと飛ぶ。
と自分でもお働き、虫を取るんだよ。」
 何も、肯分ききわけるのでもあるまいが、ことばの下に、はぎの小枝を、花の中へすらすら、葉の上はさらさら……あの撓々たよたよとした細い枝へ、塀の上、椿つばきの樹からトンと下りると、下りたなりにすっとすべって、ちょっとうらを余して垂下たれさがる。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏はうらくぐってひょいとじると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝にしなって、ぶら下るかと思うと、飜然ひらりと伝う。また一羽が待兼まちかねてトンと下りる。一株のはぎを、五、六羽で、ゆさゆさゆすって、さかりの時は花もこぼさず、はしくわえたり、尾で跳ねたり、横顔でのぞいたり、かくして、裏おもて、虫をあさりつつ、滑稽おどけてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝のさきへひょいと乗る。
 水上みなかみさんがこれを聞いて、莞爾にっこりして勧めた。
鞦韆ぶらんここしらえておんなさい。」
 やしきの庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸すぎばしゆわえて、その萩の枝に釣った。……このおもむき乗気のりき饒舌しゃべると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆ぶらんこに乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いまむつまじく二羽ついばんでいたと思う。その一羽が、忽然こつねんとして姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木かさぎの、すぐ裏へ、頭を揉込もみこむようにして縦に附着くッついているのである。脚がかりもないのにたくみなもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝けげんな様子で、チチと鳴き鳴き、其処そこらをのぞくが、その笠木のちょっとした出張でっぱりののどに、頭が附着くッついているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時しばらく捜して、パッと枇杷びわの樹へ飛んで帰ると、そのあとで、そっと頭を半分出してきょろきょろと見ながら、うれしそうに、羽をゆすって後からさっと飛んで行く。……おもうに、人の子のするかくれんぼである。
 さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻さっき言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処どこへ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀ののどが黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
 ……妙な事は、いま言った、はぎまた椿つばき、朝顔の花、露草つゆくさなどは、枝にもつるにも馴れ馴染なじんでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐こわがって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退いている。もっとも、時にはこっちから、わざとおいでの儀を御免蒙ごめんこうむる事がある。物干ものほし蒲団ふとんを干す時である。
 お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持こころもちになって、ふっくりと、蒲団に団欒だんらんを試みるのだからたまらない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所よそから頂戴してたくわえているひょうの皮を釣って置く。と枇杷びわの宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくりてんの皮)だから面白い。
 が、一夏ひとなつ縁日えんにちで、月見草つきみそうを買って来て、はぎそばへ植えた事がある。夕月に、あの花が露をにおわせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏たそがれには、一時ひとときとまに騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめはあやしんだが、二日め三日めには心着こころづいた。意気地いくじなし、臆病。烏瓜からすうり、夕顔などは分けても知己ちかづきだろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐こわいらしい……可哀相かわいそうだから植替うえかえようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、っと出て来た。何、一度味をしめるととびついて露も吸いかねぬ。
 まだある。土手三番町どてさんばんちょうの事を言った時、の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時一枝ひとえだ折って来てさし芽にしたのが、次第にたけたかく生立おいたちはしたが、葉ばかり茂って、つぼみを持たない。ちょうど十年目に、一昨年の卯月うづきの末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当ひあたりのいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。またちょうどその卯の花の枝の下に御飯おまんまが乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつそっと来た。たちまち卯の花に遊ぶこと萩にたわむるるが如しである。花の白いのにさえおびえるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚びわづかと言いたい、むこうの真白の木の丘にうずもれて、声さえ立てないで可哀あわれである。
 椿の葉を払っても、飛石の上を掻分かきわけても、物干に雪の溶けかかったところを見せても影を見せない。炎天、日盛ひざかり電車道でんしゃみちには、げるような砂を浴びて、蟷螂とうろうおのと言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山をうさぎが飛ぶように、雪をみのにして、吹雪を散らしてけたものを――
 ここで思う。その、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続おいつぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
 泰西たいせいの諸国にて、その公園にむらがる雀は、パンに馴れて、人のてのひらにも帽子にも遊ぶと聞く。
 何故なぜに、わが背戸せどの雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。に花なればこそ、ちっとでも変った人間の顔には、かれらはおおいなる用心をしなければならない。不意のつぶての戸に当る事幾度いくたびぞ。思いも寄らぬ蜜柑みかんの皮、梨のしんの、雨落あまおち鉢前はちまえに飛ぶのは数々しばしばである。

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