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灯明之巻(とうみょうのまき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:41:43  点击:  切换到繁體中文



       五

 作者は、小県銑吉の話すまま、つい釣込まれて、恋人――と受次いだが、大切な処だ。念のため断るが、銑吉には、はやく女房がある。しかり、女房があって資産がない。女房もちのぜになしが当世色恋の出来ない事は、昔といえども実はあまりかわりはない。
 打あけて言えば、かれはただ自分勝手に、れているばかりなのである。
 また、近頃の色恋は、銀座であろうが、浅草であろうが、山の手新宿のあたりであろうが、つつしみが浅く、たしなみが薄くなり、次第に面の皮が厚くなり、恥が少くなったから、惚れたというのにはばかることだけは、まずもってないらしい。
 釣の道でも(岡)とがつくとかろんぜられる。銑吉のも、しかもその岡惚れである。その癖、夥間なかまで評判である。
 この岡惚れの対象となって、江戸育ちだというから、海津か卵であろう、築地辺の川端で迷惑をするのがお誓さんで――実は梅水という牛屋の女中ねえさん。……御新規お一人様、なまで御酒ごしゅ……待った、待った。そ、そんなのじゃ決してない。第一、お客に、むらさきだの、鍋下なべしただのと、符帳でものを食うような、そんなのも決して無い。
 梅水は、以前築地一流の本懐石、江戸前の料理人が庖丁を※(「金+肅」、第3水準1-93-39)びさせない腕をみがいて、吸ものの運びにも女中のすそさばきをにらんだ割烹かっぽう。震災後も引続き、黒塀の奥深く、竹も樹も静まり返って客を受けたが、近代のある世態では、篝火船かがりぶねの白魚より、舶来の塩鰯しおいわしが幅をする。正月飾りに、魚河岸に三個みッつよりなかったという二尺六寸の海老えびを、緋縅ひおどしよろいのごとく、黒松の樽に縅した一騎がけの商売ではいくさが危い。家の業が立ちにくい。がらりと気を替えて、こうべ肉のすき焼、ばた焼、お望み次第に客を呼んで、抱一ほういつ上人の夕顔を石燈籠いしどうろうの灯でほの見せる数寄屋すきやづくりも、七賢人の本床に立った、松林の大広間も、そのままで、びんちょうの火をうずたかく、ひれのあぶら※(「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52)る。
 この梅水のお誓は、内の子、娘分であるという。来たのは十三で、震災の時は十四であった。繰返していうでもあるまい――あの炎の中を、主人のうちを離れないで、勤め続けた。もっとも孤児みなしご同然だとのこと、都にしかるべき身内もない。そのせいか、沈んだ陰気なたちではないが、色の、抜けるほど白いのに、どこか寂しい影が映る。はだをいえば、きめがこまかく、実際、手首、指のさきまで化粧をしたように滑らかに美しい。細面で、目は、ぱっちりと、大きくないがはりがあって、そして眉が優しい。しまった口許くちもとが、莞爾にっこりする時ちょっとうけ口のようになって、その清い唇の左へ軽く上るのが、笑顔ながらりんとする。総てが薄手で、あり余る髪の厚ぼったく見えないのは、癖がなく、細く、なよなよとしているのである。も紅も似合うものを、浅葱だの、白の手絡てがらだの、いつも淡泊あっさりした円髷まるまげで、年紀としは三十を一つ出た。が、二十四五の上には見えない。一度五月の節句に、催しの仮装の時、水髪の芸子島田に、青い新藁しんわらで、五尺の菖蒲あやめもすそいた姿を見たものがある、と聞く。……貴殿はいい月日の下に生れたな、と言わねばならぬように思う。あるいは一度新橋からお酌で出たのが、都合で、梅水にかわったともいうが、いまにおいてはつまびらかでない。ただ不思議なのは、さばかりの容色きりょうで、その年まで、いまだ浮気、あらわに言えば、旦那があったうわさを聞かぬ。ほかは知らない、あのすなおな細い鼻と、口許がうそを言わぬ。――お誓さんは処女だろう……(しばらく)――これは小県銑吉の言うところである。
 十六か七の時、ただ一度――場所は築地だ、家は懐石、人も多いに、台所から出入りの牛乳屋ちちやの小僧が附ぶみをした事のあるのを、最も古くから、お誓を贔屓ひいきの年配者、あたまのきれいにげた粋人が知っている。梅水の主人夫婦も、座興のように話をする。ゆらの戸の歌ではなけれど、この恋の行方は分らない。が、対手あいてが牛乳屋の小僧だけに、天使と牧童のお伽話とぎばなしを聞く気がする。ただその玉章たまずさは、お誓の内証ないしょの針箱にいまも秘めてあるらしい。……
「……一生のねがいに、見たいものですな。」
「お見せしましょうか。」
「恐らく不老長寿の薬になる――近頃はやる、性の補強剤に効能のまさること万々だろう。」
「そうでしょうか。」
 その頬が、白く、涼しい。
「見せろよ。」
 低い声の澄んだ調子で、
「ほほほ。」
 と莞爾にっこり
 その口許の左へ軽くしまるのを見るがいい。……座敷へ持出さないことは言うまでもない。
 色気の有無ほどが不可解である。ある種のうつくしいものは、神がおしんで人に与えない説がある。なるほどそういえば、一方円満柔和な婦人に、菩薩相ぼさつそうというのがある。続いて尼僧顔がないでもあるまい。それに対して、お誓の処女づくって、血の清澄明晰せいしょうめいせきな風情に、何となく上等の神巫みこ麗女たおやめの面影が立つ。
 ――われ知らず、銑吉のかくれた意識に、おのずから、毒虫の毒から救われた、うつくしい神巫おみこの影が映るのであろう。――
 おお美わしのおとめよ、と賽銭さいせんに、二百金、現に三百金ほどを包んで、袖にていするものさえある。が、お誓はいつも、そのままお帳場へ持って下って、おかみさんの前で、こんなもの。すぐ、おかみさんが、つッと出て、お給仕料は、おきまりだけ御勘定の中に頂いてありますから。……これでは、玉の手を握ろう、もみはかまを引こうと、乗出し、泳上る自信のやからこうべを、幣結しでゆうたさかきをもって、そのあしきを払うようなものである。
 いわんや、銑吉のごとき、お月掛なみの氏子うじこをや。
 その志を、あわれむ男が、いくらかおもいを通わせてやろうという気で。……
「小県の惚れ方は大変だよ。」
「…………」
「嬉しいだろう。」
「ええ。」
 目で、ツンと澄まして、うけ口をちょっとしめて、莞爾にっこり……
「嬉しいですわ。」
 しかも、銑吉が同座で居た。
 余計な事だが――一説がある。お誓はうまれが東京だというのに「嬉しいですわ。」は、おかしい。この言葉づかいは、銀座あるきの紳士、学生、もっぱら映画の弁士などが、わざと粋がって「避暑に行ったです。」「アルプスへ上るです。」と使用するが、元来はなまりである。恋われて――いやな言葉づかいだが――挨拶あいさつをするのに、「嬉しいですわ。」は、嬉しくない、と言うのである。
 紳士、学生、あえて映画の弁士とは限らない。梅水の主人は趣味があまねく、客が八方に広いから、多方面の芸術家、画家、彫刻家、医、文、法、理工の学士、博士、俳優、いずれの道にも、知名の人物が少くない。揃った事は、婦人科、小児科、歯科もある。申しおくれました、作家、劇作家も勿論ある。そこで、この面々が、年齢の老若にかかわらず、東京ばかりではない。のみならず、ことさらに、江戸がるのを毛嫌いして「そうです。」「のむです。」をる名士が少くない。純情無垢むくな素質であるほど、ついそのなまりがお誓にうつる。
 浅草寺の天井の絵の天人が、蓮華のたらいで、肌脱ぎの化粧をしながら、「こウ雲助どう、こんたア、きょう下界へでさっしゃるなら、京橋の仙女香を、とって来ておくんなんし、これサ乙女や、なによウふざけるのだ、きりきりきょうでえをだしておかねえか。」(○註に、けわいざか――実は吉原――近所だけか、おかしなことばが、うつッていたまう、)と洒落しゃれつつ敬意を表した、著作の実例がある。遺憾いかんながら「嬉しいですわ。」とはかいてない。けれども、その趣はわかると思う。またそれよりも、真珠の首飾見たようなものを、ちょっと、脇の下へずらして、乳首をかくしたはだを、お望みの方は、文政壬辰みずのえたつ新板、柳亭種彦作、歌川国貞えがく――奇妙頂礼きみょうちょうらい地蔵の道行――を、ご一覧になるがいい。
 通り一遍の客ではなく、梅水の馴染なじみで、昔からの贔屓ひいき連が、六七十人、多い時は百人に余る大一座で、すき焼で、心置かず隔てのない月並の会……というと、俳人には禁句らしいが、そこらは凡杯で悟っているから、一向に頓着とんじゃくしない。先輩、また友達に誘われた新参で。……やっと一昨年の秋頃だから、まだ馴染も重ならないのに、のっけから岡惚れした。
「お誓さん。」
「誓ちゃん。」
「よう、誓の字。」
 いや、どうも引手あまたで。大連が一台ずつ、黒塗り真円まんまるな大円卓を、ぐるりと輪形に陣取って、清正公には極内ごくないだけれども、これを蛇の目の陣ととなえ、すきを取って平らげること、焼山越やけやまごえ蠎蛇うわばみの比にあらず、朝鮮蔚山うるさんの敵軍へ、大砲を打込むばかり、油の黒煙を立てるなかで、お誓を呼立つること、矢叫びに相斉あいひとしい。名を知らぬものまで、白く咲いて楚々そそとした花には騒ぐ。
 巨匠にして、超人と称えらるる、ある洋画家が、わが、名によって、お誓をひき寄せ、銑吉をかたわらにして、
「お誓さんに是非というのだ、この人に酌をしておあげなさい。」
「はい。」
 が、また娘分に仕立てられても、奉公人の謙譲があって、出過ぎた酒場バアの給仕とは心得が違うし、おなじ勤めでも、芸者より一歩退さがって可憐しおらしい。
「はい、お酌……」
「感謝します、本懐であります。」
 景物なしの地位ぐらいに、句が抜けたほど、嬉しがったうちはいい。
 少し心安くなると、蛇の目の陣におそれをなし、山のの霧に落ちて行く――※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じょうろうのような優姿やさすがたに、野声のごえを放って、
「お誓さん、お誓さん。姉さん、あねご、大姐ご。」
 立てごかしに、手繰りよせると、酔った赤づらの目が、とろんこで、
「お酌を頼む。是非一つ。」
 このねだりものの溌猴わるざる、魔界の艶夫人に、芭蕉扇を、貸さずば、奪わむ、とする擬勢をあらわす。……博識にしてお心得のある方々は、この趣を、希臘ギリシア羅馬ロオマの神話、印度の譬諭経ひゆきょうにでもお求めありたい。ここでは手近な絵本西遊記でらちをあける。が、ただ先哲、孫呉空は、※(「虫+焦」、第4水準2-87-89)螟虫ごまむしと変じて、夫人の腹中に飛び込んで、痛快にその臓腑ぞうふえぐるのである。末法の凡俳は、咽喉のどまでも行かない、唇に触れたら酸漿ほおずきたねともならず、とろけちまおう。
 ついでに、おかしな話がある。六七人と銑吉がこの近所の名代の天麸羅てんぷらで、したたかにくらい且つ飲んで、腹こなしに、ぞろぞろと歩行あるき出して、つい梅水の長く続いた黒塀に通りかかった。
 盛り場でもともしびを沈め、塀の中は植込でしんと暗い。処で、相談を掛けてみたとか、掛けてみるまでもなかったとかいう。……天麸羅のあとで、ヒレの大切れのすき焼は、なかなか、幕下でも、前頭でも、番附か逸話に名の出るほどの人物でなくてはあしらい兼ねる。素通りをすることになった。遺憾さに、内は広し、座敷は多し、程は遠い……
「お誓さん。」
 黒塀を――惚れた女に洋杖ステッキは当てられない――ななめに、トンと腕で当てた。当てると、そのまくれた二の腕に、お誓のはだが透通って、真白まっしろに見えたというのである。
 銑吉の馬鹿を表わすより、これには、お誓の容色の趣をしのばせるものがあるであろう。
 ざっと、かくの次第であった処――好事魔多しというではなけれど、右の溌猴わるざるは、心さわがしく、性急だから、人さきにあいに出掛けて、ひとつ蛇の目を取巻くのに、たびかさなるに従って、自然とおなじ顔が集るが、星座のこの分野に当っては、すなわち夜這星よばいぼし真先まっさきに出向いて、どこの会でも、大抵点燈頃ひともしごろが寸法であるのに、いつも暮まえ早くから大広間の天井下に、一つ光って……いや、光らずに、ぽつんと黒く、流れている。
 勿論、ここへお誓が、天女のよそおいで、雲に白足袋で出て来るような待遇では決してない。
 その愚劣さをあわれんで、この分野の客星たちは、ほかより早く、輝いてあらわれる。輝くばかりで、やがて他の大一座が酒池肉林となっても、ここばかりは、畳にわらびが生えそうに見える。通りかかった女中に催促すると、は、とばかりで、それきり、寄りつかぬ。中でも活溌なのは、お誓さんでなくってはねえ、ビイーとれてしまう。またそのお誓はお誓で、まず、ほかほかへ皿小鉢、銚子ちょうしを運ぶと、おかどが違いましょう。で、知りませんと、鼻をつまらせ加減に、含羞はにかんで、つい、と退くが、そのままでは夜這星の方へ来にくくなって、どこへか隠れる。ついお銚子が遅くなって、巻煙草の吸殻ばかりがうずたかい。
 何となく、ために気がとがめて、というのが、会が月の末に当るので、懐中ふところ勘定によったかも分らぬ。一度、二度と間を置くうち、去年七月の末から、梅水が……これも近頃各所で行われる……近くは鎌倉、熱海。また軽井沢などへ夏季の出店でみせをする。いやどこも不景気で、大したほまちにはならないそうだけれど、差引一ぱいに行けば、家族が、一夏避暑をする儲けがある。梅水は富士の裾野すその――御殿場へ出張した。
 そこへ、お誓が手伝いに出向いたと聞いて、がっかりして、峰は白雪、ふもとは霞だろう、とそのまま夜這星の流れて消えたのが――もう一度いおう――去年の七月の末頃であった。
 この、六月――いまに至るまで、それ切り、その消息を知らなかったのである。
 もし梅水の出店をしたのが、近い処は、房総地方、あるいは軽井沢、日光――塩原ならばいうまでもない。地の利によらないことは、それが木曾路でも、ふとすると、こんな処で、どうした拍子、何かの縁で、おなじ人に、逢うまじきものでもない、と思ったろう。
 仏蘭西フランスの港で顔を見たより、瑞西スウィッツルの山で出会ったのより、思掛けなさはあまりであったが――ここに古寺の観世音の前に、紅白の絹に添えた扇子おうぎの名は、築地の黒塀を隔てた時のようではない。まのあたりその人に逢ったようで、単衣ひとえの袖も寒いほど、しみじみと、じった。

 たちまち、たいまつのごとく燃ゆる、おもほてりを激しく感じた。
 爺さんが、庫裡くりから取って来た、燈明の火が、ちらちらと、
「やあ、見るもんじゃねえ。」
 その、扇子を引ったくると、
「あなたよ、こんなものを置いとくだ。」
 と叱るようにいって、開いたまま、その薄色の扇子で、木魚を伏せた。
 きまりも悪いし、叱られたわんぱくが、ふてたように、わざとらしく祝していった。
「上へのっけられたより、扇で木魚を伏せた方が、女が勝ったようで嬉しいよ。」
「勝つも負けるも、女は受身だ。隠すにも隠されましねえ。」
 どかりと尻をつくと、鼻をすすって、しくしくと泣出した。
 青い煙の細くなびく、蝋燭の香のなかに、さっきから打ちかさねて、ものの様子が、思わぬかくし事に懐姙かいにんしたか、また産後か、おせい、といううつくしい女一人、はかなくなったか、煩ろうて死のうとするか、そのいずれか、とフト胸がせまって、涙ぐんだ目を、たちまち血の電光のごとく射たのは、林間の自動車に闖入ちんにゅうした、五体個々にして、しかもうねつながった赤色の夜叉やしゃである。渠等かれらこそ、山を貫き、谷を穿うがって、うつくしい犠牲をるらん。飛天の銃は、あの、清く美しい白鷺を狙うらしく想わるるとともに、激毒をふくんだ霊鳥は、渠等に対していかなる防禦をするであろう、神話のごとき戦は、今日のうちにも開かるるであろう。明神の晴れたる森は、たちまち黒雲におおわるるであろうも知れない。
 銑吉は、少からず、猟奇の心に駆られたのである。
 同時にお誓がうつくしき鳥と、おなじ境遇に置かるるもののように、と胸を打たれて、ぞっとした。その時、小枝が揺れて、卯の花が、しろじろと、細く白い手のように、銑吉の膝にすがった。

昭和八(一九三三)年一月




 



底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年3月27日作成
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