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灯明之巻(とうみょうのまき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:41:43  点击:  切换到繁體中文



       三

 西明寺さいみょうじ――もとこの寺は、松平氏が旧領石州から奉搬の伝来で、土地の町村に檀家だんかがない。従って盆暮のつけ届け、早い話がおとむらい一つない。如法にょほうの貧地で、堂も庫裡も荒れ放題。いずれ旧藩中ばかりの石碑だが、こけかねば、紋も分らぬ。その墓地の図面と、過去帳は、和尚が大切にしているが、あいにく留守。……
 墓参のよしを聴いて爺さんが言ったのである。
「ほか寺の仏事の手伝いやら托鉢たくはつやらで、こちとら同様、細い煙を立てていなさるでなす。」
 あいにく留守だが、そこは雲水、風の加減で、ふわりと帰る事もあろう。
「まあ一服さっせえまし、和尚様とは親類づきあい、渋茶をいれて進ぜますで。」
 とにかく、いい人に逢った。爺さんは、旧藩士ででもあんなさるかと聞くと、
「孫八とこいて、いやはや、若い時から、やくざでがしての。縁は異なもの、はッはッはッ。お前様、曾祖父様ひいじいさまや、祖父様の背戸畑で、落穂を拾った事もあんべい。――鼠棚ねずみだな捜いて麦こがしでも進ぜますだ。」
 ともなわれて庫裡にる――奥州片原の土地の名も、この荒寺では、鼠棚がふさわしい。いたずらものが勝手に出入ではいりをしそうな虫くい棚の上に、さっきから古木魚が一つあった。音も、形も馴染なじみのものだが、仏具だから、俗家の小県は幼いいたずら時にもまだ持って見たことがない。手頃なのは大抵想像は付くけれども、かこみほとんど二尺、これだけの大きさだと、どのくらい重量めかたがあろうか。普通は、本堂に、香華こうげの花と、香のにおいと明滅する処に、章魚たこ胡坐あぐらで構えていて、おどかして言えば、海坊主の坐禅のごとし。……辻の地蔵尊の涎掛よだれかけをはぎ合わせたような蒲団ふとんが敷いてある。ところを、大木魚の下に、ヒヤリと目に涼しい、薄色の、一目見てまがう方なき女持ちの提紙入ハンドバックで。白い桔梗ききょうと、水紅色ときいろ常夏とこなつ、と思ったのが、その二色ふたいろの、花の鉄線かずらを刺繍ししゅうした、銀座むきの至極当世な持もので、花はきりりとしているが、葉もつるも弱々しく、中のものも角ばらず、なよなよと、木魚の下すべりに、優しい女の、帯の端を引伏せられたように見えるのであった。
 はじめ小県が、ここの崖を、墓地へ下りる以前に、寺の庫裡をのぞいた時、人気ひとけも、火の気もない、炉のそばに一段高く破れ落ちた壁の穴の前に、この帯らしいものを見つけて、うつくしい女の、その腰は、袖は、あらわな白い肩は、壁外にさかさになって、蜘蛛くもの巣がらみに、蒼白あおじろくくくられてでもいそうに思った。
 瞬間の幻視である。手提てさげはすぐ分った。が、この荒寺、思いのほか、陰寂な無人ぶじん僻地へきちで――頼もう――を我が耳で聞返したほどであったから。……

私の隣の松さんは、熊野へ参ると、髪うて、
熊野の道で日が暮れて、
あと見りゃおそろしい、先見りゃこわい。
先の河原で宿取ろか、跡の河原で宿取ろか。
さきの河原で宿取って、なまずが出て、押えて、
手で取りゃ可愛いし、足で取りゃ可愛いし、
杓子しゃくしですくうて、線香せんこになって、燈心でくくって、
仏様のうしろで、一切ひときれ食や、うまし、二切食や、うまし……

 紀州の毬唄まりうたで、隠微な残虐ざんぎゃくの暗示がある。むかし、熊野もうでの山道に行暮れて、古寺に宿を借りた、若い娘が燈心で括って線香で担って、鯰を食べたのではない。鯰の方が若い娘を、……あとは言わずともかろう。例証は、遠く、今昔物語、詣鳥部寺女のはなしにある、と小県はかねて聞いていた。
 紀州を尋ねるまでもなかろう。

……今年はじめて花見に出たら、寺の和尚に抱きとめられて、
高い縁から突落されて、こうがい落し、小枕こまくら落し……

 古寺の光景は、異様な衝動でかれを打った。
 普通、草双紙なり、読本なり、現代一種の伝奇においても、かかる場合には、たまたまきたって、騎士ナイトがかの女を救うべきである。が、こしらえものより毬唄の方が、現実を曝露ばくろして、――女はすみやかしえたげられているらしい。
 同時に、愛惜あいじゃくの念に堪えない。ものあわれな女が、一切食われ一切食われ、木魚におさひしがれた、……その手提に見入っていたが、腹のすいたおおかみのように庫裡へ首を突込つっこんでいていものか。何となく、心ゆかしに持っていた折鞄おりかばんを、縁側ずれに炉の方へ押入れた。それから、卵塔の草を分けたのであった。――一つは、鞄を提げて墓詣はかまいりをするのは、事務を扱うようで気がさしたからであった。
 今もある。……木魚の下に、そのままの涼しい夏草と、ちょろはげの鞄とを見較みくらべながら、
「――またその何ですよ。……待っていられては気忙きぜわしいから、帰りは帰りとして、自然、それまでにほかの客がなかったらお世話になろう。――どうせひまだからいつまでも待とうと云うのを――そういってね、一旦いったん運転手に分れた――こっちの町尽頭はずれの、茶店……酒場バアか。……ざっとまあ、饂飩屋うどんやだ。それからは、見た目にも道わるで、無理に自動車を通した処で、歩行あるくより難儀らしいから下りたんですがね――饂飩酒場うどんバアの女給も、女房かみさんらしいのも――その赤い一行は、さあ、何だか分らない、と言う。しかし、お小姓に、太刀のように鉄砲を持たしていれば、大将様だ。大方、魔ものか、変化にでも挨拶あいさつくのだろう、と言うんです。
 魔ものだの、変化だのに、挨拶は変だ、と思ったが、あとで気がつくと、女れんは、うわさのある怪しいことに、恐しくおびえていて、陰でも、退治たいじるの、生捉いけどるのとは言いはばかったものらしい。がまあ、この辺にそんなものが居るのかね。……運転手は笑っていたが、私は真面目さ。何でも、この山奥に大沼というのがある?……ありますか、お爺さん。」
「あるだ。」
 その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。
「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体もったいつけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえだがなす、むかしから、それを逢魔沼おうまぬまと云うほどでの、樹木が森々しんしんとしてすごいでや、めったに人が行がねえもんだで、山奥々々というだがね。」
 と額を暗く俯向うつむいた。が、煙管きせるを落して、門――いや、門も何もない、前通りの草のこみちを、向うの原越しに、差覗さしのぞくがごとく、指をさし、
「あの山を一つ背後うしろへ越した処だで、沢山たんと遠い処ではねえが。」
 と言う。
 その向う山の頂に、杉ひのきの森に包まれた、堂、やしろらしい一地がある。
「……途中でも、気が着いたが。」
 水の影でも映りそうに、その空なるは水色に澄んで青い。
「沼は、あの奥に当るのかね。」
「えへい、まあ、その辺の見当ずら。」
 と、掌をもじゃもじゃと振るのが、枯葉が乱れて、その頂の森を掻乱かきみだすように見え、
「何かね、その赤い化もの……」
「赤いのが化けものじゃあない――お爺さん。」
「はあ、そうけえ。」
 と妙に気の抜けた返事をする。
「……だから、私が――じゃあ、その阿武沼、逢魔沼か。そこへ、あの連中は行ったんだろうか、沼には変った……何か、可恐おそろしい、可怪あやしい事でもあるのかね。饂飩酒場の女房が、いいえ、沼には牛鬼が居るとも、大蛇おろちが出るとも、そんな風説うわさは近頃では聞きませんが、いやな事は、このさきの街道――なわての中にあった、というんだよ。寺の前を通る道は、古い水戸街道なんだそうだね。」
「はあ、そうでなす。」
「ぬかるみを目の前にして……さあ、出掛けよう。で、ここへ私が来る道だ。何が出ようとこの真昼間まっぴるま、気にはしないが、もの好きに、どんな可恐おそろしい事があったと聞くと、女給と顔を見合わせてね、旦那だんな、殿方には何でもないよ。アハハハと笑って、陽気におどかす……その、その辺を女が通ると、ひとりでに押孕おっぱらむ……」
「馬鹿あこけ、あいつ等。」
 と額にびくびくとしわを刻み、痩腕やせうで突張つっぱって、爺は、彫刻のように堅くなったが、
「あッはッはッ。」
 唐突だしぬけに笑出した。
「あッはッはッ。」
 たちまち口にふたをして、
「ここは噴出す処でねえ。麦こがしが消飛けしとぶでや、お前様もやらっせえ、和尚様の塩加減が出来とるで。」
 欠茶碗にもりつけた麦こがしを、しきりに前刻さっきから、たばせた。が、さじ附木つけぎもえさしである。
「ええ塩梅あんばいだ。さあ、やらっせえ、さ。」
 い候え、と言うのである。これを思うと、木曾殿の、掻食わせた無塩ぶえん平茸ひらたけは、碧澗へきかんあつものであろう。が、爺さんの竈禿くどはげ針白髪はりしらがは、阿倍の遺臣のがいがあった。
「お前様の前だがの、女が通ると、ひとりで孕むなぞと、うそにも女の身になったらどうだんべいなす、聞かねえ分で居さっせえまし。優しげな、情合じょうあいの深い、旦那、お前様だ。」
「いや、恥かしい、情があるの、何のと言って。墓詣りは、誰でもする。」
「いや、そればかりではねえ。――知っとるだ。お前様は人間扱いに、畜類にものを言わしったろ。」
「畜類に。」
「おお、さぎによ。」
「鷺に。」
「白鷺に。なわてさ来る途中でよ。」
「ああ、知ってるのかい、それはどうも。」

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