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灯明之巻(とうみょうのまき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:41:43  点击:  切换到繁體中文



       二

 小県凡杯は、はじめて旅をした松島で、着いた晩と、あくる日を降籠ふりこめられた。景色は雨にうずもれて、かまどにくべた生薪なままきのいぶったような心地がする。屋根の下の観光は、瑞巌寺ずいがんじの大将、しかもかためにらまれたくらいのもので、何のために奥州へ出向いたのか分らない。日も、懐中ふところも、切詰めた都合があるから、三日めの朝、旅籠屋はたごやを出で立つと、途中から、からりとした上天気。
 奥羽線の松島へ戻る途中、あの筋には妙に豆府屋が多い……と聞く。その油揚が陽炎かげろうを軒に立てて、豆府のような白い雲が蒼空あおぞらに舞っていた。
 おかしな思出はそれぐらいで、白河近くなるにつれて、東京から来がけには、同じ処でがふけて、やっぱりざんざぶりだった、雨の停車場ステエションの出はずれに、薄ぼやけた、うどんの行燈あんどう。雨脚も白く、真盛まっさかりのの花が波を打って、すぐの田畝たんぼがあたかも湖のように拡がって、かえるの声が流れていた。これあるがためか、と思ったまで、雨の白河は懐しい。都をば霞とともに出でしかど……一首を読むのに、あの洒落しゃれものの坊さんが、頭を天日にさらしたというのを思出す……「意気な人だ。」とうっかり、あみ棚に預けた夏帽子の下で素頭すこうべたたくと、小県はひとりでうっかり笑った。ちょっと駅へ下りてみたくなったのだそうである。
 そこで、はじめて気がついたと云うのでは、まことに礼を失するに当る。が、ふとこの城下を離れた、片原というのは、かれの祖先の墳墓の地である。
 海も山も、ひとしく遠い。小県凡杯は――北国ほっこくの産で、父も母もその処の土となった。が、曾祖、祖父、祖母、なおその一族が、それか、あらぬか、あの雲、あの土の下に眠った事を、昔話のように聞いていた。
 ――家は、もと川越かわごえの藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。石州浜田六万四千石……船つきのみなとを抱えて、内福の聞こえのあった松平某氏なにがしが、仔細しさいあって、ここの片原五万四千石、――遠僻えんぺきの荒地に国がえとなった。後に再び川越に転封てんぽうされ、そのまま幕末に遭遇した、流転の間に落ちこぼれた一藩の人々の遺骨、残骸ざんがいが、草に倒れているのである。
 心ばかりの手向たむけをしよう。
 不了簡ふりょうけんな、凡杯も、ここで、本名の銑吉せんきちとなると、妙に心があらたまる。すすつらも洗おうし、土地の模様も聞こうし……で、駅前の旅館へ便たよった。
「姉さん、風呂には及ばないが、顔が洗いたい。手水ちょうず……何、洗面所を教えておくれ。それから、午飯おひるを頼む。ざっとでいい。」
 二階座敷で、遅めの午飯をしたためる間に、様子を聞くと、めざす場所――片原は、五里半、かれこれ六里遠い。――
 鉄道はある、が地方のだし、大分時間がかかるらしい。
 自動車の便はたやすく得られて、しかも、旅館の隣が自動車屋だと聞いたから、価値ねだんを聞くと、思いのほかれんであった。
「早速一台頼んでおくれ。……このちょっとしたものだが、荷物は預けて行きたいと思う。……成るべく、日暮までに帰って、すぐ東京へ立ちたいのだがね、時間の都合で遅くなったら一晩厄介になるとして――勘定はその時と――自動車は、ああ、成程隣りだ。では、世話なしだ、いや、お世話でした。」
 表階子おもてはしごを下りかけて、
「ねえさん。」
「へい。」
「片原に、おっこち……こいつ、棚から牡丹餅ぼたもちときこえるか。――恋人でもあったら言伝ことづけを頼まれようかね。」
「いやだ、知りましねえよ、そんげなこと。」
「ああ、自動車屋さん、御苦労です。ところで、料金だが、間違はあるまいね。」
「はい。」
 とうやうやしく帽を脱いだ、近頃は地方の方が夏帽になるのが早い。セルロイドの目金めがねを掛けている。
「ええ、大割引で勉強をしとるです。で、その、ちょっとあらかじめ御諒解を得ておきたいのですが、お客様が小人数こにんずで、車台が透いております場合は、途中、田舎道、あるいは農家から、便宜上、その同乗を求めらるる客人がありますと、御迷惑を願う事になっているのでありますが。」
「ははあ、そんな事だろうと思った。どうもお値段の塩梅あんばいがね。」
 女中も帳場も皆笑った。
 ロイドめがねを真円まんまるに、運転手は生真面目きまじめで、
「多分の料金をお支払いの上、お客様がですな、一人で買切っておいでになりましても、途中、その同乗を求むるものをたって謝絶いたしますと、独占的ブルジョアの横暴ででもありますかのように、階級意識を刺戟しまして――土地が狭いもんですから――われわれをはじめ、お客様にも、敵意を持たれますというと、何かにつけて、不便宜、不利益であります処から。……は。」
「分りました、ごもっともです。」
「ですが、沿道は、全く人通りが少いのでして、乗合といってもめったにはありません。からして、お客様には、事実、御利益になっておりますのでして。」
「いや、損をしても構いません。妙齢としごろの娘か、年増の別嬪べっぴんだと、かえってこっちから願いたいよ。」
「……運転手さん、こちらはね、片原へ恋人に逢いにいらっしゃったんだそうですから。」
 しっぺい返しに、女中にトンと背中を一つ、くらわされて、そのはずみに、ひょいと乗った。元来おもみのある客ではない。
「へい御機嫌よう……お早く、お帰りにどうぞ。」
 番頭の愛想を聞流しに乗って出た。
 おしいかな、阿武隈あぶくま川の川筋は通らなかった。が、県道へかかって、しばらくすると、道の左右は、一様に青葉して、こずえが深く、枝が茂った。一里ゆき、二里ゆき、三里ゆき、思いのほか、田畑も見えず、ほとんど森林地帯をはしる。……
 座席の青いのに、濃い緑が色を合わせて、日の光は、ちらちらと銀の蝶の形して、影も翼も薄青い。
 じん、時々飛々とびとびに数えるほどで、自動車の音は高く立ちながら、鳴くはもとより、ともすると、驚いて飛ぶ鳥の羽音が聞こえた。
 一二軒、また二三軒。山吹、さつきが、淡いあかに、薄い黄に、その背戸、垣根に咲くのが、森の中のがあけかかるように目に映ると、同時に、そこに言合せたごとく、人影があらわれて、かどに立ち、まがきに立つ。
 村人よ、里人よ。その姿の、わだちの陰にかくれるのが、なごりおしいほど、道は次第に寂しい。
 宿に外套がいとうを預けて来たのが、不用意だったと思うばかり、小県は、幾度いくたびも襟を引合わせ、引合わせしたそうである。
 この森の中をくような道は、起伏凹凸が少く、たいらだった。がしかし、自動車の波動の自然に起るのが、波に揺らるるようで便りない。ほこりたず、雨のあとの樹立こだちの下は、もちろん濡色がはるかに通っていた。だから、たまに行逢う人も、その村の家も、ただ漂々蕩々とうとうとして陰気な波に揺られて、あとへ、あとへ、漂って消えてくから、峠の上下うえした、並木の往来で、ゆき迎え、また立顧みる、旅人同士とは品かわって、世をかえても再び相逢うすべのないような心細さが身にみたのであった。
 かあ、かあ、かあ、かあ。
 鈍くて、濁って、うら悲しく、明るいようで、もの陰気で。
「烏がなくなあ。」
「群れておるです。」
 運転手は何を思ったか、口笛を高く吹いて、
「首くくりでもなけりゃいいが、道端の枝に……いやだな。」
 うっかり緩めた把手ハンドルに、と動きを掛けた時である。ものの二三町は瞬く間だ。あたかもその距離の前途ゆくての右側に、真赤まっかな人のなりがふらふらと立揚たちあがった。天象、地気、草木、この時に当って、人事に属する、赤いものと言えば、読者は直ちに田舎娘のおば見舞か、酌婦の道行振みちゆきぶりを瞳に描かるるであろう。いや、いや、そうでない。
 そこに、就中なかんずく巨大なる杉の根に、揃って、つくばっていて、いま一度に立揚ったのであるが、ちらりと見た時は、下草をぬいて燃ゆる躑躅つつじであろう――また人家がある、と可懐なつかしかった。
 自動車がハタと留まって、窓を赤くおおうまで、むくむくと人数にんずが立ちはだかった時も、ひとしく、躑躅の根から湧上わきあがったもののように思われた。五人――その四人は少年である。……とし十一二三ばかり。皆真赤なランニング襯衣しゃつで、赤い運動帽子をかぶっている。彼等を率いた頭目らしいのは、独り、年配五十にも余るであろう。脊の高い瘠男やせおとこの、おなじ毛糸の赤襯衣を着込んだのが、法衣ころもらしい、坊主袖の、ぶわぶわするのを上にまとって、すねを赤色の巻きゲエトル。赤革の靴を穿き、あまつさえ、リボンでも飾ったさまに赤木綿のおおいを掛け、赤いきれで、みしと包んだヘルメット帽を目深まぶかに被った。……
 頤骨あごぼねとがり、頬がこけ、無性髯ぶしょうひげがざらざらとあらく黄味を帯び、その蒼黒あおぐろ面色かおいろの、鈎鼻かぎばなが尖って、ツンとたかく、小鼻ばかり光沢つやがあって蝋色ろういろに白い。まなじりが釣り、目が鋭く、血の筋が走って、そのヘルメット帽の深い下には、すべての形容について、角が生えていそうで不気味に見えた。
 この頭目、赤色せきしょくの指導者が、無遠慮に自動車へ入ろうとして、ぎろりと我が銑吉をて、むなさきで、ぎしと骨張った指を組んで合掌した……変だ。が、これが礼らしい。加うるに慇懃いんぎんなる会釈だろう。けれども、この恭屈頂礼をされた方は――また勿論されるわけもないが――胸を引掻ひっかいて、はらわたでも※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしるのに、引導を渡されでもしたようで、腹へ風がとおって、ぞッとした。
 すなわち、手を挙げるでもなし、声を掛けるでもなし、運転手に向ってもまた合掌した。そこで車を留めたが、勿論、拝む癖に傲然ごうぜんたる態度であったという。それもあとで聞いたので、小県がぞッとするまで、不思議に不快を感じたのも、赤い闖入者ちんにゅうしゃが、再び合掌して席へ着き、近々と顔を合せてからの事であった。樹から湧こうが、葉から降ろうが、四人の赤い子供を連れた、その意匠、右の趣向の、ちんどん屋……と奥筋でもとなうるかどうかは知らない、一種広告隊の、林道を穿うがって、赤五点、赤長短、赤大小、点々として顕われたものであろう、と思ったと言うのである。
 が、すぐその間違いが分った。客と、銑吉との間へ入って腰を掛けた、中でも、脊のひょろりと高い、色の白い美童だが、かんの虫のせいであろう、……優しい眉と、細い目の、ぴりぴりと昆虫の触角のごとく絶えず動くのが、何の級に属するか分らない、折って畳んだ、猟銃の赤なめしの袋に包んだのを肩にななめに掛けている。且つこれは、乗込もうとする車の外で、ほかの少年の手から受取って持替えたものであった。そうして、栗鼠りすが(註、この篇の談者、小県凡杯は、兎のように、と云ったのであるが、兎は私が贔屓ひいきだから、栗鼠にしておく。)後脚あとあしで飛ぶごとく、嬉しそうに、ねつつ飛込んで、腰を掛けても、その、ぴょん、がまないではずんでいた。
 ――後に、四童、一老が、自動車を辞し去った時は、ずんぐりとして、それは熊のように、色の真黒まっくろな子供が、手がわりに銃を受取るとひとしく、むくむく、もこもこと、踊躍ようやくして降りたのを思うと、一具の銃は、一行の名誉と、衿飾きんしょくの、旗表はたじるしであったらしい。
 猟期は過ぎている。まさか、子供を使って、洋刀ナイフや空気銃の宣伝をするのではあるまい。
 いずれ仔細しさいがあるであろう。
 ロイドめがねの黒い柄を、耳のさきに、?のように、振向いて運転手が、
「どちらですか。」
「ええ処で降りるんじゃ。」
 と威圧するごとくに答えながら、双手を挙げて子供等を制した。栗鼠ばかりでない。あと三個も、補助席二脚へ揉合もみあって[#「揉合もみあって」は底本では「揉合もみあつて」]乗るとひとしく、肩を組む、頬を合わせる、耳を引張ひっぱる、真赤まっか洲浜形すはまがたに、鳥打帽を押合って騒いでいたから。
 いましめは顕われ、しつけは見えた。いまその一弾指のもとに、子供等は、ひっそりとして、エンジンの音立処たちどころに高く響くあるのみ。そのしずかさは小県ただ一人の時よりも寂然ひっそりとした。
 なぜか息苦しい。
 赤い客はしわぶき一つしないのである。
 小県は窓を開放って、立続たてつけて巻莨まきたばこを吹かした。
 しかし、硝子がらすを飛び、風にいて、うしろざまに、緑林になびく煙は、我が単衣ひとえの紺のかすりになって散らずして、かえって一抹いちまつ赤気せっきはらんで、異類異形に乱れたのである。
「きみ、きみ、まだなかなかかい。」
「屋根が見えるでしょう――白壁が見えました。」
「留まれ。」
 その町の端頭はずれと思う、林道の入口の右側の角に当る……人はまぬらしい、壊屋こわれやの横羽目に、乾草ほしくさ粗朶そだうずたかい。その上に、おしむべし杉の酒林さかばやしの落ちて転んだのが見える、わきがすぐ空地の、草の上へ、赤い子供の四人が出て、きちんと並ぶと、緋の法衣ころもの脊高が、枯れた杉の木のゆらぐごとく、すくすくと通るに従って、一列に直って、裏の山へ、夏草のこみちを縫ってく――この時だ。一番あとのずんぐり童子が、銃をになった嬉しさだろう、真赤なおおきしりを、むくむくと振って、肩で踊って、
「わあい。」
 と馬鹿調子のどら声を放す。
 ひょろ長い美少年が、
「おうい。」
 と途轍とてつもない奇声を揚げた。
 同時に、うしろ向きの赤い袖がひるがえって、頭目はてのひらを口に当てた、声をおさえたのではない、笛を含んだらしい。ヒュウ、ヒュウと響くと、たちまちしずかに、粛々として続いてく。
 すぐに、山の根に取着いた。が草深い雑木の根を、縦に貫く一列は、殿しんがりの尾の、ずんぐり、ぶつりとした大赤楝蛇おおやまかがしうねるようで、あのヘルメットが鎌首によく似ている。
 見る間に、山腹の真黒まっくろ一叢ひとむら竹藪たけやぶくぐって隠れた時、
「やーい。」
「おーい。」
 ヒュウ、ヒュウとかすかに聞こえた。なぜか、その笛に魅せられて、少年等が、別の世、別の都、別の町、あやしきかくれ里へさらわれてきそうで、悪酒に酔ったように、凡杯の胸はふさがった。
 自動車たるべきものが、スピイドを何とした。
 茫然ぼうぜんとしたさまして、運転手が、汚れた手袋の指の破れたのをじっている。――掌に、銀貨が五六枚、キラキラと光ったのであった。

「――お爺さん、何だろうね。」
「…………」
「私も、運転手も、現に見たんだが。」
「さればなす……」
 と、爺さんは、粉煙草こなたばこを、三度ばかりに火皿の大きなのにつまみ入れた。
 ……根太の抜けた、荒寺の庫裡くりに、炉の縁で。……

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