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旅僧(たびそう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:38:29  点击:  切换到繁體中文

底本: 鏡花全集 卷二
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年9月30日
入力に使用: 1973(昭和48)年12月3日第2刷
校正に使用: 1986(昭和61)年10月3日第3刷

 

      上

 にしとしあきのはじめ、汽船きせん加能丸かのうまる百餘ひやくよ乘客じようかく搭載たふさいして、加州かしう金石かないはむかひて、越前ゑちぜん敦賀港つるがかうはつするや、一天いつてん麗朗うらゝか微風びふう船首せんしゆでて、海路かいろ平穩へいをんきはめたるにもかゝはらず、乘客じようかく面上めんじやう一片いつぺん暗愁あんしうくもかゝれり。
 けだ薄弱はくじやくなる人間にんげんは、如何いかなる場合ばあひにもおほくはおのれたのあたはざるものなるが、もつと不安心ふあんしんかんずるは海上かいじやうならむ。
 れば平日ひごろまでに臆病おくびやうならざるはいも、船出ふなでさいかく縁起えんぎいはひ、御幣ごへいかつぐもおほかり。「一人女ひとりをんな」「一人坊主ひとりばうず」は、暴風あれか、火災くわさいか、難破なんぱか、いづれにもせよ危險きけんありて、ふねおそふのてうなりと言傳いひつたへて、船頭せんどういたこれめり。其日そのひ加能丸かのうまる偶然ぐうぜんにん旅僧たびそうせたり。乘客じようかく暗愁あんしうとはなし、不祥ふしやう氣遣きづかふにぞありける。
 旅僧たびそう年紀とし四十二三、全身ぜんしんくろせて、はなたかく、まゆく、耳許みゝもとよりおとがひおとがひよりはなしたまで、みじかひげまだらひたり。けたる袈裟けさいろせて、法衣ころもそでやぶれたるが、服裝いでたちれば法華宗ほつけしうなり。甲板デツキ片隅かたすみ寂寞じやくまくとして、死灰しくわいごと趺坐ふざせり。
 加越地方かゑつちはうこと門徒眞宗もんとしんしう歸依者きえしやおほければ、船中せんちうきやくまた門徒もんと七八めたるにぞ、らぬだにいまはしきの「一人坊主ひとりばうず」の、けて氷炭ひようたん相容あひいれざる宗敵しうてきなりとおもふより、乞食こつじきごと法華僧ほつけそうは、あたか加能丸かのうまる滅亡めつばう宣告せんこくせむとて、惡魔あくまつかはしたる使者ししやとしもえたりけむ、乘客等じようかくらは二にんにん彼方あなた此方こなたひたひあつめて呶々どゞしつゝ、時々とき/″\法華僧ほつけそう流眄しりめけたり。
 旅僧たびそう冷々然れい/\ぜんとして、きこえよがしに風説うはさして惡樣あしざまのゝしこゑみゝにもれざりき。
 せめては四邊あたりこゝろきて、肩身かたみせまくすくみたらば、いさゝじよするはうもあらむ、遠慮ゑんりよもなくせきめて、落着おちつすましたるがにくしとて、乘客じようかくの一にんまへすゝみて、
御出家ごしゆつけ今日けふ御天氣おてんき如何いかゞでせうな。」
 旅僧たびそう半眼はんがんふさぎたるひらきて、
「さればさ、先刻さつきかららぬから、お天氣てんきでござらう。」とひつゝそら打仰うちあふぎて、
「はゝあ、これはまた結構けつこうなお天氣てんきで、日本晴につぽんばれふのでござる。」
 暢氣のんきなるこたへきて、かれあきれながら、
「そりや、だれだつてつてまさ、わつしたゞきふ天氣模樣てんきもやうかはつて、かぜでもきやしまいかと、それをおまをすんでさあ。」
那樣事そんなことらぬな。わし目下いま空模樣そらもやうさへおまへさんにかれたので、やつといたくらゐぢやもの。いやまたあめらうが、かぜかうが、そりやなにもお天氣次第てんきしだいぢや、此方こつちかまふこツちやいてな。」
んだことを。かぜいてたまるもんか。ふねだ、もし、私等わつしら御同樣ごどうやうふねつてるんですぜ。」
 とかれやゝいかりびて聲高こわだかになりぬ。旅僧たびそうすこしもさわがず、
成程なるほどふね暴風雨あれへば、ふねかへるとでもことかの。」
れたこツたわ。馬鹿々々ばか/\しい。」
 かれ次第しだい急込せきこむほど、旅僧たびそうますま落着おちつきぬ。
「してまたふねかへれば生命いのちおとさうかとふ、心配しんぱいかな。いやつまらぬ心配しんぱいぢや。おまへさんはなにか(人相見にんさうみ)に、水難すゐなんさうがあるとでもはれたことがありますかい。まづ/\きなさい。さもければ那樣そんなことをこはがると理窟りくつがないて。一體いつたいまへさんにかぎらず、乘合のりあひ方々かた/″\またうぢや、初手しよてからほど生命いのち危險けんのんだとおもツたら、ふねなんぞにらぬがいて。また生命いのちかまはずにツたしうなら、かぜかうが、ふねかへらうが、那樣事そんなこと頓着とんぢやくはずぢやが、見渡みわたしたところでは、誰方どなた怯氣々々びく/\ものでらるゝ樣子やうすぢやが、さて/\笑止千萬せうしせんばんな、みづおぼれやせぬかと、心配しんぱいするやうものは、みちはや平生へいぜいから、後生ごしやうひとではあるまい。
 ひと天氣てんきはうより、自分じぶんむねいてるぢやて。
おのれ難船なんせんふやうなものか、うぢや。)と、其處そこむねが、(おまへ隨分ずゐぶんつみつくつてるからうだかれぬ。)とこたへられたにや、覺悟かくごもせずばなるまい。もし(いゝやわることをしたおぼえもないから、那樣そんな氣遣きづかひちつともい。)とうありや、なん雨風あめかぜござらばござれぢや。なあ那樣そんなものではあるまいか。
 してるとおまへさんがたのおど/\するのは、こゝろ覺束おぼつかないところがあるからで、つみつくつたものえる。懺悔ざんげさつしやい、發心ほつしんして坊主ばうずにでもならつしやい。(一人坊主ひとりばうず)だとうてさわいでござるから丁度ちやうどい、だれわし弟子でしになりなさらんか、さうして二三にん坊主ぼうず出來できりや、もう(一人坊主ひとりばうず)ではなくなるから、とんんでくござらう。」
 ひつゝ法華僧ほつけそう哄然こうぜん大笑たいせうして、そのまゝ其處そこ肱枕ひぢまくらして、乘客等のりあひらがいかにいかりしか、いかにのゝしりしかを、かれねむりてらざりしなり。

        下

 かくて、數時間すうじかんたりしのち身邊あたり人聲ひとごゑさわがしきに、旅僧たびそうゆめやぶられて、ればかはやすあきそらの、何時いつしか一面いちめん掻曇かきくもりて、暗澹あんたんたるくもかたちの、すさまじき飛天夜叉ひてんやしやごときが縱横無盡じうわうむじん※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはるは、暴風雨あらしいくさもよほすならむ、その一團いちだんはやすで沿岸えんがんやまいたゞきたむろせり。
 かぜ一陣ひとしきりでて、ふね動搖どうえうやゝはげしくなりぬ。かくごと風雲ふううんは、加能丸かのうまる既往きわう航海史上かうかいしじやうめづらしからぬ現象げんしやうなれども、(一人坊主ひとりばうず)の前兆ぜんてうりて臆測おくそくせる乘客じやうかくは、かゝ現象げんしやうもつすゐすベき、風雨ふうう程度ていどよりも、むし幾十倍いくじふばいおそれいだきて、かれさへあらずば無事ぶじなるべきにと、各々おの/\わがいのちをしあまりに、そのほつするにいたるまで、怨恨うらみ骨髓こつずゐてつして、法華僧ほつけそうにくへり。
 不幸ふかうそうはつく/″\このさま※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまはし、慨然がいぜんとして、
「あゝ、末世まつせだ、なさけない。みんなみんなで、また信仰しんかうよわいといふはうしたものぢやな。此處こゝぬものか、なないものか、自分じぶん判斷はんだんをして、きるとおもへば平氣へいきし、ぬとおもしづか未來みらいかんがへて、念佛ねんぶつひとつもとなへたらうぢや、何方どつちにしたところが、わい/\さわぐことはない。はて、見苦みぐるしいわい。

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