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雪霊記事(せつれいきじ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:32:19  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成7
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年12月4日
入力に使用: 1995(平成7)年12月4日第1刷
校正に使用: 2003(平成15)年5月15日第2刷


底本の親本: 鏡花全集 第二十一卷
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1941(昭和16)年9月30日

 

     一

「このくらいな事が……何の……小児こどものうち歌留多かるたを取りに行ったと思えば――」
 越前えちぜんの府、武生たけふの、わびしい旅宿やどの、雪に埋れた軒を離れて、二町ばかりも進んだ時、吹雪に行悩みながら、私は――そう思いました。
 思いつつ推切おしきってくのであります。
 私はここから四十里余り隔たった、おなじ雪深い国に生れたので、こうした夜道を、十町や十五町歩行あるくのは何でもないと思ったのであります。
 が、そのすさまじさといったら、まるで真白まっしろな、冷い、粉の大波を泳ぐようで、風は荒海にひとしく、ごうごうとうなって、地――と云っても五六尺積った雪を、押揺おしゆすって狂うのです。
「あの時分は、脇の下に羽でも生えていたんだろう。きっとそうに違いない。身軽に雪の上へ乗って飛べるように。」
 ……でなくっては、と呼吸いきけないうちで思いました。
 九歳ここのつ十歳とおばかりのその小児こどもは、雪下駄、竹草履、それは雪のてた時、こんな晩には、柄にもない高足駄たかあしださえ穿いていたのに、転びもしないで、しかも遊びに更けた正月のの十二時過ぎなど、近所の友だちにも別れると、ただ一人で、白いやしろの広い境内も抜ければ、邸町やしきまちの白い長い土塀も通る。……ザザッ、ごうと鳴って、川波、山颪やまおろしとともに吹いて来ると、ぐるぐると廻る車輪のごとき濃く黒ずんだ雪の渦に、くるくると舞いながら、ふわふわと済まアして内へ帰った――夢ではない。が、あれは雪に霊があって、小児を可愛いとしがって、連れて帰ったのであろうも知れない。
「ああ、ひどいぞ。」
 ハッと呼吸いきを引く。目口に吹込む粉雪こゆきに、ばッと背を向けて、そのたびに、風と反対の方へ真俯向まうつむけになって防ぐのであります。こういう時は、その粉雪を、ぐるみ煽立あおりたてますので、下からも吹上げ、左右からも吹捲ふきまくって、よく言うことですけれども、おもての向けようがないのです。
 小児の足駄を思い出した頃は、実はもう穿はきものなんぞ、とうの以前になかったのです。
 しかし、御安心下さい。――雪の中を跣足はだし歩行あるく事は、都会の坊ちゃんや嬢さんが吃驚びっくりなさるような、冷いものでないだけは取柄です。ズボリと踏込んだ一息の間は、つめたさ骨髄に徹するのですが、いきおいよく歩行あるいているうちには温くなります、ほかほかするくらいです。
 やがて、六七町潜って出ました。
 まだこの間は気丈夫でありました。町のうちですから両側に家が続いております。この辺は水の綺麗きれいな処で、軒下の両側を、清い波を打った小川が流れています。もっともそれなんぞ見えるような容易やさしい積り方じゃありません。
 御存じの方は、武生と言えば、ああ、水のきれいな処かと言われます――この水が鐘を鍛えるのに適するそうで、かまなべ、庖丁、一切の名産――その昔は、聞えた刀鍛冶かたなかじも住みました。今も鍛冶屋が軒を並べて、その中に、柳とともに目立つのは旅館であります。
 が、もう目貫めぬきの町は過ぎた、次第に場末、町端まちはずれの――と言うとすぐにおおきな山、けわしい坂になります――あたりで。……この町を離れて、鎮守の宮を抜けますと、いまこうとする、志す処へ着くはずなのです。
 それは、――そこは――自分の口から申兼ねる次第でありますけれども、私の大恩人――いえいえ恩人で、そして、夢にも忘れられない美しい人の侘住居わびずまいなのであります。
 侘住居と申します――以前は、北国ほっこくにおいても、旅館の設備においては、第一と世に知られたこの武生のうちでも、その随一の旅館の娘で、二十六の年に、その頃の近国の知事のおもいものになりました……めかけとこそ言え、情深なさけぶかく、やさしいのを、いにしえの国主の貴婦人、簾中れんちゅうのようにたたえられたのが名にしおう中の河内かわち山裾やますそなる虎杖いたどりの里に、寂しく山家住居やまがずまいをしているのですから。この大雪の中に。

       二

 流るる水とともに、武生は女のうつくしい処だと、昔から人が言うのであります。就中なかんずく蔦屋つたや――その旅館の――およねさん(恩人の名です)と言えば、国々評判なのでありました。
 まだ汽車の通じない時分の事。……
「昨夜はどちらでお泊り。」
「武生でございます。」
「蔦屋ですな、綺麗きれいな娘さんが居ます。勿論、御覧でしょう。」
 旅は道連みちづれが、立場たてばでも、また並木でも、ことばを掛合ううちには、きっとこの事がなければ納まらなかったほどであったのです。
 往来ゆききれて、幾度いくたびも蔦屋の客となって、心得顔をしたものは、お米さんの事を渾名あだなして、むつの花、むつの花、と言いました。――色と言い、また雪の越路こしじの雪ほどに、世に知られたと申す意味ではないので――これは後言くりごとであったのです。……不具かたわだと言うのです。六本指、手の小指が左に二つあると、見て来たようなうわさをしました。なぜか、――地方いなかは分けて結婚期が早いのに――二十六七まで縁に着かないでいたからです。
(しかし、……やがて知事のおもいものになった事は前にちょっと申しました。)
 私はよく知っています――六本指なぞと、もない事です。たしかに見ました。しかもその雪なす指は、摩耶夫人まやぶにんが召す白い細い花の手袋のように、正に五弁で、それが九死一生だった私の額にそっと乗り、軽く胸にかかったのを、運命の星をかぞえるごとくじったのでありますから。――
 またその手で、硝子杯コップの白雪に、鶏卵たまご蛋黄きみを溶かしたのを、甘露をそそぐように飲まされました。
 ために私は蘇返よみがえりました。
冷水おひやを下さい。」
 もう、それが末期まつごだと思って、水を飲んだ時だったのです。
 脚気かっけを煩って、衝心をしかけていたのです。そのために東京から故郷くにに帰る途中だったのでありますが、汚れくさった白絣しろがすりを一枚きて、頭陀袋ずだぶくろのような革鞄かばん一つ掛けたのを、玄関さきで断られる処を、泊めてくれたのも、蛍と紫陽花あじさい見透みとおしの背戸に涼んでいた、そのお米さんの振向いたなさけだったのです。
 水と言えば、せいぜい米の磨汁とぎしるでもくれそうな処を、白雪に蛋黄きみなさけ。――萌黄もえぎ蚊帳かやべにの麻、……蚊のひどい処ですが、お米さんの出入りには、はらはらと蛍が添って、手を映し、指環ゆびわを映し、胸の乳房をすかして、浴衣の染の秋草は、女郎花おみなえしを黄に、萩を紫に、色あるまでに、蚊帳へ影を宿しました。
「まあ、汗びっしょり。」
 と汚い病苦の冷汗に……そよそよと風を恵まれた、浅葱色あさぎいろ水団扇みずうちわに、かすかに月がしました。……
 大恩と申すはこれなのです。――
 おなじ年、冬のはじめ、霜に緋葉もみじの散る道を、さわやかに故郷から引返ひっかえして、再び上京したのでありますが、福井までには及びません、私の故郷からはそれから七里さきの、丸岡の建場たてばくるまが休んだ時立合せた上下の旅客の口々から、もうお米さんの風説うわさを聞きました。
 知事のおもいものとなって、家を出たのは、その秋だったのでありました。
 ここはお察しを願います。――心易くは礼手紙、ただ音信おとずれさえ出来ますまい。
 十六七年を過ぎました。――唯今ただいま鯖江さばえ鯖波さばなみ今庄いまじょうの駅が、例の音に聞えた、中の河内、木の芽峠、湯の尾峠を、前後左右に、高く深く貫くのでありまして、汽車は雲の上をはしります。
 あい宿しゅくで、世事の用はいささかもなかったのでありますが、可懐なつかしさの余り、途中で武生へ立寄りました。
 内証で……何となく顔を見られますようで、ですから内証で、その蔦屋へ参りました。
 皐月さつき上旬でありました。

       三

 かど、背戸の清きながれ、軒に高き二本柳ふたもとやなぎ、――その青柳あおやぎの葉の繁茂しげり――ここにたたずみ、あの背戸に団扇うちわを持った、その姿が思われます。それは昔のままだったが、一棟ひとむね、西洋館が別に立ち、帳場も卓子テエブルを置いた受附になって、蔦屋の様子はかわっていました。
 代替りになったのです。――
 少しばかり、女中に心づけも出来ましたので、それとなく、お米さんの消息を聞きますと、蔦屋も蔦竜館ちょうりゅうかんとなった発展で、もちのこの女中などは、京の津から来ているのだそうで、少しも恩人の事を知りません。
 番頭を呼んでもらってたずねますと、――勿論その頃の男ではなかったが――これはよく知っていました。
 蔦屋は、若主人――お米さんの兄――が相場にかかって退転をしたそうです。お米さんにまけない美人をと言って、若主人は、祇園ぎおん芸妓げいしゃをひかして女房にしていたそうでありますが、それも亡くなりました。
 知事――その三年ぜんに亡くなった事は、私も新聞で知っていたのです――そのいくらか手当が残ったのだろうと思われます。当時は町を離れた虎杖いたどりの里に、兄妹がくらして、若主人の方は、町中のある会社へ勤めていると、この由、番頭が話してくれました。一昨年の事なのです。

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