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逗子より(ずしより)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:29:28  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本随筆紀行第五巻 関東 風吹き騒ぐ平原で
出版社: 作品社
初版発行日: 1987(昭和62)年10月10日
入力に使用: 1987(昭和62)年10月10日第1刷
校正に使用:


底本の親本: 鏡花全集 第二十八巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年11月30日

 

拝啓、愚弟におんことづけの儀承り候。来月分新小説に、凡兆が、(涼しさや朝草門に荷ひ込む)趣の、やさしき御催しこれあり、小生にも一鎌つかまつれとのおほせ、ゐなかずまひのわれらにはふさはしき御申しつけ、心得申して候。
 まづ、何処をさして申上げ候べき。われら此の森の伏屋、小川の芦、海は申すまでも候はず、岩端、松蔭、朝顔、夕顔、蛍、六代御前の塚は凄く涼しく、玄武寺の竜胆は幽に涼しく、南瓜の露はをかしげに涼しく、魚屋の盤台の鱸は……実は余りお安値やすからず涼しく、ものにつけ涼しからぬはこれなく候。わけて此の頃や、山々のみどりの中に、白百合の俤こそなつかしく涼しく候へ。
 なかにも、尊く身にしみて膚寒きまで心涼しく候は、当田越村久野谷なる、岩殿寺のあたりに候。土地の人はたゞ岩殿と申して、石段高く青葉によづる山の上に、観世音の御堂こそあり候。
 停車場ステエシヨンより、路を葉山の方にせず、鎌倉の新道、鶴ヶ岡までトンネルを二つ越して、一里八町と申し候方に、あひむかひ候へば、左に小坪の岩の根、白波の寄するを境に、青田と浅緑の海とをながめ、右にえぞ菊、孔雀草、浦島草、おいらん草の濃き紅、おしろい草、装を凝したる十七八の農家つゞきに、小さく停車場の全幅を望みつゝ、やがて、踏切を越して、道のほど二町ばかり参り候へば、水田の畔に建札して、板東三十三番の内、第二番の霊場とござ候。
 早や遠音ながら、声冴えて、谺に響く夏鶯の、山の其方を見候へば、雲うつくしき葉がくれに、御堂の屋根の拝まれ候。
 鎌倉街道よりはわきへそれ、通りすがりの打見には、橿原の山の端にかくれ、人通りしげき葉山の路とは、方位異なり、多くの人は此の景勝の霊地を知らず、小生も久しく不心得にて過ぎ申候。
 尤も、海に参り候、新宿なる小松原の中よりも、遠見に其の屋根は見え候を、後に心づき候へども、旗も鳥居もあるにこそ、小やかなる茅屋とて、たゞ山の上の一軒家とのみ、あだに見過ごされ申すべく、況して海水帽あひ望み、白脛、紅織るが如くに候をや、道心御承知の如き小生すら、時々富士の雪の頂さへ真正面に見落して、浴衣に眼を奪はれ候。
 東鑑の十三に、くはしき縁起候とよ。いにしへは七堂伽藍、雲に聳え候が、今は唯麓の小家二三のみ。
 当春、はじめて詣で候折は、石段も土にうづもれて、苔に躓くばかりあゆみなやみ候が、志すものありて、近頃は見事に修復出来申候。
 麓の里道、其石段まで、爪さきあがりの二町ばかりがほど、背戸の花、屋根の草相交り、茄子の夕日、胡瓜の風、清き流颯と走りて、処々水の隅に、柄長き柄杓を添へたるも、なか/\の風情に候。此処を蛍の名所と申すを、露草の裏すくばかり、目のあたりにうかべながら、未だ怠りて参り見ず。
 夜は然こそと存じ候。
 折りからと申し、御ことばをつたへながら遊びに参り候、愚弟をともなひ、盆前の借罪消滅のため、一寸参詣いたし候。石段は三階の、就中二ツ目の高く※(「山+険のつくり」、第3水準1-47-78)しきには、何某と何某と、施主ありて手曳の針鉄ひきわたしこれあり、縋るとて、扇子の竹触れて、りん/\と鈴虫の微妙なるしらべ聞え候。
 あはれ、妙音海潮音の海の色もこゝに澄み、ふりあふぐ山懐に、一叢しげれるみどりの草の、蛍の光も宿すべく、濡色見えて暗きなかに、山の端分くる月かとばかり、大輪の百合唯一つ真白きが、はつと揺らぎて薫りしは、此の寂さに拍手の、峰にや響き候ひけん。
 御堂の院の扉をすく、御俤もよそならず。雲か、あらず。煙か、あらず。美しき緑と紅と黄と白と紫と、五色の絹糸、朱塗の柱に堆き、天井の絵の花の中を、細くたなびき候は、御手の糸と称ふるよし、御像の御袖にかけましくも綾にかしこく候ひき。

具一切功徳  慈眼視衆生
福寿海無量  是故応頂礼


 かくて、霧たたば、月ささば、とおのづから衣紋の直され候。
 時に松吹く風ばかり、方丈に人もあらず、狭筵の片隅に、梅花心易のさし置かれ候を、愚弟のそぞろ手に取りて、開き見んといたし候まゝ、よしなくあてのない美人の名を占はんより、裏の山へ行つて百合を折らうと、夏草をわけ、香をたづねて、時の間に十本ばかり、枝もたわゝなるをゆら/\と引かつぎし、此の風采、其の顔色、御存じの方々は嘸ぞ苦々しく候べく、知らぬ人にはおつなるべく候。
 さきにはむすびて手を洗ひし、青薄茂きが中の、山の井の水を汲みて、釣瓶を百合の葉にそゝぎ、これせめてものぬれ事師。

山の井に棹さす百合の雫かな


 やがて下山いたし候へば、麓の流に棲むものの、露も水も珍しからぬを、花の雫をなつかしむや、沢蟹さら/\と芦を分けて、三つ四つならず道ばたに出迎へ候。愚弟は萩の細杖に、其の百合の花持添へて、風情なる哉、さゝがにのと、狩衣めかし候を、此方はさすがに年上なれば、蟹こうめ、ならぶるなと、藁草履踏みしだいて、叱々とゆふぐれ時、イヤ我ながら馬士うまかためいたり。
 蛍にはまだ暮れ果てず、立帰り候が、いかに逗子の風の、そよとも御あたりにかよひ候はば、お昼寝におつかひ下され度候。





底本:「日本随筆紀行第五巻 関東 風吹き騒ぐ平原で」作品社
   1987(昭和62)年10月10日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十八巻」岩波書店
   1942(昭和17)年11月30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:林幸雄
2003年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。


 

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