「運慶の作でござります。」
と、ちょんと坐ってて言う。誰でも構わん。この六尺等身と称うる木像はよく出来ている。山車や、芝居で見るのとは訳が違う。
顔の色が蒼白い。大きな折烏帽子が、妙に小さく見えるほど、頭も顔も大の悪僧の、鼻が扁く、口が、例の喰しばった可恐しい、への字形でなく、唇を下から上へ、への字を反対に掬って、
「むふッ。」
ニタリと、しかし、こう、何か苦笑をしていそうで、目も細く、目皺が優しい。出額でまたこう、しゃくうように人を視た工合が、これで魂が入ると、麓の茶店へ下りて行って、少女の肩を大な手で、
「どうだ。」
と遣りそうな、串戯ものの好々爺の風がある。が、歯が抜けたらしく、豊な肉の頬のあたりにげっそりと窶の見えるのが、判官に生命を捧げた、苦労のほどが偲ばれて、何となく涙ぐまるる。
で、本文通り、黒革縅の大鎧、樹蔭に沈んだ色ながら鎧の袖は颯爽として、長刀を軽くついて、少し屈みかかった広い胸に、兵の柄のしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、頬先に内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、颯と掉ると、従って冷い風が吹きそうである。
別に、仏菩薩の、尊い古像が架に据えて数々ある。
みどり児を、片袖で胸に抱いて、御顔を少し仰向けに、吉祥果の枝を肩に振掛け、裳をひらりと、片足を軽く挙げて、――いいぐさは拙いが、舞などしたまう状に、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、児をおあやしのような、鬼子母神の像があった。御面は天女に斉しい。彩色はない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き木彫である。
「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」
置手拭のが、
「はあ、其処は開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」
「少々ばかり、御免下さい。」
と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりと支えたのは、亀井六郎が所持と札を打った笈であった。
三十三枚の櫛、唐の鏡、五尺のかつら、紅の袴、重の衣も納めつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。
「ああ、これは、疵をつけてはなりません。」
棚が狭いので支えたのである。
そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸を閉てた。
連の家内が、
「粋な御像ですわね。」
と、ともに拝んで言った。
「失礼な事を、――時に、御案内料は。」
「へい、五銭。」
「では――あとはどうぞお賽銭に。」
そこで、鎧着たたのもしい山法師に別れて出た。
山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。
大な広い本堂に、一体見上げるような釈尊のほか、寂寞として何もない。それが荘厳であった。日の光が幽に漏れた。
裏門の方へ出ようとする傍に、寺の廚があって、其処で巡覧券を出すのを、車夫が取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ薬師堂、次の宝物庫、さて金色堂、いわゆる光堂。続いて経蔵、弁財天と言う順序である。
皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとを鎖すのである。が、宝物庫には番人がいて、経蔵には、年紀の少い出家が、火の気もなしに一人経机に対っていた。
はじめ、薬師堂に詣でて、それから宝物庫を一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、一条、道を隔てた丘の上に導く。……階の前に、八重桜が枝も撓に咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。
桜は中尊寺の門内にも咲いていた。麓から上ろうとする坂の下の取着の処にも一本見事なのがあって、山中心得の条々を記した禁札と一所に、たしか「浅葱桜」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。処々汽車の窓から視た桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっと冴を見せて咲いたのはなかった。薄墨、鬱金、またその浅葱と言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。
唯、階の前の花片が、折からの冷い風に、はらはらと誘われて、さっと散って、この光堂の中を、空ざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと――羽目に浮彫した、孔雀の尾に玉を刻んで、緑青に錆びたのがなお厳に美しい、その翼を――ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、黄金の巻柱の光をうけて、ぱっと金色に飜るのを見た時は、思わず驚歎の瞳を瞠った。
床も、承塵も、柱は固より、彳めるものの踏む処は、黒漆の落ちた黄金である。黄金の剥げた黒漆とは思われないで、しかも些のけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立った趣がある。われら仙骨を持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲を透して、四方に、七宝荘厳の巻柱に対するのである。美しき虹を、そのまま柱にして絵かれたる、十二光仏の微妙なる種々相は、一つ一つ錦の糸に白露を鏤めた如く、玲瓏として珠玉の中にあらわれて、清く明かに、しかも幽なる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、螺鈿を、星の流るるが如く輝かして、宝相華、勝曼華が透間もなく咲きめぐっている。
この柱が、須弥壇の四隅にある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座あって、壇上には弥陀、観音、勢至の三尊、二天、六地蔵が安置され、壇の中は、真中に清衡、左に基衡、右に秀衡の棺が納まり、ここに、各一口の剣を抱き、鎮守府将軍の印を帯び、錦袍に包まれた、三つの屍がまだそのままに横わっているそうである。
雛芥子の紅は、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ金色の果なのである。
謹んで、辞して、天界一叢の雲を下りた。
階を下りざまに、見返ると、外囲の天井裏に蜘蛛の巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なる塵よ、と見れば、一粒の金粉の落ちて輝くのであった。
さて経蔵を見よ。また弥が上に可懐い。
羽目には、天女――迦陵頻伽が髣髴として舞いつつ、かなでつつ浮出ている。影をうけた束、貫の材は、鈴と草の花の玉の螺鈿である。
漆塗、金の八角の台座には、本尊、文珠師利、朱の獅子に騎しておわします。獅子の眼は爛々として、赫と真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔が視られるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこの轡を取って、ちょっと振向いて、菩薩にものを言いそうなのが優玉、左に一匣を捧げたのは善哉童子。この両側左右の背後に、浄名居士と、仏陀波利が一は払子を振り、一は錫杖に一軸を結んだのを肩にかつぐように杖いて立つ。額も、目も、眉も、そのいずれも莞爾莞爾として、文珠も微笑んでまします。第一獅子が笑う、獅子が。
この須弥壇を左に、一架を高く設けて、ここに、紺紙金泥の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは金泥銀泥で、本経の図解を描く。……清麗巧緻にしてかつ神秘である。
いま此処に来てこの経を視るに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。
架の裏に、色の青白い、痩せた墨染の若い出家が一人いたのである。
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