鏡花短編集 |
岩波文庫、岩波書店 |
1987(昭和62)年9月16日 |
2001(平成13)年2月5日第21刷 |
鏡花全集 巻二十七 |
岩波書店 |
1942(昭和17)年10月 |
山吹つつじが盛だのに、その日の寒さは、俥の上で幾度も外套の袖をひしひしと引合せた。
夏草やつわものどもが、という芭蕉の碑が古塚の上に立って、そのうしろに藤原氏三代栄華の時、竜頭の船を泛べ、管絃の袖を飜し、みめよき女たちが紅の袴で渡った、朱欄干、瑪瑙の橋のなごりだと言う、蒼々と淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く朽古びた杭が唯一つ、太く頭を出して、そのまわりに何の魚の影もなしに、幽な波が寂しく巻く。――雲に薄暗い大池がある。
池がある、この毛越寺へ詣でた時も、本堂わきの事務所と言った処に、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、閑らしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、赫と火の気の立つ……とそう思って差覗いたほどであった。
旅のあわれを、お察しあれ。……五月の中旬と言うのに、いや、どうも寒かった。
あとで聞くと、東京でも袷一枚ではふるえるほどだったと言う。
汽車中、伊達の大木戸あたりは、真夜中のどしゃ降で、この様子では、思立った光堂の見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。
濃い靄が、重り重り、汽車と諸ともに駈りながら、その百鬼夜行の、ふわふわと明けゆく空に、消際らしい顔で、硝子窓を覗いて、
「もう!」
と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形を顕わす頃から、音もせず、霧雨になって、遠近に、まばらな田舎家の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。
次第に、麦も、田も色には出たが、菜種の花も雨にたたかれ、畠に、畝に、ひょろひょろと乱れて、女郎花の露を思わせるばかり。初夏はおろか、春の闌な景色とさえ思われない。
ああ、雲が切れた、明いと思う処は、
「沼だ、ああ、大な沼だ。」
と見る。……雨水が渺々として田を浸すので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。……処々巌蒼く、ぽっと薄紅く草が染まる。嬉しや日が当ると思えば、角ぐむ蘆に交り、生茂る根笹を分けて、さびしく石楠花が咲くのであった。
奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は弥が上に曇った。けれども、志す平泉に着いた時は、幸いに雨はなかった。
そのかわり、俥に寒い風が添ったのである。
――さて、毛越寺では、運慶の作と称うる仁王尊をはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。
「御参詣の方にな、お触らせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」
と腰袴で、細いしない竹の鞭を手にした案内者の老人が、硝子蓋を開けて、半ば繰開いてある、玉軸金泥の経を一巻、手渡しして見せてくれた。
その紺地に、清く、さらさらと装上った、一行金字、一行銀書の経である。
俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持かも知れない。尊い文字は、掌に一字ずつ幽に響いた。私は一拝した。
「清衡朝臣の奉供、一切経のうちであります――時価で申しますとな、唯この一巻でも一万円以上であります。」
橘南谿の東遊記に、
これは清衡存生の時、自在坊蓮光といへる僧に命じ、一切経書写の事を司らしむ。三千日が間、能書の僧数百人を招請し、供養し、これを書写せしめしとなり。余もこの経を拝見せしに、その書体楷法正しく、行法また精妙にして――
と言うもの即これである。
ちょっと(この寺のではない)或案内者に申すべき事がある。君が提げて持った鞭だ。が、遠くの掛軸を指し、高い処の仏体を示すのは、とにかく、目前に近々と拝まるる、観音勢至の金像を説明すると言って、御目、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の尖を振うのは勿体ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、作がいいだけに、瞬もしたまいそうで、さぞお鬱陶しかろうと思う。
俥は寂然とした夏草塚の傍に、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの菖蒲杜若が隈々に自然と伸びて、荒れたこの広い境内は、宛然沼の乾いたのに似ていた。
別に門らしいものもない。
此処から中尊寺へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた茅の屋根にも、路傍の地蔵尊にも、一々由緒のあるのを、車夫に聞きながら、金鶏山の頂、柳の館あとを左右に見つつ、俥は三代の豪奢の亡びたる、草の径を静に進む。
山吹がいまを壮に咲いていた。丈高く伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。――何処か邸の垣根越に、それも偶に見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの金衣の娘々を見る事は珍しいと言っても可い。田舎の他土地とても、人家の庭、背戸なら格別、さあ、手折っても抱いてもいいよ、とこう野中の、しかも路の傍に、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。
そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって咲交る。……
が、燃立つようなのは一株も見えぬ。霜に、雪に、長く鎖された上に、風の荒ぶる野に開く所為であろう、花弁が皆堅い。山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの薄紅は珊瑚に似ていた。
音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、潺々として巌に咽んで泣く谿河よりも寂しかった。
実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかったのである。
そのかわり、牛が三頭、犢を一頭連れて、雌雄の、どれもずずんと大く真黒なのが、前途の細道を巴形に塞いで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。
これにはたじろいだ。
「牛飼も何もいない。野放しだが大丈夫かい。……彼奴猛獣だからね。」
「何ともしゃあしましねえ。こちとら馴染だで。」
けれども、胸が細くなった。轅棒で、あの大い巻斑のある角を分けたのであるから。
「やあ、汝、……小僧も達しゃがな。あい、御免。」
敢て獣の臭さえもしないで、縦の目で優しく視ると、両方へ黒いハート形の面を分けた。が牝牛[#「牝牛」では底本では「牡牛」]の如きは、何だか極りでも悪かったように、さらさらと雨のあとの露を散して、山吹の中へ角を隠す。
私はそれでも足を縮めた。
「ああ、漸と衣の関を通ったよ。」
全く、ほっとしたくらいである。振向いて見る勇気もなかった。
小家がちょっと両側に続いて、うんどん、お煮染、御酒などの店もあった。が、何処へも休まないで、車夫は坂の下で俥をおろした。
軒端に草の茂った、その裡に、古道具をごつごつと積んだ、暗い中に、赤絵の茶碗、皿の交った形は、大木の空洞に茨の実の溢れたような風情のある、小さな店を指して、
「あの裏に、旦那、弁慶手植の松があるで――御覧になるかな。」
「いや、帰途にしましょう。」
その手植の松より、直接に弁慶にお目に掛った。
樹立の森々として、聊かもの凄いほどな坂道――岩膚を踏むようで、泥濘はしないがつるつると辷る。雨降りの中では草鞋か靴ででもないと上下は難しかろう――其処を通抜けて、北上川、衣河、名にしおう、高館の址を望む、三方見晴しの処(ここに四阿が立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備えてある。)其処へ出ると、真先に案内するのが弁慶堂である。
車夫が、笠を脱いで手に提げながら、裏道を崖下りに駈出して行った。が、待つと、間もなく肩に置手拭をした円髷の女が、堂の中から、扉を開いた。
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