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七宝の柱(しっぽうのはしら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:35:27  点击:  切换到繁體中文

底本: 鏡花短編集
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1987(昭和62)年9月16日
入力に使用: 2001(平成13)年2月5日第21刷


底本の親本: 鏡花全集 巻二十七
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年10月

 

山吹やまぶきつつじがさかりだのに、その日の寒さは、くるまの上で幾度も外套のそでをひしひしと引合ひきあわせた。
 夏草なつくさやつわものどもが、という芭蕉ばしょうの碑が古塚ふるづかの上に立って、そのうしろに藤原氏ふじわらし三代栄華の時、竜頭りゅうずの船をうかべ、管絃かんげんの袖をひるがえし、みめよき女たちがくれないはかまで渡った、朱欄干しゅらんかん瑪瑙めのうの橋のなごりだと言う、蒼々あおあおと淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く朽古くちふるびたくいただ一つ、太く頭を出して、そのまわりに何のうおの影もなしに、かすかな波がさびしく巻く。――雲に薄暗い大池がある。
 池がある、この毛越寺もうえつじへ詣でた時も、本堂わきの事務所と言ったところに、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、ひまらしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、かっと火の気の立つ……とそう思って差覗さしのぞいたほどであった。
 旅のあわれを、お察しあれ。……五月の中旬なかばと言うのに、いや、どうも寒かった。
 あとで聞くと、東京でもあわせ一枚ではふるえるほどだったと言う。
 汽車中きしゃちゅう伊達だて大木戸おおきどあたりは、真夜中のどしゃぶりで、この様子では、思立おもいたった光堂ひかりどうの見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。
 濃いもやが、かさなり重り、汽車ともろともにかけりながら、その百鬼夜行ひゃくきやこうの、ふわふわと明けゆく空に、消際きえぎわらしい顔で、硝子がらす窓をのぞいて、
「もう!」
 と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形をあらわす頃から、音もせず、霧雨になって、遠近おちこちに、まばらな田舎家いなかやの軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。
 次第に、麦も、田も色には出たが、菜種なたねの花も雨にたたかれ、はたけに、あぜに、ひょろひょろと乱れて、女郎花おみなえしの露を思わせるばかり。初夏はおろか、春のたけなわな景色とさえ思われない。
 ああ、雲が切れた、あかるいと思うところは、
「沼だ、ああ、おおきな沼だ。」
 と見る。……雨水が渺々びょうびょうとして田をひたすので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。……処々ところどころいわ蒼く、ぽっと薄紅うすあかく草が染まる。うれしや日が当ると思えば、つのぐむあしまじり、生茂おいしげ根笹ねざさを分けて、さびしく石楠花しゃくなげが咲くのであった。
 奥の道は、いよいよ深きにつけて、空はいやが上に曇った。けれども、こころざ平泉ひらいずみに着いた時は、幸いに雨はなかった。
 そのかわり、くるまに寒い風が添ったのである。
 ――さて、毛越寺では、運慶うんけいの作ととなうる仁王尊におうそんをはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。
「御参詣の方にな、おさわらせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」
 と腰袴こしばかまで、細いしない竹のむちを手にした案内者の老人が、硝子蓋がらすぶたを開けて、半ば繰開くりひらいてある、玉軸金泥ぎょくじくこんでいきょうを一巻、手渡しして見せてくれた。
 その紺地こんじに、清く、さらさらと装上もりあがった、一行金字いちぎょうきんじ一行銀書いちぎょうぎんしょの経である。
 俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持こころもちかも知れない。たっとい文字は、に一字ずつかすかに響いた。私は一拝いっぱいした。
清衡朝臣きよひらあそん奉供ぶぐ一切経いっさいきょうのうちであります――時価で申しますとな、ただこの一巻でも一万円以上であります。」
 たちばな南谿なんけい東遊記とうゆうきに、

これは清衡きよひら存生ぞんじょうの時、自在坊じざいぼう蓮光れんこうといへる僧に命じ、一切経書写の事をつかさどらしむ。三千日が間、能書のうしょの僧数百人を招請しょうせいし、供養し、これを書写せしめしとなり。もこの経を拝見せしに、その書体楷法かいほう正しく、行法ぎょうほうまた精妙にして――

 と言うものすなわちこれである。
 ちょっと(この寺のではない)ある案内者に申すべき事がある。君がささげて持った鞭だ。が、遠くの掛軸かけじくを指し、高いところの仏体を示すのは、とにかく、目前に近々ちかぢかと拝まるる、観音勢至かんおんせいし金像きんぞうを説明すると言って、御目おんめ、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹のさきを振うのは勿体もったいない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、さくがいいだけに、またたきもしたまいそうで、さぞお鬱陶うっとうしかろうと思う。
 くるま寂然しんとした夏草塚なつくさづかそばに、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの菖蒲あやめ杜若かきつばた隈々くまぐまに自然と伸びて、荒れたこの広い境内けいだいは、宛然さながら沼の乾いたのに似ていた。
 別に門らしいものもない。
 此処ここから中尊寺ちゅうそんじへ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いたかやの屋根にも、路傍みちばた地蔵尊じぞうそんにも、一々いちいち由緒のあるのを、車夫わかいしゅに聞きながら、金鶏山きんけいざんいただき、柳のたちあとを左右に見つつ、くるまは三代の豪奢ごうしゃの亡びたる、草のこみちしずかに進む。
 山吹がいまをさかりに咲いていた。丈高たけたかく伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。――何処どこやしきの垣根ごしに、それもたまに見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの金衣きんい娘々じょうじょうを見る事は珍しいと言ってもい。田舎の他土地ほかとちとても、人家の庭、背戸せどなら格別、さあ、手折たおっても抱いてもいいよ、とこう野中のなかの、しかも路のはたに、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。
 そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって咲交さきまじる。……
 が、燃立もえたつようなのは一株も見えぬ。しもに、雪に、長くとざされた上に、風の荒ぶる野に開く所為せいであろう、花弁が皆堅い。山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの薄紅うすくれない珊瑚さんごに似ていた。
 音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、潺々せんせんとしていわむせんで泣く谿河たにがわよりもさみしかった。
 実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかったのである。
 そのかわり、牛が三頭、こうし一頭ひとつ連れて、雌雄めすおすの、どれもずずんとおおきく真黒なのが、前途ゆくての細道を巴形ともえがたふさいで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。
 これにはたじろいだ。
牛飼うしかいも何もいない。野放しだが大丈夫かい。……彼奴あいつ猛獣だからね。」
「何ともしゃあしましねえ。こちとら馴染なじみだで。」
 けれども、胸が細くなった。轅棒かじで、あのおおき巻斑まきふのあるつのを分けたのであるから。
「やあ、われ、……小僧もたっしゃがな。あい、御免。」
 あえけものにおいさえもしないで、縦の目で優しくると、両方へ黒いハート形のおもてを分けた。が牝牛めうし[#「牝牛」では底本では「牡牛」]の如きは、何だか極りでも悪かったように、さらさらと雨のあとの露をちらして、山吹の中へ角を隠す。
 私はそれでも足を縮めた。
「ああ、やっころもせきを通ったよ。」
 全く、ほっとしたくらいである。振向いて見る勇気もなかった。
 小家こいえがちょっと両側に続いて、うんどん、お煮染にしめ御酒おんさけなどの店もあった。が、何処どこへも休まないで、車夫わかいしゅは坂の下でくるまをおろした。
 軒端のきばに草の茂った、そのなかに、古道具をごつごつと積んだ、暗い中に、赤絵あかえの茶碗、皿のまじった形は、大木の空洞うつろいばらの実のこぼれたような風情ふぜいのある、小さな店を指して、
「あの裏に、旦那、弁慶べんけい手植てうえの松があるで――御覧になるかな。」
「いや、帰途かえりにしましょう。」
 その手植の松より、直接じかに弁慶にお目にかかった。
 樹立こだち森々しんしんとして、いささかものすごいほどな坂道――岩膚いわはだを踏むようで、泥濘ぬかりはしないがつるつるとすべる。雨降りの中では草鞋わらじか靴ででもないと上下じょうげむずかしかろう――其処そこ通抜とおりぬけて、北上川きたかみがわ衣河ころもがわ、名にしおう、高館たかだちあとを望む、三方見晴しの処(ここに四阿あずまやが立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備えてある。)其処そこへ出ると、真先に案内するのが弁慶堂である。
 車夫わかいしゅが、笠を脱いで手にげながら、裏道を崖下がけさがりに駈出かけだして行った。が、待つと、間もなく肩に置手拭おきてぬぐいをした円髷まるまげの女が、堂の中から、扉を開いた。

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